2 神との対話
「どうしてそれほどまでに地上を憎まれるのですか」
ウィーンは怒るように言葉を置いた。すべてのことに無理解な神の態度を理解することができなかった。どうしてそれほどまでに地上を憎むのか、自ら繁栄させようと願った地上を憎むのか。
「選ばれし子らよ。そなたは世界でなにを見た」
神の声が深く深く心に沈んでいく。一言でいい表せないほどのとても大きな、大きすぎる質問だと思った。
「世界の真実を知りました」
言葉を噤んだウィーンの代わりに答えたのはアーサーだった。
「世界の真実とは」
「世界は醜く争いの絶えない場所です。人は時に傷つけあい、互いを貶め、搾取する」
そう、自分たちがこの八年の旅路で知ったのは、世界がいかに愚かであるかということ。その醜さを省いて世界の実情を語ることはできないのだ。旅をしなければ永遠に知ることのできなかった真実でもある。その答えに満足したのか神は静かに細い目を閉じた。
「戦争、憎悪、殺人。この世のあらゆる醜い感情を私は嘆いている。すべて私の与えたものではない。愚かな人間が考え、始めたことだ」
この世のあらゆる罪は例外なく人の作り出したもの、それに対する異論はない。
でも――
「それでも人は愛し合い、助け合えると知っているのです」
アーサーのいう通りだ。旅を終えて心に浮かんでいるのは世界への絶望ではなかった。自分たちは懸命に生きる人々を知っているのだ。時に傷つけあい、それでも人は愛を育みながら命を紡いできた。苦境の中でも自らの幸せを探し手に入れてきたんだ。
「まやかしだ!」
神の怒声が響いた。怒りの余波を受けてくずおれたノアが苦しみの声をあげる。
「ノア!」
ウィーンは震えたその手を取った。余程苦しいのか冷や汗がにじんでいた。
「我慢して」
ノアは無言でうなづいた。神は猛る声で自らの思いを主張した。
「今度の世界も失敗だ。願い育てた世界はこんなにも浅ましい。愛し、差し伸べた手で今度は他の誰かと殺し合う。天の願いを阻害し、この星をまた大きな争いの禍へと導こうとしている。誰も私の嘆きを理解するものはない!」
皮膚にびりびりと緊張が走る。それでも訴えをやめるわけにはいかない。
「確かに人は愚かです。たくさんたくさん奪い続けてきました。それでも、それと同じくらい理解し合うことに長けているんです。傷つけられた相手の痛みや悲しみを知って『ごめんね』っていえるんです。手を取り合って進んでいけるんです」
エドもまた言葉をあげた。
「あんたにはオレたちの造る国を見ててほしいんだ。愛する家族と作りあげる未来のセシルブリュネを! 世界はそこから変えていけるって人生をかけて証明してみせる」
故郷に咲いた人々の笑顔の花を思い出す。きっと特別なことじゃない。国が豊かであれば人は変われるのだ。そこから世界は変えていけるのだと信じたい、心から信じているから。
「ならぬ!」
神が杖を振りかぶった。
「制裁しなければ世界は変われない。人は自身の犯す過ちに気づけない」
「ボクたちはもう知っています! 十分過ぎるほどに世界の過ちを知っているのです!」
「ならば同意せよ!」
ウィーンの瞳から一筋の涙がこぼれた。
「それでもボクたちは世界を愛しているのです。どうしようもない世界がこんなにも愛しい」
「神さま」
「お願いします、神さま」
皆が祈りの言葉を重ねていく。その思いは一つ。世界の救済を……
神はしばし沈黙したあと、無情の言葉を放った。
「私の気持ちは変わらない。これより制裁の雨を降らせる」
涙が止まった。いよいよ終焉の時が訪れる。
神が杖を頭上に振りあげて祈り始めたとき、苦しむノアが懐へと手を突っこんだ。
「あなたの……計画はここで……お、わる」
取り出したのは革の水筒だった。それを神は鼻で笑う。
「始まりの森の聖水か。ブルーローザを落とすという魂胆が見抜けないと思うてか」
「あなたの……横……暴には……従えな、い」
ノアは苦しげに言葉を絞りだしながら水筒を開封した。震える手で口に運ぼうとした瞬間、神が杖を盛大に振りおろした。
ノアの体は風圧に煽られるように宙を舞い、丘を滑り落ちて青バラの原に大きく弾み沈んだ。握り締めていた水筒の水が宝石の雫のようにこぼれて空へと舞い散り青バラに降り注ぐ。
「ノア!」
丘を下り、皆で走り寄った。ノアは苦しげに顔を歪めていた。
「水が」
イブが落ちた水筒を拾いあげ確認した。中身は空だった。
「そんな」
エリーが泣きそうな声でいった。最後の希望が途絶えてしまった瞬間だった。
「世界救済への希望は潰えた。お前たちは生き残り新たな世界を築く始祖となり、その繁栄に努めよ」
神の杖に白い光が集まり始める。成す術もなく丘の頂きを見あげているとノアがぼそりと呟いた。
「アーサー」
「大丈夫か! ノア」
アーサーがすがりつくようにいうとノアはふっと笑った。
「……ボクを……こ、ろせ」
「なにバカなことをいっている! そんなこと」
「世界を……救いたいんだろう」
ノアは懐から短剣を取りだした。だが、アーサーはそれを受取れなかった。
「お前は……お前は……」
兄は頭をさげた。耐え難い苦痛だったのだろう。
「ノアは家族なんでしょう!」
飾らない心でノアに伝える。本心からでた言葉だった。ノアの口元が微かに緩んだ。
「嬉しいよ、ボクは……家族に、なれたんだね」
「そうだよ、ノアの望み通りボクらは家族だ」
最後のつぶやきは涙でつぶれた。
「こんな……虚しい世界は……もう嫌だ。同じ思いは……もう繰り返せない。他の誰かに繰り返させちゃいけない。さあ、アーサー、エド、ウィーン」
ノアは持った短剣をアーサーに握らせる。
「崇高なる勇気をもって……他者を愛する慈愛の心で……正しき判断をせよ。ウィーン、キミの知恵は……」
ノアは泣いていたウィーンの頬に触れた。
「うまくいえないよ……君の知恵は……うっ、く。あああああ」
「すべては終わる。愚かな神のしもべよ。安らかな眠りにつけ。今度、目覚めるときにはすべて忘却の彼方だ」
神の杖がひと際大きな輝きを放ち始めた。




