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17/25

レッツクッキング!

昼を少し過ぎた時間帯は、観光客と地元の人間がほどよく混じり合い、行き交う声もどこかにぎやかだ。


 リリーとアンネは肩を並べ、通りの奥へと足を進めていた。


「まずは何からいく?」


 リリーが首を傾げて尋ねる。


「鶏肉。あと、あの“しょうゆ?っぽい調味料”よね」


 アンネは指を折りながら言った。


「うん。あと砂糖と、油。

 ……あ、にんにくも少しあったほうがいいかも」


「ほう。意外と本格的なのね」


 露店が立ち並ぶ通りに入ると、空気が一気に変わる。

 焼き立てのパンの香り、香辛料の刺激的な匂い、果物の甘酸っぱさが混ざり合い、鼻腔をくすぐった。


「……アンネ、ちょっと待って」


 リリーが立ち止まる。


「どうしたの?」


「この匂い……お腹すいてきた」


「さっき焼き菓子食べたでしょ」


「別腹です」


 真顔で言うリリーに、アンネは吹き出した。


「はいはい。まずは肉屋ね」


 威勢のいい声が響く肉屋の前で足を止める。

 吊るされた鶏肉がずらりと並び、表面が艶やかに光っている。


「胸肉ともも肉、どっちがいいと思う?」


 アンネが聞く。


「レオナルド様の胃袋を考えるなら……もも肉」


 リリーは真剣な顔で答えた。


「たしかに、脂は裏切らないわよね。昔だけど、脂とカロリーは正義!!ってよく言ってたもの」


「……レオナルド様、そんなこと言ってたの? 身体も引き締まってて“節制の権化”みたいに見えるのに」


「言ってた。しかも低い声で。たぶんその分、剣の稽古とかで動いてたから、太らなかっただけじゃないかしら」


「意外……」


 二人は顔を見合わせ、同時に小さく笑う。


 肉を包んでもらいながら、アンネがぽつりと言った。


「ねえ、リリー」


「なに?」


「……私ね、本当はレオナルド様に作るの、少し緊張してる」


「え」


 意外そうに目を瞬かせるリリー。


「アンネ、さっきすごく堂々としてたのに」


「口ではね」


 アンネは苦笑した。


「でも、料理って誤魔化しがきかないでしょう?」


 リリーは一瞬、言葉に詰まる。


「……でも」


「うん?」


「アンネが作るなら、大丈夫だと思う」


「根拠は?」


「だって、アンネ、真剣だもん」


 アンネは足を止め、リリーを見た。

 市場のざわめきの中で、その視線だけが静かに交わる。


「……ありがとう」


 短くそう言って、アンネは視線を前に戻した。


 次は調味料の店。

 木箱に並んだ瓶や壺が、光を受けて鈍く輝いている。


「これ……前に使ったのと似てるかも」


 リリーが一つの瓶を手に取る。


 蓋を開けると、ふわりと立ち上る香ばしい匂い。


「……あ、これだ」


「本当に?」


「うん。このシオカラの実を絞った汁に、少し甘味を足して……」


「なるほどね」


 アンネは瓶を覗き込み、ふっと笑った。


「これで、レオナルド様がまた“目を輝かせる”かもしれないのね」


「目を……?」


「真剣すぎて怖かったわよ。

 “もう一度食べたい”って、会話の途中で言うの」


「……それは、だいぶ重症だね」


「でしょ? 私のお見舞いに来てくれたんじゃなかったの!?って何度も言いたくなったわ」


 二人は顔を見合わせ、また笑った。


 砂糖の露店で足を止め、にんにくを選び、油を買い足す。

 紙袋が次第に重くなり、腕に心地よい負荷がかかる。


「こうして買い物してるとさ」


 アンネが言った。


「うん」


「なんだか、休日って感じするわね」


 その言葉に、リリーの胸が少しだけ温かくなる。


「……うん」


 普通で、穏やかで、少しだけ特別な時間。


「ねえ、リリー」


「なに?」


「照り焼き以外にも、何か教えてくれる?」


「え?」


「ほら、あの人、たぶん一回じゃ終わらないわよ」


 アンネは肩をすくめる。


「“次は?”って聞いてくる顔、もう想像つくもの」


「……確かに」


 二人は同時にため息をつき、そして笑った。


 市場の喧騒の中、

 紙袋を抱えた二人の足取りは、どこか弾んでいた。


 ***


 アンネの部屋の小さな台所は、夕暮れの光が差し込み、白い調理台を淡く染めている。

 窓の外からは、遠く市場のざわめきと、焼き物の匂いが風に乗って流れ込んでくる。


「……よし」


 リリーは小さく気合を入れ、包丁を手に取った。


 まな板の上に置かれた鶏腿肉は、淡い桜色を帯び、皮の表面には薄く脂が光っている。

 触れただけで、指先に弾力が伝わった。


「新鮮ですね。ほら、ここ」


 リリーが指で軽く押すと、肉はすぐに元の形に戻る。


「ほんと……すごい弾力ね」


「このくらいが、焼いたときにいちばんジューシーになるんだよ」


 包丁の刃が、すっと肉に入る。

 筋を外すたび、ぷつりと小さな音がして、余計な部分がきれいに取れていく。


「骨もないから扱いやすいし……ここ、筋だけ切っておくと噛んだとき楽なんだよね」


「へぇ……」


 アンネが身を乗り出す。


「前に勢いで買って、何も考えずに焼いたら、見事に固くなって大失敗したからさ。

 そこからちゃんと下処理するようになったんだ」


「失敗したときどうしたの?」


「全部自分で食べた」


「えらいけど、なんか泣けてくる話ね……」


 アンネが苦笑すると、リリーも「でしょ……」と肩をすくめた。


「だから今日は、絶対失敗できないね。ターゲットが伯爵様だし」


「やめて、そのプレッシャーのかけ方は料理人泣かせよ」


 ふざけ合いながらも、リリーの手元はていねいだ。

 余分な脂を落とし、火の通りが均一になるように厚みを軽く整える。


「こんなもんかな。あんまりいじりすぎると逆にパサパサになるから」


「なるほどね……なんか見てるだけでお腹すいてきたわ」


「それはいいこと」


 リリーは塩を指先に取り、さらりと表面に落とした。

 続けて、胡椒を一振り。鼻をくすぐる香りがふわっと立ちのぼる。


「下味はこれくらいで十分。あとはタレに頑張ってもらう」


「私、いつもここで振りすぎてしょっぱくするタイプだわ」


「わかる。気持ち乗ると手が多めに動いちゃうんだよね……」


「そうそう。“多いほうがおいしい気がする”っていう貧乏性が発動するのよね」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「でも、アンネってちゃんと料理するんだね」


「失礼ね。私だってするわよ、料理くらい」


「え、でも⋯⋯貴族って、あんまり台所に立たないイメージあった」


「長男長女で“継ぐ側”の子はね。私は次女だもの。

 家を出るか、嫁ぐか、そのどっちかが前提でしょ? だから出来て損はないのよ。貴族向けの料理教室だってあるんだから」


「料理教室……なんか響きがおしゃれだ……」


「実態は“焦がしたパンの救い方講座”よ」


「それはそれで必要そう」


 そんなやりとりの間に、フライパンがじわじわと温度を上げていく。

 空気が、わずかに張り詰めた。


「そろそろかな」


 リリーは鶏肉を持ち上げ、皮目を下にして、そっと置く。


 ――ジュワァァァッ!


 脂が弾け、鋭い音が台所いっぱいに響いた。


「うわっ……!」


 アンネが思わず一歩下がる。


「大丈夫。今の音が、“いい感じに焼けてます”の合図」


 フライパンの中では、皮から溶け出した脂が泡立ち、

 鶏肉の縁が少しずつ、黄金色へと変わっていく。


 香ばしさがふわりと立ち上り、空腹を容赦なく刺激した。


「……もう、お腹鳴りそう」


「まだ我慢。ここで動かすと、皮がはがれちゃうから」


 じっくり、じっくり。

 触らず、待つ。


 十分に焼き色がついたところで、リリーはトングを入れ、肉を返した。


 ――ジュッ。


 今度は低く、落ち着いた音。


 中に閉じ込められていた肉汁が、じわりと滲み出る。


「このタイミングで、一回脂を拭きます」


 キッチンペーパーで余分な脂を吸い取ると、

 重たさが消え、香りだけがすっと残る。


「次が、照り焼きの本番」


 器に注がれた“醤油に似た調味料”は、濃く、深い色をしている。

 そこに砂糖を加えると、しゃり、と小さな音がした。


「甘さは、火にかけてから引き出す感じ」


 ほんの少しだけ、すりおろしたにんにくを落とす。

 それだけで、香りの輪郭がぐっと立体的になった。


 フライパンにタレを流し込んだ瞬間――


 ――じゅわあぁぁ……。


 甘さと塩気が一体になった香りが、一気に広がった。


「……これは……」


 アンネの声が、素直に震える。


 リリーはスプーンでタレをすくい、肉の上にかけ続ける。

 とろみを帯びたタレが、照明を反射して艶やかに輝いた。


 煮詰まるにつれて色は深く、香りは濃く。

 フライパンの中の世界に、目と鼻と耳が引き込まれる。


「焦がさないように、でも止めるのも早すぎないように……この辺かな」


 肉の表面が、蜜をまとったように光る。


「見た目だけで、おいしいって分かるわ」


「味は、もっとだから」


 火を止め、まな板に移す。


 包丁を入れた瞬間、じゅわっ、と音を立てて肉汁が溢れた。


 断面は、しっとりとした淡い桃色。

 湯気が立ち上り、甘辛い香りが再び鼻を打つ。


「……これ」


 アンネが、喉を鳴らす。


「レオナルド様が“もう一度食べたい”って言ったの、分かる気がするわ」


 リリーは少し照れながら、微笑んだ。


「……これが、照り焼きです」


 台所には、抗えないほどの“おいしそうな気配”が、確かに満ちていた。

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