あひぃぃぃぃーーーー! な、めぐ
「はぁ……もう、嬉しいこと言ってくれちゃって、この子は……!」
林原先生は頭を抱えつつも、嬉しそうな顔をしてくれている。
この方のこうした顔を見られることは、とても幸福なことだ思うのだった。
「見かけた時、正直生徒達だけでキャンプってどうかと思ったんだけど……田端くんがいれば安心ね」
「そうですか?」
「なんか君、凄く大人になったし、任せても大丈夫かなって。でも、これは未成年だからだめよ?」
林原先生は手にしていたビールの入ったプラコップを俺から遠ざける。
どうやら、俺がチラチラとそれを見ていたことに気づかれていたらしい。
実際、俺は20歳であって、異世界では酒を飲んでいた……特にビールが大好きだったが……でも、今は立場上俺は高校生な訳で、飲んでしまっては先生にご迷惑をおかけしてしまう……しかし……やっぱり……うまそうだなぁ……。
「まさか、貴方お酒を?」
「め、滅相もございません! ジュースとお茶類しか携行しておりません! 軍曹殿!」
動揺のあまり異世界の癖で林原先生へ敬礼をしてしまう俺だった。
「あーまた、私へ敬礼したわねぇ?」
「こ、これは……すみません……」
「じゃあ、田端くんの進学先は、国防大学校で決まりかしらねぇ? まぁ、今のあなたの成績だったら、もっと上を目指せると思うけどね」
今日の先生は、普段よりも気が緩んでいるように見えた。
真白先生ほどではないが、多少酔っているようだ。
ならば……
「じゃあ行くわね。あとでこっそり差し入れの一つでもするわね。それじゃ……」
「あ、あの、先生!」
「?」
「その……せ、先生もあまり羽目を外しすぎなよう……えっと……だ、旦那さんが心配なさるかと……」
違和感を解消しようと、勇気を出して"旦那さん"のことを口にする。
すると、さっきまで楽しげだった先生の表情に影が刺したように見えた。
「あひぃぃぃっーーーー!」
突然、炊事場から不穏な悲鳴が上がった。
俺と先生はほぼ同時に、炊事場へ視線を飛ばす。
するとそこでは、指を押さえて、涙目になっているめぐの姿があった。
「どうしたぁ!?」
俺は一目散に炊事場で涙目になっているめぐへ駆け寄って行くのだった。
●●●
ーー時間は橘 恵が炊事場で悲鳴をあげる、30分ほど前に遡るーー
「お、お肉はね、斜めに切ると 繊維が上手くきれて、美味しく焼けます……!」
恵を中心とする調理班は、現在、BBQへ向けての仕込みの真っ最中であった。
「お、七海上手いじゃん!」
「えへへー! そりゃ、ウチ、蒼ちゃんの彼女なんだから、これぐらいできないとねぇー!」
七海は適宜彼女ムーブをかまして、彼氏の蒼太へ近づこうとする女子を見事に跳ね除けていた。
対して、恵はというと……
「橘さん! 俺、あんまり包丁とか使ったことないから、教えてくれないかな?」
「あ、えっと……」
「じゃあ、俺も!」
「俺も俺も!」
何故か蒼太以外の男子が、恵へ群がり始める。
元々、人へ強くいうのと、実は男性があまり得意ではないーーただし田端宗兵は除くーー彼女は、ただただ狼狽えるばかり。
「はいはーい、包丁の扱い方ね! それならもっと良い先生がここにいるよー! 蒼ちゃん!」
と、助け舟を出してきたのは、もちろん鮫島 七海と貝塚 蒼太カップル!
「包丁の使い方がわかんないんだってなぁ? 俺は料理人だ。たーんと指導してやるから覚悟しな!」
かくして男子一同の"お料理を通じて橘さんとお近づきになろう大作戦"は大失敗に終わるのだった。
「大丈夫?」
「あ、ありがと……ごめんね……か、貝塚くんのことは良いの……?」
「まっ、ああやって男子に囲まれてれば大丈夫でしょ。それより、めぐみんこそ良いの?」
「え?」
「ほら、あそこ! 佐々木さん達のとこ!」
七海が指差す先では、宗兵が佐々木さんら女子グループと一緒にテントの設営を行なっていた。
なにやら、佐々木さんと宗兵の身体的距離が近いような。
そんな気がしてならない恵である。
「なんか、佐々木さん、たばっちのこと狙ってるっぽいよ?」
「ね、狙ってる、って……?」
「もう、わからないふりなんてしちゃってぇ! あんましぼぉっーとしてると、たばっち取られちゃうよ?」
「っ!!」
「しかも佐々木さんって、結構グイグイ系らしいし」
宗兵を取られてしまうのは、本当に嫌だと思う恵だった。
(でも、しゅうちゃんに限って、そんなことは……)
そんな恵の願いが通じたのかはよくわからないが、宗兵は足早に佐々木さんグループから離れた。
しかし恵がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のできごと。
次に彼が向かったのは、水泳部の井出さんらが取り仕切る、BBQ会場準備班の場所。
「井出さんとたばっちってさ、なんか似てない?」
「え!?」
「井出さんってガッチガチの体育会系じゃん? で、今年からのたばっちもなんか同じ雰囲気あるじゃん? 意外と、このキャンプを通じて、2人の距離は……」
「あわ……あわわわ……!」
七海の余計な言葉で、無茶苦茶動揺しまくる恵であった。
しかし、それでもやはり信用できてしまうのはやはり……紡いだ時間の長さがそうさせるのか否か……。
「あ! 先生達じゃん!」
だが、これまでの七海の煽りよりも、遥に強烈な一言が、恵を強く動揺させた。
今、目の前で宗兵は担任の林原先生と会話をしていたからである。
しかもとても楽しそうな様子であった。
「先生達も夏休みで来てるのかな? ねぇ、めぐみん……」
「…………」
「ちょ! めぐみん、危なっ!」
「あひぃぃぃぃーーーー!!」
指に熱い痛みが迸り、思わず奇声を上げてしまう。
宗兵と先生の様子に気を取られてしまい、うっかり包丁で指先を切ってしまっていたのだ。
「どうしたぁ!?」
すると宗兵が先生との会話を打ち切り、真っ先に炊事場へ向けて駆け寄ってくれる。
指を包丁で切ってしまったのでとても痛い。
しかしこうして、真っ先に宗兵がそばへ来てくれるのはとても嬉しいと思う恵なのだった。