修行、交流
今回は長いです。まず、主人公の思考は現代人思考なのでそれに合わせて文章も軽く成りがちですが、出来るだけ硬派になるように書いてます。言葉をよく知らない作者ですみません。
スノウ
上泉信綱らを越後に迎えて謙信と話をしてから一年が過ぎた。その間に結構色々あった。まず、僕は新陰流を学び始めた。勿論新陰流最高の師匠上泉信綱にな!
だが、現実は僕のチキンハートを容易くへし折ってくれました。
何、何なの…新陰流の鍛錬の仕方怖すぎなんだけどっ……!真剣を持った信綱と毎日真剣試合を優に20回はして何度も死にかけたよ…グスン
始めのうちはキチンと基礎鍛錬から始めたよ、新陰流は意外と現代剣道とあんまり変わらなかったよ。学校の剣道部で必ずやる走り込み、木刀を持って素振りして最後に瞑想をして心を鍛えるといった普通の積み重ねだった。
そう…信綱が悪魔の言葉を言うまでは
基礎を積み重ね始めて五ヶ月ぐらい経った頃だろうか、いつに無く優しい顔をした信綱と少し顔がひきつった泰綱と宗章が来たんだ。
そして僕に言った。
「喜平次様は僅か五ヶ月で膨大な基礎を全てこなされ、毎日続けておられる。私も予想していませんでしたが、今日より新陰流の本来の修行に入ります。」
やったね!僕は剣聖に認められたんだ!と、この時の僕は甘い考えに囚われて修行を軽く見てしまっていた。
だが、信綱と真剣を持って試合った時、そんな幻想は直ぐに消えた。
真剣を構える信綱はこっちを本気で殺す剣気を放ち、少しでも身じろぎしたらビュンと音と共に僕の髭がハラリと風に吹かれて飛んで行った。目に見えない速度を信綱が放ったのだ。
勿論、現代日本生まれである僕が本物の剣豪に敵う筈も無くその日はボロクソに峰打ちで打ち据えられ、終わった。
次の日から地獄が始まった。
毎日真剣で信綱と向き合い、僕は何度も刀で体を真っ二つにされそうに成りながら必死に試合をした。それを二十回ぐらい続けた後、宗章と泰綱に介抱されながら飯をしこたま食わされた。何でも飯を沢山食う事で体を更に強くし、修行で死なない身体にすると言う事だそうだ。
別に修行で死にたく無いんだけど…言ったら信綱が怖いから言わないけどね。
二人が言うには信綱が此処まで過酷に接するには訳が在るらしく、自分が死ぬまでに僕に新陰流を習得させ、戦場で不覚を取らないようにしたいだかららしい。
『 信綱様は恐らく喜平次様に生きて欲しいのでしょう。前に信綱様が言っていましたが、「喜平次様には長野業正、業盛様の様に志半ばで死んで欲しく無い。生きて戦なき世を、その為にはこの老人の命など惜しくない。」と仰っていました。』
上泉信綱は喜平次の事を本当に想い、生きて欲しいから齢60を過ぎ、もうすぐ尽きんとする我が身を燃やし尽くし、喜平次に新陰流を伝えようとしている。
ちくしょう、そこまでされたら応えないと親に顔向け出来ないな!やったろうじゃないか、信綱、修行突破してやるぜ……!
こうして一年間の間に僕は新陰流を一応だが習得した。まだまだ信綱や宗章、泰綱には及ばないが、新陰流の端くれにはなった。
当たり前じゃん、立ったの一年間で新陰流の先輩らと並ぶ実力持てたらチートだな。生憎僕にはそう言うチートは無かった。それで修行の時に挫けそうになった事は全く関係無いもんね……挫けてなんか無いよ!
あ、この一年間に修行以外にも結構色々した。
まず、腹心の狩野秀孝に内政チートと言うか、現在の上杉の軍体制を変えれるか相談して見た。そしたら、「上杉は不識庵様を唯一として纏まっているのでそれは難しゅう御座ります。変えるならば、失礼に当たりますが、不識庵様死後に断行すべきかと。」
やっぱしか、改めて上杉って言う家は異質なんだと思い知らされる。上杉は謙信唯一人によって成り立っているからなあ、謙信が死んだら国人、豪族、家臣らは直ぐに自分勝手に動き始めるだろう。実際、謙信の死後それは起こった。有名な後家騒動では景勝、景虎が争ったと言われるが実質は上田衆、旧謙信派、北条方の争いに近かった。上田衆は景勝を主君として立てて良く仕えたが、それ以外の家臣には敵対意識を持ってた。旧謙信派は上杉謙信を信奉する一派で戦で名を上げた高名な武士が多かった。だが、最後の上杉景虎を擁立した派は完全に北条寄りの武士が多数を占めていた。
三派閥が入り乱れて争ったのだから当然乱は長くなった。旧謙信派は戦には静観の姿勢を示したので中立だったが、上田衆、景虎派は熟達の武士が余り居なかったので互いに決め手を出せず時間ばかりが過ぎて行った。
最終的に景勝と兼続、秀孝の外交戦略により、乱は終結したが、上田衆と旧謙信派のわだかまりは消えず、その時は運悪く織田家が上杉領に侵攻してきたので仲を修正する機会を逸してしまった。
上田衆と旧謙信派のわだかまりが薄らいだのは小田原攻めが終わり、景勝が会津に転封された後だと言う。
これはヤバイね。簡単に言うと、今の僕では謙信に従っていた人達は僕についてこないって事か、此れを防ぎ、僕が思う様に動かせる上杉を作る為には乱の早期終結が必要だな。
その為の布石は一年間で作って来た。宗章と泰綱の二人には僕直属の武士達を修練してもらった。その結果、武士達は謙信旗下の兵にも劣らぬ強さを身につけてくれた。
後な、上杉の部将達とも色々交流して見た。
皆個性的で凄かったなー、その中で僕に好意を持ち、味方になってくれそうなのは何人かいた。
まず、魚津城主の河田長親、この人な、何気に俗世離れした風貌してて、軍師並みの風格発してたからビビっちゃった。顔に似合わず温厚な性格をしてて、良く話しかけてくれた。ビビっちゃったので短い言葉しか出せなかったけど……
次は直江景綱、本条繁長だな。
直江景綱は兼続の義父だけあって、内政に力を発揮しそうな爺さんだった。両腕が太かったのには驚いたが…
繁長、こいつは一目会っただけでヤバイと思ってしまった。目がギラギラしてて、こっちを見た途端クワッと目を見開いて叫びを上げながら肩を揺すられた。硬直したまま動けなかった僕は沈黙して繁長を見るだけしかできなかった。落ち着いたのか、繁長は短い、簡潔な言葉を言った。「俺の挨拶に微動だにしなかったのは不識庵様と景勝ゥ、貴様だけだァ、気に入ったァ。」
と、獲物を食い殺さんばかりの壮絶な笑みを向けられて逃げなかった僕を褒めて欲しい。
繁長は目がイッていたから戦闘狂の類だろう、いや、もっと悪いかも…だけど、何と無くだが、僕の命令や言葉なら聞いてくれそうな感じがしたので、気に入ってくれたんだろ。
目をつけられたのは怖いが、我慢だ……!
次は中条景泰、この人はとっても性格が良い人で普通の人だった。
ニコニコと笑みを絶やさない人で話していて楽しい人だった。ニコニコするだけでなく、武芸にも通じていて新陰流にも興味を持っていて一手申し込まれてしまった。
繁長の様な戦闘狂でなければ僕は普通に試合は出来るさ。繁長に会った時も試合を申し込まれたが、断った。
アレは完全にバトルしたくて堪らない目をしてたし、まだまだ弱いが一応新陰流なので相手の力量はある程度予測は出来る。
繁長は信じられない事に、信綱と引き分けた小島貞興と同等の力を持っていると推測出来たので、試合をしたら不慮の事故によって僕が死ぬ事は確定なんで断りました(キラッ
貞興ね、強いとは思ってたが、信綱と引き分けるとは思わなかったよ。信綱もビックリしてたし、まあ信綱は60いってるのに対し、貞興はまだ40代くらいだからなあ。それでも人の力を超えてると思うとしか無いが…
景泰もだが、繁長、貞興、信綱に及ばないにしろ、充分強かった。僕と接戦を演じたからな。
考えて見ると上杉は戦いに特化した人が多いね!僕ビックリだよ、上杉の部将達さ、現代日本にタイムスリップして剣道させたら無双するんじゃないの?と思うわ。
そんなこったで濃い一年間を過ごした。
さて、秀孝に周辺情勢聞いて見るか。