6.7月、キャッスル・オン・アイス【後半】
その人がスポットライトに当たるだけで、氷の上の空気が変わる。どことなくふわふわした空気から、パリッという音と共に引き締まる気がするのだ。それはきっと、その人が培ってきた技術と自負が成せる技だ。
……曲は少しグルーミーなイントロから始まる。
スローパートを滑る動きは最小限。
舐めるようなスケーティングから、なんの前触れもなく三回転サルコウ。普段のその人のジャンプは「完璧な放物線」と言われるほど大きいのだが、今のジャンプは薄暗い曲調に合わせて、軸を細く狭めてささやかに飛んだ。曲に合わせてジャンプの質も変える……俺を含めて大多数のスケーターがやりたくても出来ない芸当だ。
ブルースの哀愁を、最上級の技術でシリアスに滑りあげる。そして……。
かき鳴らされるギターから曲調が変わる。
同時に氷上が、フラメンコのタブラオに変わった。
その人の事は、時にこう評される。
氷上のファンタジスタ。氷の上で変幻自在に何かに「成る」スケーター。
そんな俺の師匠、堤昌親が演じる曲は、イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」。日本人のギターユニットがアレンジした、フラメンコギターバージョンだ。
このプログラムで強調されるのは「キレ」、それから「抑制された色気」だ。エッジを深く使いながら、その深さを感じさせないほど細やかに切り分ける。深さとスピードの同居は案外と難しいのだが、一杯一杯なところは全くなく、寧ろ余裕さえ感じさせた。
男性のフラメンコダンサーの特徴といえば、無駄のない動きから成される熟練の色気だろう。熟練のダンサーはたとえ老いたところで、座ってポーズを取るだけでその場を支配出来る。同じように、今滑っている先生は、上半身が全くブレていない。そして、その色気が下品じゃない。
大部分をステップとエッジワークで締めるこのプログラムは、特に後半は少しの休みどころがない。ひたすら踊りっぱなしで、滑りっぱなし。その気になればトリプルアクセルもまだ飛べる先生だが。このプログラムは四回転やトリプルアクセルなどの派手なジャンプはない。
だが、見ていて「なんだそれ」という小技はたくさん散りばめられている。両膝で回った後、立ち上がって逆回転のツイヅルをしながら軽いタッチでダブルループ、ダブルループ、ダブルループと3連続。パーカッションがわりにギターのボディを叩く音と同時に、両足トウを使ってピタッと静止してポーズ。再びステップを踏み始めたと思ったら、縦横無尽に滑りまくる。後ろ向きに滑って、リズムに合わせて右足でイン、アウト、イン、アウトとエッジを切り替える。ホップして半回転した後、今度は左足でイン、アウト、イン、アウト。基本的なエッジワークだが、それだけでも物凄く「魅せて」くる。リンクの半分以上を片足でステップを踏んだと思いきや、その足で三回転ルッツ。
何時もは必要以上にへらへらしている先生だが、その雰囲気は全く見せていない。
原曲が持つ「哀愁」と、フラメンコに欠かせない「情熱」を、見事に氷上で融合させていた。
相変わらずえげつなく滑ってくれる。
ラストはスピン。
連続のアラビアンから高く舞うフライングキャメルスピン。そのまま足を変えて再びキャメルでまわって、チェンジエッジした上で加速。足を変えてシットスピン。スピードを落とさずにたっぷり回って……回ったまま立ち上がる。
バックスクラッチスピンだ。両足で回るベーシックなスピンが、漆黒の衣装をより細く絞っていく。そのまま、3秒過ぎ、5秒過ぎ、10秒過ぎ……
「……いつまで回るつもりだよ」
あまりにも長いスピンに、観客席から驚愕の声が上がった。そこま長く、速く回るのかよ。15秒、20秒……。
最後のギターと先生がスピンを解いたのは同時だった。
先生がアマチュアを引退して10年。その間に俺はスピードスケートからフィギュアスケートに転向し、世界選手権に出場するにまで至った。
それなのに全く差が縮まった気がしない。ヴォルコフとはまた別の、高い壁を感じる。
鳴り止まない喝采に先生が笑顔で手を降る。9割のお客様がスタンディングオベーションしていた。
✳︎
「やーっぱり堤先生はすごいわー」
「変態なんだよ、あの先生は」
このショーに出ているスケーターの大半は現役のアマチュア選手で、お客様もそのファンの方が多いだろう。ここ数年でスケートファンになった方は、ショーに来ない限り、堤先生の演技を知らないかもしれない。俺の指導者、と認知されているだろう。
その中で、この演技。
この演技で、新しいファンを増やした気がする。
「それじゃあ哲也君はその変態から教わる優秀な生徒ってわけね」
俺のとなりに立つ人物は、私から見たらあなたも十分変態よと静かに笑った。……もちろん、この場合での「変態」は褒め言葉だ。
「でも呼んでよかったわ。哲也君、あのまま雅の演技も見ないところだったもの」
「それは……ありがとう」
隣で演技を見ていたのは安川杏奈だ。雅の演技が始まる前に、裾で一緒に見ないかと声をかけてくれた。……正直、助かった。デトロイトで彼女に付き合って以来、なにかと距離が近い気がする。だけどジョアンナとは友人として適切な距離を保っていたい。それが本心だった。
杏奈と俺は同い年だ。名古屋で生まれた彼女は4歳でスケートを始め、俺とは夏の合宿で知り合った。ノービスで試合に出るのもジュニアに上がるのも、出場する大会も殆ど同じだったので、彼女に対して俺は勝手に同世代意識を強く持っている。友人は友人だが、戦友という単語が一番しっくりくる。
「ねぇ哲也君」
15分のインターバルを挟んで、第2部が始まる。ストレッチのためにバックステージに戻ろうとしたところ、杏奈に呼ばれた。
「あなたから見て雅の滑りってどう思うわけ?」
「どうって……どういうことだよ」
随分と輪郭のない質問だ。
「色々あるでしょ。一番近くで見てるんだし、例えば、格好良くなったとか綺麗になったとか。艶が出てきたとか。技術的な事じゃなくて、どんな滑りがいいなとか思ったのか知りたいのよ」
……しばし押し黙る。雅の滑り。何故いきなり、杏奈がそんなことを聞いてくるのかわからない。わからないのだが。
「そうだな……。」
技術云々を抜きにして、考えてみる。ジュニアの時のロビンフッドと火の鳥。韃靼人の踊り。借りぐらしのアリエッティから、二億四千万の瞳。
ロビンフッドは勇ましく火の鳥は雄大だった。だけどアリエッティではどうだろう。無理のない、14歳の少女がありのままの姿でワルツを踊っていた。韃靼人の踊り。オリエンタルさはやや欠けていたけれど、苦手なステップも楽しそうに滑っていた。堤先生が作ったものが躍動感を重視して作っていたからかもしれない。二億四千万の瞳。リンクサイドから声をあげて笑った。
そして、今回のエキシビション。
一言でこう、とは言いづらい。杏奈のようにどんな動きをしても根底的に所作が綺麗だと言い切れたり、マリーアンヌ・ディデュエールのように絶対的な存在感があるわけではない。ジョアンナのようにスポーティさと柔軟性が同居しているわけでもない。
それでもどのプログラムも、見た後に思う感想は「いいものを見たな」という静かな余韻だ。窓を開けた時に流れてくる風のような心地よさ。アグレッシブな火の鳥を見たあとも、リリカルなアリエッティを見たあとも同じ感想を抱く。
「……ということだと思うんだけど、なんなんだよ、その顔は」
尋ねてきたのは杏奈のくせに、何とも形容しがたい微妙な顔を作った。
「哲也君に聞いた私がアホだったわ」
「どういう意味だ?」
「見過ぎていて聞くまでもなかったってことよ」
ますます意味がわからない。俺は何か、間違ったことでも言ったのだろうか。
なおも重ねて聞いてみようとしたところ、演技を終えた堤先生がやってきた。
「やーあ哲也、杏奈ちゃん。二人揃ってどうしたのさ。そこからみててくれたわけ?」
杏奈は堤先生がやってくるなり、その微妙な顔を引っ込めた。彼女は堤先生のファンでもあるのだ。
「素敵でした! いつもより色気が凄くて!」
「ニンニクマシマシな感じ?」
「そう、それです! それ以上ニンニク入れなくてもいいのに、多分に入れてさらに美味しくなるあの感じ! 本当にもうたまりません」
言いたいことが微妙にわかる分、反応に困る会話だ。何だこの、ニュアンストーク。
「ありがとう。杏奈ちゃん。で、哲也。どうよ、惚れた?」
……そして、どうしてこういうことを言うかな、この人は。
「惚れはしませんが、凄かったです」
「もっと素直に言ってくれてもいいんだよ」
「今の俺は十分素直です」
「老骨に鞭を打って滑ってきたんだから、もっと褒めてよ」
「これ以上何を言えばいいんですか」
そう、十分素直だ。言葉以上に、スケーターとして、表現者として素直に尊敬はしている。言うと調子に乗るから言わないけど。
「さ、次は君らだよ」
力強く送り出される。次は俺たちの番だ。インターバルの時間はそんなに長くない。自分の演技の準備をしなくてはならない。
✳︎
2部のトップバッターは杏奈で、ロシアのキリル・ニキーチンを挟んで俺の出番だ。杏奈は今期のショートプログラムを滑る。クロード・ドビュッシーの「月の光」。ピアノ独奏版だ。小さい頃からメタリカが好きだ最近はワンオクがたまらないと言っている彼女は、氷の上ではクラシックが得意だ。趣味としての音楽と得意なもののバランスが最高にとれているのかもしれない。
月の燐光に魅せられた少女が、月下の湖水で一人静かに踊っている。そんなイメージで作ったと言っていた。
水の上では人は踊れない。しかし杏奈のスケートは、それすらも現実にしてしまうような美しさがあった。最小限の音でトリプルループ。針の針に糸を通すかのような繊細さ。細かいステップワークで流麗なシンコペーションを描いうていく。最後のレイバックスピンは本物の三日月のような圧巻さだった。
舞台袖から拍手を送る。これは正統派で美麗なプログラムを作ったものだ。
さて……。
今度は俺に、スポットライトが静かに当たる。
紡ぎ出されるのは深い音色の一音。清涼な……箏の音だ。
下が黒のボトムだが、上は和装をイメージして作った。色は白に近い淡い青からほとんど闇色の群青まで。さまざまな青を取り入れた。
歌舞伎の演目にアニメ曲と、堤先生が「フィギュアでは馴染みがない曲」を渡すのは何度もあった。その度に驚いているのだから、俺もいい加減慣れろよ、というところなのだが。
今回も例外に漏れず、目を丸くさせる羽目になった。
「箏の音色の懐の深さを舐めちゃいけない。俺の代表作はこれと同じ箏曲だよ」
それは先生だから滑れたのではないか、と言おうとしてやめた。これでは俺が、自分では滑れないと認めているようなものだ。
「君は音を自分のなかに取り込む才能があるんだからさ。大丈夫。「藤娘」も滑り切れたんだし、いい加減、「これはフィギュアではダメ」とか「この曲はフィギュアでは王道」とかいう先入観を捨ててみなさいな」
王道なんて自分で切り開くものだと先生は笑った。
去年、「藤娘」という歌舞伎の演目をアレンジしてエキシビションで滑った。もともとこのプログラムは堤先生の作品で、先生を氷上のファンタジスタたらしめた一作だ。それを細かい振り付けは変えて譲り受けたのだ。ーー俺が初代なら君は2代目氷上の藤娘、さらにいえば俺は藤の花香り高い傾城の美女なら、哲也は藤の花開きたての清純な美少女だねーーというのは堤先生の言葉だ。……プログラムのイメージはその通りなので理解はできるし、色んなところで評価されたのは素直に嬉しいが、若干複雑な気分になった。
歌舞伎は日本の伝統文化の一つだ。今回のショーナンバーはその「日本の伝統文化」の系譜を継いだものだろう。
初めて披露するエキシビションナンバー。
曲は「水の変態」。近代日本を代表する盲目の箏曲家、宮城道雄の処女作にして代表曲だ。
曲名の「変態」は形態を変える事を意味している。時に荒れ狂う雹のように。時に深更の夜に静かに降り立つ霜のように。水が九つの形態に変えることを表す、緩急の激しい曲だ。人を潤す優しさだけではなく、人の命を奪う激しさも求められる。それでいて‘、一粒の音が濁りなく美しい。
唄もある曲だが、あえて唄は入れなかった。唄が水が形態を変える事を歌っているのならば、それを滑りで表現すればいい。
音の激しいところは、その激しさを強調するために大仰な振り付けを。
少しゆとりのあるリズムのところでは長めのイーグルで「伸び」を表現する。
音が、変わる、変わる変わる。
その度に水の形がかわる、変わる。
✳︎
……初めて披露したプログラムだが、お客様の反応は悪くはなかったように思う。ただ、戸惑いも感じただろう。前のニキーチンが滑った曲が、映画「ムーランルージュ」の「ロクサーヌのタンゴ」だったのも影響しているかもしれない。わかりやすくメジャーな曲と、取っつきにくい純邦楽のギャップが激しかったと思う。そこそこの拍手を頂きつつ、バックステージに下がった。
そんな俺を迎えたのは、裾から見ていた堤先生だった。
「まぁ、初演にしては上出来じゃない?」
彼の「にしては」は、褒め言葉でもあるが向上の余地があるという事だ。ここで打ち止めだったら困る。
実際にお客様の前で滑ってわかったのは、確かに箏の音は懐が深い。そして意外に、自分の滑りに「しっくりくる」のだ。
ここをブラッシュアップしていくのは自分次第だ。先生とああでもない、こうでもないと暫く話した後、準備のために、控え室に戻ることにした。
次の出番は、最後から三番目のグループナンバーだ。先生の出番はもうフィナーレのみなので、暫く客席にいると言って別れた。
「あ、てっちゃん……」
……控え室に戻る途中、リンクに至るまでの廊下で、雅と顔を合わせた。
もう先ほどのプログラムの衣装ではなかった。次の出番の、女子スケーターだけのグループナンバーの衣装に変わっている。
「雅、お疲れ」
「うん、てっちゃんもお疲れ様」
そこで雅は、さっと目を逸らした。
……最近、身長がそこそこ伸びたらしい。高校の身体測定で測ったら172センチだった。これは4月のことで、今でもたまに成長痛で膝が痛む時があるのでまだ伸びるかもしれない。
一方で、雅は155あたりで止まったように思う。身長について、せめて160は欲しかったと彼女は嘆いていた。
だから今、雅の顔は俺のアングルでは見えない。
「……どうしたんだよ」
なんだろう、声のトーンが暗い。暗いトーンや全身から発せられる負の雰囲気から、元気がないのだけはわかる。あれだけいい演技をしてきたのに。
元気のない雅は苦手だ。自分を責めたくなる。そして、彼女にこんな顔をさせている誰かに対して、理不尽な怒りを感じてしまう。
ただ、いざ元気付けるとなると、俺が自分で何をしたらいいのか分からないのも現実だった。下手な慰めはしたくない。本心と違うことも言いたくない。
不意に、先ほどの雅の演技が頭の裏側で浮かんだ。ボーイソプラノの声。宙に浮かび上がる頼りない音。電子音の山。霧の中で漂っていたものが、心の奥から蘇ってくる。
そこには、たった一人で寂しげに滑る少女がいた。見ているこちらの胸が詰まるほど、寂寥感に満ちていた。
伸ばされた右手は常に、誰かを探していた。
……もし本当にそこに霧の城に囚われた少女がいたのなら。
「雅、ちょっと右手を出して」
「なんで」
声が固い。ハリがなくて、怒っているのか悲しいのか、自分でも分かっていない声だ。……いや、本当は何が原因なのか分かっていて、それを俺に悟らせまいとしているのかもしれない。
「いいから」
不承不承、雅が右手を出す。
差し出された手をーー俺の左手で握りしめる。
びっくりしたように、雅が俺を見上げた。
「大丈夫、一人じゃない」
かなり大胆だが、今の雅に対してぴったりの行動だと思えた。今ちょうど、周りに人がいなくてよかった。
雅が滑った曲は、ボーイソプラノが歌う英語の曲だった。日本語訳の歌詞の一説にこういうものがあった。ーー君は、いた。そう、君はいた。この部分が曲の要だろう。
そして、俺もいる。
霧の中でたった一人で囚われていても、手を握り返す誰かはきっといる。
「てっちゃん……現実とプログラムの世界を混同してない?」
「そのぐらいにはお前の滑り、よかったぞ」
それはお客様の反応にも現れていた。
「私はヨルダじゃないよ」
「俺だってイコじゃない」
そもそも元のゲームをやったことがない。堤先生はどこからこの曲を仕入れてきたのだろうか。あの先生の音楽性は謎だ。
「てっちゃん、ひとつだけわがまま言っていいかな」
なんだ? と目で聞いてみる。
「……握りかた、ちょっと変えていい?」
「ああ」
雅は、俺の左の手のひらに、自分の右の手のひらを合わせた。ゆっくりと、一本一本指を降り重ねていく。
ジョアンナが教えた、恋人繋ぎ。
「ありがとう」
そこでようやく、雅は笑顔になった。ほっとした。
……体の奥の、よくわからない部分が疼いた。指が細い。手が柔らかい。笑顔が眩しい。客観的に見て、それはジョアンナだって同じのはずだ。……同じの筈なのに、ジョアンナと手を繋いでも、こんな気持ちにはならなかった。
そろそろ出番だから行くね。そう言って雅は俺の左手を解き、振り返らずに入り口まで走っていった。
……暫く俺は左手をじっと見つめてしまった。頭が軽く混乱している。演技の前じゃなくてよかった。もし出番の直前だったら、とてつもなく中途半端な演技になってしまっただろう。
左手にはまだ雅の感触が残っていた。水かきにはまった彼女の指の細さが、重なったてのひらの温度が、生々しく冷凍保存されてしまった。このままでよかったのに。このまま握って……繋がっていたかったのに。
頭にはまだ雅の笑顔が残っていた。すこし頰が赤くなって、口角が控えめに上がっていた。滑っている時と劣らない、しかしベクトルの違う魅力的な笑顔だった。今までこんな顔で笑ったのを、見たことがなかった。だから。
誰にもその顔を向けないでほしい。
この顔を知っているのは、俺だけであってほしい。
……なんでこんなことを思ってしまったのか、自分でもわからなかった。
瞬間。
背中に悪寒が走った。
思わず後ろを振りむいたが、そこには誰もいなかった。いや……そこの曲がり角に誰かがいた気がする。
半ば呆然としていた俺の意識を元にもどすには十分だった。
嫌な汗が背中に滴り落ちる。そんな俺の横を、ジェイミーが通り過ぎていった。テツヤ、お疲れ。君のエキシビション、スゲエプログラムだったね。クールジャパンって感じで! でもそろそろ次の準備もしなよ。
ありがたい雑な感想と、真っ当な忠告をいただいた。
「……次の準備しないと」
気のせいだと言い聞かせるために、わざわざ声に出した。
そうして初日が終わった。
✳︎
キャッスル・オン・アイスは名古屋公演、大阪公演共に盛況で幕を閉じた。俺もエキシビションの他に、今期のフリーの抜粋部分とショートプログラムを披露した。
……その間、初日に感じたあの悪寒を、何度か経験することになった。気のせいではないはずだ。