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表情筋を静かにしたい

 王宮文官局の昼下がりは、独特の静けさに包まれている。

 紙の擦れる音、羽ペンのカリカリという音、深く息を吐きながら机に向かう文官たち。

 そのすべてが日常であり、本来なら変化など起きるはずのない、穏やかな時間帯——だったはず。


 けれど、最近の文官局は妙にざわついていた。


 午前の書類整理をしながら、リリーは周囲からの視線をなんとなく感じていた。


「……? なんか……見られてる?」


 しかし彼女は“推しがいない時は現実の情報キャッチ率が著しく低下する”という致命的な特性を持っている。

 そのため、「注目されている」という事実には、ほとんど気付いていなかった。


 そこへ、横からひょこっとアンネが顔を出す。

 その表情は、半分呆れ、半分心配。


「リリー、言いづらいんだけど……最近あんた、“僅かに”笑ってるわよ」


「えっ!? そ、そんな……無意識に……?」


「しかもニヤついてる。しかも、レイ様関連の時だけ」


「ち、ちが……いや……たぶん……?」


「はい、肯定入りました」


 アンネは、肺の底からため息を搾り出した。


「最近の私の仕事さ……暴走リリーの制御が本務みたいになってるんだけど。給与上がらないかな……」


「ご、ごめん……そんなつもりじゃ……」


「謝るくらいなら、せめて表情筋を静かにしてて」


(表情筋まで管理されてる……)


 二人がそんな会話をしている一方、少し離れた席で資料の確認に来ていたレオナルドが、何気ない顔で紅茶を飲みつつ耳を傾けていた。


 今日は珍しく書類に追われていないらしく、妙に余裕がある。

 そして、ごく自然に会話へ割って入った。


「ところで、リリー嬢。今日は伯爵家の執務室には来られるのかな?」


「は、はい! 資料の確認で——」


 伯爵家の執務室でしか閲覧できない書類があり、資料作成のために確認に行こうと思っていた。

 けれどレオナルド様がここにいるということは、今日は誰もいないのかもしれない。


(レイ様は、レオナルド様より奥の席にいるはず……直視できないから、うろ覚えだけど)


「でも、まだ期限まで時間がありますので、また明——」


 言い終える前に、すっと影が差した。


 レイが、いつの間にかすぐ隣に立っていた。


「では、今から向こうに戻るつもりでしたので、ご一緒しますか?」


「ひゃっ……!?」


 リリーの反応に、局内の空気が一瞬止まる。

 心臓の跳ねる音が、もはや自分にもはっきり聞こえた気がした。


 レイにとっては、おそらく“業務上の親切”でかけた一言に過ぎない。

 しかしリリーにとっては、あまりにも威力が強すぎた。


「で、では……お、お供させていただきます……」


 首を縦に振ることしかできない。声も足も震えているのが、自分でも分かる。


「では、執務室へ向かいましょうか」


 淡々と告げるレイ。

 その声音がまた柔らかくて、リリーの精神に追加ダメージを与えてくる。


「り、了解しました……」


 返事は見事に裏返っていた。


 その様子を見ていた同僚たちは、ざわ……ざわ……。


「え、これ……なんかあるよな……?」

「いや、あれは……どう見ても……」

「いやいやリリーさんだぞ……?」

「いや、逆にリリーさんだからこそ……?」


 噂の渦は、静かに、しかし確実に広がり始めていた。


 ◇◇◇


(レイ様と……二人で歩いてる)


 伯爵家へ向かう渡り廊下。

 リリーの手はわずかに震えていた。


 倒れないことに意識を全振りしているので、それを誤魔化す余裕すらない。


「……どうされました?」


「い、いえっ!! だ、大丈夫です……はい……!」


 明らかに不自然な否定。

 レイは小さく目を細めた。


(手が震えている……怯えている?

 ……僕は何か、不快なことをしてしまっただろうか)


 彼の心は、少しだけ困惑していた。

 そしてその困惑が、興味へと変わるまでに時間はかからなかった。


(……彼女を見ていると、どうにも気になる)


「リリー嬢、もう少しゆっくり歩きましょうか。足も震えていますし」


「ひゃい!?」


「転ばれてしまうと困りますから。……僕のせいで怪我をされるのは、あまり好きではありません」


 自分でも少し言い過ぎた気がして、レイはほんのわずかにまばたきをした。

 言葉の端に混じった“個人的な嫌悪感”が、いつもの自分らしくないと感じたのだ。


 もちろん、そんな微妙な変化に気付けるほど、リリーに余裕はない。


(“僕のせいで怪我したら嫌”って……いや、それ普通の気遣い……普通の気遣いなんだけど……!

 推しフィルターで聞くと致死量なんですけど!?)


 後ろから、こっそり尾行していたレオナルドがニコニコしながら思う。


(若いねぇ……いや、若いのは私もだけど。微笑ましいことだ)


 ◇◇◇


 執務室に着くと、レイはごく自然な動作で紅茶を入れ、リリーの前にカップを置いた。


「もしよろしければ」


「ぅあ……ありがとうございます……!」


(いつの間にか紅茶が出てる!?

 なんでこの人はこう、何をしても優雅なの……?)


「書類は、どの資料をお探しですか?」


「この書類を作成するにあたって、伯爵領の人口データが載った資料が必要でして」


(こうなったら、意識が飛ぶ前に終わらせるしかない……!)


 作成中の書類を差し出すと、レイは一つ頷き、壁一面に並ぶ書類棚から迷いなく一冊を抜き出した。


「こちらが直近のデータになります。最も参考になるはずです」


「ありがとうございます!」


 資料を開き、視線を走らせる。

 ——が、頭に入らない。まったく入らない。


(いやいや、落ち着け私! 同じ部屋に二人きりなだけでパニック起こしてる場合じゃない!

 早くメモ取って戻らないと、ほかの仕事も詰まってるんだから……!)


 アンネの言葉を思い出しながら、深呼吸。

 意識して一度、二度、息を整え、それからペンを握り直す。


 必要な情報を一通りメモし終え、顔を上げると——


 レイがこちらを静かに見ていた。


「……本当に、すごい集中力ですね」


「へ?」


「物凄い勢いで手が動いていました。一度も視線を資料から外さなかったので」


「リリー嬢は書庫の妖精で有名だからね。私が戻ってきたのも気づかないんだから、驚いたよ」


「も、申し訳ありません……!」


(いつからいたのレオナルド様!? 本当に気づかなかった……!)


「いやいや、責めてるわけじゃないよ。仕事が早いのは素晴らしいことだからね」


「レオナルド様。その“書庫の妖精”というのは?」


 ……私もそれは気になってた。初耳なんだけど、その呼び名。


「レイ、聞いたことがないのか? パッと書庫に来て、あっという間に用事を済ませてすっといなくなるから、そう呼ばれてるんだ。もちろん、小さくて可愛らしいその容姿も関係しているだろうけどね」


 レオナルドが片目をつぶってウインクする。

 さすがイケメン主人公。気障な動きすら様になる。


「いえ、そんな大層なものでは……」


「確かに、今の仕事ぶりを見ると、そう言われているのも納得ですね」


(推しに褒められたぁぁぁ!? 窒息死する……!)


「いえいえいえ、本当に大したことはしていませんので! 必要な事項は一通りメモできましたので、これで失礼します。レイ様、資料のご用意ありがとうございました!」


 早口でまくし立て、深く頭を下げる。

 顔を上げたら致死量の何かを見てしまいそうで、視線は床に固定したまま、そっとドアへ向かう。


 そして、レイの顔を直視しないよう細心の注意を払いながら、扉を閉めた。


(……ふぅ、なんとか意識保ったまま脱出できた)


 最近、少しだけ“推し供給への耐性”がついてきた気がする。

 原作では、レイと関わる女の子はほとんどいなかったのだ。

 あの時の彼は、もっとずっと遠い存在で——


(いま目の前にいるのは、原作とちょっと違う“レイ様”だ)


 そう気づいてしまうと、少しだけ怖くて、でも同じくらい嬉しくて。

 その矛盾をうまく飲み込めないまま、リリーは胸の前でこっそり握りこぶしを作った。


(……文官が仕事頼むたびに過呼吸になってたら、さすがにレイ様も困るよね。

 この調子で……すこしずつ、慣れていこう)


 ◇◇◇


「どうした、レイ。そんな面白くなさそうな顔をして」


「……そんな顔、していましたか?」


「していたね。リリー嬢と私が話していた時、ちょうど今みたいな表情だったよ」


 レオナルドは青い瞳を細め、面白い玩具でも見つけた子どものように笑う。


「まさか、“書庫の妖精”なんて呼ばれているのが気に入らなかったわけじゃないだろう?」


「いいえ。そのような……」


「じゃあ、“人気”なことが面白くなかったとか?」


「……人気、ですか」


 レイは思わず聞き返していた。


「リリー嬢は人気だぞ? 最近は笑っていることが増えて、雰囲気が柔らかくなったからね。狙ってるやつも——」


「そんなことより、レオナルド様もそろそろ“お相手”を見つけてはいかがですか。伯爵家の長男として、もうすぐ二十二歳になられるんですから」


「おいおい、その話題を君まで持ち出すのか。いいんだよ、最悪は私が結婚して子をもうけなくても、ピーターもいるしね。ピーターがちゃんと結婚してくれれば」


「……」


「それに、不機嫌になったからって人に当たるのはよくないと思うな?」


(雇い主じゃなかったら、そのにやけ顔を平手打ちしているところだ)


「別に、不機嫌などでは」


「じゃあなんだい? “リリー嬢は人として好ましい”けれど、“他の男の目”が気になる、みたいな?」


「……人として好ましく思っているのは確かですが。好き、とまでは」


 口にしてみて、自分でも少しだけ胸の奥がざわりとした。


 別に異性に人気があること自体は、良いことだ。

 ただ——


(悪い人間に捕まらないかどうかは、少し不安だ)


 あの人はふらふらしていることが多いし、自己評価が低すぎて、少し強く押されたらそのまま付き合ってしまいそうな危うさがある。


「そうかそうか。まぁ、“もし”好きなら、早めに動いたほうがいいと思うよ?」


「ですから——」


 もうこの“恋愛話大好き伯爵様”に何を言っても無駄だ。

 自分の恋愛にはまるで興味がないくせに、他人の恋の話となると際限なく楽しむのだから。


 もやもやした気持ちを誤魔化すように、冷めかけた紅茶を一気に飲み干す。

 けれど、そのぬるい液体では、胸の中の違和感を洗い流すには少しばかり力不足だった。


 ◇◇◇


 その日の夕刻。

 文官局では、“観察者”がさらに倍増していた。


「リリーさん、絶対レイ様と仲いいよな……」

「いや、“仲がいい”っていうより……あれは……」

「一方的に恋してる、みたいな……?」

「でも、レイ様も気にしてる感じだったよな」

「え、じゃあ両想い……? もう両想いでいい……?」


 机の下で縮こまりながら、リリーは心の中で叫んだ。


(気付かれてない……よね……!? 私が推しに恋してるなんて……!

 原作ではモブですらなかった存在なんだよ!?)


 隣のアンネが、冷えた声でとどめを刺す。


「完全にバレてるわよ。もう“恋してる”って前提で話されてる」


「ひ、ひえぇぇ……私なんかが、そんな恐れ多い……」


「そんな卑下するほどの顔じゃないってば」


「そんなことないよ。私なんて、並んだら川辺に転がったただの石ころだよ」


「まぁ、そこまで言うなら……かすむとは思うけど」


「でしょう!? そうでしょう!!」


「あの美貌の隣に立てる人間がどれだけいるっていうのよ。私だって勇気ないわ。自分の粗が全部浮き彫りになりそうだもの」


「レイ様は神だからね。もはや人じゃないから仕方ないよ。でもね、今日は倒れずに済んだんだよ」


「それはすごいじゃない。進歩ね。その調子で推し耐性を上げていきなさい」


 ◇◇◇


 翌日。

 王宮文官局は、朝から妙にざわついていた。


 理由はとてもシンプルだ。

 リリーが“いつもより明るい”からである。


 推し成分の過剰摂取によって、リリーは日に日に輝きを増しつつあった。


「なんか今日、さらに柔らかい感じしない?」

「前から柔らかかったけど、最近は“ふわふわ”寄りだよね」

「推しを前にしたオタクの波動……わかる……」


 周囲の観察者たちは、着々と増えていた。


「……なんか今日、周りがうるさい気がする」


 リリーが首を傾げると、アンネは即答する。


「まぁ、あんたがあからさまに変わったからね。レイ様のせいで」


「そ、そんな……」


「レイの名前が出た瞬間、口角が上がるのやめてもらえる?」


「う、うぅ……」


 アンネの冷静すぎる指摘が、ぐさぐさと刺さる。


「ま、雰囲気が明るくなる分にはいいことよ。前の“地味で真面目”なだけの状態より、今のほうが断然可愛いわよ」


 その一言が、ほんの少しだけ、リリーの心をあたためた。


 ◇◇◇


 昼頃。

 伯爵家から、息せき切って駆け込んでくる少年がいた。


「リリー様! レイ様がお呼びです!」


 その場の空気が、ぴしりと固まる。


「え……い、今ですか!?」


「はいっ! 急ぎの確認事項で……!」


 文官局の同僚たちが、ざわ……っと声を潜める。


「レイ様直々……?」

「いや、それもうほぼ“ご指名”では……?」

「仕事だよね? 仕事だよね??」


 完全に誤解を生む会話が飛び交うが、誰も止められない。


「り、リリー、落ち着いて。はい、深呼吸」


「……っ、すー……はー……すー……」


 アンネに背中をさすられながら、リリーは何とか呼吸を整え、伯爵家の執務室へと向かった。


 ◇◇◇


 伯爵家の廊下に足を踏み入れた瞬間、心臓は再び早鐘を打ち始める。


 案の定、レイが扉の前で待っていた。


「来ていただき、ありがとうございます。リリー嬢」


「っ……はいっ……!」


 その声を聞いただけで、リリーの精神はまた軽く昇天しかける。


「急な呼び出しで申し訳ありません。本当は書状で済む話だったのですが……」


 レイは少しだけ言いづらそうに視線を落とした。


「レオナルド様と話していたら、あれよあれよという間に“直接呼ぶ”流れになってしまって。業務中にお時間を取ってしまい、かえってご迷惑だったのではと」


(推しが……謝ってる……!?)


「い、いえ! そんな! 私の時間なんていくらでも余ってるので、雑務でもなんでも、いつでも呼び出していただけたら……!」


 言ってから、「いくらでも余ってる」というフレーズが地味に傷つくことに気付く。

 けれど、今はそれどころではない。


「そう言っていただけると、少し安心します」


 レイは、いつもよりほんの少しだけ柔らかい声でそう告げた。


「それで……今回の用件なのですが」


 一拍置かれた間に、リリーの喉がきゅっと鳴る。


「……僕の前だと、いつも随分と緊張されているように見えます。

 その……嫌われているわけでは、ありませんよね?」


「はっ!?!?」


 リリーの中で、何かが派手に爆発した。


(え!? 今、推しが……“嫌われてるのかも”って心配した!?

 そんなことある!? この世界のどこに、レイ様を嫌える人が……!?)


 反射的に首を振っていた。


「ち、ちちち違います!! そんなわけありません!!

 むしろ……その、むしろ逆というか……!」


 レイの目が、わずかに見開かれる。


「逆……?」


「い、いえっ!! 今のは忘れてください!!」


 声が見事に裏返る。

 レイはほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。


(……やはり、この反応は分かりやすい)


「では、僕を避けているわけではないと?」


「そんな……そんな恐れ多いこと……!」


「それなら、良かった。ずっと気になっていましたので」


「っ……!」


“気になっていました”——その一言が、心臓の真ん中に突き刺さる。


 原作の中の彼は、誰のことも「気にする」とは口にしない、完璧な“サポート役”だった。

 今、目の前にいるのは、それとは少し違うレイで——


(……このズレを、私はどこまで受け止めていいんだろう)


 一瞬だけ、不安が胸をかすめる。

 けれど、次の瞬間には、喜びがそれを上書きしてしまう。


「では、折角来ていただきましたし、本題の仕事の説明に移ってもよろしいでしょうか?」


「は、はい!」


 深呼吸。深呼吸。

 過呼吸になりかけた肺に、無理やり酸素を戻し、仕事モードへ切り替える。


 手際よく書類を広げながら、レイはいつも通りの落ち着いた声で説明を始めた。

 ただ——リリーの肩のすぐ横に立って。


 距離が近い。

 肩が触れそう。

 息がかかりそう。


 そのたびに、リリーの呼吸は浅くなっていく。


「こちらが新しい協定条項になります」


「……は、はい……」


「……聞いていますか?」


 返事が遅れたのか、レイが少しだけ体を屈めて覗き込んでくる。


「ひっ……き、聞いてます……!」


「顔が真っ赤ですが?」


「だっ、大丈夫です!!」


 まるで大丈夫ではない。

 レイはわずかに口元を緩めた。


(やはり……彼女は、見ていて飽きない)


 この瞬間、レイの中で“興味”は、確かに根を張り始めていた。


 ◇◇◇


 説明を終え、文官局へ戻る頃には、リリーの体力はほぼゼロだった。


「……ただいま……」


「帰ってくるなりゾンビみたいになってるけど!?」


「……供給が……多くて……」


「もう……あんたは推しの過剰摂取で倒れるアイドルオタクか何か?」


 アンネが肩を支えながら席へ戻すと、待っていたかのように同僚たちが一斉に近寄ってきた。


「リリーさん、レイ様と何話してたの?」

「急に呼ばれるって……すごくない? なんかやばい仕事でも?」

「なんか……顔赤くない?」


「ひっ……あ、あの、その……!」


(ど、どどどどうしよう! 顔に全部出てた!?)


 そこへ、さらに観察者が増える。


「あ、リリー嬢。戻ってきていたんだね」


 レオナルドが、いつも通り優雅に現れた。

 その笑顔は、どこか楽しげだ。


「レオナルド様……!」


「少し歩き方がふらついているようだけど……よほど良いことが?」


「!?!?!?!?!?」


「リリー。表情、崩れてる」


「アンネぇぇぇ……!」


 局内の視線が一斉に集まる。

 誰もが興味津々。

 もはや“リリーとレイの関係観察”は、文官局の新しいエンタメと化していた。


 ◇◇◇


 夕刻。

 噂はさらに勢いを増していた。


「今日、レイ様に呼ばれてたよね?」

「レイ様ってそんな気軽に人を呼ぶ方?」

「いや、あれ完全に気にかけてる感じだったよ」

「もう誰がどう見ても、“そういう関係”でしょ」


「ち、ちちちがいます!!」


 リリーは机に突っ伏しながら叫んだ。

 しかし、誰も本気には受け取らない。


 アンネは腕を組み、冷静に告げる。


「……もう完全に広まったから無理ね。言い訳しても“そういうことにされる”だけよ」


「や、やだぁぁぁぁ!!」


 一方その頃。

 少し離れた席で紅茶を飲んでいたレオナルドは、静かに目を細めていた。


(……いいねぇ。青春、ってやつだ。

 この退屈な書類まみれの毎日に、ちょっとした“癒し”が生まれたのは、本当にありがたい)


 その日、文官局の観察者はついに“三十名”を超えた。


 そしてリリーは、まだ気付いていなかった。

 その視線の中心に、自分がすっかり立たされてしまっていることを——。

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