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15/25

て、て、照り焼き!!?

昼休みの中庭には、柔らかな陽射しが降り注いでいた。

 噴水の水音と、遠くの方から聞こえる笑い声。いつもなら心地よいはずのそれらが、今日はどうにも胸に落ちてこない。


(……どうしよう。本当に、今日のレイ様……変だよ)


 リリーはベンチに座り、膝の上の包みをぼんやりと見つめていた。

 せっかく王都でようやく見つけた「醤油っぽい何か」で作った、照り焼きサンド。

 甘辛い香りは確かにしているのに、まったく食欲に繋がらない。


(朝も、目が合ったと思ったらすぐ逸らされたし……

 必要な業務連絡以外、ほとんど話してくれなかった……)


 嫌われた――とまでは思いたくない。けれど、胸の奥にじわじわと不安が広がっていく。


 パンを一口かじってみる。味はちゃんとする。おいしい。

 けれど心は、まったく満たされなかった。


「おや、リリー嬢。今日は一人で食事かい?」


「わっ……!」


 突然影が差し、リリーは慌てて顔を上げた。


「レ、レオナルド様……!」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべたレオナルドが、噴水を背に立っていた。

 慌てて立ち上がろうとしたリリーを、彼はひらひらと手で制する。


「いいよ、いいよ。休憩時間に上司にまで気を遣ってたら、息が詰まるだろう?」


「あ、いえ、その……」


「アンネは? 今日は一緒じゃないのかい」


「アンネは、今日はお休みをいただいていて」


「そうか。……なら、後で様子を見にいこうかな」


 レオナルドはひとり納得したように頷くと、特にためらいも見せず、リリーの隣に腰を下ろした。


「君たち、本当に仲がいいよね」


「はい。一番の友達です」


「そういう言葉、アンネが聞いたら照れるだろうね」


 どこか楽しそうに笑う横顔を見て、リリーの緊張も少しだけほぐれる。


 前から、少し気になっていたことを、思わず口にしていた。


「あの……前から気になっていたんですが」


「ん?」


「レオナルド様とアンネって……お知り合いだったんですか? たまに、少しだけ距離が近い気がして」


「知り合い、というよりは……幼馴染かな」


「えっ!? アンネと!?」


 思いきり声が裏返ってしまった。

 三年一緒に働いてきて、初耳の事実だった。


 レオナルドは肩をすくめる。


「彼女、そういうのわざわざ言わないだろう? “いまさら恥ずかしい”とか言ってさ」


「あ……言いそうです」


「小さい頃からの付き合いなんだ。まだ互いに背も低くて、怒られる理由も“廊下を走った”だの“木に登った”だの、今思えばどうでもいいことばかりだった頃からね」


 噴水のきらめきを眺めながら、彼の声が少しだけ懐かしげになる。


「アンネは昔から、よく転ぶ子でね」


「えっ、あのアンネが?」


「階段でも庭でも、走り出したら十歩以内に一回は転んでるんじゃないかっていうくらい。……で、転んだあとが面白かった」


「面白かった、ですか?」


「まず周りを見るんだよ」


「周り……?」


「誰かが見てたら、土を払って、何事もなかった顔で立ち上がる。誰も見てなかったら、ちゃんと大泣きする。」


「あ……すごく、アンネらしいです」


 思わず吹き出すと、レオナルドもふふ、と笑った。


「だろう? 今も、人前では案外平気そうな顔をしてるだろう?」


「たしかに……。怒られても“はいはい”って感じで流してるように見えます」


「そういうときほど、本当はぐさっと来ているんだ。

 小さい頃なんて、父上に叱られた帰り道は普通に歩いてたのに、角を曲がって人の気配がなくなった瞬間、壁にもたれてへなへな座り込んでね」


「アンネが……?」


「“バレました?”って顔で、こっちを見るんだよ。あれが妙に腹立たしくてさ。以来、彼女が“平気なふり”をしているときほどよく見るようになった」


 懐かしさと、ほんの少しの愛しさが混じった声だった。


「強がるのが上手で、でも本当はけっこう繊細で。

 そういうアンネを見ている時間が長かった、ただそれだけだよ」


「……なんだか、いいですね。そういうの」


 長く一緒にいた人にしか出せない、やわらかい響き。

 リリーがほっと笑うと、レオナルドも「そうかい?」と小さく微笑んだ。


「まあ、あいつの昔話はこのくらいにしておこう。後で“余計なこと喋りましたね?”って刺されそうだしね」


「ふふっ」


 そこでようやく、レオナルドの視線がリリーの膝の上へ向く。

 包み紙の隙間から、照りのあるソースが少しだけ覗いていた。


「ところでリリー嬢」


「はい?」


「……今、何か、とても見覚えのある色が見えた気がするんだけれど」


「色……ですか?」


「その包み。中身は?」


「あ、サンドイッチです。今日は、いつもとちょっと味を変えてみて……」


 リリーが包み紙を少し開くと、ふわりと甘辛い香りが立ち上る。

 パンの間には、こんがり焼き色のついた肉と、テリっとしたソース。


 レオナルドの目が、そこでぴたりと止まった。


「……」


「……?」


「……その、照り」


「照り……?」


「照り、焼き……?」


 ひと文字ずつ噛みしめるように呟いた瞬間、レオナルドの喉がごくりと鳴った。


「ま、まさかとは思うが、リリー嬢。

 それは……“照り焼き”では……?」


「あ、はい。えっと、“醤油っぽい”調味料を見つけたので、試しに――」


「醤油……」


 今度ははっきりと、息を呑む音がした。


「醤油に似た調味料があって……砂糖と合わせて加熱したら、こう、いい匂いがして」


「甘辛くて、熱すると香ばしくて……?」


「は、はい。まさにそんな感じで……あの、レオナルド様……?」


 リリーが戸惑いながら見上げると、レオナルドの表情からは、いつもの余裕がきれいさっぱり消え失せていた。


「……この世界で……照り焼き…………?」


(えっ、そんなに重い話だった!?)


 レオナルドはふらふらと半歩近づくと、真剣な目でサンドイッチを見つめた。


「リリー嬢」


「は、はい」


「それは……どこで? 誰が? どうやって?」


「えっ?」


「その“醤油っぽい”のは何からできている? 豆か? 麦か? 塩の量は? 発酵期間は? 甘みは砂糖か蜂蜜か、それとも果実の絞り汁か?」


「えっ、えっ、えっ?」


(なにこの質問攻め!? レオナルド様、こんな食いつきする人だったっけ!?)


「いや、待て。落ち着け、私。ここで興奮しても仕方がない……だがしかし……」


 自分に言い聞かせるように額を押さえながらも、視線は一ミリたりともサンドイッチから離れない。


「……照り焼き……」


 今にも膝から崩れ落ちそうなテンションで呟いたあと――


「リリー嬢」


「は、はいっ!」


「一口でいい。いや、半口でもいい。そこにある端の、角の、ほんの少しだけ……!」


「レオナルド様」


 低くよく通る声が、横から飛んだ。


 ぺし、と小気味いい音がする。


「いっ……!?」


 後頭部を軽く叩かれ、レオナルドが情けない声を上げる。

 振り向けば、そこにはいつの間にかレイが立っていた。


「……レイ。いきなり叩くことはないだろう。今、私は人生の分岐点に――」


「休憩中の部下のお弁当に、そんな真剣な顔で迫る上司がどこにいますか」


 レイはぴしゃりと言い切る。


「それはそうだが……これはただの弁当ではなく、人類の食文化の――」


「理解したくありませんし、理解するつもりもありません」


(レイ様、そこはちょっとだけ理解してもいいと思います……! が、今はその冷静さがありがたい……!)


 レイは軽く溜息をつくと、レオナルドの耳許へ身を寄せ、短く囁いた。


「(……リリー嬢が作ったものです。今のあなたのテンションで詰め寄ったら、確実に泣かせます)」


「(……っ)」


 レオナルドの肩がびくりと跳ねた。


「(それと、後でゆっくり話を聞けばいいでしょう。今は、食事を邪魔しないでください)」


「(……反省した)」


 小声のやり取りを終えると、レオナルドはこほん、とわざとらしく咳払いをした。


「……失礼した、リリー嬢。少々取り乱した」


「い、いえ……」


「昼食は、落ち着いて食べるべきものだね。私もそう思うよ」


「さっきまでの人が言います……?」


 思わず小さくツッコむと、レオナルドは苦笑しながら立ち上がった。


「ともかく、その照り焼きとやらの話は、後日あらためて聞かせてくれ。私の、今後の生き方に直結する問題だからね」


「そ、そんなにですか?」


「そんなにだ」


 真顔で断言されてしまい、リリーはなんとも言えない表情のまま頷くしかなかった。


「では、急用を思い出したので失礼しよう。……リリー嬢、昼食は大事に味わうといい」


 最後にもう一度だけ未練がましくサンドイッチを見つめてから、レオナルドは中庭を後にする。


 レイも軽く会釈し、「失礼します」と短く告げてその背を追った。


 去っていく二人を見送りながら、リリーは自分の手元に視線を戻す。


「……そんなに、すごいものかな……」


 さっきまで味がしなかった照り焼きサンドの香りが、ようやく少しだけ鼻先をくすぐった。


 けれど――胸の奥のもやもやは、まだ完全には晴れていない。


(レイ様……さっき、結局、目は合ってくれなかったな……)


 照り焼きの甘辛さと、レイの横顔の冷たさ。

 まったく別のものなのに、どちらも同じくらい、リリーの胸に強く残っていた。

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