8 決闘と約束
「ノア、今すぐ航路をセシルブリュネに向けろ」
剣を右へ左へ鮮やかに振るいながらアーサーは声を猛らせた。それをノアは体を柔らかく反らしながら、すれすれのところでかわしていく。
「アーサー、それは一度忘れて朝ご飯を食べようじゃないか」
「ふざけているのか」
怒りをいなそうとする会話に苛立ちが爆発する。ぎりぎり避けているのか、わざとそうしているのか。余裕の笑顔を見る限り後者ではないかと思われる。
渾身の力をこめてアーサーは宝剣を突いた。筋がいいと騎士長にも褒められたキメの一撃だ。
それをノアは帽子を押さえながらしゃがんみ寸でのところでかわした。
「神さまはキミたちを連れ帰れといったんだ」
アーサーは戯言を続けるノアの顎を蹴りあげた。流儀などない、怒りの一撃だった。
ぐがっと声をもらし、ノアの顔面が跳ねあがる。後ろによろめいた彼へ向けてとどめの一撃を振りおろした。
だんっと帆柱に突き刺さる音がして、宝剣がノアの青い帽子を貫いた。ノアは体を滑らせて肝を冷やしたが、なんとか自慢の顔面は無事だった。
「勝負は決した。お前の負けだ」
その言葉を聞いてノアはくつくつと笑う。
「騎士道でも貫いているつもりかい」
その言葉にアーサーは不快な表情を浮かべる。騎士の精神をバカにしているのだ。
剣を手離したアーサーを見あげながら嘲笑うかのように話を続ける。
「キミにはボクを殺してまでセシルブリュネに帰る覚悟がない」
ノアは立ちあがると深く突き立った宝剣を力任せに引き抜いて、アーサーに投げて返すと帽子をぱんぱんと掃った。
「覚悟があるならば刺してはどうだい?」
「お前を殺すと船が飛ばなくなる」
ノアは本当にそうかいとにやにやと笑う。
「よし、ではこうしよう。キミとボクが騎士道の精神に乗っ取ってこれから勝負をする。ボクが負けたらセシルブリュネへと船を向けよう。キミたちのことも勿論諦める」
そういって手をくるりと翻すと、アーサーの持っている物とほとんど同じ形の剣を手品のように懐から取り出した。
「その代わり」
帽子をすっと深く被りながら口元に笑みを湛えてにやりと微笑んだ。
「ボクが勝ったらキミたちは諦めてブルーローザへいく。ああそう。勿論、そこで神さまに何を願おうとキミたちの自由さ」
「いいだろう」
アーサーは覚悟を決めた表情で宝剣を深く握り直した。
邪魔をする者のない一回きりの勝負、その様子を後方でエドとウィーンは見守った。
「さあ、おいで」
挑戦的にノアが微笑む。アーサーは足をだんっと踏みこんでノアへと迫った。
ふざけてばかりいるノアだけれど、剣の腕は見紛うほどの物があった。
先ほどと明らかに違う動き。アーサー自身もやみくもに振っているつもりはない、ちゃんと勝負を決めるつもりで振るっているのだ。それでも一筋もかすることなく、流れるようにかわしている。鮮やかにバック転したかと思うと鮮やかに飛んで避けて、迫る細い切っ先を剣先で器用に弾く。
剣を交えながら相手の実力を量る術を、騎士長から学んでいた。そして、その感覚が間違っていないのなら、
――相手は自分より遥かに強い。
騎士のアーサーと違い不作法とも思える動き、相変わらずのにやにや笑いだけれど、所作は先刻と雲泥の差がある。
そして饒舌だったノアもこの場に置いてバカにするような態度は一切しなかった。
それが余計に腹立たしいのだ。
幾度目ともなる、剣先を交えたときノアは静かに語り始めた。
「神さまはこの世界を創られたとき、二つのことを願いました」
離れているエドやウィーンにもその内容が聞こえるように声を張りあげながら。
「豊かであること、優しいこと。虐げられる者のない心穏やかな世界を願って」
「アーサー兄さん頑張って!」
「やっている!」
ウィーンの言葉に苛立たしげに返事を返す。
「現実は虚しい。世界は醜く、冷たく、悲しい場所です。ああ、どうして世界はこんなにも罪深いのでしょう」
「右だ、兄さん!」
エドも声をあげた。
「うるさい」
余裕のない怒鳴り声をほとばしらせた。
「美しく繁栄した世界を壊したのは人間たちなのです。知恵を覚えた人間たちなのです。戦争、憎悪、殺人、この世のありとあらゆる醜い感情を神さまは嘆きました」
「うるさい、黙れ」
「頑張れ兄さん!」
声援には涙も混じり始めた。懸命に、一生懸命に、国を思って。セシルブリュネを思って。心の全ての憎しみを吐きだすようにアーサーは剣を無我夢中で振るった。もう、教えてもらった型さえも原形を成さないほどの剣技と到底いえぬ無様な舞いだ。
アーサーの思いをこめた最後の突きを剣ごと宙に弾きあげるとノアは喉元にとどめの細剣を突きつけた。そして言葉の刃を振りおろす。
「世界はキミたちが思うほどに美しくない」
断罪するような切り捨てるような非情の言葉の刃がアーサーの心を切り裂く。
「それでもオレは、オレたちは世界が美しいと知っているんだ」
堪え切れぬ涙とともに世界がこぼれた。自分はこんなにも弱い。大切な物さえも守れないのだ。
兄の涙を見て、ウィーンとエドもそばへと駆け寄ると抱きしめ合って一緒に泣いた。
泣き暮れる三兄弟を眺め、ノアは細身の剣を持ったままくるりと向き直ると船の舳先へと登った。空中へと張り出した先端に向けてゆっくりと歩いていく。あまりの奇行ぶりに三人の涙がぴたと止まった。彼はバランスを少し崩すだけで、遥か彼方の地上へと真っ逆さまだ。
ノアは舳先で空を見あげる。とても愛おしそうに見あげているのは――
くるりと振り返るとさっと大きく両手を広げ鮮やかに笑った。その笑みは何よりも神聖な決意のような気がしてウィーンは息をのんだ。
自分たちの決意、ノアの決意。
強い風が吹き、彼の黄金の髪と洋服をはためかせた。月のようにいたずらに湾曲した口から滑り出た言葉はきっと忘れられない言葉になる。
「ボクはキミたちをブルーローザへと連れていく」




