変わる二人の関係
「変わる……? 何を……?」
「そ、それは、えっと……いつまでも"田端くん"と"橘さん"じゃ……あの、その……」
橘さんはやや視線を逸らしつつそう言ってきた。
「呼び方を変えたいってことか?」
そう問いかけると、橘さんはコクコクと何度も頷いて見せる。
確かに、段々と異世界でのこの子との関係に段々と近づいている認識があったので、そろそろ頃あいかとは俺自身も思っていた。
「な、なら、今度からはどう呼べば……?」
しかしいざ、その場面となると声が震えた。
いくら勝手知ったる、橘さんであっても、やはり美人なのは変わりないので、こうした場面はいつも緊張してしまう。
「……ぐ、って……」
「……?」
「こ、この間、どさくさに紛れて、私のこと"めぐ"って、呼んで、ましたよね……?」
どうやら1ヶ月前の副委員長選挙の時、うっかり"めぐ"と呼んでしまったことを聞き逃してはいなかったらしい。
「もしかして……ま、前の彼女さんの名前もめぐみ、だったとか……?」
「いやいや、そんなことは! 俺に彼女なんていたことはない!」
「本当に……?」
橘さんは凄く不安げな視線を向けてくる。
ちなみに元の世界の俺は、これまで女性と一度も付き合ったことはない。
女性と親しくなったのも、"異世界のめぐ"が本当に初めてだ。
それに、異世界のめぐとの関係は、恋人とはやや違うような関係性だったように思う。
「じゃあ、なんで"めぐ"って?」
今日はやけに容赦のない橘さんからの口撃だった。
「それは……なんとなく……めぐみ、だから、"めぐ"だと語感も良い的な、それで……ええっと……」
「私は……"めぐ"で良いよ……? お父さんも、そう呼んでるし……」
「そ、そうなのか」
「じゃあ、私は"めぐ"でっ……! 次は、田端くんの番、ですっ!」
橘さんを改め"めぐ"は、凄く真剣な様子でそう言ってくる。
「田端くんは、なんて呼んでもらいたい、ですか?」
「お、俺に聞くかそれを!?」
「聞くっ!」
たぶんだいぶ俺に慣れてきているのだろう。
最近の橘さんは饒舌だった。
その姿は、やはり異世界のめぐを彷彿させる。
だったら……
「じゃあ、その……しゅうちゃん、で……」
「――っ!!」
自分で"ちゃん付け"で呼ぶことを要求するなど、どう考えても恥ずかしいことだ。
だけど、やっぱり"めぐ"には、そう呼んで貰いたいと強く願う俺がいるのも確かだった。
「わかった……しゅう、ちゃん……?」
彼女の声に乗った、その呼び方に胸が大きく高鳴った。
もう2度と聞くことができないと思っていたその呼び方に、思わず涙が溢れ返りそうになる。
「え!? あ、ど、どうし、ました……!?」
こちらが黙り込んでしまったためか、目の前のめぐは明らかに動揺した様子を見せている。
俺はうっすら浮かんだ涙を、こっそり拭いつつ、不安そうなめぐへ視線を合わせる。
「すまない……なんだか……とても嬉しくなって……めぐに"しゅうちゃん"って呼んでもらえて……」
「これからは、幾らでも呼びます! しゅうちゃん!」
そういうめぐの声はとても優しく、胸がカァっと熱くなる。
(ようやく、ここまで辿り着けた……ようやく……!)
異世界のめぐの死に遭遇してから、かなりの時間が経過している。
だからこそ、久々に彼女の口から"しゅうちゃん"と呼んでもらえ、俺は強い満足感を得ていたのだった。
「……あの、しゅうちゃん一つ聞いても……?」
不意に話しかけられ、慌てて視線を上げる。
「な、なんだ?」
すでに冷静になっているめぐとは対照的に、未だに声が震えてしまっている情けない俺なのだった。
「あそこにある2本のレバーみたいなものって、なに?」
どうやらめぐはこの間、収納の整理をした際に発掘した"レトロなコントローラー"に興味を示しているらしい。
「あれ、父さんの持ち物で、古いゲーム機のコントローラーだ」
「っ!! ちょっと待ってて!」
するっと、めぐは突然立ち上がり、足やばに部屋を出てゆく。
そしてすぐさま戻ってきた彼女の手には、部屋の隅に置いてあったものと、同じものが抱えられている。
「これも同じ!?」
「そうそう! 同じ"ダブルスティク"というコントローラーだ! まさか、めぐも持っているだなんて!」
「ゲームのコントローラー! ずっと家にあって、なんだろうなって、不思議だった!」
このダブルスティックは電脳戦士バーチャリオンというゲームに向けて、発売されていたものらしい。
小さい頃は父親と一緒にこのレトロゲームで対戦プレイをしたものだった。
そして意外なことに、異世界でのMOAの操縦方法も、これの操作方法に酷似していた。
(だから、俺は異世界で、いきなりMOAを動かして驚かれて、パイロットにさせられたんだよな……白石さんに……)
もしもダブルスティックでのバーチャリオンのプレイ経験がなければ、俺は異世界で無力な市民としてあっという間にジュライに取り込まれるか、ペストに食われていたのかもしれない。
「しゅうちゃん……?」
気がつくと、めぐがやや不安そうな面持ちで、俺のことを見つめていた。
「ああ、すまない、なんでもない……」
「そう……」
どうやら異世界のことを思い出している時に俺の表情は、めぐにとって不安を煽るものらしい。
今後は気をつけななければと思った。
そして同時に、また重くなってしまった空気をどう払拭しようかと考え、そして……
「ちょっと試してみる? これでのバーチャリオンのプレイ?」
自分の家からわざわざ持ってきたのだから、少なくともめぐはダブルスティックの存在に興味は持っているらしい。
「しゅうちゃんが、教えてくれるなら! 下手くそかもだけど……」