眠る社畜は夢を見る
面白くなぁれ……面白くなぁれ……
すこしむかし、あるところに見目麗しい下級貴族のご令嬢と今をときめく大貴族の旦那様がおりました。
下級貴族のご令嬢はいい嫁ぎ先を見付けるために王宮に働きに。
今をときめく大貴族の旦那様は派閥の維持管理と拡大のために王宮に顔を出していました。
そんなある日、たまたま王宮の廊下を歩いていた旦那様は美しいご令嬢を発見しました。
旦那様には妻がいるのですがなんのその。一目でご令嬢を気に入った旦那様はご令嬢に声を掛け、下級貴族家が上級貴族家に逆らえないことをいいことに金銭面での援助をすることを約束してご令嬢を自分のタウンハウスへとお持ち帰りしてしまいました。
断れない立場ではあるのですが、内心ノリノリなご令嬢はそれから数年間旦那様の王都での現地妻のように扱われ贅沢な暮らしを満喫していましたが、子供を身篭ると同時に実家へと帰されてしまいました。
なんでも家督の相続問題に発展する可能性があるので認知もしないそうです。
その代わりに援助金は多めに支払うと……旦那様はお金さえ払えば何をしてもいいと思っているようです。
それから何年もの間旦那様は約束通りご令嬢の実家に対して毎月少なくない額の援助を続けていましたが、家族は子供を連れて帰ってきた娘と、生まれたばかりの孫に対してとても冷たい態度を取り始めました。
旦那様からの援助に頼って政治活動をしたり、新たな商売に手を出したりしているのに酷い話です。
そんな生活でストレスが溜まってしまったのか、ご令嬢も家族に合わせて自分の子供に対して辛く当たり始めます。
そうこうしているうちに家族はご令嬢を受け入れ、子供だけを悪者にして家族仲はとても良くなりました。
子供はとても賢く、自分が我慢していれば母親が笑顔でいられることに気が付きます。
なので泣かず、喚かず、わがままを言わず……とてもいい子であり続けました。
しかし子供がとても従順なことに増長した家族は次々と子供に仕事を押し付けます。
子供は朝誰よりも早くに起きて仕事をし、起きてきた家族たちに小姑のようにネチネチと嫌味を言われ……そのうち日常的に暴力を受けるようになっていきました。
いくら殴られ、蹴られ、棒で打ち据えられても翌日にはケロッとした顔をして働く子供のことを家族は不気味に思いましたが、いつしかいくら殴っても子供は死なないということに気が付き、少しでもむしゃくしゃしたら子供を痛めつけてストレスを発散するという習慣が出来上がりました。
それでも子供は決して反抗せず、そんな地獄のような状況を甘んじて受け入れていました。
子供にとってはこれは当たり前のことであり、他の生き方なんて何も知らなかったのです。
そして時は流れてその子供が10歳の誕生日を迎えたその日、子供に転機が訪れました。
この国では10歳を迎えた子供は教会で《天恵の儀》を受ける義務があるのです。
その《天恵の儀》では《活力》を司る太陽の女神様へと祈りを捧げ、女神様からその人に合ったスキルを与えられます。その時に魔力量と属性を教えて貰えるのですが、その子供には大魔道士にも匹敵する魔力があったのです。
それには家族も大騒ぎ。
末は賢者か宮廷魔道士か……今までの扱いを全て棚に上げてその子供に期待をかけますが、属性は無しでさらに与えられたスキルは【引きこもり】でした。
家に引きこもることがスキルだなんて誰も聞いたことがありません。場はざわつきました。
子供を利用して宮廷内での立場や役職、更には家格をも上げられるかもしれないと勝手に期待していたご当主様でしたが、あまりの意味不明さに勝手に落胆して激昂。その場で子供を殴り飛ばしました。
「この役立たずのゴミムシが!」
「あんたなんか産むんじゃなかった!」
一緒に来ていた子供の母も後に続きます。
それからしばらくの間、子供は祖父と母から罵詈雑言と暴力を受け!立ち上がる力も失ってしまいました。
「この恥晒しが! お前の顔など見たくもない!」
「そうよそうよ! 【引きこもり】なんて意味のわからないスキルを授かる恥ずかしい! あんた本当に《あの御方》の血を引いているの!? 信じられない!」
祖父と母は遠巻きにヒソヒソされて現在進行形で恥を晒しているのですが、どうやら本人たちは気付いていないようです。
そもそもどんなスキルかもわからないのに恥ずかしいとはどういう了見でしょうか?
いえ、この世界にも《引きこもり》の概念は存在しています。
しかしこの世界の引きこもりの末路は病死という名の暗殺エンドがほとんどです。
なのでこのスキルで何ができるのかなんて知りたくも無いのでしょう。
「あのぅ……」
そこでようやく止めに来た教会関係者を見て、祖父と母は愛想笑いを浮かべて子供を引き摺って外へと出ました。
「こんなクズ、我が家には必要無い! このままスラム街に捨ててくれる!」
「そうよそうよ! こいつが居なくなれば私だって上位貴族と再婚できるんだから!」
外に出ても悪態は続きます。
(((絶対に無理!)))
周囲の人たちの心がひとつになった瞬間でした。
しかし罵声を浴びせられている子供は例外です。
なぜなら子供は既に暴言に慣れすぎていて今更何を言われたところで何かを思うことはないのです。
「連れて行け」
祖父は教会の外で待たせていた従者に指示を出し、子供をスラム街へと捨てに行かせました。
従者はピクリとも動かない子供のことを気持ち悪いと思いつつも命令通りに子供をスラム街へと捨てました。
「オラッ! さっさとくたばりやがれ……でも俺のことは恨むんじゃねーぞ」
乱暴に投げ捨てられた子供はしばらくの間力無く倒れていましたが、ある時むくりと起き上がりました。
近くに座っていたスラムの住人が小さく悲鳴をあげましたが、子供は気にしません。
立ち上がった子供はふらふらと歩き始めました。
どうやら女神様を探しているようです。
これまでに子供が家族から与えられていたのは暴力と暴言、そして仕事だけでした。
何かを《与えてもらった》経験が無かったのです。
しかし今日、教会で女神様の像の前に立った時、生まれて初めて子供は《あたたかいもの》を貰いました。
それは《スキル》です。
結果として、そのスキルのせいで暴力と暴言を受け捨てられることになってしまいましたが、子供は生まれて初めて《自分だけのなにか》を手にいることができて嬉しかったのです。
だから子供は女神様にお礼が言いたかったのです。
子供は歩きます。
右も左もわからないスラム街を彷徨い、唯一優しくしてくれた女神様を探します。
子供は歩き続けます。
途中見つけた水溜まりで乾いた喉を潤し、歩き続けます。
真上にあった太陽が西の空に沈み、お空に真ん丸なお月様が浮かんだ頃、子供の足は止まりました。
子供は見つけました。
それは今にも崩れてしまいそうな古い古い教会です。
子供は見つけました。
壊れた扉の向こうに、今にも朽ち果ててしまいそうな女神様の像がありました。
真ん丸なお月様から降り注ぐ優しい光に照らされて、女神様の像が輝いているように見えました。
子供は再び歩きます。
吸い寄せられるように女神様の像へと向かって歩きます。
ついに子供は女神様の像の前に辿り着きました。
「ありがとう」
子供は小さく呟きます。
子供は少しの間、女神様の像を見上げた後、女神様の像の足元で小さく丸くなりました。
まだ8歳でありながら自分の行く末を察した子供は全てを受けいれ、崩壊した教会の朽ち果てた女神像の足元でそっと目を閉じました。
お空には真ん丸なお月様が浮かんでいます。
今日は満月。《安寧》を司る月の女神様の力が一番高まる日のことでした。
◇◆
ちょっとむかし、あるところにスーパーブラック運送会社に勤めるウルトラ社畜マンがおりました。
このウルトラ社畜マンは「気弱で頼まれたら断れないNOと言えない日本人タイプ」の量産型社畜ではなく「我が強くて負けず嫌いの意地っ張り」タイプの社畜でした。
つまり「無理なの? 出来ないの?」と少し煽られると「やってやんよクソ野郎!」と売り言葉に買い言葉で仕事を受ける割と自業自得な社畜なのです。
そんなど根性系社畜でしたが「九州から東北翌着で。終わったらまた東北で積んで翌着九州」という仕事を連続で当てられて寝る時間が全く取れなくなった社畜は流石に限界を感じて退職することを決意しました。
この時ばかりは「無理なの?」と煽られても「むりむりかたつむり」と自分の負けを認めて退職したい旨を電話で伝え、その後「聞いていないからそれ無効」と言われないようにメールでも退職の意志をしっかりと伝えました。
それからしばらくしてようやく帰社の日となり、社畜は用意していた退職届を手裏剣のように折って支社長へと投げ付けました。
「あとは有給で! じゃあね!」
社畜は言うだけ言って支社長が何かを言う前に脱兎のごとく事務所を飛び出しました。
既に退職の意志を伝えてから既に3週間が過ぎているため民法第627条第1項的にも問題は無いのですが、たまりにたまった有給だけは消化したかったのでその旨を退職届にちゃんと記載しておきました。
ちゃんとコピーはとってあるので、約束を違えた場合は労働基準監督署を巻き込んで法廷で戦う覚悟です。
その時はその時ということで、支社長に退職届を投げ付けた社畜はとても清々しい気持ちで自宅に向かっている途中、勝利の一服がしたくなりました。
社畜は近くのコンビニに寄って缶コーヒーを購入してコンビニ前に置かれている灰皿の前に立ってタバコに火を付けました。
「金使う時間も無かったから貯金も結構あるし……半年くらいは引きこもろうかな?」
馬車馬の如く、それこそ奴隷の方がまともな生活なんじゃないのかなと言う生活をしていた社畜はしばらくのんびりしようと考えます。
社畜は親兄弟とは没交渉、数年前に婚約していた女性に裏切られてからは恋人もいません。
今回のヒキニート生活を機に新しく恋人を作るのもいいかなとニヤつきながらタバコを吸っていましたが、とんでもない悲劇が社畜を襲いました。
社畜はニヤけた顔をあまり人に見られないようにと壁を向いてタバコを吸っていたのですが、その背後からアクセルとブレーキを踏み間違えた車が凄まじい勢いで迫りました。
社畜の周りには誰も居ません。
なので誰からも助けられることも無く、社畜はパーキングブロックを乗り越えた車に潰されてしまったのです。
そう。社畜は社畜から解放されたその日に事故で死んでしまったのです。
迷える社畜の魂はなんやかんやあっていつしか世界の壁を通り抜け、とある生まれたばかりの赤ん坊の中へと入りました。
しかし赤ん坊には赤ん坊の魂が宿っています。
赤ん坊の魂に同化した社畜の魂は赤ん坊の魂の奥深くで深い眠りにつきました。
眠る社畜は夢を見ます。
生まれたばかりの赤ん坊が美しい母からお乳を飲ませてもらう夢でした。
いきなり夢に美女の授乳シーンが出てきたので社畜は思わず目覚めそうになりますが、今はまだ目覚める時ではありません。
眠る社畜は夢を見ます。
社畜が次に見た夢は、3歳くらいの子供が喚く女性に叩かれている夢でした。
叩いていた女性は赤ん坊にお乳を与えていた母親で、叩かれているのはあの時の赤ん坊です。
社畜は口は悪く、負けず嫌いで意地っ張りで性格も若干ねじ曲がっていますが、無類の子供好きでした。
どれくらい好きかと言うと、休みの日に公園のベンチに座って楽しそうに遊ぶ子供たちを眺めてほっこりして危うく通報されかけるほどの子供好きなのです。
社畜は決してロリータ・コンプレックスではありません。当然6歳から12歳が好きなアリス・コンプレックスでも5歳以下が好きなハイジ・コンプレックスでもありません。
もちろんペドフィリアなんてもってのほかです。
社畜はただ、子供が好きなだけなのです。
例え公園に不審者が乱入してきたとしたら社畜はその命をかけて子供たちを守る覚悟がありました。
話がちょっとズレてしまいましたが、そんな社畜が叩かれて泣いている子供を見て黙っていられるわけがありません。
荒れ狂う母親を宥めるために思わず目覚めそうになりますが、今はまだ目覚める時ではありません。
眠る社畜は夢を見ます。
社畜が次に見た夢は、さらに成長した子供が酷い虐待を受けている夢でした。
この頃になると子供も社畜も言葉を覚えていましたので、家族から放たれる罵詈雑言の全てが社畜にも理解することが出来ました。
仕事を押し付けられ、激しい暴力に晒されて、罵詈雑言を浴びる子供を見て社畜は目の前が真っ赤に染まりました。
今すぐ飛び出していって子供を虐待している家族にかなり強めで鼓膜を破る勢いの常識注入ビンタをカマして正座させて説教をしようとした社畜でしたが、今はまだ目覚める時ではありません。
眠る社畜は夢を見ます。
それから社畜はずっと子供を見守りました。
誰からも名前すら呼ばれず、愛情を注がれず……度重なる暴力や暴言を受け、仕事を押し付けられても泣かず、喚かず、わがままを言わず淡々と働いている子供を見て、社畜は夢の中で泣いて喚いて呪詛を吐き出すます。
なんなら今すぐこの身を悪霊と化して子供の家族全員を呪い殺す勢いで社畜は目覚めそうになりますが、今はまだ目覚める時ではありません。
眠る社畜は夢を見ます。
それからも子供に対する扱いはどんどん酷いものとなり、いつしか普通の子供なら死んでいるようなダメージを受けても翌日には子供はケロッと回復していることに家族は気が付きました。
最初は不気味に思ったのか暴力は控えるようになっていましたが、「死なないならもっと殴ってもいいんじゃね?」と人として絶対に辿り着いてはいけない結論に行き着いた家族は少しでも腹が立つようなことがあれば子供を殴ってスッキリするという外道も真っ青な生活を送り始めました。
これには社畜も大激怒。
今まで子供にした仕打ちを全て本人たちにやり返そうと暴れましたが、社畜は未だ夢の中。いくら暴れてもなんの意味もありません。
社畜は数週間に渡り暴れ続け、目覚めた時に命に関わる一撃を繰り出すために呪詛を吐きながら筋トレを開始しました。
今はまだ目覚める時ではありません。
眠る社畜は夢を見ます。
それから数年、ついに音すらも置き去りにする一撃を身に付けた社畜は今か今かと目覚めの時を待っています。
心は熱く、頭は冷静に……既に明鏡止水の境地に達している社畜の拳は一拳一殺。
既に子供の家族を人間ではなく魔物だと認識している社畜の辞書に手加減の文字はあ
ません。
全ての怒りを力に変えて、社畜は目覚める瞬間を待っています。
眠る社畜は夢を見ます。
夢で見た子供が受けた痛み、苦しみ、絶望……それら全てを受け入れて一周まわって穏やかな心と激しい怒りが同居したことによってウルトラ社畜マンIIへと至りスパーキングな社畜に転機が訪れます。
今日は子供が《天恵の儀》を受けるその日。
天恵の儀を受ければ《スキル》と呼ばれる不思議な力を得ることが出来るということを社畜は知っています。
なので社畜は子供が《召喚系》のスキルを得て社畜を召喚出来るようになることを祈ります。
社畜は全ての悪意から子供を守るつもりでいます。
その為ならば社畜の拳を血に染める覚悟は出来ています。
社畜は今、目覚めの時を確信しました。
眠る社畜は夢を見ます。
ついに天恵の儀の本番、子供の順番となり名前が呼ばれました。
子供の名前は《トール・パルパラ》と言うそうです。社畜は初めて名前を知りました。
名前を呼ばれた子供……トールは前に出ました。
女神様の象の前まで移動して、跪いて両手を胸の前で組み、祈りを捧げます。
しばらく祈りを捧げていると、天恵の儀を取り仕切っている胡散臭い神父が口を開きました。
「魔力量は特級ですね」
教会内がざわつきます。
魔力量というのは下から順に下級、中級、上級、特級に振り分けられます。
この国に住むほとんどの人は下級で、何が出来るかと言うと属性にもよりますが火属性てまあれば小さな火種を生み出したり、水属性ならば1日コップ半分くらいの水を生み出せたりするくらいです。
社畜が知っているような攻撃魔法なんかは中級より上の人しか使えませんし、現在国で確認されている特級魔力保持者は片手で数えられる程度しか存在していません。
この結果を受けて一番喜色を浮かべているのはトールの祖父であるご当主様でした。
取らぬ狸の皮算用と言うのでしょうか、ご当主様は今までのトールの扱いを無かったことにしてどうやって利用して王宮内での立場や発言権を得るか考え始めました。
「属性は……無し?」
瞬間、教会内の空気が固まりました。
属性が無いということは魔法が使えないということです。
つまりトールは三輪車に航空機のエンジンを積んだみたいなそんな感じです。
「ぐっ……いや、まただ! スキルさえいいものであれば……」
ご当主様はトールに属性が無いことに歯噛みしますが、まだスキルに希望を抱いているようです。
ちなみに社畜は別に属性なんてのはどうでも良く、トールが召喚系のスキルを得ることを願っています。
魔法が使えなくても物理で殴れば問題無いのですから。
「スキルは【引きこもり】……スキルとしては聞いたことがありませんね」
神父の言葉に再び教会内がざわつきますが、それも当然のお話です。
そのほとんどが病死することになるので数こそ少ないのですが、この世界にもニートや引きこもりは存在しているからです。
そんな穀潰しである引きこもりがスキルとして発現したのですから騒ぎになるのは当然ですね。
「ひきこもり……」
ご当主様は唖然としています。同時に夢の中の社畜も膝を着きました。
これでは社畜は現世に顕現することが出来ません。
「この……役立たずがぁぁあああ!!」
唖然としていたご当主様でしたが意識が現実に戻ってきたようで、女神様の像の前で跪いているトールの髪を掴んで立ち上がらせ、殴り飛ばしました。
「貴様の……貴様が……! これまで育ててやった恩を仇で返しおって!」
「そうよそうよ! 【引きこもり】なんて恥ずかしい! アンタなんて産むんじゃなかった!」
ご当主様と母親は言いたい放題やりたい放題ですが、周囲の人たちはドン引きです。
「あのぅ……」
目の前で繰り広げられる暴行事件に口を開けて固まっていた神父さんがようやく再起動して間に入ります。
「失礼した」
「おほほはほ!」
ご当主様と母親は愛想笑いを浮かべ、ぐったりして動かなくなったトールを掴んで教会を後にしました。
「捨てて来い」
教会を出たご当主様は従者にトールをスラムに捨ててくることを命じ、母親と2人で帰宅しました。
「うへぇ気持ちわりぃ……俺を恨むなよ」
従者は命令通りにトールをスラム街へと捨てに行きますが、残念ながらこの従者も社畜の「ぶっころリスト」に載っています。
なので例えトールに恨まれなくとも目覚めた社畜によりその命は散らされてしまうのです。手遅れですね。
スラム街へと捨てられたトールは少し休んで立ち上がり、どこかへ向けて歩き始めました。
その瞳にはしっかりとした意思が宿っており、体は冷たくなっていますが心の中はポカポカしていました。
何故? どうして?
眠る社畜は問い掛けます。
何故あれだけの仕打ちを受けておいて心の中がポカポカなのかと。
トールは答えを返しません。
トールはトールの中に社畜が居ることを知らないからです。
トールはまるで何かに導かれるようにまっすぐ前に進みます。
お空に真ん丸なお月様が昇った時、トールの足は止まりました。
目的地に辿り着いたトールは崩壊しかけた教会の壊れた扉を潜り抜け、今にも朽ち果ててしまいそうな女神様の像の前に立ちました。
トールは女神様の像を見上げます。
女神様の像はお空に浮かんだお月様の光を受けて優しい光を放っています。
「ありがとう」
トールは小さく呟きました。
その瞬間、社畜はトールの心がポカポカしている理由に気付きました。
――トールは満足したのだと。
トールに物心がついてから、トールは誰からも何も与えられたことはありません。
なのでトールは《自分だけの何か》が欲しくて欲しくてたまらなかったのです。
それが今日、トールは女神様から《スキル》を与えられたのです。
初めて《自分だけの何か》を手に入れたトールはそれで満足してしまったのでした。
(ダメだ。まだ逝くな。お前はまだ何も知らない。幸せを知らないんだ)
社畜は夢の中で叫びます。
必死になってトールを止めます。
しかし、社畜の言葉はトールには届きません。
しばらく女神様の像を見上げていたトールの口角が上がります。
トールは物心がついてから初めて笑顔を見せました。
(ダメだ。逝くな。神様仏様……なんなら悪魔だって何だって構わない。俺はどうなってもいい。どうされたって構わない。だからどうか……どうかトールだけは助けて……)
社畜は生まれて初めて神に祈りを捧げます。
何年もの間トールのことを、トールのことだけを見てきた社畜にとってトールは既にかけがえの無い我が子も同じ。
トールを助けるためなら社畜の命は惜しくはありません。
(どうか……どうかお願いします)
社畜は夢の中で祈ります。
その姿は誰よりも敬虔な信徒のようでした。
お空には真ん丸なお月様が浮かんでいます。
今日は満月。《安寧》を司る月の女神様の力が一番高まる夜なのです。
「貴方には【接続】のスキルを授けましょう」
伏して祈りを捧げる社畜の頭に、優しげな声が響きました。
社畜が慌てて頭を上げると、トールが見上げていた女神様の像が強く輝いていました。
「属性はありませんが魔力量は特級。どうかこの力を以て、あの一切の穢れを持たぬ無垢なる子に安寧を……」
この力があれば、社畜はトールを救えるかもしれません。
(トール……)
社畜は胸に手を当てて新たに与えられた《力》を探ります。
(トール……)
社畜は力を見付けます。
社畜に与えられたのは《何か》と《何か》を繋げる力……
不思議と力の使い方はわかります。
社畜は何と何を繋げるか強くイメージして、その能力を行使します。
「俺と……俺とトールを【接続】する!」
既に魂が同化して《繋がっている》状態のトールと社畜でしたが、社畜がスキルを使ったことでその繋がりはより強固なものへとなりました。
「トール、お前はまだ欲しいものがあるだろう?」
社畜はトールに語りかけます。
「俺がお前を愛してやる。幸せにしてやる。だから今は……」
トールと社畜の魂がより深い場所で繋がります。
「今は……俺と変わってゆっくり休め。今までお疲れ様、よく頑張ったな。えらいぞトール」
社畜の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃです。
それでも社畜はトールに向けて笑顔を見せます。
「あとは……俺に任せろ」
瞬間、トールと社畜の魂は完全にひとつとなりました――
◇◆
「……よし」
社畜に与えられたスキル【接続】を使って社畜とトールの魂をひとつにしたことで、社畜の魂はついに現世に降り立ちました。
「トールは……うん、ちゃんと居るな」
自分の中へと意識を向けると、そこにはしっかりと《トールの意志》が有ることがわかります。
「ごめんなトール。ホントはこんな乗っとるみたいな真似はしたくなかったんだけど……いつかお前が目覚めてまた頑張れるようになったら俺は魂の奥深くに引っ込むから」
しかし今トールは深い深い眠りについているので社畜の言葉には答えを返しません。
けれど、社畜にとってはそれでも構わないのです。
この社畜、口は悪いし負けず嫌いだし意地っ張りだし性格は少しねじ曲がっていますが……約束だけは違えません。
今この時、一方的に結んだ約束は社畜の中で誓いとなり、命を賭してでも叶えるべき目標が生まれました。
トールの意志の存在を確認して謝罪した後、社畜は別のことへと意識を向けます。
「……うん。ちゃんとある」
社畜が確認していたのはスキルのことです。
ふたつの魂がひとつになった事でどちらかのスキルが失われてしまうのかと危惧していましたが、どうやら【引きこもり】と【接続】両方とも使えるようです。
「【接続】は《何か》と《何か》を繋げる能力。なら【引きこもり】は?」
社畜はスキルのおかげでトールのことを救えました。
ならばトールに宿った【引きこもり】もトールの役に立つスキルなのでは無いかと社畜はアタリをつけました。
「とりあえず……【引きこもり】発動」
社畜は自分の中のスキルに意識を向けてそのスキル名を唱えました。
すると社畜の目の前に空間を切り取ったかのように真っ黒な扉が出現しました。
「これが扉か……」
自分のスキルで生み出されたものなので危険が無いことはわかっていますが、あまりにも黒々しい見た目に流石の社畜も突入する勇気がありません。
自分が一番に入るのは怖いので、社畜は足元に転がっている瓦礫のひとつを手に取り、黒々しい扉に向けて放り投げました。
瓦礫は放物線を描くように黒々しい扉に向かって飛んでいきましたが、表面の闇に弾かれるようにしてそのまま地面へと落ちてしまいました。
「あー……俺が《許可》を出してなかったからか」
この【引きこもり】というスキルは一言で纏めると《自分だけの都合のいい空間を作成して自由に出入り出来る》という能力を持っています。
説明に《自分だけの》とあるように、これはトールと社畜以外のものの侵入を拒絶する効果があるのです。
知らないはずのことなのに、社畜には不思議とそれがわかりました。
「なら……《瓦礫の侵入を許可する》」
瓦礫が黒々しい扉を通ることに許可を出し、もう一度瓦礫を放り投げると今度は弾かれることはなく、黒々しい扉の中へと入っていきました。
「成功……」
呟いた瞬間、脳内に【引きこもり】の空間内にあるものリストが表示されました。
表示されている瓦礫を脳内カーソルを操作して選択すると、目の前の黒々しい扉から先程投げ入れた瓦礫がぺいっと吐き出されました。
「【引きこもり】の空間に何かが入ってたらそれがわかるし出すのも自由か」
これはとても便利機能です。
これがあれば社畜垂涎の【アイテムボックス】と同じ効果が期待出来るのです。
社畜は生前トラック運転手だったので、積み下ろしが楽になりそうな能力は全て欲しいのです。
「さて……」
瓦礫での実験を終えた社畜は今度は自分が入ってみることにしました。
「……」
一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、黒々しい扉へと一歩を社畜は踏み出します。
「……おお!」
恐怖で閉じそうになる目を気合いで開き、扉を潜った先で見たのは真っ白などこまでも続く世界でした。
「これが……【引きこもり】」
この空間はトールと社畜にとって都合のいい空間のようです。
試しに何が出来るか考えてみたところ、魔力を消費してこの中の時間を早くしたり遅くしたりすることが出来ることがわかりました。
他にも部屋を作ることが可能で、部屋ごとに時間の進み具合を操作することも出来るようです。
「チートだ。紛れもないチートだ」
ハッキリ言って社畜の【接続】よりはるかにチートなスキルです。
きっとそれだけトールには才能があったのでしょう。
空間内を一通りみた社畜は黒々しい扉を潜って元の場所に戻った社畜は考えます。
「これがあれば何でも出来るな……それより家族の事だけど……」
社畜は元々この世界に顕現したならトールの家族を血祭りに上げる予定だったのですが、女神様から「無垢なる子に安寧を」と願われてしまいましたし、当のトール本人も特に復讐は望んでいないようでした。
「かと言って無罪放免にしてやるのも腹立つし」
社畜は悩みます。
家族全員撲殺事件なんて大事件を起こしてしまえば女神様の願いもトールの気持ちも踏みにじってしまうことになってしまうからです。
「指名手配とかされたら《安寧》とは程遠い生活になっちゃうし……穏便に慰謝料と損害賠償を頂くだけで許してやるか」
社畜の手には何もありません。
お命頂戴したいところを生かしてやるのですから根こそぎ奪っていいじゃないという結論に行き着きました。
相手は一応貴族なのですから爵位さえ残っていればケツの毛まで毟っても生きていけることでしょう。
「そうと決まれば善は急げ!」
都合のいいことに今の時刻は深夜、忍び込むにはいい夜です。
社畜のモットーは《即断即決即行動》、生前トラック運転手だった社畜は方向感覚にも自信があったので早速駆け出しました。
社畜は走ります。
月明かりを頼りにまっすぐ前を見て社畜は走ります。
社畜は走り続けます。
暗く静かな闇を切り裂くように社畜の足は動きます。
やがて、社畜の足は止まります。
トールが生まれて10年間、過ごした家に着きました。
正面入口には警備兵が立っています。
いくら爵位だけで役職を持たない木っ端男爵家でも警備兵くらいはいるのです。
「ふむ……」
社畜は迷います。
強行突破をするべきか、それとも隠れて忍び込むか……
「よし……」
迷いは一瞬。社畜は正面突破を決意します。
一度【引きこもり】空間へと入った社畜は新たな部屋を創造します。
縦横およそ10m、男爵家の家族と使用人を全員突っ込めそうな大きさの部屋を前に、社畜は邪悪な笑みを浮かべます。
「この中は時間停止に設定して……」
準備を終えた社畜は【引きこもり】空間から出て、警備兵の下へと歩きます。
「何者だ」
警備兵はトールの顔を知らないのでしょうか? 警備兵は問い掛けますが社畜は答えを返しません。
「【引きこもり】発動」
社畜は警備兵へと手を向けてスキルを発動させました。
「なっ!?」
警備兵の足元に黒々しい扉が出現し、落とし穴の要領で警備兵は【引きこもり】空間へと落ちていきました。
落ちた先は先程作った新しい部屋……つまり時間停止の部屋でした。
空間内に落とされた警備兵の時間は止まります。
動くことも喋ることも……考えることすら出来ない警備兵はなんの脅威にもなりません。
社畜は扉を閉じて敷地内へと足を踏み入れました。
社畜は空いている窓を探しました。
警備兵が立っているからか防犯意識の乏しいパッパラパーなパルパラ家の窓はどこも空いており、好きな場所から侵入出来るようになっていました。
社畜は食堂の窓から屋敷に侵入、まずは食料庫へと向かって2日分くらいの食料を残して全てを【引きこもり】空間へと収納しました。
もちろん先程警備兵を閉じ込めた部屋とは別の部屋です。
こちらも時間停止設定にしてあるので食べ物が腐る心配はありません。
これで当面の食料問題は解決しました。
それから社畜は廊下を移動してご当主様の部屋の前までやって来ました。
木っ端男爵家ゆえに屋敷内を警備する兵も居なかったため簡単に移動することが出来ました。
社畜はドアを開けます。
例えご当主様が起きていたとしても殴るか落とすかでどうにでも出来る社畜には怖いものはありません。
ご当主様は奥のベッドでスヤスヤ眠っていました。
トールが触れたこともないような柔らかそうなベッドでした。
「けしからん」
トールは冷たい床で眠らせて自分は立派なベッドで寝るなんて、社畜には許せません。
「ジジイは警備兵と同じところに。ベッドは適当な空間に……」
社畜は寝ているご当主様に近付いて【引きこもり】を発動させました。
ご当主様とベッドは音もなく【引きこもり】空間へと消え去ったのでこれで安心して部屋を漁れます。
「いや……」
そこで社畜は気が付きます。
これ、家ごと【引きこもり】空間に落とせばいいんじゃないか……と。
思い立ったら即行動。即断即決即行動がモットーの社畜の動きに迷いはありません。
「対象は家全体、だけど生き物は拒絶」
どうせ逃げる時には【引きこもり】空間に落とした警備兵とご当主様は解放してから逃げるのです。
それなら家ごと盗んで中の人は放置で逃げれば結果は同じ。
社畜は部屋の床に手を着いて【引きこもり】を発動させました。
次の瞬間、社畜は家ごと【引きこもり】空間内へと来ていました。
家の中から家を落としたのですから当たり前です。
「なるほど……次からは外からやろう」
社畜は心に刻みますが、次の機会は訪れるのでしょうか?
これは窃盗であり、立派な犯罪です。
この世界でも犯罪者に安寧は訪れません。
女神様は社畜には与えてはいけないものスキルを与えてしまったようです。
「大丈夫。バレなきゃ犯罪じゃない。仮についうっかり男爵家の人間を殺っちゃったとしても【引きこもり】空間内に隠しておけばバレない。時間停止かけて半年後くらいしてからその辺に放り出せば俺のアリバイは立証される……」
社畜は決して良い子は決して真似をしてはいけない類のことを口にします。
女神様公認の純粋で無垢なトールの魂にこの社畜の魂が【接続】されているのは世界の損失かもしれません。
「よし、問題ないな!」
問題しかありません。
何か納得してはいけないものに納得した社畜は【引きこもり】を使って空間から脱出、ついでにご当主様と警備兵も出しておきました。
「お、お前!?」
社畜とご当主様、ついでに警備兵が何も無くなった土地に現れると、男爵家の次期ご当主様……トールの血縁上の伯父が社畜を見付けて声を荒らげました。
「家はどうした!? 父さんは!?」
「俺のスキルって【引きこもり】じゃん? だから引きこもる家を貰おうと思って……ジジイはそこで倒れてるよ」
「貴様! 男爵家をなんだと思っている!?」
「全裸で言われても威厳も説得力もないよ? あと股間の男爵様くらい隠しなさいよ」
ご当主様以外の男爵家の屋敷に居たものは全員全裸になっていました。
これは【引きこもり】を使った時に《生き物》以外全てを回収したので着ていた衣服も剥ぎ取られてしまったのでしょう。
トールの母親や伯母、祖母という女性も全裸になっていましたが、社畜は汚いものは見たくないのでそちらには一切視線を向けません。
「貴様……」
「貰っていくね? 常識的に考えて大貴族の旦那様からの援助は俺の養育費なんだから、着服横領したお前らが悪いよね? 俺は俺の養育費を取り戻しただけだから悪くないよ?」
「それにしても家ごとはやりすぎだろう!?」
「そこはほら、慰謝料と損害賠償ということで……」
「なッ……」
「じゃあそういうことで!」
社畜は軽く右手を上げて挨拶をして、伯父に背を向けました。
「おい! 待て!」
「捕まえたいなら追いかけてくれば?」
伯父は全裸なので当然追いかけることは出来ません。
なので従者に追いかけるよう命令しますが、その従者も全裸なのでどうすることも出来ません。
結局社畜は誰からも追われることは無く、無事男爵屋敷を奪い逃げることに成功しました。
無事逃げ延びた社畜は王都を囲む城壁の影で【引きこもり】空間へと入り奪ってきた男爵家の屋敷と資産の確認を行いました。
ご当主様が余程無能だったのか思っていたほどの現金は残っていませんでしたが、切り詰めれば2ヶ月は生きていけそうなほどの食料が残っていました。
「ふむ……水さえあれば籠城は可能か」
社畜はほとぼりが冷めるまで文字通り【引きこもり】空間に引きこもることを決めました。
「水は……王都の水源とこの水瓶を【接続】する!」
社畜がスキルを発動すると、あっという間に水瓶はいっぱいになりました。
溢れなかったのはこの【引きこもり】空間内が《トールと社畜にとって都合のいい空間》だからでしょう。
「あれ……もしかしてここと王城の食料庫を接続したら王城の食材食べ放題……」
社畜の喉がゴクリと鳴りますが、社畜はその誘惑を振り払います。
「ダメダメ、いくらバレなきゃ罪じゃないとはいえ王族の持ち物を盗むのはヤバすぎる」
王族からでなくとも決して盗んではいけません。
なんとかさらなる罪を重ねることを回避した社畜は今後の予定を考えます。
「うーん……食料的に最長2ヶ月……余裕を見て1ヶ月半ばでここから出てシレッと王都を抜け出すか」
社畜はほとぼりが冷めたら王都を出て色んな場所に行くと決めました。
社畜の中で眠るトールに綺麗な景色を見せるためです。
「それまでは……とりあえず鍛えるか! 鍛えておいて損は無い! 家族は裏切っても筋肉は俺を裏切らない!」
社畜は早速【引きこもり】空間内の設定を変更し始めます。
「まずは重量1.5倍で気持ち空気薄めからはじめよう」
それから社畜は自分で決めた1ヶ月半の間よく食べよく寝てよく鍛える健康的な生活を送りガリガリだったトールの体も年相応の体へと成長しました。
「よし……そろそろいいかな?」
肉がつき、体力もついたのでそろそろこの空間から出て旅立ちの時となりました。
社畜は誰にも見つからないようにこっそりと空間から抜け出し、周囲の様子を探ります。
「うん、計算通り。大丈夫そうだ」
社畜の予想通り《パルパラ男爵屋敷消失事件》のほとぼりは既に冷めており、誰も社畜のことは気にしません。
実は社畜は知らないのですが、《天恵の儀》の時のご当主様の暴力を多くの人が目撃していたのです。
あまりに酷い仕打ちに街の人たちは「あの子供に盗られたのなら自業自得」や「家ごと盗まれるとか草生える。ざまぁ」などの声で溢れていました。
聞き込みでそういった街の人たちの声を多く聞いた憲兵も子供に同情して本気の捜査は行われなかったのです。
「よし」
社畜は王都を囲む城壁の門へとやって来ましたが、門の前には兵士の姿がありました。
これでは子供一人で外に出るのは難しそうです。
「どうしよう……城壁を登る? 途中で【引きこもり】を使って隠れたり休憩したりすればいけるかな?」
社畜は城壁を見上げます。
しばらく眺めていると、首が痛くなってきました。
「うん、落ちたらどうなるかわからんし辞めておこう。安全第一」
実は社畜は高所恐怖症なのです。
高いところに登ると恐怖で体が竦んでしまう社畜に城壁クライミングは不可能です。
「なら……無邪気な子供を装って外に向かってダッシュしてみる?」
社畜はシミュレーションしてみましたが、上手く躱せるとは思えません。
仮に門の前の兵士のことは躱せても、門を抜けた先にいるはずの兵士に捕まることは目に見えています。
「最終手段として時間停止した【引きこもり】空間に落とすってのもあるけど」
さすがに敵対しているわけでもない兵士を【引きこもり】空間に落とすのは社畜の良心が咎めますし、なにより目立ちます。
社畜はトールに安寧をもたらしたいのです。
こんなところで目立つのは本末転倒になりかねません。
「夜なら……いや、夜は閉まってるか」
社畜は顎に手を当て考えます。
「【引きこもり】がダメなら【接続】を使って……閃いた!」
また何かよからぬ事を思いついたのでしょうか、社畜はウキウキ笑顔で門へと近付き、外の景色を眺め始めました。
「坊主、どうしたんだ?」
社畜が門の向こうを眺めていると、出入りを管理している兵士の人が声を掛けてきました。
「外に行きたいんだ!」
「外に? ダメだぞ、坊主はまだ幼すぎる。どうしても外に出たいなら大人の人と一緒に出なさい」
「はーい!」
社畜は無邪気な子供を演じ、兵士を油断させました。
「じゃあ僕帰るね!」
「おう、気を付けて帰るんだぞ!」
「ありがとう! おじさんもお仕事頑張って!」
目的のものを見付けた社畜は健気な子供を演じて兵士の表情を崩させました。
そのまま人目につかない場所へと移動した社畜は先程見た景色を脳内に思い浮かべました。
「《引きこもりの扉》と《外に生えてたおおきな木》を【接続】する」
社畜がスキルを使用すると、目の前にもはや見慣れた黒々しい扉が現れました。
「俺の考えが正しければ……」
社畜はゴクリと生唾を飲み、黒々しい扉へと足を進めました。
「……」
扉を抜けると、社畜の目の前にはどこまでも広がる草原が広がっていました。
「よし……成功!」
入口となる【引きこもり】の扉と出口となる《門から見えたおおきな木》を繋げることで社畜は擬似的な転移を行ったのでした。
「街道は……」
社畜が少し西の方に視線を向けると王都から伸びる街道が西へ西へと続いているのが見えました。
「道……この道を行けばどうなるものか……」
この国の地理を社畜もトールも知りません。
なのでこの街道を進めばどこに着くのかもわからないのです。
「どうなることか……どうにでもなるさ」
社畜の目の前には、どこまでも続く草原と、西へ西へと伸びる道がありました。
「さてトール! お前は何が見て見たい!?」
どこまでも続く広い世界を前に、社畜は腹の底から叫びます。
「海か!? 山か!? それとも湖か!? 川もいいな! 森だって美しい!」
キラキラ輝くような自然を前に、社畜はトールに呼びかけます。
「世界はこんなにも広くて美しい! 俺とお前で世界中の綺麗な景色を見て回るぞ!」
社畜の前世は長距離トラック運転手でした。
日本全国を走り回り、色んな景色を見てきました。
今、社畜の頭にあるのはこの世界の景色をトールと一緒に見てみたいという純粋な好奇心です。
「行くぞトール! お前は……俺たちは――」
――自由だ!!
社畜の心臓がドクンと大きく跳ねました。
きっと社畜の中で眠るトールもこの旅路を楽しみにしていることでしょう。
例え違うのだとしても、社畜はそうであると信じています。
「俺たちの冒険はここからだ!!」
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