後編
一週間ほどして健は搾乳が少しづつであるがスムーズにできるようになってきた。そうなると道子には感心されて、欲目が出てきた。ほかの仕事もがんばれば褒められるかも。
そして健は『ヴァーチャルリアリティーで乳が揉めます』にすっかりはまってしまった。基本オフラインのソフトなのでログイン回数で日数を早く進められることに気付いた。他にもマミは牛のことを人間の様に言う癖があること、そういう従業員は多いこと。初日に施設に親牛がいなかったのは放牧のため牧草地に出されていたからだということを知った。
現実で一ヶ月ほど経ったとき、健はVR内での変化に気付いた。
健は現実世界では中肉だったのだが、この一ヶ月、VRに入り浸り運動不足で三キロほど太ってしまったのだ。ふつうはVR世界では体情報のスキャンは初回の一度だけのはずだが、どうみても太っている。
極めつけには道子に「あれ?健さん太りました?」なんて言われてしまっているのである。
このソフトでは体情報のスキャンが頻繁になされてる? 現実で太り続けるとVRでも太ってやばくなる。逆にいえば現実でムキムキになれば、道子に筋肉付いてきたよね。とほめられるのでは?
そう考えた健はVRは時間を区切ってやり、体を鍛え始めた。
体を鍛えるとゲーム内での体力も上がったようで作業の効率が上がった。酪農に関する知識をVR内で披露すると、牛舎だけではなく、飼料用作物の畑の仕事もできるようになったりと現実をVRに生かせるようになっているようだった。
それから三ヶ月、ゲーム内では三年が経ったある日、健はVR内で久々に牧場長の悟に会った。
「なんかたくましくなったな。実は君に知らせたいことがあるんだ」
ひょっとしてたくさんの仕事ができるようになったからあたらしい特別なイベントが?
健は期待した。
「このVRソフトでできることはもうないんだ。バージョンアップも予定が無い。これ以上スタッフの好感度が上がったり、牛に好かれることは無い。いわゆるカンストってやつだ」
「え、え?」
「それでもよければ、続けてくれ」
そんな。
これ以上性にあっていることはないというくらい健はこのVRソフトにはまってしまったのだ。
これ以上なにもできない。
同じ毎日。
もしくは楽しみの少ない現実の日常へ戻るか。
「そんな、そんなのいやです」
「ふふふ、君は向上心が強いね。良かったらうちの牧場にアルバイトにこないかい?」
「え?」
「いまは、九月か。連休にでも遊びにおいでよ。冬休みになったら、雇ってあげよう。もちろん君が嫌じゃなくて、学校が許可してくれればね」
健は唖然とした。牧場長バグってる?
「この牧場は現実の俺の牧場を模しているのさ。スタッフは架空のキャラクターだけど、モデルもいるよ?」
「ええええええええええええ!」
「良かったらこのメアドにメール頂戴。それじゃあね」
数年後
「牧場長にココが現実にあるって聞いたとき本当にうれしかったなあ」
二十台後半の男が三人、休憩室で思い出話に浸っている。
皆よく鍛えられた体でよく日に焼けていた。
「牧場長あのソフトでカンストまで続けられるような奴じゃないとすぐやめるって言ってたけど、あれのおかげで仕事の下地もできてたし、ホント一石二鳥だったよな」
「俺はあのソフトに感謝してるぜ。ニートだったのに、好きな事が職に繋がったんだから」
「さりげに牛達もクオリティ高かったよな」
ほかの二人もうんうんとうなずく。
「あれ、動物研究したいから退職した人に協力頼んだって」
「ソフトだって管理系の人が独立したいからってそのコネだもんな」
「いや~それにしてもVRの道子ちゃんマジかわいかったのに、まさか牧場長の奥さんの若いころがモデルだったなんてなあ」
「詐欺にもほどがあるよな」
「おれはマミさん一直線だったぜ。まあ、実際にあったらめっちゃ振られたんだけど」
「そりゃ、知らん相手に惚れられてたらきもいわ。本物が干渉できたのは牧場長だけだったんだろ?」
「そういや、俺らが就職してしばらくしてやってきたハナちゃん! 覚えてる? いま、隣町にいるんだって」
「まさか、あんなタイトルにつられる女の子いると思わなかったよな」
「まじ変わり者だよね。ま、あのゲーム、カンストしただけで俺らもそうとう変わり者だけどさ」
「ちがいねぇ」
三人が笑っていると牧場長と健が掃除をしてすべりが良くなったばかりの引き戸を開け入ってきた。
健は神妙な顔をしている。牧場長が話を切り出した。
「健から皆に話があるそうだ」
「俺、新規就農しようと思ってるんだ。まだ、先の話になるとは思うんだけど……」
「茨の道だぞ」
「うん、わかってる。でも、俺だけじゃなくて奥さんになる人も納得してるから、がんばるよ」
「やっぱり、ハナちゃんか?」
「うん」
「がんばれよ!ま、うちから従業員の引き抜きは無理だけどな」
牧場長は苦笑いをした。
三人の男たちもニヤニヤしている。
空はとても青く日の高い午後だった。
牛の乳房の形にやたらこだわった夫婦経営の牧場ができたのはそれから数年後の話。