とある催眠術師の一生 2
「──3、2、1、オープンっ!」
「うおぉっ! 開いたっ! 本当に開いたぜおいっ! さっきまでびくともしなかったのにだぜ!?」
「マジもんだ〜! 疑ってすみませんっ!」
「ふふ、いえいえ……ありがとうございました」
イベント当日。
営業スマイルを浮かべ客に手を振るユリ。
このイベントは各組が順番にユリと対面し、催眠術をかけてもらうというものだ。
そして、次で最後の客となる。
「……こんにちは」
「はい、こんにちは。今日はどんな催眠術を体験したいですか?」
「……テレビでやってた手が開かなくなるやつで」
「わかりました。それでは、手を握って、私の目を見てください」
随分と暗い印象の女性だとユリは思った。
ちゃんと目を合わせられるだろうか、なんて心配もしたが、流石にそれは杞憂で、女性はユリの目を見る。
「では、いきます。3、2、1、クローズ!」
「……っ! うわ、す、すご……!」
「解除されたくなったら言ってくださいね〜」
「……あ、もう大丈夫です。解除してください」
「はい、それでは、もう一度私の目を見て……3、2、1、オープン!」
カチリ、とそんな音がユリの脳内に響く。
催眠を解除したときに音が聞こえるようにいつの間にかなっていたのだ。
「……すごいですね」
「ふふ、ありがとうございます」
「……催眠術でチヒロくんのことを落としたんですか?」
「……え?」
「……なんでもないです。ありがとうございました」
「……ありがとうございました」
突然出てきた恋人の名前に驚きながらも、手を振るユリ。
一抹の不安が過ったが、この後は愛しの千聖に会えるという高揚感からソレはすぐに消え去って。
スタッフ達に挨拶すると、ユリは足早で東京駅へと向かった。
「──夜景、綺麗だね」
「ええ、本当に」
高層ビルの屋内に存在するレストランで二人は食事を楽しんでいた。
「……美味しかったね。ステーキの焼き加減も最高で」
「ええ、どの料理も私好みだったわ!」
「……それじゃ、そろそろデザートをお願いしようか」
千聖が手を挙げると、照明が消える。
「……え?」
驚く優里の前に線香花火のような火花が近づいてくる。
そして、照明が点くと、小さな箱を開けて目の前に立っていた千聖が彼女の視界に映って。
「……ユリ、愛しています。結婚してください」
「……え? これって、プロ、ポーズ?」
状況をうまく飲み込めていない優里が周囲を見回す。
すると、周囲の席に座っていた者たち全員が席を立って拍手をする。
「そう、プロポーズだよ。返事を聞かせてもらっても……いいかな?」
「……もちろん! よろしくお願いします!」
二人を祝福するように火花もパチパチと音を立てていた。
「──別れる? 今、別れるって言ったの?」
そんな幸せの絶頂から半年。
優里は千聖から別れを切り出されていた。
「……ごめん」
「私のことよりあんな記事を信じるって言うの!?」
二人の結婚報告からしばらくして。
とある記事が話題となった。
見出しはこうだ。『ヒーロー、催眠に堕つ』。
その内容は、優里が催眠術をかけて無理矢理千聖の心を奪ったと言う根も葉もない噂話と同様のものだった。
「……僕だって最初は信じていなかったさ! けれど、キミの催眠術は本物だ! それに、連日同じことを聞かれて……もう、疲れた!」
「……」
千聖は今、民衆やマスコミによる催眠をかけられた状態なのだと優里は分析する。
そうであるならば、その催眠を解く、或いは和らげるために。
「千聖、私の目を見て?」
「……ごめん、見れない。今はもう、キミのことを信じられない」
しかし、優里の言葉は受け入れられず、千聖は彼女の元を去っていった。
それからの優里の人生は地獄だった。
テレビ関係の仕事は無くなり、個人的な依頼も無くなった。
外を出れば指を刺される日々。
なにより、愛しい人を失ってしまった喪失感に狂いそうになっていた。
「……電話だ。サプラさんから」
「ハイ、ユリ。元気……ではないわよね」
「……サプラさん。私、何のために催眠術、やってたんだろう。何のために、私は。私は! 愛しい人の信用を損ねるためにやっていたわけじゃなかったのにっ!」
「悔しい気持ちはわかるわ。でも、落ち着いて。失ったものはもう戻ってこない」
「……っ!」
「ユリ、アナタの催眠術は本物。だからこそ、根も葉もない噂に信憑性を帯びさせてしまった。本当に悔しいことだけど」
「……私、もう生きていたくない」
「そんなこと言わないで、アタシの愛しい友達。アンタはきっとやり直せるわ……アメリカでなら」
「……やり直す」
「アンタは28歳。まだまだ若いわ。やり直せる! 不幸からも這い上がれるのよ!」
「……」
「アンタを不幸にしたのが催眠術なら、幸せにしたのも催眠術! この力は悪いだけのものじゃない! 次はアタシが傍にいる。不幸になんかさせないわ!」
「……わかりました。私、わたし、アメリカに、行きます」
「……」
別にまた幸せになれるなんて思っていなかった。
それでも、ただ、死にたくないから。
それだけの理由で、ユリは海外へと飛び立った。
しかし、その際に乗った飛行機が着陸寸前に事故を起こすとは、夢にも思っていなかった。