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越後にて

突然だが、今僕こと上杉景勝は春日山城下の屋敷に居る。

長篠の戦い後、武田勝頼を躑躅ヶ崎館まで護衛した後に越後に貞興と一緒に帰還した。貞興は長篠の激戦を経験しても「まだまだ暴れたりませぬな。」と笑いながら言ってた。全く、さすが其ゲームの○長の野望で戦闘力100と言う神チート武力は伊達じゃないなあ。

だけど謙信も統率98、武力99だから充分人間辞めてるわー、其れに比べたら景勝はバランスが良いよな。


と、そんな話は置いといてだ、越後に帰還した後、謙信に対面して長篠の戦の顛末を報告した。その時、負けて本当に申し訳ありません。と平伏して謝ったんだけど、「戦の勝ち負けは武家の常、気にする事ではない。」と言ってくれた。良い君主だよなぁ、他の戦国大名からしたら甘い、とか言われそうだが。


で、謙信から「戦も終わった事だ、遠征の間長く家を開けていたであろう。本日は此れで終わって良い。が、明日は少し早く登城致せ、評定が始まる前に喜平次に話がある故。」と言葉を頂き春日山城下にある自分の屋敷に帰った訳だよ。


自分の自宅と言うか、武家屋敷かな。其れが春日山城下にあるのも驚いたよ。だって、当時、城下町に家臣の家があるのって織田家だと思ったわ。なんでも謙信に聞いた所では織田と同盟組んでた時、重臣の一人が使者として岐阜に赴いた時がある。その時に情報収集の一環として「織田は家臣達の屋敷を城下に集めてる。」と謙信に言ったらしく、上杉も真似をし始めたからだと。

おいおい、凄くね?謙信って戦以外は興味ない俗世離れした人だと思ってたけど意外と細かな事にも気を配ってるんだな…

おっと、頭の中で色々考えてたが、そろそろ現実に戻らないとな。


僕の屋敷、上杉景勝の屋敷なんだが、なんか…無駄にデカい殺風景な大屋敷…という感じがする。まず、敷地は見た限り外回りの長さで20mはある。庭には池があり、錦鯉や鯉が泳ぎ回っている。まてまて、錦鯉って19世紀ぐらいに日本に広まったよな?間違っても戦国時代になんて存在しない筈。謎だな……気にしない方向で行くか。中国には四世紀ぐらいから出てたっていうし、多分中国から来たんじゃないかな。ま、そんなわけで、殺風景と言う痛い所はあるものの、小倉の日本庭園と比べても遜色ない立派な屋敷だった。


屋敷に入ってから庭の余りの自然美に心をうたれてボーッと魅入ってしまって、僕を呼ぶ声にしばらくの間気付かなかった。




「・・様」


「・・・様」


「・・・・様!」


「・・・様!如何なされました!」


突然の大声が耳に入って来て僅かに身構えた体を慌てて後ろに向けた。後ろには若年だろうか、20代半ばの武士が立っていた。


「喜平次様!さっきからずっとお呼びしておりますのに返事がなくて心配しましたぞ…」

この人誰だろう?僕の家臣だということは喜平次様!で確定だから直江兼続かな?もし兼続なら大期待!兼続はとても優秀な内政チート候補だからな。

「すまぬ、兼続。」

試しに兼続と呼んでみたら武士は変な物でも食った様に顔をハテナマークにして言った。

「兼続?誰の事に御座りますか?私の名前は狩野秀治で喜平次様の守役に御座ります。」


……兼続じゃなくて狩野秀治ぅ!?でも良く考えたら兼続は初めは謙信の小姓から始めたって記憶があるから、恐らく兼続とは1577年ぐらいに会うのではないか?兼続は僕よりも三歳年下だからまだ出仕してないのかもしれないな。

「すまぬ間違えた、秀治。」

「いえ、喜平次様に置かれては此の度の合戦お疲れ様に御座ります。」

「うむ、引き分けにはなってしまったが…武田は打撃を受けた。此れからは不識庵様以下我等一同が同盟国と一体になり、邁進して行かねばならぬ。」

上手く答えられたかな?主人としての言葉遣いは難しいな。

「ははっ、ですが、今の所は周辺にも目ぼしい動きは御座いませんので安心して良いでしょう。」

うん、そういや、上杉家は人材はかなりいたよな?織田には及ばないが…内政面だと、直江景綱、河田長親、本庄実頼、狩野秀治、直江兼続がいたな。


次に武の面では柿崎景家、小島貞興、本庄繁長、甘迫景継、色部勝長、新発田繁家、水原親範、斎藤朝信、中条景泰などか。


特に本庄繁長と小島貞興は謙信死後にも上杉景勝に仕え、上杉の武として長く前線に立ち続けた正真正銘の化け物だ。多分対抗出来るのは全国を見渡しても数える程しか居ない。


でも、此れらは謙信に仕えているから僕自身の直轄臣は狩野秀治しか居ない……いや、勿論他にも家臣は居るよ。だけどやっぱり優秀な人材は欲しい。1577年、謙信は死ぬ。それはどうしようもない。謙信の死因は良く分からない。仮に分かってても医学の知識と技術がない僕には寿命を伸ばす事はできない。


大切なのは謙信が死んだ後に起こる内乱だ。上杉家は1582年にはかなり追い詰められていた。その理由は織田との敵対、御家騒動内乱、周辺勢力との関係悪化にある。御家騒動は鎮圧に二年もかかった泥沼の争いだからその間に織田に越前から北陸に侵略され、体制が整った時には挽回のしようがない程北陸に侵攻されるという事態に陥っている。

だから御家騒動はなるべく早く終わらせて迎撃体制を調えて史実よりも上杉の領地を増やして織田に対抗したいんだが……そのためにはやっぱ、自分だけの家臣が必要なんだ。謙信に仕えている人は御家騒動では静観に徹した人が多い。始めから味方してくれたのは小島貞興ぐらいだ。

直轄臣ならば手足となってくれる。勿論、優秀な家臣はいる。狩野秀治とかだが、一人では心許ない。後二、三人かは欲しい。


しかし、越後の周辺国に良い人材居たかなあ…?秀治に聞いてみるか。

「秀治、越後に人材は居るか?」

「唐突ですな、私の記憶では居なかった様に思います。」

「やはりおらぬか…」

少し落胆してしまった。やっぱりそう簡単には行かないか……

落胆したのが分かったのか、秀治は小声で言った。

「越後に絞らなければ、人材は居る事には居ます。しかし、その人を登用するのはまず不可能とは思われます。仮に仕えてくれましたら喜平次様にとって大きな力と成りましょう。」

えっ…?マジか、マジなのか!不可能でもやってやんよ!誰だ!その人はっ!!


「場所は厩橋、北条高広様が治めている所にその人物は居ます」

「その人の名前は!?」

僕が目をキラキラと光らせて勢いよく尋ねると、秀治は目を静かに閉じて短く言った。









『上泉伊勢守信綱』





今回の人物を何故この人にしたのか?と言うと、やっぱり1575年は殆どの優秀な人材は他勢力に居るんですよね。例えば、蒲生氏郷、大谷吉継、石田三成、福島正則、加藤清正とか…羽柴、織田ばかりですが、他にも優秀な人材は関東、北陸にも居ますが、北条、上杉謙信、伊達、蘆名、最上、佐竹、武田に居ます。また、当主でなはい景勝のツテはまだ弱いです。以下に家臣のツテがあったとしても、所詮は謙信の家臣。碌な人材が来ない恐れがある…!という事なので、誰も狙わない。いや、狙う事を諦めた超難件、上泉信綱を選びました。登用に成功するかは分かりません。


本音を言えば上泉以外に人材が思いつかなかった……!何て事情もあったり。こんな情けない作者を御許し下さい。

此れから先にこう御期待!


長文失礼しました。此れからも拙作を宜しくお願いします。

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