4 さよならセシルブリュネ城
誕生日に貰った辞典、小さなうさぎのぬいぐるみ、母にもらったメッセージカード。大事な思い出をリュックへ詰めこんでウィーンは思いのこもった手紙を書いた。大好きな両親と教育係のエイミーへ。
一人ならば決意出来なかっただろう。でも、兄たちが一緒だった。だから見ず知らずの惑星人との旅は断固拒否する。
大人たちが果てしない会議をしている最中に三人はこっそりと自室を抜けだして、兄弟揃って懇意にしている最高齢の執事ジェームスに馬車を頼むとセシルブリュネの町へと出発した。
幼いウィーンは王城を出るのはこれが初めてだったが、兄のアーサーとエドは召使いに連れられて何度か訪れたことがあるようだった。
馬車の中から分厚い深紅のカーテンを少し開けて外の様子をうかがう。城門を出るまではカーテンを開けないようにとジェームスにいわれていたが、好奇心でのぞいた。気真面目な緑服の兵士たちが警備をしている姿を目にする。
「大丈夫かな」
「ジェームスに任せろ」
アーサーは憮然としている。
馬車が一旦停止してその後、堅牢な鉄の城門がゆっくりとあがった。馬がかっぽかっぽと音を立てて馬車を引いていく。ウィーンはさっとカーテンを閉めると不安げに膝上のリュックを握りしめた。
「皆心配するかな」
「分かってくれるさ」
こういう余裕ある発言を聞いているとアーサーはやっぱり大人なのだなと思う
「なあ、アーサー兄さん。計画あるのかよ」
「素性を隠して町で働く。住みこみができる宿屋なんかが良いだろう
いったいこれから自分たちはどうなるのか、不安で不安で。考えると涙がまた出そうだったけれど、辺境の地にいくよりずっといい。これがボクたちの反抗の意思だ。
馬車は三人兄弟を乗せてセシルブリュネの町へと進んだ。
城門がようやく見えなくなり、町に入ると両サイドのカーテンを開けた。光るガラス窓から華やかな町の景色がのぞく。
綺麗な白壁と赤レンガ屋根は城から見て想像したそのままの姿だ。その家々の壁に沿うように、石畳の街路の上にはたくさんの露店が建ち並んでいる。ここはバザールのようだ。
ぶつ切りした大きな肉に様々な形のチーズ、氷の上に並べられた魚貝類、木箱に入った赤青のリンゴ、山積みされた変わった形の野菜。それらの生鮮品を売る店に、こんもりと咲いた切り花を売る店と宝飾品や雑貨を扱う店が混じる。
見たこともないほどたくさんの人が行き交い、みんな楽しそうに買い物をしていた。目に映る全てが物珍しく、まるで油絵のように豊かな色彩で溢れていた。ウィーンとエドは心を躍らせガラスに張りついて町の様子を眺める。
「ここはセシルブリュネの中央通りだ。一番人出が多い。買い物に来たことが何度かある」
「いいなあ、あのおもちゃ」
エドがそんなことをいうのでウィーンもつい出店のお菓子が欲しくなる。
「いいか、オレたちに無駄にする金はないんだ。これから城の後ろ盾無く生きていかなきゃならない」
はっと口を噤む。兄の厳しい言葉に何だか悲しい現実が押し寄せて、ウィーンは窓から身を離すと大人しく席に座った。これは物見遊山ではないのだ。それを思うとまた涙がこぼれそうになる。楽天家のエドだけは相変わらず、無邪気に町の景色に見惚れていた。
しばらくかっぽかっぽと揺られ、悲しい気持ちで流れゆく窓の外を眺めていた。沈んだ心で考える。これから三人でいったいどうすればいいのだろう。
「騒ぎは起きていないな」
アーサーがガラス窓を指先で撫でながら静かにそっと呟く。
街の人々は昨日の惑星人の襲来をどのように受け止めているのだろうか。ガラス窓越しに見る限り彼らに動揺は微塵も感じ取れず、にぎわう通りには人々の安穏な笑顔がこぼれている。
人通りの多い場所で停止して、ジェームスが品よく優雅にドアを開けた。
「皆さま到着しましたよ」
穏やかな声にどこかホッとする。アーサーが早速と立ちあがって、順に馬車を降りた。三人が降りて横に並ぶと、ジェームスは手に持っていた小袋をアーサーへ手渡した。
じゃらりと重たい金属の擦れる音がする。
「ジェームス、これは」
アーサーが驚いたように見ている。
「余り贅沢は出来ませんけれどもジェームスの給金です。お持ちください」
にっこりと皺を作って微笑んでいる。そのあまりに優しすぎる笑顔を見てアーサーの顔が、くしゃっと潰れた。
「すまない。ありがとう。本当にありがとう」
アーサーは涙声で礼をいうと小袋を大切に肩掛けのバッグにしまった。
「坊ちゃん方、ジェームスは皆さまにお仕え出来て幸せでした。しっかり生きてくださいね。ジェームスはいつでも応援しております」
一人ひとりと丁寧に握手をして別れを済ませると、馬車はゆっくりと町を去っていった。