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膝をポンポンしだす橘さん


「おはよう! もしかして橘さんもランニングを?」


「う、うんっ! ちょっと、最近、そのぉ……」


 橘さんは恥ずかしそうにもじもじしつつ、お腹の辺りをさすっている。

 こちらは全然気にならないし、むしろ変化など気づかないのだが、橘さん自身はかなり気にしているらしい。


「と、ところで! 田端くんは、いつぐらいから!?」


どうやらランニングの開始時期を聞かれているらしい。


「……3月のはじめ位、だったかな……?」


実際は異世界へ行っていた3年間、ずっと行っていたのだけど、本当のことをいうと話がややこしくなりそうなので適当に誤魔化したのだった。


「そうなんだ。約1ヶ月……減るかな……」


 橘さんはブツブツ呟きながら、お腹の辺りをプニプニしていた。

なんだか猫の毛繕いをみている気分になって、ほっこりとしてしまう。


と、いつまでも雑談をしていては、ランニングの時間が無くなってしまう。


「行こうか」


「うんっ!」


――あんな悪夢を見た手前もあるのだろう。

今朝の橘さんの笑顔は妙に眩しく見えて仕方がなかった。

そしてこうして2人で走っていると、異世界でのめぐとの思い出の数々が蘇ってくる。


(めぐと親しくなった要因に、ランニングがあったんだよな……。同期に比べて圧倒的に体力が不足していた俺がこっそり走り込みをしていたら、それをめぐが見つけて、一緒に走ってくれて、それからはずっと毎朝こうして……おかげでどんどん体力がついて、訓練について行けるようになった……)


“いただきますがいえる俺”と同様に“体力がある俺”を醸成してくれたのも、【異世界のめぐ】が側にいてくれたからであった。


「はぁ……はぁ……ま、まってっ……! 早いっ……!」


 と、後ろからめぐ……ではなく、情けない橘さんの声が聞こえてくる。

立ち止まって振り返ると、河岸のサイクリングロードをヘロヘロになりながら、走っている橘さんの姿があった。

 一瞬、めぐにしては珍しいなと思うも、今目の前にいるのはただの学生でしかない橘さんなのだと思い出す。


「少し休むか?」


「はぁ……はぁ……そ、そうするぅ……!」


 汗だくの橘さんは、芝生の上へばたんと寝そべった。

俺はそんな彼女の傍へと腰を据える。


「すごい体力、ですね……」


 元の世界の橘さんも、体育の成績は悪い方ではないと思い出す。


「色々と思うところがあって……割とハードな訓練を積んでいたからこうなった」


 20kg以上の完全装備を背負って、山道を歩いたりなどは、異世界での訓練では日常茶飯事だったからだ。


「偉い、ですね……やっぱり、田端くんってすごい……」


「凄くはない……そうせざるを得なかったというのが正しい……」


 むしろ生き残るため、異世界のめぐを守るために、俺は変わる必要があった。

変わらざるを得なかったのだ。


「大変なことを、乗り越えてきたん、ですね……」


 決して乗り越えてきた訳じゃない。むしろ、絶望の中、俺は元の世界へ帰還していたのだが……ここで否定をしても、せっかくの橘さんがくれた気持ちに水を指すことになってしまう。


「ありがとう、頑張ったよ……」


なんとか大丈夫な様子を装い、お礼を言った。

するとややあって、頭にあたりにふわりとした感触を得る。


「橘さん……?」


「あっ、えっと! や、やっぱり、こういうの嫌、ですか……?」


俺の頭を撫でていた橘さんは、パッと手を離す。


「私もお父さんに撫でられて嬉しいから、田端くんもどうかと……」


「いや、その……続けてくれ……嫌じゃない……」


 むしろ、今日の俺は、悪夢を見た手前、少しナーバスになっているフシがある。

だからこうして、無事でいる橘さんを身近に感じられるのは、この上ないほど嬉しい。


「わ、わかりましたっ! それじゃ……!」


橘さんはおっかなびっくりな様子で、撫でるのを再開する。


「田端くんは、すごい……偉い……!」


 そんな優しげな囁き声は、どうしても俺へめぐの存在を思い出させてしまう。

 でも、今こうして俺の頭を撫でてくれているのは、めぐではなく、橘さんだ。


 異世界では立場や、やるべきことが多々あり、こうしてめぐに甘えることさえできなかった。

むしろ、俺が、俺以上に大任を背負った彼女を支えるべき立場にあったからだ。


 もちろん、元の世界でも俺はこれらかも橘さんのことを支えてゆきたいと考えている。だけど……


(もし許されるのならば、多少はこうして甘えたい……異世界では望めなかった分、こちらの世界では……)


「ふわぁ……」


「眠い、ですか?」


 不意に睡魔が忍び寄ってきた。

こんなところで、しかもランニング中に寝てしまうのはどうかとは思った。


「だ、だったら……ど、どうぞ!」


と、橘さんは伸ばした自分の膝をポンポン叩いてて見せる。


「い、いや、それはさすがに……」


 公衆の面前でさすがにそれは恥ずかしいと思い、そう告げる。


「大丈夫! この辺、しばらく誰も来ません、からっ!」


 妙に押しの強い橘さんだった。

そしてこういうリアクションの時は、なかなか引かないとわかっている。


「じゃ、じゃあ、少しだけ……」


 おっかなびっくり俺は橘さんの膝の上へ頭を置く。

すると彼女は俺の顔を、とても嬉しそうな表情で覗き込んできた。


「気持ちいい?」


「あ、ああ……」


「よかった、です。ちょっとの時間だけど、ゆっくりお休みなさい……」


 そう橘さんは囁いて、再び俺の髪をなで始める。

その心地よさには抗えず、俺は思わず意識を消失してしまう。

 極めて短い時間なのだが、元の世界に帰ってきて初めて、異世界での記憶を見ずに、ぐっすり眠れたと思うのだった。


「くぅーかぁー……すぅ……」


「た、田端くん! 起きてっ! 早く戻らないと遅刻っ!!」


「は……!? な、なんだとぉ!? まさか橘さんも寝てしまったのか!?」


「あ、あ! いや、それは……なんか、起こしちゃ悪いと思ってたら、いつの間にか……は、はやく戻り、ましょっ!」


ーーその後、2人揃ってバタバタと登校したのは言うまでもない。

 


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