モヤモヤから一転……やったー!な橘さん
「……」
なし崩し的に、今日も俺は橘さんと一緒に帰路へついていた。
しかし、今日の橘さんはどこか様子がおかしい。
(日中はいつも通りで元気だったのに、どうして急にこんな落ち込んだ風に……?)
ほとんど会話がないまま、道程の中程まで達してしまった。
その間、橘さんが亜麻色の長い髪の先端を指先で弄んでいることに気がつく。
(何か俺に話したいことでも? でもなんだろう……今回ばかりは橘さんが何を考えているのかさっぱりわからない……)
そうして俺が戸惑っている中のこと、
「あ、あのね……田端くん……」
「ん?」
「先生と、あんなに、仲良かった……?」
不安を感じさせる声で、橘さんが聞いてきた。
「先生……? ああ、林原先生のことか?」
橘さんはコクリと頷く。
「なんか、楽しそうに屋上でお話ししてるなと、思って……」
「見てたのか?」
「なんか、田端くんって、時々、こう……先生へ、特別な視線を……」
もしかすると橘さんは俺が林原先生へ抱いている気持ちを、変に誤解しているのかと思った。
そして同時に“異世界のめぐ”も、俺が鮫島さん以外と話すのは、非常に嫌がっていたという、少々嫉妬深いところも……。
(これは今後のためにも、この誤解はきちんと解いたほうが良いな)
「や、やっぱりなんでも、ないですっ! 変なこと言ってごめ……」
「実は……林原先生にはとってもお世話になったんだ。勉強のことや、人間関係のことでいろいろと……」
とはいえ、これは異世界での林原軍曹殿としての話である。
軍曹殿の軍人として厳しさ、そして人としての優しさが、俺をここまで成長させてくれたのだ。
「そ、そう……なんだ……。でも、なんであんなに、こっそりと?」
「先生はみんなの先生だろ? だから俺個人に手厚く構っているのは、周囲からどう思うわれるかと思って。だから俺から、ああした相談や話はこっそりしましょうって提案して、さっきのような感じになってるんだ」
実際、これは林原軍曹殿から言われたことであった。
元の世界の先生も、異世界の教育係である軍曹殿も、立場的に公平でいなければならなかったらしい。
こうした大人の立場を理解できるようになったのも、全て異世界生活のおかげであった。
「……やっぱり田端くんって、妙に大人な気が、します……」
「まさか……ははは……!」
さすがは鋭い。
もしかすると、俺が実際は20歳以上なのがバレるのも時間の問題なのかもしれないと思った。
「……」
話の決着はついたはずだ。
でも、橘さんは未だに、髪を指で弄んでいる。
まだ、何かあるのだろうか……でも、今日はすごく調子が悪い?のか、彼女のことがさっぱりわからない。
(でも、ストレートに"まだなにか言いたいことがあるの?"と聞くのも失礼極まりないわけだし、どうしたものか……)
もう2人で住まいのマンションへ入り、エレベーターに乗ってしまっていた。
ここはやはりしっかりと話を聞いておくべきか、否か……!
「……あ、あの、えっと……」
「ん?」
「明日は……朝からずっと田端くんのお家にいても良い、ですかっ!?」
「は……?」
急に何を言い出すのやらと驚きの俺だった。
対して橘さんも、最初こそは真剣な眼差しでこちらを見上げたものの、すぐさま頬を真っ赤に染める。
「あ! えっと! 試験が近いからっ! 一緒に勉強っ! って、思って……だ、だめ……!?」
学校や他の人といるときはわりとしっかりしている橘さんだが、俺の前だと、こういう少しとぼけたような、年相応のような表情を見せてくれている。この特別感が俺は堪らず嬉しく思っている。
「別に変な意味に捉えていないから安心てしくれ。いいぞ、一緒に勉強しよう!」
「い、良いの? 本当に良いの!?」
「もちろん」
「やったぁ――――っ!」
橘さんが歓喜の声を上げた瞬間エレベーターの扉が開いた。
開いた先に居た住民の主婦は一瞬、驚いた表情を見せたものの、すぐさま微笑ましそうな笑みを浮かべる。
「あ、あ! そのっ……大きな声出して、すみませんっ!」
橘さんは耳まで真っ赤に染めながら、足早いに主婦を横切ってゆく。
俺もまた、会釈をして、エレベーターを降りるのだった。
「ううう……恥ずかしいぃ……」
そして顔を手で隠しながら、その場へ蹲ってしまったのだった。
「そんなに迷惑そうな様子はなかったし、そんなに気に病まなくても良いと思うぞ。それに……」
「?」
「お、俺と勉強ができることを、そこまで喜んでくれたことが……嬉しい……」
「ほんと……?」
「こんなことで嘘など言うものか」
「そっか……嬉しいんだ……ふふ……」
橘さんは満足そうな笑みを浮かべながら立ち上がる。
(それにしても、週末は橘さんとずっと一緒か……楽しみだな!)
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「お、おはよっ! 今日は一日……よ、よろしくお願いしますっ!」
土曜日の9時50分ーー俺の家での勉強会開始の10分前に、橘さんがやってきた。
しかも美味しそうなカステラの手土産まで持参で。
「おはよう。そのカステラは?」
「きゅ、休憩時間に一緒に! これね、長崎の老舗菓子店の有名なやつ、です! この間、お父さんが出張先から送ってくれて!」
「ほうそれは! 楽しみしてる! さぁ、上がってくれ!」
「お、お邪魔します……」
ここ最近はわりとさらっと家へ上がっていたのだが、今日に関しては妙に緊張感を漂わせている橘さんなのだった。