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第一話 全なる密室(1)

 ログイン画面。妖しげな牡丹立木文(ぼたんたちきもん)。血のような深紅。

 漆黒の背景。

 中央に据え置かれた横長のログインボックス。

 メールアドレスとパスワードの入力。

 浮き上がる不気味な言葉。


 "脱出ゲーム"をプレイしますか?


 迫られる選択。


 "YES"or"NO".


 手の震え。微動するマウス。

 "YES"を選択する。

 始まりの告げる鐘の音は、ひどく澄んだ音色だった。 


 ――The beginning of an escape game.



 *




 初めに、裸電球の明滅があった。

 閉じられたまぶたの裏から、明かりを感じている。薄く、今にも消え入りそうな明かりなんだ。

 徐々に意識が明確になっていく。寝ぼけ眼。まるで霧が晴れていくように、視界が赤らんできた。

 そうした薄明かりのしたで、眼球がタイル状の壁を捉えた。

 それは見たこともない"壁"だった。自宅のくすんだ灰色の壁でも、板張りの校舎の壁でもない。なんとも異様で、見た覚えのない、どこか恐怖すら覚えるほどの、"壁"。それが四方に張り巡らされている……。

 そうした升目のようなタイルは、床や天井にも貼り付けられていた。

 タイルで囲まれた部屋。

 密室。

 ここはどこなのか?

 初めに浮かび上がった疑問は、まさにそれである。ここはどこなのか?

 "僕はこの部屋を知らないぞ"。

 奇妙な閉塞感にとらわれている。

 そして僕は、さらなる恐怖に行き当たる。

 視線を下げようと思ったんだ。とにかくさ、視線を下げてみて、何がどうなっているか知りたいと思ったんだ。自分が今、どのような状況に置かれているか、把握してみたいと思ったんだ。

 閉塞感の正体。

 視線を下げてみる。

 果然、眼前に飛び込んできたものは、椅子に結わえ付けられた己の足だった。

 足を拘束されている……。

 慄然と背中に冷や汗が垂れ、生唾を飲み込む。一瞬何がどうなっているか判然としなかったが、何度確認しようが、事実が変わるわけもなかった。

 結束バンド、というのだろうか? 機能停止した脳を起こして、必死に考えを巡らせてみる。

 それはパソコンなど電子機器のケーブルや、雑誌類を結束するために使う道具だ。

 こういう時に限って、どうでもいいことを分析し始める。材質は汎用樹脂のポリプロピレン。耐久、耐熱性に優れ、汎用な用途を持つ。

 よく見れば、歯状の模様がバンド部についているのが分かった。そうして、さらに思い出す。確か結束バンドは、バンドをロック部に通すことで逆には戻らないという性質を有しているのだ。

 換言するなら、縛られているってことだ。

 蛇のように巻きついているそれは、やけにひんやりと感じられ、痛みすらあった。足の肉を締め上げ、血の環流を妨げている。

 反射的に、ほどこうと思った。本能的な恐怖がそうさせるんだ。

 そしたら、手も縛られていることに気づいた。後ろ手だ。手を背中に回した状態で、縄のようなもので拘束されているのが感覚的に分かった。やはり、結束バンドだろうか。

 突然の事態に、ひどく頭が混乱していた。目の前が真っ白になって、考えがまとまらなくなるんだ。

 自分が今、どのような状況に置かれているのかは、視覚を通じて理解しようとしている。でも、脳が理解を拒んでいた。だってこんな状況、普通じゃありえないだろう? 誰だってそう思うはずだ。焦りと不安が渦を巻いて、気持ち悪くなった。なんだか吐きそうだ。

 なぜこんなところにいるのか。

 どうしてこんなところにいるのか。

 ただ一つ確かなことは、着座している、ということだった。

 僕は椅子に着座した姿勢をとっている……。

 結束バンドにて椅子と一体になった僕は、まるでイモムシのように体をグネグネと動かした。

 心臓は早鐘のように脈打ち、脳が外界の情報を遮断しようとしている。さきほど調査した状況を、拒絶しようとしているのか…‥。

 勝手に呼吸は荒くなり、パクパクとえさを求める金魚のようになっているのが自分でも分かる。肺が強烈に酸素を欲していた。

 冷や汗が一筋、額から垂れて、ズボンにシミを作った。

 僕はジタバタと、全身を揺らしてみた。激しく、激しく、激しく……。

 ガタガタと椅子と床との接触音が聞こえてくる。

 果たして、均衡を失った椅子(ぼく)は、右側に転倒した。冷たいタイルと右頬がご挨拶する。

 打ち付けたようだった。

 縛り付けられている手足は無事だったようだが、急に倒れたものだから、その衝撃でダメージが残った。肩部も違和感を訴えている。右の耳はキーンとなった。鼓膜を傷つけたのだろうか? それに口の中も切っている。鉄の味がする。歯茎も損傷を受けたらしく、舌で歯を押すとグラグラと不安定になっているのが分かった。

 視界は横転し、見える景色が変わった。

 心臓をわしづかみにされるような怖気が、不意にせり上がってくる。手汗がひどい。接着剤を薄く()いたようにベタベタしている。

 僕はどれくらい寝ていたのだろう。椅子に縛られて何時間たった? 分かるのは、長時間固定されていたらしく、体の節々がバキバキとイヤな音を立てているということだ。

「なんなんだ、これは?」と思わず、そんな言葉が漏れた。「四方は壁、床は固く、天井もそれなりに高い。僕は密室の中にいるのか? この密室には"タイル"が敷きつめられている。今は夏休みのはずだろ。自宅のはずだ。僕は自分の部屋で寝ていたはずなのに……」 

 不安が不安を呼び、疑問が疑問を招き、謎が謎を生む。

 昨夜のことを思い返してみても、異常はなかったと思う。

 いつもどおりの一日だった。

 八月の上旬、夏休みで学校はない。日差しは強く、窓から吹き込む風は涼しげだった。飯を食べて、風呂に入って、宿題を少しだけする……。そうして何事もなく時間は過ぎ、僕は(とこ)についたのだった。

 そこで記憶が途切れている。

 何があったのだろう?

 思索を巡らせてみても、該当する出来事はない。途切れているんだ。空白の記憶があった。ここに至るまでの経緯が見当たらない。

 意識が戻った時は、混乱のあまり横から倒れたものの、やはり自分の置かれている状況を理解しなければどうにもならない。理解して、分析して、結果を出す。ポジティブシンキングだ。僕はさ、転んでもただじゃ起きない人間なんだぜ。

 心臓はやけにうるさいし、思考もうまく働かないけど、とにかく現状を把捉(はそく)してみようじゃないか。

 ここは、突き詰めて言えば、密室だ。壁に取り囲まれ、タイルの天井で蓋をされている。そして奇妙なことに、天井は勾配(こうばい)構造になっていた。平らではなく、斜め……。

 察するに、僕のいるところは天井の箸が出っ張った立方体の形をしているのだろう。少なくとも、ホテルの一室とか、民家の小部屋という感じではない。もっとこう、異質な作りをしている。普通ではありえない。この部屋は異様だ。

 なぜか。

 天井が傾いているのもそうだが、何より窓が見当たらないってのが不可解。

 ――建築基準法、というのがある。

 簡単に言えば、建造物の敷地や構造などに制限をかける法律のことだが、僕のいる部屋は明らかにそれに違反している。

 通常、床面積の七分の一の窓を設けなければ、部屋を設置することはできない。居室として申請するならば、換気の他にも採光の必要性があるのだ。

 必ず窓がいる。

 でもこの部屋に窓や、喚起を促す道具は備えられていない。

 これが何を意味するのか。

 停滞する空気。

 停滞する思考。

「この部屋は妙だ」 

 世界から切り離されているんだな。

 なんて不気味なことを考えてみる。

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