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軍曹殿の意外な過去

「はぁっ、うぐっ……!」


 遂に俺の右腕は完全に感覚を失い、一切動かせなくなってしまった。

こうなってしまったのはおそらく、行軍訓練のために背負っている20kgもある背嚢のせいだと思われる。


(右腕が動かないくらい、なんだってんだ……!)


 橘さんをはじめ、皆は呼吸を荒げながらも、10キロの道を着実に歩んでいっている。

俺も頑張らねば、と足をふらつかせつつ、一歩を踏み出す。

やけに視界が霞んで見える。


「ぐわっ!」


 足が滑り、情けない声を上げつつ、その場に転んでしまった。

ただでさえ荷物が重い上に、右腕が動かない状態なのだ。

必死に起きあがろうともがくが、まるで死ぬ直前の虫の如く、地面で手足をばたつかせるのみ。


「ーーっ!?」


 すると俺の様子に気づいた橘さんが行軍を止め、こちらを振り返る。


「大丈夫か、田端!」


 と、俺へ真っ先に寄ってきてくれたのは、なんと林原軍曹だった。


(マズイ……こんな失態、絶対に怒られる……!)


 誰も俺のようにダウンしていないのだ。

俺一人の責任で皆に迷惑をかけるわけには行かないと考える。


 俺は駆け寄ってくる林原軍曹へ自由に動く左腕をかざす。


「す、すみません、軍曹殿……! 転んだだけです。すぐに立ちます……!」


 しかし右腕が麻痺したように感覚がなく、うまく地面が突けず、立ち上がることができない。

 

 林原軍曹は俺の手を払い退け、俺のシャツを捲り、右肩を外気に晒す。


「田端、貴様はザック症だ。これ以上の訓練は不可能だ」


 ザック症って確か……重い荷物をずっと背負っていると、神経を圧迫されて、腕が動かなくなる現象だったと、自習した内容を思い出す。


(みんな、なっていないのに、どうして俺だけ……!)


 自分が情けなくて、悔しくて……感情が暴れ出し、俺はなぜか頭を横へ振り始める。


「大丈夫です、軍曹殿! こんなの、別に……ああ……ああああっ……!」


「田端、しっかりしろ! この指は何本に見える?」


 林原軍曹は俺へ指をかざして見せる。

 2本のような、3本のような。

軍曹殿の指が増えたり、へったりを繰り返している。


「答えろ! 何本だ!」


「さ、3本、ですっ……」


 俺がそう答えると、軍曹殿はすぐさま無線通信を始める。


「中尉殿、一名脱落です。至急搬送願います」


「ま、待ってください! おれ、だいじょうぶですっ!」


 "脱落"という言葉を聞き、頭の中がぐちゃぐちゃになった。


 心を入れ替え努力をしても、未だに橘さんやみんなに追いつけない焦り。

そしてなぜか、元の世界で、俺のことをゴミクズのように扱っていた、"山碕"からの仕打ちが思い出される。

いても経っても至れなくなった俺は、その場でだった子のように手足を振り回し始める。


 そんな中、パァン! と破裂音が響き、頬に熱い熱を感じた。

どうやら俺は、林原軍曹に頬を打たれたらしい。

しかしそのおかげで、俺の感情はわずかながら冷静さを取り戻す。


「目が覚めたか?」


「す、すみません……」


 結局俺は、やってきた四輪駆動車に積み込まれ、基地の医務室へ運び込まれて行くのだった。



⚫︎⚫︎⚫︎


ーー基地の医務室で目覚めた頃には、脇の窓から茜色の夕陽が差し込んでいた。


一眠りしたおかげで気持ちの混乱は治った。

しかし右肩はザック症のために赤く腫れ上がり、未だに腕は上がらずにいる。


「……」


 自分の情けなさに、言葉さえ出ない俺は、ただ沈みゆく夕陽を眺めることしかできない。

そんな俺へ靴音を鳴らしつつ、誰かが近づいてくる。


「調子はどうだ?」


 傍にあられたのは林原軍曹だった。

 彼女の姿を見た途端、体は条件反射を起こす。 


「いっつぅ……!」


「無理をするな。敬礼はいらん」


「すみません……」


 わずかに挙げた右腕を下げるのと同時に、軍曹殿が脇の丸椅子へ腰を据える。


「私の姿がちゃんと見えているか? 感情に激しい乱れを感じたりはしていないか?」


「え、えっと、はい、まぁ……」


 俺がそう答えると、いつも厳しい顔つきの軍曹殿が、頬を緩めた気がした。


「貴様はザック症と同時に軽度のパニック障害に陥っていた。今後、同様の症状が現れるかもしれないので、訓練中は気をつけることだ」


「そうですか……あの、みんなは?」


「貴様以外は全員無事完走をした」


 やっぱり、あの状況でダメになってしまったのは俺だけだったようだ。

それが情けなくて、悔しくて……右肩の熱感と共に、感情へ再び、混乱の兆候が現れ始める。


「……ザック症は辛いよな。私も新兵の頃同じ経験をしたからよくわかるぞ」


「え……?」


「さらにその時の私はパニック障害を併発し、おまけに坂から転げ落ちてしまってな。ほんと、あの時は部隊の皆へ、すごく迷惑をかけたと思う」


「軍曹殿がですか……?」


 意外すぎる告白に思わず聞き返してしまう。

すると軍曹殿は苦笑いを浮かべる。


「私とて人間だ。それぐらいの経験は持っていてて当然だろうが」


「だよねー。あの時の翠ちゃん、今日の田端くん以上に、はちゃめちゃになってたもんね〜」


 基地の中では非常に珍しい、ざっくばらんな物言いが聞こえてくる。


「中尉殿! どうかなさいましたか!?」


 軍曹はすぐさま立ち上がり、内勤用の制服を着た、ふんわりとした雰囲気の女性へ敬礼をする。


(たしかこの方って……)



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