レッツクッキング!
昼を少し過ぎた時間帯は、観光客と地元の人間がほどよく混じり合い、行き交う声もどこかにぎやかだ。
リリーとアンネは肩を並べ、通りの奥へと足を進めていた。
「まずは何からいく?」
リリーが首を傾げて尋ねる。
「鶏肉。あと、あの“しょうゆ?っぽい調味料”よね」
アンネは指を折りながら言った。
「うん。あと砂糖と、油。
……あ、にんにくも少しあったほうがいいかも」
「ほう。意外と本格的なのね」
露店が立ち並ぶ通りに入ると、空気が一気に変わる。
焼き立てのパンの香り、香辛料の刺激的な匂い、果物の甘酸っぱさが混ざり合い、鼻腔をくすぐった。
「……アンネ、ちょっと待って」
リリーが立ち止まる。
「どうしたの?」
「この匂い……お腹すいてきた」
「さっき焼き菓子食べたでしょ」
「別腹です」
真顔で言うリリーに、アンネは吹き出した。
「はいはい。まずは肉屋ね」
威勢のいい声が響く肉屋の前で足を止める。
吊るされた鶏肉がずらりと並び、表面が艶やかに光っている。
「胸肉ともも肉、どっちがいいと思う?」
アンネが聞く。
「レオナルド様の胃袋を考えるなら……もも肉」
リリーは真剣な顔で答えた。
「たしかに、脂は裏切らないわよね。昔だけど、脂とカロリーは正義!!ってよく言ってたもの」
「……レオナルド様、そんなこと言ってたの? 身体も引き締まってて“節制の権化”みたいに見えるのに」
「言ってた。しかも低い声で。たぶんその分、剣の稽古とかで動いてたから、太らなかっただけじゃないかしら」
「意外……」
二人は顔を見合わせ、同時に小さく笑う。
肉を包んでもらいながら、アンネがぽつりと言った。
「ねえ、リリー」
「なに?」
「……私ね、本当はレオナルド様に作るの、少し緊張してる」
「え」
意外そうに目を瞬かせるリリー。
「アンネ、さっきすごく堂々としてたのに」
「口ではね」
アンネは苦笑した。
「でも、料理って誤魔化しがきかないでしょう?」
リリーは一瞬、言葉に詰まる。
「……でも」
「うん?」
「アンネが作るなら、大丈夫だと思う」
「根拠は?」
「だって、アンネ、真剣だもん」
アンネは足を止め、リリーを見た。
市場のざわめきの中で、その視線だけが静かに交わる。
「……ありがとう」
短くそう言って、アンネは視線を前に戻した。
次は調味料の店。
木箱に並んだ瓶や壺が、光を受けて鈍く輝いている。
「これ……前に使ったのと似てるかも」
リリーが一つの瓶を手に取る。
蓋を開けると、ふわりと立ち上る香ばしい匂い。
「……あ、これだ」
「本当に?」
「うん。このシオカラの実を絞った汁に、少し甘味を足して……」
「なるほどね」
アンネは瓶を覗き込み、ふっと笑った。
「これで、レオナルド様がまた“目を輝かせる”かもしれないのね」
「目を……?」
「真剣すぎて怖かったわよ。
“もう一度食べたい”って、会話の途中で言うの」
「……それは、だいぶ重症だね」
「でしょ? 私のお見舞いに来てくれたんじゃなかったの!?って何度も言いたくなったわ」
二人は顔を見合わせ、また笑った。
砂糖の露店で足を止め、にんにくを選び、油を買い足す。
紙袋が次第に重くなり、腕に心地よい負荷がかかる。
「こうして買い物してるとさ」
アンネが言った。
「うん」
「なんだか、休日って感じするわね」
その言葉に、リリーの胸が少しだけ温かくなる。
「……うん」
普通で、穏やかで、少しだけ特別な時間。
「ねえ、リリー」
「なに?」
「照り焼き以外にも、何か教えてくれる?」
「え?」
「ほら、あの人、たぶん一回じゃ終わらないわよ」
アンネは肩をすくめる。
「“次は?”って聞いてくる顔、もう想像つくもの」
「……確かに」
二人は同時にため息をつき、そして笑った。
市場の喧騒の中、
紙袋を抱えた二人の足取りは、どこか弾んでいた。
***
アンネの部屋の小さな台所は、夕暮れの光が差し込み、白い調理台を淡く染めている。
窓の外からは、遠く市場のざわめきと、焼き物の匂いが風に乗って流れ込んでくる。
「……よし」
リリーは小さく気合を入れ、包丁を手に取った。
まな板の上に置かれた鶏腿肉は、淡い桜色を帯び、皮の表面には薄く脂が光っている。
触れただけで、指先に弾力が伝わった。
「新鮮ですね。ほら、ここ」
リリーが指で軽く押すと、肉はすぐに元の形に戻る。
「ほんと……すごい弾力ね」
「このくらいが、焼いたときにいちばんジューシーになるんだよ」
包丁の刃が、すっと肉に入る。
筋を外すたび、ぷつりと小さな音がして、余計な部分がきれいに取れていく。
「骨もないから扱いやすいし……ここ、筋だけ切っておくと噛んだとき楽なんだよね」
「へぇ……」
アンネが身を乗り出す。
「前に勢いで買って、何も考えずに焼いたら、見事に固くなって大失敗したからさ。
そこからちゃんと下処理するようになったんだ」
「失敗したときどうしたの?」
「全部自分で食べた」
「えらいけど、なんか泣けてくる話ね……」
アンネが苦笑すると、リリーも「でしょ……」と肩をすくめた。
「だから今日は、絶対失敗できないね。ターゲットが伯爵様だし」
「やめて、そのプレッシャーのかけ方は料理人泣かせよ」
ふざけ合いながらも、リリーの手元はていねいだ。
余分な脂を落とし、火の通りが均一になるように厚みを軽く整える。
「こんなもんかな。あんまりいじりすぎると逆にパサパサになるから」
「なるほどね……なんか見てるだけでお腹すいてきたわ」
「それはいいこと」
リリーは塩を指先に取り、さらりと表面に落とした。
続けて、胡椒を一振り。鼻をくすぐる香りがふわっと立ちのぼる。
「下味はこれくらいで十分。あとはタレに頑張ってもらう」
「私、いつもここで振りすぎてしょっぱくするタイプだわ」
「わかる。気持ち乗ると手が多めに動いちゃうんだよね……」
「そうそう。“多いほうがおいしい気がする”っていう貧乏性が発動するのよね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「でも、アンネってちゃんと料理するんだね」
「失礼ね。私だってするわよ、料理くらい」
「え、でも⋯⋯貴族って、あんまり台所に立たないイメージあった」
「長男長女で“継ぐ側”の子はね。私は次女だもの。
家を出るか、嫁ぐか、そのどっちかが前提でしょ? だから出来て損はないのよ。貴族向けの料理教室だってあるんだから」
「料理教室……なんか響きがおしゃれだ……」
「実態は“焦がしたパンの救い方講座”よ」
「それはそれで必要そう」
そんなやりとりの間に、フライパンがじわじわと温度を上げていく。
空気が、わずかに張り詰めた。
「そろそろかな」
リリーは鶏肉を持ち上げ、皮目を下にして、そっと置く。
――ジュワァァァッ!
脂が弾け、鋭い音が台所いっぱいに響いた。
「うわっ……!」
アンネが思わず一歩下がる。
「大丈夫。今の音が、“いい感じに焼けてます”の合図」
フライパンの中では、皮から溶け出した脂が泡立ち、
鶏肉の縁が少しずつ、黄金色へと変わっていく。
香ばしさがふわりと立ち上り、空腹を容赦なく刺激した。
「……もう、お腹鳴りそう」
「まだ我慢。ここで動かすと、皮がはがれちゃうから」
じっくり、じっくり。
触らず、待つ。
十分に焼き色がついたところで、リリーはトングを入れ、肉を返した。
――ジュッ。
今度は低く、落ち着いた音。
中に閉じ込められていた肉汁が、じわりと滲み出る。
「このタイミングで、一回脂を拭きます」
キッチンペーパーで余分な脂を吸い取ると、
重たさが消え、香りだけがすっと残る。
「次が、照り焼きの本番」
器に注がれた“醤油に似た調味料”は、濃く、深い色をしている。
そこに砂糖を加えると、しゃり、と小さな音がした。
「甘さは、火にかけてから引き出す感じ」
ほんの少しだけ、すりおろしたにんにくを落とす。
それだけで、香りの輪郭がぐっと立体的になった。
フライパンにタレを流し込んだ瞬間――
――じゅわあぁぁ……。
甘さと塩気が一体になった香りが、一気に広がった。
「……これは……」
アンネの声が、素直に震える。
リリーはスプーンでタレをすくい、肉の上にかけ続ける。
とろみを帯びたタレが、照明を反射して艶やかに輝いた。
煮詰まるにつれて色は深く、香りは濃く。
フライパンの中の世界に、目と鼻と耳が引き込まれる。
「焦がさないように、でも止めるのも早すぎないように……この辺かな」
肉の表面が、蜜をまとったように光る。
「見た目だけで、おいしいって分かるわ」
「味は、もっとだから」
火を止め、まな板に移す。
包丁を入れた瞬間、じゅわっ、と音を立てて肉汁が溢れた。
断面は、しっとりとした淡い桃色。
湯気が立ち上り、甘辛い香りが再び鼻を打つ。
「……これ」
アンネが、喉を鳴らす。
「レオナルド様が“もう一度食べたい”って言ったの、分かる気がするわ」
リリーは少し照れながら、微笑んだ。
「……これが、照り焼きです」
台所には、抗えないほどの“おいしそうな気配”が、確かに満ちていた。




