エピローグ
昼休みの鐘が鳴り、
部屋から人の気配がなくなっていく。
リリーは、窓から噴水の水面を見つめながら、静かに息を吐いた。
――少し前まで。
(わたしなんかが、ここにいていいのかな)
そんな問いが、いつも胸の奥にあった。
仕事ができても。
頼られても。
それでも、自分の足場は、どこか不確かなままだった。
「リリー嬢」
隣から、レイの声がする。
「午後の案件ですが。
あなたのまとめた案で、進めようと思います」
淡々とした、いつも通りの口調。
けれど、その声は、以前より少しだけ柔らかい。
「……はい」
リリーは頷く。
胸の奥で、何かがすとんと落ち着いた。
それは「選ばれた」という感覚ではない。
自分が、ここに立つ理由を、自分で肯定できたという感覚だった。
リリーは噴水から視線を外し、レイを見る。
「もし、途中で何か修正が必要になったら……言ってください」
以前の自分なら、
「大丈夫でしょうか」と聞いていた。
今は、違う。
「分かりました」
レイが短く答え、立ち上がる。
数歩進んでから、ふと足を止めた。
「……それから」
「はい?」
振り返ったレイは、ほんの一瞬だけ言葉を探すように視線を彷徨わせる。
仕事中よりも、少しだけ柔らかい表情。
「夜の件ですが」
リリーは、思わず瞬きをした。
「……夜?」
確認するように聞き返すと、レイは小さく咳払いをする。
「ええ。
その……仕事が終わったあとです」
言い切らず、言葉を選ぶ。
それでも、視線は逸らさない。
「もし、疲れていなければ」
ほんのわずか、声が低くなる。
「……一緒に過ごせたらと」
琥珀色の瞳が確かな熱を持って、リリーを見つめる。
リリーの胸が、きゅっと鳴った。
以前なら、戸惑っていたかもしれない。
でも今は、違う。
「……はい」
小さく頷き、少しだけ微笑む。
「ぜひ」
レイの表情が、ほっと緩む。
「……良かった」
特別な出来事は、もう必要なかった。
風が吹き、木々の葉が揺れる。
水面が、きらりと光った。
――きっと、わたしは、また迷う。
不安になって、足がすくむ日も来るだろう。
それでも。
(そのたびに、わたしは――わたしで選ぶ)
――今日も。
リリーは、自分で選んだ場所で、
大切な人の隣に立っていた。
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