1 ルイーザストーン
石の町ルイーザストーンにバラの花が咲き始めた。
こぼれんばかりの大輪を町中に枝垂れて、人々の心に豊かな潤いをもたらす。この国がとても穏やかで優しいのはこうした景観の配慮があるからかもしれない。雨露で濡れた花弁に美しさを感じて、ウィーンはにこりと微笑んだ。
故郷にもバラはあった。白く気高いバラ――セシルブリュネ。母の愛した王宮のバラ園のアーチの下で絵本を読んでいた頃の記憶が蘇る。あの頃は故郷を離れ、人生の旅をするなど思いもしなかった。
沿道にバラの咲き誇る緩やかな坂を下り、その先の緩やかなカーブを描く赤茶の石階段を登る。手に図書館で借りたばかりの本と市場で購入した食材を持って。
石階段を十五段登った先の見晴らしのいい高台にある小洒落た家が当面の我が家だ。
「ただいま、戻ったよ」
「お帰り」
アーサーが剣の手入れをしながら、振り向きもせずに答えた。
「エド兄さんは」
「デート」
またかとウィーンは思った。実際エドはほとんど毎日違う女の子とデートを重ねている。
「忙しいね」
「あいつは気が多すぎる」
たぶんエドは誰よりもあのときのノアの言葉に忠実なのだろうと思う。
苦笑いしつつ、ウィーンは一年前のやりとりを思いだした。
「ルイーザストーンには一年間滞在する」
「なんで?」
当然の疑問を投げかけたのはエドだった。ノアは「ああ」と劇作家のように天を仰いだ。
「ラブを育むためさ」
「ラブって? どうしてさ」
「キミたちはそれぞれにつがいを見つけなければいけない。神が滅ぼした文明の後で繁栄していくのは紛れもなくキミたちの子供たちだからさ」
「まだ、世界が滅ぶって決まってないじゃん」
「それはキミの理論。ボクがいっているのはボクの理論」
オッケーかい、とノアは問いかける。意味がのみこめなかった様子のエドは懸命に考えている様子だった。
「伴侶なんて必要ない」
「キミは照れ屋さんだね。でもそこがアーサーのいいところだよ」
照れ屋なのがいいところ、よく分からない褒め方だと思う。
「神のシナリオには従わなければいけない。伴侶を連れたキミたちをブルーローザへと連れていく。これは揺るぎない絶対だ。理解したかい」
言葉がおかしいけれど、とウィーンは心で突っこんだ。
「セシルブリュネを出立してもう四年だ。アーサーは十六歳、エドは十三歳、末っ子のウィーンでさえもう十一歳だ。恋をするには遅いくらいさ」
「国王の許諾もなしに勝手に子息が結婚しても良いのかな」
「ウィーン、キミはつまらない大人になった」
まだ子供だけれど、とは思ったけれど。
「愛するつがいを見つけて、一年後この船に戻っておいで。一生ともに生きていけるつがいだよ。お金はこれを持っていくといい」
そういって渡してくれたのは一生食べるのに困らないであろう大金だった。
「キミたちが戻ってくるまで、ボクは泣きながら寂しくガリバルダ号で静かに待つ」
「一緒にいこうよ、ノア」
ウィーンが声をかけるとノアは「キミはなんて優しいんだ!」とぶわっと涙を溢れさせておいおい泣いたあと、即座に涙をしまいこみ身を翻した。
「ボクにつがいは必要ない」
そうして、三人はガリバルダ号を下船して、ルイーザストーンでの共同生活を始めた。
変わり者のノアでも声を聞かないとなると案外寂しいもので、あの冗談が聞きたいなと思うときもある。それがこの旅で一番の心境の変化かもしれなかった。
「町のバラが咲き始めてとても綺麗だったんだ」
買ってきたパンを机に並べながら、ウィーンは世間話を始めた。
「国で一番綺麗なバラ園をご存じ? 昼から三人で一緒にいってみないかしら」
そう答えたのはアーサーではなく、アーサーの恋人のサラだ。エプロン姿で台所の方からフルーツの乗った皿を運んできた。二人は間もなく結婚する。
「いいよ、二人でいってきて」
「まあ、遠慮しなくていいのよ。ウィーン」
「そうだ、そんな気遣いする必要ない」
何だか兄カップルはすでにウィーンの両親のようで、仲睦まじい二人を見ていると伴侶というのも悪くはないのかなと思う。
「読書もしたいし、ちょっと用事もあるんだ。だから、いってきてよ」
「そう?」
サラは遠慮がちに微笑んだ。




