6 ウィーンのつがい作戦 後篇
「エリーっていくつかな」
「えっ」
話があるといって本屋から連れだし、彼女と二人で町中の小さな公園のベンチに横並びに座っている。
「十六歳ですけれど」
幼く見えるけれどウィーンより四つも年上だ。ウィーンは頭を抱える。ほとんどアーサーと変わらないじゃないか。
「どうされたんですか」
おっとりとした声に抱えたままの顔をくるりと向けるとエリーの隣に積まれた本が目に入った。軽く十冊はある。すべて先程の店で購入したものだ。体を起こし、ベンチにもたれる。
「ずいぶん本を読むんだね」
「これも三日で読んじゃうんですよ」
自分と比べていいレベル、趣味が合うって大事だって誰かがいってたっけな。視線を外し遠くを見つめるとベージュのレンガの石畳と淡いオレンジの房咲きのバラが目に入った。バラなんて特に気分が合えばきっとロマンティックに思えるはずだけれど今はそういう心境ではない。
「今日はお休みですから、いい天気ですし窓辺で本を読みたいと思いまして」
読書好きは天気が悪くてもたぶん本を読んでるんだけれどね。そんなことを独りごちながら視線を近場に戻す。
「エリーはいつからあの仕事してるの」
「四年前からでしょうか。ノアの方舟伝説の仕事を任されたのは二年ほど前ですけれど。ってあ、これ。いっちゃいけないやつだった」
ウィーンさんだからいいか、と朗らかに笑う。ノアの方舟伝説という単語が胸に刺さった。本の全容はこの国でも機密扱いだったようだ。気持ちが朝まで抱えていた疑問に引き戻されて、恋への戸惑いも冷めていく。
そのすべてを理解しているエリーにならば詳しく問えるかもしれなかった。
「ノアの方舟伝説は全七巻からなる大作だよね。ノアはなにを書き残したかったんだと思う?」
デートをする気がない自身に呆れつつ吐いた言葉だったが、この質問にエリーの様子が一変した。
「そこなんです!」
彼女が体ごと向き直り、ぐいっと身を乗り出して渾身の言葉で訴えかけた。
「わたしずっと引っ掛かってたんです! ノアは自身の無念と後悔を後世の自らに残したかったと仰ってましたけれど、わたしは別の見方もできると思うんです!」
「というと?」
あまりの剣幕にやや身を引きながら問いかけた。
「世界の破滅を回避するヒントがあるんじゃないかと見ているんです」
「それ本当?」
ウィーンは驚きのあまり声を張った。エリーはこくりとうなづく。
「皆さまがお持ちだったブルーローザの章に関しては大まかに拝見したのみですが、ノアの命をかけなければないらないということも理解しています」
それを聞いて苦い思いになった。ノアはやっぱり死ななければならないのかと辛くなる。
「ですが、世界の滅びまでの過程を綴ったあの本にはなにか隠された世界の裏の事実があったのではないかと踏んでいるんです。例えば、著したノア自身も知りえなかった神の正体とか」
「神の正体!」
ウィーンは口を開けたまま続く言葉を発することができなかった。これまでの固定観念をひっくり返すような思っても見ない発想だった。エリーは弾丸のように自身の見解を述べる。
「例えば神はこの世界の意思を集合させた思念体のようなものであるのかもしれませんし、それならば世界の意識を改善されることで神の意思を変えるということも可能かと。あるいはノア自身が精神分裂症状を起こしていて実は神の正体がノアであるという可能性もあり得ます。それならばノアと分離体が内なる対話をする必要性が生じてきますが。もしくは……」
「待って、ちょっと待って」
彼女の弾丸に頭の回路が追いつかなくてウィーンはエリーをとめた。もしかすると自身は今後の旅において、とても強力な味方を得られるかもしれない。
いおう、きっと彼女だ。いおう。
「ボクと、ボクと一緒にっ」
エリーのくりくりと丸い目が見開かれている。背中を変な汗が伝ってきた。後ろめたいことなんてないのに。ウィーンはぱくぱくと口を開いて、いうかいうまいかその反復思考を頭中で繰り返したあと、一気に言葉を絞り出した。
「ボクと一緒に伝説を変えませんか!」
いってしまった。ついにいってしまった。
「伝説を……変える?」
エリーはきょとんとしている。なんと抽象的な言葉であるが、それ以上の決意はない。彼女の問いかけにウィーンは自信を持って大きくうなづいた。
自宅に戻ったウィーンは兄たち同席でエリーをノアに紹介した。
「ちいさなウィーン、キミがいうのなら信じるけれども。本当に恋人かい」
「勿論」
ウィーンは胸を張る。
「キスしたまえ」
「キッ……」
ウィーンは顔を引きつらせる。隣のエリーはぽかんとしている。
「まあ、ボクはどちらでもいいけれどね」
ふふんと笑ってノアはガブリとリンゴをかじった。脚はテーブルに振り上げて、お客さんがいるというのにとても横柄な態度だ。
ノアはリンゴを振りながらにやりと微笑む。
「人生の伴侶となるわけだけれども、旅への覚悟はできているのかな、エリー」
「ガリバルダ号に乗せて頂けるのですか!」
まるで雷にでも打たれたかのようにエリーは声をあげた。伴侶という部分はいっさい聞こえていなかったのだろうか。食いつかんばかりの勢いで叫んだのだけれど。
ノアはというとにやにやと笑っている。すごく楽しそうだ。齧りかけのリンゴを手で弄び、顔の横で振る。
「週末に迫る結婚式に参加しろというのは酷だからね。日も浅い。キミらはオーディエンスになりたまえ。もちろんボクはキミたちの恋を応援しているけれども」
「恋? あの、私は伝説を変えようっていわれて」
「どんなプロポーズしたんだよ、ウィーン」
エドが呆れた声をあげた。アーサーも少し笑っているか。
「プロポーズ?」
不思議がるエリーにウィーンは言葉を被せた。
「なんでもない! なんでもないから!」
その様子を見てノアは楽しそうに、にやにやと笑っていた。




