めぐにとっての大事な時間
「しゅ、しゅうちゃん、いきなりどうしたの……!?」
「大事な話がある」
「だ、大事な話って……?」
俺は大岩へぴったり背をつけている水着姿のめぐへ手を伸ばす。
「あ、ああうぅ……!」
「水着に値札が、付いたままなんだ!」
「ふぇ!?」
税込6,980円に値札を摘んで見せると、めぐは気の抜けた声を上げたのち、顔を真っ赤に染める。
しかしこの値段……ずいぶんと良い水着をめぐは選んできたようだ。
「わ、わわ! はずかしぃ……」
「安心しろ。佐々木さんらは気づいていない。気づいていたのは俺だけだ」
「そ、そうなんだ。それは良かった……」
「今、取ってやるからな!」
この水着はおろしたててで、とても高価なものだ。
慎重に値札を取らなければ……と、思いまずはナイロン性のバンドを捻ったり、捩ったりするも、全く千切れず。
とはいえ、無理に引っ張ってしまえば、水着が敗れてしまう可能性がある。
ならば……
「めぐ……すまないっ!」
「ひやっ!? しゅ、しゅうちゃん!?」
俺はめぐの足元へかがみ込み、水着と値札を繋ぐナイロンバンドへ齧り付く。
刃物がない以上、歯で食いちぎるほか、できることがなかったのだ。
「しゅうちゃん……だめっ……そんなっ……はぁ……はぁあっ……!」
目の前でしっとりと汗に濡れためぐの腰が揺らめていた。
日差しと体温のためか、汗が蒸発し、めぐがいつも纏っている優しく甘い匂いが俺の鼻腔を攻め立てる。否が応でも強い興奮と羞恥を覚え、胸の中で心臓は大暴れしている。
「良いって! そこまで……はぁっ……そこまでしてくれなくてもぉ……!」
めぐが恥ずかしさを覚えているのは理解できる。
俺も同じ気持ちだからだ。
だが、初めてしまった以上、やり終えなければここまでしてしまった示しがつかない。
「うくっ……うううっ……んんんっ……!」
「と、とれたぞ! 作戦成功だ!」
なんとか値札を食いちぎった俺は、さも平然かのようにそれを晒して見せる。
「はぁ……はぁ……も、もう……ばかぁ……しゅうちゃんのおばかぁ……!」
めぐはその場へ、体育座りでへたれ込んでしまった。
「す、すまなかった。しかし……」
「ううぅ……」
「水着、よく似合っている。だから、その、値札がつきっぱなしだと、よくないと思い、だから……」
"似合っている"と行った瞬間は、少し嬉しそうな顔をしてくれた。
しかし、やっぱりやりすぎだったためか、めぐは少々ご機嫌ななめな様子だ。
なら、どうするべきかと必死に頭を捻り、そしてようやくめぐが"木編みのバスケット"を所持していたことに気がつく。
「めぐ、なんだ、その……そこのバスケットはもしかして……?」
「おべんと……」
めぐはこっち見ずにバスケットの蓋を開け、銀紙に包まれた三角を突き出してくる。
「わざわざ作ってくれたのか……? もしかして遅れてやってきたのはこれのことも……?」
めぐは膝を抱えたまま、コクリと頷く。
「昨日はご飯作ってあげられなかったし……しゅうちゃんのためにご飯作るのは、大事な時間、だから……」
……大事な時間。些細な言葉ではある。
しかし、俺の胸を熱くするには十分すぎり熱量を持っていた。
「あ、あ! で、でも、今日のおにぎりインチキだから! ご飯はレンチンのを湯煎しただけだし、シャケフレークもニャンキーホーテで買った瓶詰めのものだし!」
「……美味い……」
正直な感想が口からこぼれ出た。
めぐはこれをインチキと言っていたが、俺は全くそうとは思わない。
だって、これはめぐが、俺のために、俺のためだけに一生懸命作ってくれた。
その優しい気持ちは、このおにぎりの味を何倍にも膨らませてくれている。
「もう一個、たべる?」
めぐは柔らかい笑顔を浮かべつつ、おにぎりをもう一個差し出してくれた。
「いただく!」
「ふふ……はい、どうぞ。これ、梅しそ味! ちょっと手間かかってます!」
よく刻んだカリカリ梅としそふりかけの混ぜご飯をおにぎりにしたものだった。
心地よい酸味と程よい塩味が食欲を掻き勝てる。
なにより頭の中へ、手際よく梅を刻むめぐの姿が浮かんで、とても微笑ましい気分となった。
「ちょっとでも……」
「ん?」
「ちょ、ちょっとでも……元気に、なった……?」
どうやらめぐは全部お見通しだったようだ。
(このおにぎりはもとより、今着ている水着も……?)
おどおどはしているものの、しっかり者のめぐが水着を忘れるとは考えずらい。
きっと、俺を喜ばせるために、めぐは勇気を出して、こんなにも派手な水着を、わざわざ買いに行ったのだろう。
「ありがとう、凄く元気出た」
素直な言葉を口にすると、めぐは嬉しそうな笑みを浮かべてくれる。
しかしすぐさま、恥ずかしそうに再び膝を抱えてしまう。
「あ、あんまり、こっちみないで……やっぱ、はずかしい……」
「しかし、それでは遊べないのでは?」
「あ……そ、そっか……どうしよう……!」
時に大胆で、予想外の行動を取るのは、異世界も、そして元の世界のめぐも変わらないらしい。
そして勢い余って、その先をあまりよく考えていないことも。
「なら、ここでゆっくり海でも眺めようか」
「え!? そ、そんなので、良いの!?」
「海を眺めながら、めぐと2人きりでにおにぎりを食べる。十分に贅沢だ」
「ありがと……!」
めぐは耳まで真っ赤に染めて、消え入りそうな声でそう言った。
ーーもうタイミング的には大丈夫な頃合いなのかもしれない。
めぐとの人間関係は、異世界の頃のように深まっている。
そして彼女自身も、おそらく俺のことを……
俺だって、ずっとめぐのことを……
「お茶、飲む?」
「は、話したいことがあるんだが……」
「なに?」
きっと何も気づいていないだろうめぐは、不思議そうに首を傾げる。
そんな彼女がたまらなく可愛く、そして愛おしく思え、そしてーー
「しゅ、しゅうちゃんあれ!」
と、突然めぐが緊迫した声を上げた。
覚悟を決めつつあった俺の気持ちはずこぉーっと、盛大に転げる。
しかしそんなふざけた気持ちは、海へ視線を移した途端霧散してしまう。
「あれは……井出さんか!?」
井出さんは海中で浮き沈みを繰り返していた。明らかに溺れかけている。
(水泳部で泳ぎが得意なはずの井出さんがどうして……まさか……!?)
ーー"異世界の井出訓練兵"は関東を脱出し、北海道へ向かう最中、幼虫型ペストの大群に押し流され、MOAごと海中に没し、行方不明となっていたーーと思い出す。
「またこれか……くそっ!」
海岸にいる誰もが、井出さんの惨事に気づいてはいない。
(海難救助の訓練は異世界で受けた。しかし、簡単なことではない……)
しかし、いますぐ行動に移れるのは俺のみ。
だったらーー
「しゅ、しゅうちゃん! まって!」
「すまない、めぐっ!」
めぐの静止を振り切り、俺は海へ飛び込む準備をする。
すると、そんな俺へ、激しい水飛沫が降りかかってきた。
「ぐわっ!?」
「素人が何危ないことをしようとしているのよ! 下がりなさい!」
黒いジェットスキーに乗った白いビキニスタイルの女性が鋭い言葉をぶつけてくる。その声を聞いた途端、俺は"林原軍曹殿"以上の、背筋の伸びを感じる。
「え……? うそ……まさか、あなたは!?」
女性はサングラスをずらし、裸眼で俺のことを凝視してくる。
俺もまた、女性と同じリアクションへ陥ってしまう。
(この鋭い目は間違いない……この人は俺と同じ"異世界転移者"だった【白石 姫子特務中尉】だ!)