4 ノアの魔法
部屋に戻り夕食の時刻まで、ずっとうさぎの冒険を握りしめていた。暮れていく夕空を見ながら、自身たちがとても虚しい旅に出ているような感覚に襲われて、涙が滴り落ちる。
見おろしてもセシルブリュネの国はもう見えない。この船は今、一体どこを飛んでいるのだろう。
「腹減った」
エドがぐううっと腹を鳴らした。ウィーンも悲しいけれどお腹は減っていた。アーサーはその様子を見て起きあがると「いくぞ」といった。
蛇のように長い廊下をずっと突き進んで、甲板へと出ずにその向こうの食堂を目指す。小さなウィーンの足取りを兄たちは気遣わない、城ではもう少し優しかった気がする。
食堂に辿り着いた三人は口をぽっかり開けた。
薄暗い部屋に全てのロウソクの明かりが灯り、ムードある空間に数多の影が揺らいでいた。そこにいたのはたくさんの見たことがない大小様々な生き物たち。とても小さくてか細い妖精のような生き物から大きな体のとても強そうな剛腕の生き物までいる。
そのたくさんの生き物の中心でテーブル席に着いたノアは両手を広げて微笑んだ。
「王子の皆さん、紹介するよ。みんな、ボクの大事な友人たちさ」
「これが友人……」
ウィーンはまじまじと見つめた。色とりどりのパステルの柔らかそうな体毛が生えて、荒々しい巨大な翼が生えていて、まるでトンボのような透明の羽がハタハタと動いて。本で知った地上の生き物とはずいぶん違う。
そう、これはみんな絵本の中の生き物だ。
「まるで妖精じゃない」
「みーんな幻獣さ。一人は寂しいからブルーローザから連れてきたんだ」
「幻獣って?」
ウィーン問いかけにノアはけたけたと笑う。
「幻獣は幻獣だよ。知らない?」
エドが分かりませんといった様子でアーサーとウィーンに向けてジェスチャーをした。
「さあ、みんな席につくんだ。シェフが料理を運んでくるから大人しく待つんだよ」
「えっ、シェフ?」
ウィーンは思わず声をあげる。てっきりこの船に人間はノア一人きりだと思っていた。思案していると、体が大きく巨大な翼の生えた三本足の生き物がカートをついてやってきた。例にもれず淡い薄緑のハリのある綺麗な羽毛に覆われて、ただ爪や翼、顔、見た目はワシに似ているものの問題はその大きさだ。人間の大人より遥かにでかい。
ワシじゃないよねとそっと考える。ううん、そもそもワシは三本足で歩いたりしない。
「親友のグリフォンだよ。さあ、グリフォン。王子の皆さんにごあいさつして」
グリフォンは凛として大きな体を反らしながら天上に向かってきゅぉおおおと鳴いた。鼓膜が破けてしまいそうな大声に三人とも耳をふさぐ。
グリフォンはひと鳴きすると爪先で器用に各テーブルに一つずつ大皿を配り始めた。テーブルを彩るのはこんがりと焼けた美味しそうな肉、緑鮮やかな旬の野菜、捌かれたばかりであろう輝く魚。
ものすごく美味しそうだけれど、まるで無国籍料理だ。
「グリフォンが作ったのか」
シェフといっていたからウィーンもそうだと思ったのだ。アーサーの当然する疑問にノアが答える。
「グリフォンが料理できるはず無いじゃないか」
アーサーが呆れた顔をしている。アーサーが怪訝な顔をする。相変わらずノアのいうことは良く分からない。
「ありがとう、グリフォン。席について。ボクの隣だよ」
皆が静まり返ったのを確認して、ノアは手を組むと静かに祈り始めた。
「ボクたちの命はいつも犠牲になってくれる生き物たちによって支えられている。それを忘れてはならない。全ての命に感謝を」
「全ての命に感謝を」
「ヒポポータマス」
「えっ、ヒポポータマスってなに?」
エドが祈りを中断するように問いかける。
「ヒポポータマスはヒポポータマスだよ。意味なんかない。ほら、いって」
腑に落ちぬ表情でエドは「ヒポポータマス」と口ずさむ。
皆でお祈りを終えると食事を始めた。
まるで食べたことのない味。材料は良く分からない肉だけどとても美味しくて、城の料理の水準に負けず劣らずだ。
「うんめええ」
エドはがつがつと食べている。アーサーは品よく。なのでウィーンはアーサーをまねした。
「気に入ってくれてとても嬉しいよ。たくさん食べるんだよ。お腹がすくと悲しくなるから」
その言葉を聞いて、ウィーンは手を止める。こうして楽しく食事している間も世界の終わりは近づいているのだ。途端に食事がのどを通らなくなる。両親たちもどれほど心配していることだろう。
フォークを握りしめたまま皿に置いて、アーサーはきつい視線をノアへと向けた。
「ノア、オレたちにはお前を殺して船をセシルブリュネへと向けるという手がある」
ノアは驚いたように魚を食べる手を止めた。
「それは無理だよ、アーサー」
アーサーが首を傾げた。
「ボクがいなきゃ、この船は飛ばないんだ」
ウィーンはノアが動力室でしていたことを思いだしてはっとした。
「この船はノアの魔法によって飛んでいるんだ」
「賢いねウィーン」
ノアは破顔して嬉しそうにする。
「魔法? そんなものあるわけないだろう」
「ならどうしてこの船は飛んでいるのかな」
三人は答えられなくて、食事の手を止める。
「科学って知っているかい」
「科学?」
「人間が考えた人間のための学問さ。この世の全ての事象を学問によって理由づけようとする」
「それくらい知っている」
憮然とするアーサーへさらにノアは難しい会話を続ける。
「科学は万能だと思うかい」
「そう習った」
「じゃあこの船がどうして飛んでいるか科学で説明できるかい」
「それは……」
ノアは汚れたナイフを振りながら、にやにやと笑い自身の見解と理論を述べる。
「想像の翼をはばたかせて考えてごらんよ。この世界には自分の知らないことが溢れていて、時にはそれが全ての不思議を解決することもある。科学じゃ説明できない論理を解決する極めて有効な手段があるってことさ」
「科学じゃ説明できない論理?」
「そう、それを解決するのが。魔法さ」
そういってノアは食事を続けた。論破されたようなされないような、すっきりとしない面持ちでアーサーは食事に戻る。エドもそのまま黙々と食べ進めた。
ウィーンは皿を見つめ、思考すると再びナイフとフォークを手にした。




