ひっぱり合う関係
「さて……いくかっ!」
今日はみんなよりも早めに学園祭の準備を上がらせて貰った俺は、意を決して、まだ暖簾のかかっていない"居酒屋"の引き戸へ手をかけた。
「ごめんなさい、まだ開店前……あら、久しぶりじゃない!」
カウンター越しに、清楚な着物姿の女性が笑顔で出迎えてくれる。
久方ぶりに聞いた声音に、自然と背筋が伸びてしまう俺だった。
「ご、ご無沙汰しておりました! 大尉殿……ではなく……蒼太のお母さんっ!」
今、カウンターにいる和服姿の年齢不詳な綺麗な方こそ、居酒屋かいづかの店主で、蒼太の母親である"貝塚 真珠"さんだ。
異世界では俺の最後の上官であり、北部方面軍の精鋭パール大隊を率いていた女傑である。
「あら、それなにぁに? まるで軍隊の人みたいね?」
うっかり敬礼をしてしまった俺を真珠さんは訝しむことなく、笑って許してくれるのだった。
「あ、いえ、すみません……ちょっと、そういうのにかぶれてまして……あはは……」
「田端くん。しばらく見ないうちに、随分と逞しくなったじゃない」
「いや、まぁ……あはは……」
元の世界での真珠さんは親友の母親で、顔見知りなだけだ。
だけど、林原先生、真白先生同様に、この方にも大変お世話になっていた。
よって緊張してしまうのは当然のことである。
「蒼太ー! 田端くんがいらしたわよ〜」
奥の厨房へ向けて真珠さんがそう言うが、なかなか反応が戻っては来なかった。
「蒼太! 早く出てきなさいっ! いくらお友達だからって、そういうのは失礼よ!」
まるで異世界での"貝塚大隊長"の如く、真珠さんは厳しく鋭い声を厨房へ向けて放つ。
やがてのっそり厨房の暖簾が開いて、渋々と言った様子の割烹着姿の蒼太が姿を現した。
「な、なんだよ、シュウ……こんな時間に……?」
「忙しいところ悪いな。実はおりいって相談があってだな……」
「そ、相談? なんのだよ……」
何を相談されるのか、蒼太は少しわかっているみたいだ。
俺も、この場でこれを告げるのは、本当に申し訳ないと思っている。
しかしこうでもしないと、多分、こいつは"逃げる"と思うので、あえてこういう手段を取らせてもらった。
「実は学園祭へ向けてクラスでオリジナルTシャツを作ることになった。よって蒼太にロゴのデザインをお願いしたい!」
「なっ!? て、てめぇ!?」
慌てる蒼太へ、真珠さんは鋭い視線を向けていた。
「蒼太、学園祭ってどういうこと?」
「い、いや、だから! 学園祭だからって、店を蔑ろにするのはどうかと……!」
「あなたまた……そういう気遣いはいらないって、お母さんいつも言ってるわよね?」
「だって……!」
「あのね、高校生の時期ってね、一生に一回だけなのよ? わかってるの?」
「で、でもよ、店を母さん1人で切り盛りするのはやっぱり……!」
そう蒼太が慌てている中、店の引き戸が再び開いた。
「あっれぇー! たばっちじゃん!」
「しゅうちゃ……た、田端くん、が居たっ……!」
「2人ともどうしてここに……?」
突然やってきた鮫島さんとめぐに俺も驚きを隠しきれなかった。
「いやぁ、やっぱいくらたばっちが頼りになるからって、頼りっぱなしなのはどうかと思ってね!」
「な、"ななみん"にね、聞いたのっ! 貝塚くんって、お絵描きが、すごく上手なんだって! だからっ!」
つまり、めぐも鮫島さんも、俺と同じく"絵の得意な蒼太へクラスTシャツのロゴ制作"をお願いしたいらしい。
「い、いきなりお邪魔してす、すみません! わ、私っ、貝塚くんのクラスで委員長をしてます、た、橘 恵って言います! あの、えっと……その……! あうぅぅ……」
「と、いうわけだ蒼太。観念して、手伝ってくれないか?」
俺はどう伝えて良いか困っていためぐの代弁するのだった。
「ちょーっと失礼しまーす!」
「て、てめぇ! 七海っ! 厨房は一般人が入っちゃいけない神聖な場所なんだぞ!?」
いつの間にか厨房に入り込んでいた鮫島さんは、がっしり蒼太の手首を掴んでいる。
「大人しくこっちへ来ない蒼ちゃんがいけないんでしょ!?」
「母さん! 七海になんとか言ってくれよ!」
「七海ちゃん、その薄情なおバカ息子を、さっさと連行なさい。煮るなり焼くなり好きにするといいわ」
真珠さんに冷たくそうあしらわれ、蒼太はがっくり肩を落とすのだった。
「ほら、ちゃっちゃと歩く!」
まるで女房のように、鮫島さんは蒼太を奥の座敷席へ引っ張ってゆく。
「だ、だから引っ張るなって! この割烹着おろしたてなんだからよ!」
「だったら、さっさと靴脱いで!」
「わ、わかった! わかったから引っ張るなって!」
「あーんもう、急いでてても靴はちゃんと脱いでよ! 揃えるのめんどうなんだから!」
「お前は俺のお母さんか!?」
てんやわんやとしつつ、蒼太は鮫島さんによって、奥のお座敷へ押し込められる。
そんな2人の様子をめぐは唖然とした様子で眺めていたのだった。
「ななみん、凄い……」
「まぁ、あの2人は幼馴染だからな。小さい頃からお互いを知っているから、ああいうふうにもなるんだろう」
「なんか、私たちと逆だね?」
「逆?」
「私、いっつもしゅうちゃんに引っ張って貰ってるから。だから逆だなって……」
「それはお互い様だ」
「え?」
めぐは意外そうな表情を俺へ向けてくる。
「めぐだって俺のことを結構引っ張ってくれている。そしてお互いに引っ張りあったから、今こうして一緒にいられるわけだと思う」
「そ、そっか……確かに……」
「ねぇねぇ、2人とも、いちゃついてないで早くこっちきてよぉ!」
と、奥から鮫島さんが不満げな声を響かせてくる。
「い、いちゃいちゃなんてしてないっ! ごめんね、しゅうちゃん! ななみんが変なこと言って!」
俺は慌てて訂正するめぐに微笑ましを覚えつつ、気にしていないことを伝えるのだった。