俺は心を入れ替える!
「飛翔する"ペスト成体は、その脅威的な旋回能力及び格闘攻撃能力により、航空機にとっての最大の脅威となった。またジュライ上部、並びに周辺部位は非常に強硬で、航空機による爆撃での破壊は絶望的である」
ーー本日、最初の課業は林原軍曹によるジュライ撃破に関する座学だった。
正直俺は、林原軍曹が何を話しているのかさっぱり理解できていない。
「では、鮫島。ジュライの主たる撃滅方法はなにか?」
「はっ! 基部に存在する"成長点"へ"枯渇剤"を注入することです」
元の世界ではちゃらけた印象のある鮫島さんからは想像もできないほど、流暢で真面目な回答が出たことに、俺は内心驚きを感じている。
「よし! 続きを、貝塚!」
「しかし、多くの場合ジュライは"ダンジョン"といったある種のジャングルのような防御地帯を発生させ、我々の侵入を阻ます。このダンジョンは非常に入り組んだ地形であり、戦車・車両の侵入が困難です。さらにダンジョン自体が持つ、脅威的な再生能力により、ミサイル・迫撃砲といった攻撃手段は無力であります」
鮫島さんに続いて、蒼太も真面目に答え、俺はむちゃくちゃ焦り出す。
「よし! 続けて……橘!」
「ジュライを撃滅するための各種兵装は、目標が非常に巨大であることより、大型化してしまいます。そのような兵装を入り組んだダンジョン内で、歩兵のように扱い、敵を殲滅するためにMobile offensive Armor……MOAが開発されました」
隣の席の橘さんもまた流暢に答えを返した。
皆、暗記しているのか、教科書なんかは一切みていない。
そんな芸当など絶対にできない俺は、焦って分厚い教科書のページを捲りだす。
「次は田端!」
「は、はいぃっ! えっとぉ……そのぉ……」
と言い淀んでいる俺の隣で、橘さんがこっそり机上へ"324"とうっすら書く。
俺は急いで324ページを開くも、
「遅い! もう、良い!」
「す、すみません……」
即答できなかった俺は早々に座らされてしまうのだった。
ーーしかし俺のダメさ加減はこれだけにあらず。
座学以外ので各種筋トレやら、走り込み、射撃訓練に至るまで……俺は周囲と比べて、冗談抜きで、100歩ほど遅れをとってしまっていたのだった。
この結果は当然といえば当然だ。
なにせ俺はついこの間まで、平和な元の世界で、運動も勉強もダメダメな、隠キャとして過ごししていたのだから。
だけど、そんな中頑張っていられるのは、こんな俺へ親身に接してくれる"橘訓練兵"のおかげだった。
「じゃあ復習します。MOAを運用した対ジュライにおける基本的な戦術を答えてください」
「……」
「た、田端さんっ! 起きてくださいっ!」
橘さんの声で、うたた寝から起きる。
朝6時起床から始まる規則正しすぎる生活に、いまだに慣れていない俺だった。
「さっきまでの私の話聞いてました?」
「あ……ごめん。もう一度、お願いします……」
「MOAを運用した対ジュライにおける基本的な戦術ですが、航空機および陸上兵器にて、ダンジョンへ飽和攻撃を実施……掃討終了後、MOA部隊がダンジョンへ突入し、ジュライ基部の成長点へ、枯渇剤注入を目指す、です」
「わかったありがとう。もし次軍曹殿に当てられてたらちゃんと答えます……」
出会った日から今日まで、橘さんは毎晩俺の部屋を訪れては、こうして俺の勉強を見ていてくれた。
さらにーー
「今日のお夜食は!」
「おお! サンドイッチ! うまそう!」
「ハムは合成だけど、卵は天然物、です!」
勉強を見てくれるばかりか、こうして手作りの夜食を持って来てくれていた。
未だにこの世界のゲロまずな食事に慣れていない俺にとって、橘さんの作ってくれる夜食は、貴重な栄養補給源である。
ーー誰もが厳しい態度のこの世界で、俺に唯一優しく接してくれる橘さんは貴重な存在だった。
しかも元の世界では、住まいがお隣さん同士にも関わらず、ただ憧れていただけの彼女がだ。
この世界での生活は嫌なことが多いけど……でも、こうして橘さんがそばにいてくれるのなら、案外悪いものではないと思う。
だけど、そんな彼女を俺は翌日の訓練の時ーー
⚫︎⚫︎⚫︎
「あのさ、アンタやる気あるの?」
教室の床に寝転んでいた鮫島さんは起き上がるなり、俺へ非難の視線を浴びせてくる。
今日の課業は"救急法"だった。
その中で人工呼吸の実習があり、俺は鮫島さんとパートナーとなっていた。
当然、実習なのでパートナー同士はきちんと唇を合わせる必要があるわけで……
「や、やる気はあるけどさ! そ、そのぉ……」
キスはおろか、女子とも付き合ったことも、仲良くなったことさえなかった俺なのだ。
いくら授業の一環だからといって、女子である鮫島さんと口を近づけ合うだなんて、簡単にはできそうもない。
「なに? 恥ずかしいの?」
「え、えっと、まぁ……」
「バッカじゃないの! あんた、実戦でもそんなこと言えるわけ!? 仲間の命がかかっている時に恥ずかしいからできませんとか!?」
「い、いや、そんなことは……」
「わ、私、変わりますっ! 私なら、できます、よね?」
怒る鮫島さんと俺の間へ、橘さんが割って入ってくる。
瞬間、俺は強い興奮と羞恥に襲われる。
「さっ、ど、どうぞ、田端さんっ!」
橘さんも声を震わせつつ、目の前に寝転んだ。
「早くっ! 田端さん!」
「そこ! なにをぐずぐずしているか!」
さすがにこの状況に気がついた林原軍曹が、俺と橘さんのところへやってくる。
「なぜ橘が田端のパートナーをやっているんだ?」
「はっ! 田端さんがまだ理解不足な様子だったので、教えておりました軍曹殿!」
「勝手にパートナーを変えることなど許されん!」
「申し訳ございません!」
「腕立て伏せ100回! 構え!」
「はいっ! いちっ! にぃっ! さぁんっ……!」
俺のせいで橘さんが腕立て伏せを強いられていた。
本来は俺の責任だし、同じことをすべきなのだろうが……体力に自信のない俺は、ただ彼女の腕立て伏せを見守ることしかできなかった。
⚫︎⚫︎⚫︎
「あのさーめぐみんさー、ちょっとアイツに甘すぎだよ」
「ううっ……」
「この先、アイツのせいでこっちもペナルティ貰うのなんてごめんなんだけど」
「ごめんね、ななみん! 私からもっと頑張るよう言い聞かせるから! だから許してあげて!」
課業外の時間に暇だったので、基地内をぶらついているときのこと。
鮫島さんへ深く頭を下げている橘さんに出くわす。
「まぁ、めぐみんが田端を構いたい気持ちはわかるけどさ……でも、このままだとめぐみんもマズイよ?」
「マ、マズイ……?」
「うん。めぐみん、田端のところへこっそり夜食持ってってるでしょ? なんか、今日食堂に査察が入ったっぽくてさ、在庫が合わないって」
「……」
「それに他のみんなも、田端を特別扱いするめぐみんに不満を持ってるみたいだし……ウチは正直、アイツよりもめぐみんの方が大切だし……」
橘さんは反論はおろか、言葉一つ発さず、ひたすら頭を下げ続けている。
そんな彼女に呆れてなのか、鮫島さんはその場から立ち去ってしまう。
ーーこの時、俺は初めて、自分が皆や橘さんに"大きな迷惑"をかけていると強く自覚した。
そうした自覚自体はずっとあった。
だけど俺は内心"ここは自分の世界ではない"、"こんなことをするために異世界へ来たのではない"、"橘さんが甘やかしてくれるから、それでいいや"、などということを考えていた。
(でも、それじゃダメなんだ……だって、俺のために橘さんは……)
まだここでの厳しい生活は嫌だし、違和感もある。
でも、このままでは、こんな俺に親身に接してくれる橘さんに申し訳が立たない。
(変わらなきゃダメなんだ……俺自身が! もうこれ以上、みんなや橘さんに迷惑をかけないためにも!)