7 ブルーサファイヤ
町の出口へと向かっていると周囲の空気が昨日とは明らかに違うことにエドは気がついた。町人たちがぎらついた目で一行を見ている。
「ああ、アーサー。とんでもないことをしてくれた」
ノアがにやにや笑いながらいうのでアーサーは吐息した後、「謝っただろ」と投げやりにいった。
目前に町を出るのを阻むように、汚れた衣服の男たちが立っていた。手には鉄パイプやら大きな木材などの武器を所持していて、明らかにこちらを狙っている。
「ああ、ボクたちはこの町にはもう用がないのだけれど」
ノアの明るい声に男たちが威圧を振りまく。
「死にたくなければ身ぐるみ全部置いていって貰おうか」
「おお怖い。直ぐに脱ぐから待っていて」
そう即座に返事をして、なにを思ったかノアは洋服を脱ぎ始めた。
「おい、お前バカか!」
アーサーが仰天した様子で声をあげる。
「さあ、キミたちも脱いで。エドもウィーンも。殺されてしまう」
ジャケットを脱ぎ捨てるとするすると首元のリボンを解いて、ボタンを外し始める。
兄弟たちはそれを呆気にとられて見た。
縞々パンツを残し全て脱ぎ終えるとノアは地面に正座して「ボクはこれで殺さないでいてくれるかな?」と問いかけた。
「良いだろう」
男たちはさすがにパンツには執着しなかった。
アーサーはその様子を見て飽きれて吐息するとベストの大きなボタンを外し始めた。汚れるのも構わずに土の上に置き、ブラウスのカフスを外し、ボタンも外し、続いてズボンも脱いでいく。
それを見てウィーンもマネするように洋服を脱ぎ始めた。
「おい、お前も早くしろ」
戸惑いながらも急き立てられてエドも渋々と服を脱ぎ始めた。すごく緩慢な動きでそれに相手は苛々としている。
全て脱ぎ終えると男たちは目をぎらつかせて、怒鳴った。
「金貨はどこだ!」
「おお、金貨! ああ、金貨!」
裸のノアが天に腕を掲げて悲壮な顔で叫ぶ。
「申し訳ありません。金貨は置いてきてしまったのです」
「どこに!」
「あの宿屋に」
「おい!」
エドが逆上して叱責の声を張りあげた。
「宿屋だと」
疑るような視線を男たちが向けてきた。
「ああ、でもどうかあの宿屋は襲わないでください。あの子のように殺してしまってはダメです」
「そいつは無理だな。そんなこと聞いてしまった以上奪うしかない」
エドは悔しさを滲ませて地面に爪を立てた。どうしてノアはそんなことを、約束したのに。
「彼らを殺さないことをお約束頂く代わりにもっと価値ある宝物を差しあげます」
「宝物?」
「エド」
「え……」
「ブルーサファイヤを差しあげて」
エドは時が止まったかのように凍りついた。男たちにバレぬように握りしめていた右手の小さなブルーサファイヤ。身ぐるみを剥がされてもこれだけは持ち帰ろうとしていたのだ。
ノアの顔は笑っていない。これはいつものきつい冗談ではないのだろう。体の深部まで凍るような戸惑いに心臓がどくどくと音を立てる。
「おい、ガキ。ブルーサファイヤなんてもっているのか」
この指輪を渡してしまえば、母とは二度と会えない気がした。でも、これを差しださなければあの家族は皆、殺されてしまう。
男が手を差しだし、それに無意識に右手が伸びていく。拒絶したいのに拒絶できない。腕を伸ばし切るとせめて抵抗するように少しずつ一本一本開き、最後の人差し指を伸ばそうとしたとき、指が震え止まった。臍を噛む。
戸惑うエドにノアはくすぐるような声で問いかけた。
「渡さないのかい、エド?」
「だって」
エドは口ごもる。涙声になりながら言葉を絞りだした。
「……できねえよ、だってコレは」
頭中に母の優しき笑顔が浮かぶ。これはただの価値ある指輪ではないのだ。その歪み切った表情を見て、ノアが立ちあがった。口元にはまるでその振るまいを侮蔑するような、にやにや笑いが浮かんでいる。
「おいっ、許可してないぞ」
咎める男の言には添わず、ノアはパンツ姿であごに手を当てた。
「ああ、エド。とても大きな問題が起きてしまった。キミはブルーサファイヤを差しだせないというのかい。金貨は差しだせるのに指輪はダメ。これはいったいどういうことかと……」
「お前なに訳の分からねえこといってやがる」
「キミが差しださなければ、あの一家が殺されてしまうんだよ」
エドはギュッと唇を噛んだ。
「人の命はこの世界より重い、これはどこかのだれかの有名な言葉さ。でも指輪の価値よりは軽い、そうなのかい」
エドは目を見開いた。言葉が刃となって心を抉りとる。目から涙があふれそうになった。
自分は始めから宝を渡す覚悟など無かったのだ、そして自分が不用意に与えてしまった善意はそういうものだったのだ。
ぐっと悔しい思いに目をつむり、エドは震えながら指の力を緩める。愚かな自分には、術を持たぬ自分には、こんなことしかできないから……
覚悟して最後の指が開かれ、指輪が指から離れようとしたとき、アーサーが怒鳴り声をあげた。
「渡さなくていい!」
怒りそのままにノアを振り向いて「剣を出せ」と叫ぶ。ノアは吐息したあと、観念したように手元からだした剣を放り投げた。それをアーサーが掴むする。ノアもまた剣を手にしていた。
「てめえらやるつもりか!」
「片づけてやる」
間もなく勢いづいた男たちとノアとアーサーの決闘が始まった。
多勢に無勢で相手は鉄パイプや大きな木材を振りあげる。そして遠慮なく殴りかかってくる。それをノアもアーサーも身軽に回避しながら、ときに足払いをして転ばせ、剣を振り抜き、威嚇を繰り返しながら鮮やかに相手を追いつめた。
一人、また一人と打ち果ててだんだんと敵数は減り、立っている者は最後の一人となった。中心核と思われる大男だ。
彼が死に物狂いで振り被った鉄パイプをアーサーが蹴りあげて跳ね飛ばし、尻をついた男の喉元に光る切っ先を突きつけた。
「ひっ、頼む殺さないでくれ」
男は悲壮な表情で命乞いする。あまりに無様な命乞いにアーサーが剣を引いた。そこへノアの言葉が降る。
「まだ、勝負は終わっていない」
そういってノアは自らの剣をエドへと渡した。戸惑うエドにノアはいい放つ。
「さあ、殺してエド」
「えっ」
「キミがここで殺さなければ、彼らはボクたちがいなくなったあとに宿屋を襲うかもしれない」
「でも」
「おい、いいかげんにしろ!」
アーサーが割って入るがそれを遮りノアが残酷に叫ぶ。
「キミが助けたあの人たちが襲われてしまうかもしれない」
――彼らが襲われる。
その言葉にぞっとしてエドは手元の剣を握りしめた。恐れる心を奮い立たせ一歩をじりと踏み出す。
瞬間、あの光景がフラッシュバックした、あの兵士を刺した忌まわしい記憶が。
敵を刺した、この手で刺した記憶が。
おびえる意思に反して剣先が男へ伸びていく。男がおびえたように「すまない、悪かった」と悲壮な声で叫んだ。だが、その声すらももう遠い。
「いいよ、エドその調子だ」
ノアの声がどこか遠くで聞こえる。あの家族のため。彼らがこれからもこの町で生きていくため。
操られたように剣を振りおろそうとした刹那、エドは自分の家族を思いだした。
目の前でおびえるこの男にも大事な家族があって、大切な人がいて。守るべきものがいて。
そこで振りおろす腕が止まった。
迷い震えた剣先を振りおろすより早く、アーサーが男の腹を貫いていた。
 




