お二人のおかげで俺は立ち直る
「貴様はお会いするのが初めてだったな。こちら、真白 雪中尉。美咲基地におけるMOA部隊の管制室を取り仕切っていらっしゃる方だ」
「真白 雪です! いぇい! 翠ちゃんとは同郷で幼馴染! 趣味は野草染め! ただいま蓬でストールを染めているところです。よろしくね、田端 宗兵くん!」
「よ、よろしくお願いします……」
真白中尉のような朗らかな人は、異世界に来て初めて見た気がし、戸惑いを覚えている俺だった。
たしかこの方も元の世界では、俺の学校の先生で家庭科を受け持っていた人だったと思う。
「ところで中尉殿、何か御用で?」
「用も何もないよー。これ、田端くんに渡しって頼んでおいたのに、翠ちゃん机に忘れてたじゃん!」
「あっ!」
真白中尉が差し出した紙を見て、林原軍曹は珍しく素っ頓狂な声を上げた。
そんな軍曹殿を押し退けて、中尉はその紙を俺へ差し出す。
「これ傷病届けね。サインだけちょうだい。多少、字がばっちくても大丈夫だよん」
「……俺、しばらく訓練できないんですか?」
「そりゃそうだよ! 数日は絶対安静だってさ」
「……」
皆から大幅に遅れているのにも関わらず、数日足止めを喰らってしまうことに焦りを抱く。
すると、突然、目から大粒の涙がこぼれ出し、胸が苦しいくらいの悔しさに見舞われる。
そんな悔し涙を浮かべる俺の肩を叩いてくれたのは、意外にも林原軍曹だった。
「焦るな。今は体を万全にすることだけを考えるんだ」
「でも、俺……みんなより、遅れてるし……一人だけ、こんなことになって……! みんな、頑張ってるのに、俺だけなんでこんな……! ひっく……!」
「今の貴様では訓練の成果を上げられん。血税の無駄だ」
少し厳しめの軍曹殿の声音に俺は顔をあげた。
軍曹殿は普段のように厳しい表情を浮かべているのだが、どこかいつもとは違う雰囲気が漂っているように感じられる。
「貴様の教育は、貧困の中でも国民がこの国の未来を信じ、捻出した血税で賄われているんだ」
「……」
「そんな国民の期待に応えるためにも、貴様はその期待に見合った成果を上げねばならん。だが手負の貴様では、成果を上げられん。そのことを自覚しろ」
軍曹殿にそうさとされ、まさにその通りだと思った。
この基地の中は、飯がマズイのと訓練が厳しいといったこと以外は、俺がいた元の世界と変わらない。
しかし基地から一歩出れば、街は瓦礫だらけで、ほとんどの人が貧しい生活を送っている。
だからここに居られることは、この世界では稀有なことで、感謝をしなければならない。
そのことを軍曹殿の言葉を聞いて、改めて思い出す。
「田端くん、安心して! ちょっと怪我で教育が遅れたくらいじゃどーってことないし! 翠ちゃんなんて、今の田端くん以上の大怪我をして、悔しくて病院のベッドで毎晩ワンワン泣いてたんだから!」
「ちょ! ゆ、雪! それ言わないでっ!」
「ゆきー!? 私、士官! 翠ちゃん、下士官。偉いのどっち? 不敬罪で軍法会議にかけちゃうぞー?」
「くっ……し、失礼しました、中尉殿……」
「ぷっ……」
意外な軍曹殿と中尉殿のやりとりに俺は思わず吹き出してしまった。
「田端、貴様、今笑ったな!」
「笑っても全然だいじょうぶい! 中尉の私が許します! だよね、軍曹?」
「ぐっ……真白中尉殿が、そうおっしゃるのでしたら……」
ここまで軍曹殿がしてやられるとは意外だった。
そしてこの方は、案外人間味あふれる、すごくいい人なのだと思った。
「お二人方、この度は大変ご迷惑をおかけしました。訓練で結果が出せるよう、今は静養に専念します。ありがとうございました!」
俺は心をほぐしてくれた軍曹殿と中尉殿へ頭を下げる。
胸の中で燻っていた焦燥感はいつの間にか、霧散しているのだった。
⚫︎⚫︎⚫︎
「橘? 貴様も田端の見舞いか?」
「ひぅっ!?」
林原軍曹は病室の扉の裏へ隠れていた橘訓練兵へ声をかける。
すると橘訓練兵は、気をつけをし、敬礼をしてみせる。
「た、田端訓練兵の容体が気になり、検分に参りました軍曹殿!」
「ご苦労。しかし奴は今眠りに入ったところだ。そっとしておいてやれ」
「はっ! し、失礼しますっ!」
そう叫んで、橘訓練兵は足早にその場から走り去ってゆく。
そんな彼女の背を見て、真白中尉はクスクスと笑い出す。
「美人教官と、美少女同期に狙われる田端訓練兵! 青春だねー!」
「ね、狙うって! 私は別にそういうわけじゃ……それに私は橘のような美人ではない!」
「そぉ? 翠ちゃん、結構いい線言ってると思うんだけどなぁー」
「そ、そういうこと言わないで! 恥ずかしいから……」
「まぁ、美人うんぬんはさておいて……翠ちゃん、田端くんが気になるのは確かなんでしょ?」
今の問いはいつもの"からかい"ではないと肌で感じた林原軍曹は表情を引き締めた。
「ああ、気になる。この時期に、しかもあの"姫子"が送り込んだ者だ」
「だよね。翠ちゃんだからこっそり教えるけどさ、ぼちぼち"アレ"が横須賀でロールアウトするみたいなんだ」
「そうか。ならやはり……」
田端宗兵という訓練兵は正直なところ、基礎学力も体力も他の誰よりも劣っている。
本来はこの美咲基地のMOA養成所へ回されてくるような人材ではない。
だがそれはあくまで"通常の数値"に限ってのことである。
「あの子、フリージアとの同調率がものすごいもんね。だから初めて乗った、武装をほとんど積んでないMOAでも、ジュライを倒せたんだもんね」
「ああ。きっと姫子は、私へ期待をしているんだろう。我が国の……いや、この星の命運を握る"Y計画"成就のために、田端を成長させることを……」
「ふふ。でも、それが全部?」
さすがは幼馴染で無二の親友である真白 雪だと林原 翠は思い、諦めのため息を吐く。
「まぁ、なんだ、その……奴が気になるのは確かだが……」
「そっかぁ。まぁ、翠ちゃんが本気なら応援しちゃうけど?」
「なっ……ち、違う! そういうのじゃない! ただなんとなく目が離せないというか……なんだか応援したくなるというか……」
「でも、ほどほどにね。そうやって気持ちを入れすぎちゃって、何かあった時傷つくのは翠ちゃんの方だし……」
「なら、そうならんよう私が盾になるまでだ。ユキには悪いけど、やっぱり私、金ちゃんがいない世界なんて考えられないから……」
軍曹は今は亡き、最愛の夫の姿を思い浮かべる。
真白の中尉もさすがに、そうしている軍曹へはふざけた態度は取れなかったのだった。