21.それは少し、夢の中の甘い時間 【2016年GPファイナル】
2016年フィギュアスケートGPファイナル 開催;フランス、マルセイユ
●男子シングル出場選手
1位通過 神原出雲 日本(カナダ大会優勝、日本大会優勝)
2位通過 アンドレイ・ヴォルコフ ロシア(中国大会優勝、ロシア大会優勝)
3位通過 チャン・ロン 中国 (スケートアメリカ優勝、フランス大会優勝)
4位通過 鮎川哲也 日本(スケートアメリカ2位、ロシア大会2位)
5位通過 ジェイミー・アーランドソン アメリカ(スケートアメリカ3位、中国杯2位)
6位通過 フィリップ・ミルナー フランス(フランス大会4位、日本大会2位)
補欠:キリル・ニキーチン ロシア(中国大会3位、ロシア大会3位)
補欠2:アーサー・コランスキー カナダ (スケートアメリカ4位、フランス大会3位)
○女子シングル出場選手
1位通過 エレーナ・マカロワ ロシア(ロシア大会優勝、日本大会優勝)
2位通過 マリーアンヌ・ディデュエール フランス (フランス大会優勝、カナダ大会優勝)
3位通過 安川杏奈 日本 (スケートアメリカ優勝、日本大会3位)
4位通過 里村理沙 日本 (中国大会2位、日本大会2位)
5位通過 ステイシー・マクレア カナダ(カナダ大会2位、フランス大会2位)
6位通過 ジョアンナ・クローン アメリカ(スケートアメリカ4位、中国大会優勝)
補欠;ジェシカ・シンプソン アメリカ (アメリカ大会2位、ロシア大会4位)
補欠2;エフゲーニャ・リピンツカヤ ベラルーシ (カナダ大会4位、ロシア大会2位)
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12月第二週、金曜日。
シーズンが始まると大体、学校は2時で切り上げてリンクに直行している。ウォーミングアップをして3時から午後練をスタート。日によってだが、夜まで練習するときだってある。
ただ。今日は練習をすればいいと言うだけではなかった。
カメラを持つ人。レコーダーとマイクを持ったリポーター。テレビ局のディレクターらしき人が、一人。私の滑りを見たり、練習風景を撮ったりしている。トリプルアクセル飛んで、というリポーターの声にも応えたりする。
一通り練習風景を見せた後、待っていたのはインタビュー。
まさかのテレビ局からの取材。
「今ファイナルの真っ最中ですが、改めてご自身、どう思われますか?」
「フランスで三位になった時点で、ファイナル出場は難しいと思っていました。逆に全日本に向けて調整ができると思ったので、早めに切り替えられてよかったですね」
「さて、星崎選手といえば、ダイナミックなジャンプですが、代名詞のトリプルアクセルが今季ものすごく安定していますね。ファイナルは逃したものの、二大会連続表彰台と、成績も残しています。強さの秘訣はやはりトリプルアクセルでしょうか」
出来ればトリプルアクセル以外も見て欲しい、と思うのだが。そうですね、とにこやかに答える。それに、二大会連続表彰台ではなく、三大会連続表彰台だ。ネーベルホルンを入れてあげてくれ。
「やはり世界の壁は厚いので、トリプルアクセルだけでは戦えないなと実感しています。他の技も磨いていきたいと思っています」
「最後に、全日本に向けて抱負を教えてください」
「はい。去年は5位だったので、今年はそれよりもいい結果を目指したいです」
「表彰台に上がれば、世界選手権の代表も見えてくると思いますが」
「……皆さんのご期待に添えるように、頑張ります」
「では星崎選手、本日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
テレビ局の方々に挨拶をする。彼らが帰った後、大きくため息をつく。……やっぱりこういう取材やインタビューは苦手だ。小さかった頃、ノービスの大会に出ただけで注目された記憶を思い出す。過剰な期待と悪意は紙一重だ。
私はリンクの壁掛け時計を見やった。午後4時。ようやく普通の練習ができる。
マルセイユではシリーズを勝ち抜いた選手たちが、火花を散らしている。フランスでは今は深夜だから、就寝して疲れを取っている頃だろう。
……いろんな思いを振り払って、私は氷上に上がった。最近怪しくなってきたフリップのエッジの見直しが、フリーの振り付けの見直しが待っている。
*
シーズンに入っても、よっぽどのことがない限り日曜日はオフの日にしている。
取材があった週の日曜日の夜。夕飯を食べつつ、テレビではファイナルの放送を見ている。生中継じゃなくて、録画放送。だから全ての結果は知っている。
今日の放送は男女フリーだ。こういう時、カップル競技が放送されないのはどうかと思ったりする。
食卓には三人の好物がバランスよく並んでいる。父の好物のほうれん草の白和え。私の好物の大豆入りミネストローネ。母の好物のごまだれで食べる豚しゃぶ。などなど。他はグリーンサラダ。今日は普通のご飯だ。食材の変な組み合わせは見当たらない。……そう思っていたら。
「……白和えにパクチーを入れて欲しくはないのですが」
「いいじゃない、面白くて」
「次は普通のものが出てくると期待しています」
「そのうちこれがスタンダードになるわ」
父が気が付いた。しれっと答える母に、父はそのまま箸をつける。父はパクチーが嫌いではないのだが、「なるべくなら入っていてほしくないものにパクチーが入っている」のが嫌らしい。……ちなみにこのパクチー入りのほうれん草の白和えは「スポーツ管理栄養士が送る、彼氏に食べさせたいゲロマズ料理集」という、母が去年出版した料理本に載っている。結構売れて重版がかかり、第二弾も打診されているようだ。私も箸をつけてみる。……うん、最初食べた時はビビったけど、これは慣れてきた味。
テレビでは女子シングルの6分間練習が行われている。
最初に女子シングル、次に男子シングルが放送される。
ステイシーは慣れた空気を楽しんで流している感じがする。小柄な里村さんは、六人の中に混ざるといっそう細さや小柄さがわかる。それでも滑りは速く、力強い。マリーアンヌと杏奈は少し固い顔をしている。
最初の滑走はショート6位、ステイシー・マクレア。
ミルクティー色のボブカット。真っ黒いセクシーな衣装で滑るのは、ブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがダブル主演した映画「Mr.&Msスミス」。
最初に飛び出てくるのは、三回転フリップ+三回転トウのコンビネーション。ジャパンオープンやフランス杯でも盛り上がったプログラムだ。舐めるようなスケーティングから繰り出される色気とキレ。アンジェリーナ・ジョリーが乗り移ったみたいだ。後半、ルッツがパンクしたり、サルコウをステップアウトとやや失速したが、演技そのものはダレることがなく纏まりがあったのは流石だ。
二番滑走は里村さん。ショートは見た目はノーミスだったけれど、コンビネーションジャンプのセカンドがダウングレードと判定され、点数が伸び悩んだ。このフリーでも転倒もなくステップアウトもなく、ぱっと見ミスは見当たらない。しかしジャッジの目は違うのだろう。総合得点はステイシーの上に立ったが、フリーでは2位になった。……大丈夫かな、里村さん。日本大会で右足を捻挫したという噂があったから。
次滑走は……うげ、と言うのをなんとか抑える。
ショート4位、アメリカのジョアンナ・クローン。
スケートアメリカで四位だったジョアンナは、第三戦の中国杯で里村さんを抑えて優勝し、ファイナル出場を決めた。
ジャパンオープン、スケートアメリカのショートでの不振はどこへ消えたのか。ラベンダーブルーの衣装を纏ったジョアンナは、映画から抜け出したシンデレラそのものの輝かしさがあった。6分間練習も、スケートアメリカの時のような危なっかしさがない。あの時は彼女の動きが読めなくて、ぶつかりそうになってさっと避けた覚えがある。杏奈も似たようなことがあったと言っていた。
彼女の容姿がディズニーのようにきらきらしいのは認める。昔は健康にした感じのマリリン・モンローとか思ってたけど。ただ、もともと彼女のスケートは、プリンセスのように優雅で気品に溢れた……というものではなかった。品はあるけれど、どちらかというとスポーティで、どこにでもいる明るいティーンの女の子、と言う感じだっった。ジュニアの時のピンクパンサーも、それを生かしたコミカルなプログラムだった。
その容姿さながらの魅力を引き出したのは、間違いなく振付師の堤昌親で。
不振から抜け出すような魔法を与えたのも、間違いなく振付師の堤昌親なのだ。
キス&クライでコーチのリチャード・デイヴィスと笑顔で隣り合う。ノーミスもノーミス、悔しいことにパーフェクトな演技だった。ステイシーと里村さんを抜かして暫定1位に踊りたつ。
次滑走、ショート3位の日本の安川杏奈。
今季安定している「こうもり」を披露する。
三回転ルッツ+三回転ループのコンビネーションが、ループが二回転になってしまった以外は目立ったミスがなかった。その後もジャンプ構成を変更したりしてリカバリーしていたし、スピンもレベル4だ。ワルツを踊るようなステップも魅力的に滑れていたと思うのに。
「杏奈ちゃん、いい演技だったのに残念ね」
母が大豆入りミネストローネを啜りながらポツリとつぶやいた。
……私の採点だとちょっと納得がいかない。完全に贔屓目だけど。ショートは3位だった杏奈だが、フリーとの総合得点でジョアンナに抜かされる。二つの演技を見比べて、杏奈が劣っていたようには思えない。
そんな私の思いをよそに、演技はマリーアンヌ・ディデュエールと世界女王、エレーナ・マカロワに続いた。
マリーと初めて試合に出たとき、比べられたくないほど上手く、圧倒的な力を感じたものだ。
それでも上には上がいる。
女子シングルは現世界女王、ロシアのエレーナ・マカロワが優勝を飾った。
*
テレビ局が作った変な編集から、競技は男子シングルへ。神原出雲のGPファイナル4連覇か、ロシアの天才アンドレイ・ヴォルコフが阻止するか。関心はそちらに行っている。女子を見ているうちにご飯はすっかり食べ終わった。母の片付けを手伝い、父が食後のコーヒーの準備をしていたら、男子シングルの6分間練習が始まった。
「昨日の神原くんは素晴らしかったですね」
父がコーヒーをカップに入れながら、関心したように呟いた。
確かに素晴らしかったけれど、あれは完全に……いや、彼だって言っていたではないか。「真の美しさに、男も女も関係ない」と。最初に披露された時の批判を含めての反響がすごかったらしいが、今では称賛する意見しか聞かなくなった。つまり、彼はそれだけの力を持ったスケーターということだ。
ショート5位のジェイミーが終わったところで、カフェオレを入れたマグカップを持って居間を出た。
「雅、見なくていいの?」
「うん。……部屋に戻ってるね」
階段を上がり、自室に入る。
電気をつけて、ベッドの上で体育座りをする。マグカップを抱えたまま、カーディガンのポケットからiPhoneを取り出して、動画サイトに登録されているISUの公式チャンネルを開いた。……もう全ての結果は知っている。男子シングルの表彰台は、GPシリーズの上位三人がそのままの順位で表彰台に上がった。だから、一人で見たかった。
まずはショートから。
ショートの曲はピエトロ・マスカーニ作曲、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」から「間奏曲」。
マスカーニのアヴェマリアとも言われる、繊細な楽曲だ。
この曲を選んだのは振付師のアンジェリカ・ケルナーだ。彼女は昔、現役時代の堤先生の振り付けを担当したことがあった。そのうちの一作が、ルチアーノ・レオンカヴァッロのオペラ「道化師」だった。迫力のある「道化師」と繊細な旋律の「カヴァレリア・ルスティカーナ」はオペラでは同時上演される。
雑誌のインタビューでアンジェリカは「マサチカにパリアッチを振り付けた後、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」の曲が似合う選手を10年以上探していました。そこで見つけたのがテツヤです。奇しくも師弟だったけれど、いつかマサチカのパリアッチとテツヤのマスカーニを同じショーで見てみたいですね」と語っていた。
安らかで優しいメゾピアノから曲は始まる。
針に糸を通すほど繊細で甘い旋律の中、演技が進められていく。少しゆとりの出てきたスケーティングからは、優しく抱かれているような安心感がある。四回転サルコウ+三回転トウのコンビネーションを難なく決める。入りのプレパレーション、空中姿勢、ライディングまでの流れが美しかった。
見せ場のひとつは、わざと技のつなぎの、リンク中央を半周するイナバウアー。長いストローク。スケートの伸びを感じる。画面越しに、歓声が聞こえてくる。背中をそらさなくても、胸を張り、両手を広げるだけでも十分な見せ場になる。不安要素だった単独の四回転トウも、綺麗に決めた。
ステップでは深いエッジが、第一、二ヴァイオリン、ビオラ、チェロが奏でる4つパートのユニゾンを細やかに描いていく。一律して緩やかな空間は上半身の柔らかい動きで。足元のエッジ捌きは旋律の重厚さを表している。
ステップの後、イーグルから直接のトリプルアクセル。着氷した足でそのままツイヅルしてバタフライ。
コンビネーションスピンは余韻を残して静かに終わった。
画面越しにも拍手の多さがわかる。夢を見るような、2分50秒の甘い時間。
……胸の奥から変な音がする。きゅっと締め付けられるような痛みを伴っていた。目から何かが溢れそうになる。だから、一人で見たかったのだ。
ショートを見た後は、フリー。今季はショートより、フリーの方が苦手そうだ。ショートはノーミスで4位だったのに対し、フリーは5位。総合成績は第5位。一貫してこの大会で調子の悪かったフィリップさんより順位は上にいったけれど、ショート5位のジェイミーと結果がひっくり返った。
フリーの内容はロシア杯よりはよかったけれど、周りの選手も仕上がってきている。
それでも、どうしてだろう。まだ、話すどころかまともに目だって合わせられないのに。
てっちゃんの演技を見て、どうしてこんなに綺麗だと思ってしまうのだろう。
フリーを見た後、動画サイトを切った。冷め始めてきたカフェオレをゆっくりと飲む。
フランス杯からの4週間で、アーサーからは数回LINEが入った。「最近どう?」という心配するものから、彼が作った料理の写真なんかも。ステイシーの言った通り、確かに美味しそうだった。彼の気遣いが嬉しく、情けなかった。やっぱり嫌な夢は見るし、この大会でもジョアンナと一緒にいたらと思うと苦しくなる。
いつまでも割り切れない自分が嫌だ。いっそてっちゃんの全部が嫌いだったら楽になれただろう。だけど。
……嫌いになれるはずがない。
苦しくても、辛くても、私はやっぱりてっちゃんの演技が好きだ。見ると目が離せなくて、泣きたくなってしまうぐらいには。
しばらくして、階下から、私を呼ぶ母の声がした。お風呂が沸いているから、冷める前に入れと言っている。そうだ、明日も朝早くから練習がある。
余計なことを考えちゃダメだ。
階段を降りると、壁越しにテレビの音が聞こえてくる。アナウンサーが、神原出雲のGPファイナル4連覇を知らせていた。2位アンドレイ・ヴォルコフとは僅差だが、男子シングル史上歴史的快挙だと興奮している。
全日本まで、後2週間。
(補足)
どうもこんにちわ。作者です。
本文始まる前に2016年GPファイナルの出場者を書きましたが、どういうシステムでファイナル出場が決まるかを、今更ながらざっくり説明しようかと思います。
まず、前提として。GPシリーズは各大会ごとに順位点が8位まで与えられます。
1位は15点、2位は13点、3位は11点、4位が9点、5位が7点、6位が5点、7位4点、8位3点。9位以下は0点になります。
シリーズ六試合には最大で二大会エントリーできます。そして、出場した大会のポイントの合計が高い六人が出場する仕組みになっています。
ポイント化すると今回の男子シングルの場合こうなります。
アンドレイと出雲とチャン・ロンは15+15の30。これがフルマックス。
哲也が13+13の26点
ジェイミーが11+13の24点
フィリップが11+9の22点
出場予定の選手が怪我をして欠場することも想定されますので、成績がいい順に補欠が2名選ばれます。
ファイナル出場のボーダーはその年によってまちまちですが、二大会とも表彰台に上がっているか否かが一番のポイントになるでしょう。
ちなみに今回のように男子シングルで優勝者三人が横並びになった場合、演技の総合得点で順位付けがされます。
さてここまでお読みになった方で、「雅は二大会連続で3位表彰台に上がったのに、どうして一大会表彰台おちしているエフゲーニャとジェシカの方が成績が上なのか」と疑問に思われた方もいるでしょう。男子でも同じですね。キリルは3位3位の補欠で、2位4位のフィリップがファイナル出場になっています。
雅とキリルのポイントは3位11点+3位11点で22点。
フィリップ、及びジェシカとエフゲーニャのポイントは2位13点+4位9点の22点。
このように順位実績の異なる選手のポイントが並んだ場合、優先されるのは「二大会表彰台に上がった実績」ではなく、「より高い順位についた方」なのです。
シリーズ通して雅とキリルの最高順位は3位ですが、ジェシカとエフゲーニャは2位。なので、ポイントは同点ですが、表彰台順位が高いジェシカとエフゲーニャの方が、シリーズ通しての順位は上になります。
二大会頑張って表彰台に上がった選手からすると、ちょっとかわいそうなシステムかもしれませんが、場所、リンクの状況、選手の状況等や採点するジャッジ、点数が出る傾向とかも大会ごとに少しずつ違うので、順位の方が優先されるというのはまあ妥当な方法だなと作者は思っています。