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2 猜疑心

「神さま! 教えてください」


 動力室に駆けこむなり水晶に向かって叫んだ。帽子は落ちて黄金の髪は乱れ、息はあがり、優雅な所作とは程遠い動揺を抱えて訴えかける。胸は不安に高鳴り、崖っぷちに追いこまれたかのような焦りが言葉を急き立てた。


「ヨハンは誰なんですか」


 まくし立てるようにいって暫し待つと、落ち着き払った声が頭中に返ってきた。



――落ち着きなさい、ノア。お前は酷く混乱しているようだ。



「混乱しています、だって頭の中に誰かがいるんだもの!」


 涙をいっぱい浮かべてこれでもかとジェスチャーした。自身の抱える戸惑いを分かって欲しかったのだ。



――王子兄弟はいいのかい。アーサー、エド、ウィーン。キミにとってもっとも大切な人間たちだ。



「彼らを下ろせといったのは神さまです。おかげでボクは寂しいんだ」



――安心しなさい。彼らは今ルイーザストーンで恋をしている。お前の案ずることではないよ。



「ヨハンが誰だか、ディル、レニー。彼らの名前を思い出すだけで涙がでるんです。懐かしくて心が張り裂けそうになるんです」


 胸を握りしめて支離滅裂に想いのたけを叫んだ。理由も分からぬ悲しみが押し寄せとても辛かったのだ。



――彼らはもういない、そうだろう。しっかり思い出したまえ。お前は人生のすべてをかけてワタシに仕えると約束したことを。



「過去に大切な別れがあったんじゃないですか、ボクはそれを忘れてはいけなかった。そんな気がするんです」



――しっかりしたまえ、お前は人でない。そうだろう。



 胸がきりりと痛んだ、人でないと指摘されてこれほどに傷ついたことはない。


「この人間であるかのような悲しみも、懐かしさも。人でないボクには不要だと仰るのですね」


 うつむいて涙をこぼすと神の無情の言葉が胸を刺した。



――そうだよ、ノア。お前は神の獣なんだ。それを忘れてはいけない。



「とても辛いです」


 涙があふれどうしようも無かった。



――お前は疲れているのだよ、少し眠りたまえ。



 これ以上話してもおそらく教えては貰えないだろう。諦めて静かに動力室を去る。背後でばたんと扉の閉まる音がした。数歩歩いて廊下の真ん中で立ち止まり、神の無情について考えたけれどどうしようもないことだと思えた。自分は確かに大事なはずのそれを忘れてしまっているのだから。神に負い目はない。


 涙が乾くのを待ってから船後部へ向けてとぼとぼと歩きだした。


 図書室のある尖塔の両隣には同型の尖塔が一つずつ、計三本ある。船尾に向かって左側の最上階がノアのプライベートルームだ。細かな操舵の必要がないときや一人になりたいとき、そしてしっかり眠りたい夜は密かにこの部屋で過ごす。兄弟たちにも立ち入ることを許可していない秘密の場所だ。


 部屋に帰るとたくさんの幻獣が待っていた。消えそうに儚い存在の彼らがボクの旅路を支えてくれている。みんなボクの方を向いて心配そうな顔をしていた。この嘆かわしい気持ちを彼らは分かってくれているのだ。なんて心優しいのだろう。


「みんなごめんね、ボクは今そんな気分じゃないんだ」


 木床に敷かれたマゼンタの絨毯の上に置いた深緑のベッドにそのまま倒れこむと静かに目を閉じた。心がひどく疲弊している。


 呆然として静かに耳を澄ませているとガルバリダ号の立てる音が静かに聞こえてくる。一番大きなの船尾の大きなプロペラの回転音。それに混じるぎいーこん、ぎいーこんという稼働音。


 水上で小舟を漕いでいるかのような心地の良い揺れに包まれて自然と瞼が落ちてくる。ゆっくり少しずつ。そのまま柔らかな眠りに落ちようとしていると、不意に滑らかな羽が頬に触れた。

 目を微かに開けるとのグリフォンの薄緑の羽が頬を撫でていた。不器用に涙をぬぐってくれているのだ。そっと口元に笑みを作り微かに微笑む。


「ボクの記憶はボクの物、そうだろグリフォン」


 そのまま静かに夢の中へと落ちた。




 淡い夢の中で知らない場所に立っていた。ううん、この場所をボクは知っている。ひどく懐かしい国――ここはあのソレイユドールだ。飾り気のない黄土の町で放し飼いの雄鶏が走っている。それを子供が裸足で追いかけていた。あの活発な子供はレニーだ。


 掘っ立て小屋から少年が出てきた。レニーになにかをいいつけている。長男らしく叱っているのだろう、しっかり者の少年はヨハン。そうしていると水汲みの少年が帰ってきた。あの働き者の少年はディル。

 兄弟はボクの前に揃い踏みすると真面目な瞳でこちらを見あげていた。それに対してボクはこう問いかける。


「おしっこは大丈夫かい」


 ボクはなんてことを聞いているんだ。問いたいのはそんなことじゃないだろう、我ながら呆れてしまう。実際はもっと違う会話をしてたのだろうと思うけれど、夢はままならないもの。気を取り直してもう一度聞こう。


「ボクと旅立つ心の準備は出来たかい」


 そうだ、そうだったのだ。ボクは確かに彼らとソレイユドールの地を旅立った。それもずっとずっと昔に。夢の中だというのに懐かしくて涙が出そうになってくる。会いたかったよ、ボクはずっとキミたちに会いたかったんだ。


 抱きしめようとするとヨハンが深刻な顔でそれを拒んだ。切羽詰まった表情だった。


「どうしたんだい、ヨハン」

「ノア、本を探して。キミの書いた本を」


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