修羅
更新致しました。
今回で長篠終わる予定でしたが、予想よりも文章量が多かったのでまだ続きます。
本当、すいません。次で必ず終わらせますので…
「かかれ、かかれーーーー!」
良く響く声を出しながら一人の男が指揮を取っている。兵らはその声に応え、何者も通さぬ様に聳え立つ柵に向かって行く。
柵に近づく度に銃声が鳴り響きその度に数十人の足軽がどうっ、と音を立てて倒れ伏す。幾度に及ぶ突撃で死者は数多くあり、倒れている死体で一つの山が出来そうだ。
だが、其れでも兵らは止まらない。彼等は主君、引いては武田を生かす為にここに留まったのだ。
兵らを指揮している男は顎に髭が生えているが無精髭といった類の物では無く、よく刈りそろられた短髭をしている。そして、スッと引き締まった顔つきと鷹の様に鋭い眼光がその部将が唯の育ちが良い人ではない事を表していた。
周りに立つ土屋家の家紋、三ツ石が塗られた旗が風に揺られてビュウッと棚引いた。
この男の名前は土屋昌次、武田家の侍大将である。元の姓は金丸。武田信虎の代より武田の部将として名を馳せた金丸虎義の子として生を受けた。
幼少の頃より、文武に優れ、元服を迎えた後は初陣より前線に立ち続け、川中島の合戦では晴信のそばを守り上杉勢の騎兵15人余を切り捨てる抜群の武功を挙げた。
川中島のち、駿河侵攻の際の義信幽閉の際には家臣らの動揺を抑えるために奔走して晴信より感状を受け、政治にも才がある事を示した。
晴信が信玄と改名した後も側に仕え続け、三方ヶ原では内藤修理介と共に徳川家康の本陣に討ち入り、鳥居元忠の一族信昌を討ち取る功績を上げる猛将振りを見せている。
今回の長篠の戦いでも活躍し、織田を散々に押しまくったが、織田信長の妙手により武田軍は将と兵を多数失う。それでも馬場隊と上杉と連携する事により何とか織田の一部を敗走させた。
そして、今昌次は味方、ひいては屋形様の御為が為に捨石となる覚悟を決めている。
ー何としてでも屋形様…勝頼様を逃がさなければ…父上や弟達に面目が立たぬ。その為にはこの命、遠慮無く投げ捨ててくれるわ。
右腕の拳を固く握り締めると昌次は馬の手綱をシュッと扱き、前進した。
それに合わせて一人の近臣が近寄って来た。
「失礼致します。先程上杉から伝令が来て殿に此れを、と」
家臣は懐から書状を取り出し昌次に差し出した。
書状を開いていくと其処に書かれていた文を見て昌次は驚きに顔を染め上げると同時に懺悔の念が浮かんだ。
確かに此れなら屋形様は助かる。だが、何とも苦肉の策よ。しかし、この策しか取れない様にしてしまったのは我らの責任。この愚将の命を捨つ事でせめて…屋形様を生かす。
生きていればいつか、武田は立ち直ります。昌次はその為なら喜んで礎となろう。
ーお屋形様…どうか御無事で……
昌次は前方をじっと見つめた。
前方には徳川軍がまたも立ち塞がっている。好戦的に打ち出してくる織田軍とは違い、徳川のそれは殻に篭る亀の様に臆病的である。 しかし、戦に置いてそれは有効な手とも言える。織田軍が仮に押し返されたとしても直ぐに徳川軍がその穴を埋めるだろう。
此れは相手が自分よりも数が絶対的に少ないからこそできる事である。
現に数が劣る土屋隊は徐々にその数を減らし、他の部隊から混合した兵を合わせて五千を数えた兵も今は三千を切るまでになっている。
此の儘では数に勝る連合軍に土屋隊は押し潰される事が目に見える。
遂にこの時が来たーー
昌次の命をお屋形様の為に燃やし尽くす刻が……
昌次は形の良い眉をギリッと引き締め、声を震わせた。
「土屋隊の者共、よく聞けッッ!!」
昌次の強い意志が込められた声に土屋隊は直ぐに耳を傾けた。
「味方は既に退却しておる、だが、敵は我等を逃がすつもりはない!」
口々に兵達が叫んだ。
「ならば、我々は如何に退却すれば!!」
「ーー我等の退却先はあの柵の先だ!」
兵達にざわめきが走った。
その言葉が意味する所ー即ち土屋隊は死地に赴くと言う事である。
「死にたく無い者は退却するが良い。私は此処で味方を逃がす為にあの柵の先に行く!」
昌次から退却しても良いと言う許可が出たにも関わらず、土屋隊三千余の中から後方に行く者は出て来なかった。
昌次は更に言葉を続けた
『土屋隊、此処に死せん!』
『おおおおおおおおおおおッッッッ!!!』
昌次から発せられた激に兵達は奮起した。
『突撃!』
昌次が馬を叱咤しながら先頭に立つやいなや、土屋隊は今までの攻勢の激しさを更に超える突撃を見せた。
兵達は雄叫びを上げ、織田軍に討ち入った。
織田軍は倍する数の兵をぶつけ、包囲しようとしたが、土屋隊は槍で貫かれても絶命するまで動き続け、敵に迫って首をかき切る執念に怖れを成してじりじりと押されて行った。
土屋隊は鬼神が乗り移ったかのように狂った叫びを轟かせ、敵兵を次々と切り倒す。槍に貫かれたまま前進し、絶命したらその屍を盾にして次の兵が柵に迫る。その兵も弓で命が消えたら更に次の兵がそれを超え、柵を力を入れて引っ張る。其れを防がんと鉄砲が唸りを上げ、喉笛を切り裂き、その兵も沈む。
あっという間に地面に倒れ伏して動かなくなった兵は100を数えた。普通の兵なら此処で怯むか戦意を喪失するのだが、土屋隊には全くそういう者は見当たらなかった。
兵らは皆顔を血染めに染めながら、雄叫びを挙げ続けていた。
ーかかれ、かかれ、かかれ、かかれー
その言葉のみが戦場に木霊していた。
対する織田、徳川軍は戦意を喪失する兵が続出して居た。土屋隊の常軌を逸した突撃により、戦死者が続出した。
負傷ではなく、戦死である。
と言う事は、あの隊に当たったら必ず自分は冥界に連れて行かれる。
勝ち戦なのに此処で死ねないー
その思いが織田、徳川軍に共通していた。
昌次は戦場を駆け抜けた。
迫り来る兵あれば、槍を唸らせ、数秒の間に喉を貫き、絶命させた。
昌次が槍を振るう度に数人の命が奪われる。昌次の周りに居る兵も槍で突かれ、弓が刺さり、全身から血を流しながらも進む事を止めない。
昌次とその兵らは修羅とかしていた。
昌次自身も体に数本の槍が突き刺さり、弓も十本は立っていた。常人なら直ぐに倒れる傷を負いながらも、昌次は目を爛々と光らせ、三段に渡る長い柵の最後の三段目に迫っていた。
少しふらっとしたが、何とか柵に辿り着いた。
「後一個ぞ!崩せ!」
昌次は指示を出し、自ら柵に取り付いた。
パパパパパパアンン!
「ぐふっ!?」
昌次の体を灼熱感が包んだ。
数えて23発の銃弾が昌次の足を、胸を、頭を、手を、腕を、一度に貫いた。
幸いにして弾は全て貫通したが、流れ出る血により失血死するだろう。
昌次の視界が赤く染まった。グラリと体が崩れかけるが、ボウッとする頭を働かせて再び動き始めた。
昌次は進む、武田が為に、他が為に、兵が為に、やがて歩みは止まった。
身体を8本の槍が突き刺さり、それを覆い尽くすように矢が20本は優に屹立し、全身をハリネズミにしながら昌次は立ち往生した。
土屋平八郎昌次討死
「土屋昌次様討死!」
その声が戦場に響き渡るや、土屋隊は既に五百に激減したが、其れを聞くや、怒りの叫びを上げながら織田軍に突貫し、全員玉砕した。
全滅するまで戦い続けた土屋隊により、織田徳川軍は戦死者を数えきれないほど出し、戦意がうなぎ登りに下がった。
本陣では怒りの篭った一喝が響いた。
「な…な…なぜ、武田を追撃出来ない!?」
よく肥え太った頬の贅肉を震わせて中年に差し掛かろうかと言う一人の恰幅の良い武将が声を発している。
その前には一人の武士が平伏していた。
平伏したまま武士は優しい声色で諭す様に言った。
「上様は、これ以上損害を出すのは望んで居りませぬ。三河様にも直ぐ兵を引く様にと、の仰せです。また、武田の殲滅も中止との事。」
「し、しかし…今、武田は兵を大きく損じている。この機を逃すなど!」
「三河様、あの兵を相手に追撃をすると?此れは面白い事を仰る。」
クックッと薄い笑みを浮かべ、武士は顔を上げる。
その顔は驚くほど美麗な顔で、スッと通った秀麗な眉、口間から覗く日の光を反射して輝く歯。長い鼻、世に言う絶世の美男子だった。
しかし、その目は硬質な冷たい輝きを放っており、三河様と呼んだ男を見下す様な視線をしていた。
三河様こと、徳川家康は冷たい視線に一瞬身を竦めたが、勇気を出して
「な、何とか織田殿に追撃してもらう様にお願いできませぬか…?」
美男子は ニタァ…と口を三日月に開け、
「ハッハッハッハ、此れは面白い事を仰せらせる…そんな事が出来ぬのは百も承知で御座りましょう?」
「あの上様にそんな事を言われる命知らずが居たら是非ともこの十兵衛、見たいですな。」
十兵衛と名乗ったこの男こそ、織田の金色の知恵袋。キンカンと渾名される織田家筆頭家臣明智十兵衛光秀である。
光秀は目の前にいる狼狽している男を見つめた。男は自分がちょっと脅しの言葉を吐いただけでこの慌てぶり。
今後も織田の良き傀儡になってくれそうですね…クックック…
嗚呼、この醜態、もう少し見て行きたい所ですが、上様ももう退却されてる頃…羽柴と丹羽の二名も返してもらった事ですし。
全くあの二人には呆れました。敵に捕縛されるとは、捕縛の報せを受けた上様はかなりご立腹でしたし。
まあ、それも仕方ありません。此方にとっては全く予想外の敵が参戦していたのですから…敗走してしまったのも必然だったのでしょう。結果的には引き分けとなりましたが、武田が受けた損害は大きい。
楔は打ち込んだ。今回は此れで終いとしましょう。
さて…今、私の部隊も近くに待機してますが、もう退却した方が良いですね。徳川家康、精々頑張りなさい。
「他に何もなさらない様なので、私は此れで失礼させて頂きます。ああ、其れと三河様、出来るだけ背中には御用心を。」
そう言い、光秀はさっさと退出して行った。
取り残された家康は呆然として居たが、頭を振ると愚痴り始めた。
「くそっ!くそっ!上様…織田様も、明智殿も揃いも揃って私に協力する気がないのか!織田の為に私は身体を張って身を粉にして働いているのに…!」
ギリギリと歯を食いしばり、爪を忙しなく齧んだ。
ー此の儘では武田に痛撃を与えて儂の野望である駿河を取る事が出来ぬ…!こうなったら最悪、儂等だけでも追撃するしかない。
「殿ーーーー!」
!!?何だ!?
家康が陣幕の所をみると腹心の石川数正が息咳ききった様子で立っていた。
顔は蒼白で、ブルブル震え、かなり慌てている。
一体何があった!?
「数正!そんなに慌てて如何した!」
「織田軍が…織田が…いなくなって居ます!」
「なっ!そんな馬鹿な!」
慌てて陣幕をめくって外に出てみると、地を覆い尽くす程に居た織田軍が忽然と消えていた。
い、いかん!退却するとは知ってたが、まさかもう退却するとは!幾ら何でも早すぎる。
もう暫く粘って織田に懇願して追撃して貰おうと家康は考えていたが、その目論見は目出度く打ち砕かれた。
「くっ…仕方ない、幸いにして土屋昌次らも討てたので、武田にもう闘える気根を持つ兵は居らぬ。今なら我が軍だけでも追撃出来る。全軍に伝令を出『ドドドドッ!!』
突然地面が揺れて馬蹄の音がけたたましく響いた。
「何事だ!」
音がした方向を見ると、黒い甲冑に身を包んだ騎馬軍団が徳川陣に討ち入って来ていた。
騎馬軍団は全体で500に満たない小さな集団にも関わらず、虚を突かれた徳川軍を散々に追い散らし、跳ね飛ばしていた。特に先頭に立つ武士の働きは凄まじく、振るう刃により、周囲をあっという間に真紅に染めていた。
家康はその武士を見て、震えが止まらなかった。
あれは、一言坂で平八郎に死を覚悟させ。そして三方ヶ原では家康に後一歩の所まで迫り、地獄に引きずりこみかけた鬼。
よく響く太い声でその部将が声を張り上げた。
「不死身の鬼美濃、馬場美濃守見参!」
如何でしたか?次話で長篠の戦いは終わりますが、この展開に納得行かない方も居ると思います。しかし、作者には作者の考えがあるので、そこを分かって頂けたらと思います。
まあ、まだ長篠の戦いは続くんですが…
何ともはあれ、何故こういう展開になったのかは2〜3話後に補足を少し載せようかと思います。