3 山登りのひととき
翌朝、ガリバルダ号は赤い地層が目立つ山岳地帯に降り立った。地上の全景が燃えるように赤く、晴れた青空には鷹が舞っている。彼らは優れた動体視力で地上の小動物を探しだし、鮮烈のスピードで狩るのだと本で学んだ。
それにしても、とウィーンは兄の姿をまじまじと見る。軽装のアーサーやウィーン、ノアに比べてエドはリュックいっぱいの大荷物だ。
「少し多くないか?」
「ノアが持ってこいっていったんだ」
アーサーが相変わらずの疑うような目でノアを見る。
「大丈夫だよ、間違ってない」
ノアは指をふりふりと振って上機嫌だ。
「この小高い山を越えた先にリアチュチュという国がある。そこに咲く植物をボクは収集したい」
「しようじゃなくて、願望なの?」
ウィーンが突っこむ。
「そう、願望さ」
笑顔で理不尽なことを突きつけることは相変わらず。彼の気まぐれに根拠はあるのか、ないのか。ノアのその気まぐれな願望を叶えるために自分たちは目前の広い山並みを越えていかなければならない。
「オレさ、あんまり体力ねえんだけど。皆待ってくれよ」
ぜえぜえと息を切らしながら、かろうじてエドは着いてきている様子だった。ウィーンは気にしてゆっくり歩いているけれど、ノアやアーサーに情はない。どんどんと置いていく。何度か待ってあげようと提案したけれど、忘れて直ぐに早くなる。焦ったウィーンは大声をあげた。
「休憩しよう!」
声が山並みに広く響いた。アーサーがうんざりしたように空を振り仰ぐ、ノアは「いいよ、そうしよう」と手を打った。
一行はエドを気遣って、緩やかな山腹で岩の上に座るとしばしの休憩をした。
「さあ、皆お茶とお菓子だよ」
ノアは手のひらをくるりと翻すと手品のように焼き菓子を取りだした。
「お茶は?」
エドが当然の疑問を投げかける。ノアは確かにお茶とお菓子といった。
「液体を手品で出すなんて無理さ」
拗ねたようにノアが唇を尖らせて、荷物の中から革の水筒を取りだし配った。
「これ食べても大丈夫なのか?」
アーサーは随分と警戒している様子だった。
「失礼だな、ボクの計らいだよ。嫌なら……」
「頂きまーす!」
焼き菓子をがっとつかむとエドは迷いなく口に放りこんだ。
「うんめええ」
その様子にウィーンは内心ほっとする。しばらく聞いていなかったエドのお得意のセリフだ。どうやらアーサーもそれを感じたらしく、少し穏やかな顔をしていた。
「キミは随分とダイエットをしていたからね。育ち盛りのダイエットは体に毒さ」
はっとしてエドは急に頬張るのを止めた。物憂げにしとしとと焼き菓子を噛んでいる。
「ノア、やめようよ」
「いいや、やめない。なぜなら食事は健康の基本だからね。ボクが毎日毎日、みんなに呼びかけてどれほど食事の時間を大切にしているかキミは分かってない」
ノアは言葉の数珠を繋ぎ続ける。
「キミになにがあったか知らないよ。知らないけど、知っている。でも、毎日一人で悩んでご飯を食べないぐらいだったら、それこそ食後のハーブティでも飲みながら、『実は人を刺してしまったのがショックなんだ』って語ってみたらどうだい?」
そこまでまくしたてるとノアはにやりと笑った。衝撃の告白にウィーンはエドを見る。エドは悔しげに顔を歪めていた。
「情けないって笑うなら笑えよ。仕方ないだろ。怖い物は怖いんだ」
「キミは正しいのさ。刺したこともそれに戸惑うことも。戦いにおいての同情は命取りになる。でも、その感情を忘れるのならば、ボクはキミを二度とあの船には乗せない」
そういってまくし立てるとノアは水筒の水をごきゅごきゅと飲んだ。
エドは苦虫をかみつぶしたような顔で焼き菓子を頬張っていた。
気まずいまま休憩を終えて、再び平坦な山道を進み始める。最後尾のエドはもう、待ってほしいとはいいださずご機嫌斜めで着いてきている。
「ノア、いい過ぎだよ」
囁くようなウィーンの言葉に反応したのはアーサーだった。
「いや、荒療治だけれどいいのかもしれない」
「アーサー兄さん」
「あいつ、レッドエデンで人を刺したことを悔いているんだ」
レッドエデンでなにがあったのか具体的なことはウィーンも知らない。でも人を刺したのだと聞いて様々なことが想像できる。
「エド兄さんってそんな風には見えないよ」
「あいつは普段、いい加減で粗暴に見える。でも本当は人一倍気が優しいのさ」
そんな風に感じたことはなかったけれど、もしかすると長子であるアーサーは自分たちのこともよく見ているのかもしれない。
「嫌な思い出はリアチュチュに置いていく。旅の仲間。安心したまえ、もう町は見えている」
ノアが大空を迎え入れるように両手を広げた。瞬間ばっと風が吹いて、赤土の放つ鉄の匂いが空へと舞いあがる。隣にようやく到着したウィーンは眼下に広がる谷底を見おろし爽快な気持ちになった。赤茶けた断崖に周囲を覆われた町リアチュチュ、今回の目的地だ。




