もはやこれは同棲生活
2回目の夕飯を終え、ソファーに座って、スマホを眺めながら腹下しをしていた時のこと、
「あ、あの、田端くんっ……!」
脇を見てみると、大きなダンボールを抱えた橘さんがいた。
「その荷物は?」
「あ、えっと、その……」
蓋の空いたダンボールからは、しっかりとした作りのフライパンの握り手が生えている。
「そのフライパンって、この間、橘さんが家から持ってきてたやつだな?」
「こ、これねっ! ドイツの会社のもので、他のものよりも厚みがあって、均一に火が通せます! コーティングも剥がれにくくて、保証期間内だったら、いくらでも新品と交換してくれて! で、これが、そのドイツの会社が出している、フライ返しで……!」
どうやら橘さんは、自分の家から愛用している調理器具や調味料類を持ちこみたいらしいと察する。
「確かに道具は使い慣れたもの方がいいのはわかる」
俺立ち上がり、台所へ向かってゆく。
そして壁にかかっている安物の調理器具類を、次々と収納へしまっていった。
「勝手に触ったりしないので、ここにフライパンなどをおいてくれ」
「ありがとっ!」
橘さんは心底嬉しそうな笑みを浮かべると、足早に台所へ向かってゆき、お気に入りの調理器具を配置し始める。
「あ、あの、田端くんっ! これも、えっと……」
橘さんが次の取り出したのは、変わったボトルに入った塩や調味料類だった。
「構わない。今あるのは適当に奥へ詰めて、取り出し易くして大丈夫だ」
「ありがとっ!!」
橘さんはダンボールから次々と、見たことも聞いたこともない調味料を取り出し、戸棚へ手際よくしまってゆく。
「あの、田端くんっ……!」
3度目のお呼び出しであった。
「橘さん……」
「ひうっ!? か、勝手に色々してごめんなさいっ!」
どうやら怒っていると誤解をさせてしまったらしい。
「別に怒ってはいない。ただ、その……好きにしても良いよって言いたくて」
「へ?」
「いちいち俺に確認を取らなくても大丈夫だ。橘さんの使い易いように弄ってもらって構わない」
「……良いん、ですか……?」
そんな小動物のような可愛い顔で尋ねられて、断ることのできる男なんてこの世には存在ないと思われる。
「ほ、本当に構わん。本当に……」
「ありがとっ!!!」
ようやく緊張を解いた橘さんが、ダンボールから取り出したのは、質感はしっかりしているが、どこか可愛らしさのあるお茶碗やお箸などの食器類だった。どうやらこれは愛用の食器類らしい。
(調理器具や調味料類は適当に誤魔化せるけど、食器類は……)
うちの父母は割と突然帰ってきたりするので、橘さんの食器類を見られたら、どう説明しようかと考える。
(まぁ、父さんも学生時代、母さんと同棲してたって酔った時言ってたし、同じようなものだと言えば大丈夫かな……?)
まだ橘さんとは付き合っていないので、同棲という言葉は、あまりしっくりこないのは否めないが。
「これはここで……ケチャップは……」
少々思い悩んでいる俺のことなどつゆ知らず、橘さんはブツブツと呟きながら、冷蔵庫の中身を整理していた。
そんな微笑ましい彼女の背中をいつまでも見ていたい、衝動に駆られる俺だった。
★★★
「ごめんなさい、しゅうちゃん……」
めぐの顔へ降り注ぐ雪を、俺は何回も払いつつづけた。
彼女の顔色がすぐれないのは、白い雪が降り注いでいるためだ。
そうだ、絶対にそうに違いない。
しかし彼女が咳き込み、白い雪が真っ赤に染まった瞬間、背筋が凍りつく。
まるで万力に掛けられたかのような圧力が、俺の胸へ襲いかかる。
「もう、いいから……」
「もう、良いって、何がだよ……?」
「行って……じゃないと、しゅうちゃんまで、死んじゃうから……せっかく、助かったのに……そんなの嫌だから……」
めぐがこうなってしまったのも、自分の責任だった。
もしもあのとき、ペストとジュライの挟撃をしっかり把握してさえいれば……
俺が“緑”を見ただけで、震えてしまう身体でなければ……
「今まで……本当にありがとう……とっても、とっても、とっても……しゅうちゃんと過ごした時間、楽しかった……」
「な、なにバカなこと言ってるんだよ……? そんなのこれからも……!」
「もう、私のことは忘れて……しゅう、ちゃん……」
「め、めぐ……おい! めぐっ! 嘘だろ……おい、目を開けろよ! おいっ!!! 俺を1人にしないでくれよっ!!!」
★★★
――最悪な目覚めだった。まさか異世界のめぐの最期の場面をここまで鮮明に夢に見てしまうなど……
しかし、悪夢のおかげなのか、久々に5時半に起床することができた。
俺は異世界で日課としていた早朝ランニングをするために、ジャージへ着替え、夜明け前の薄暗い外へ出る。
ふと、“元の世界のめぐ”――橘さん――の部屋の前で足が止まった。
(大丈夫だ……元の世界のめぐは、この扉の先でぐっすり寝ているはず。元の世界は平和だ。簡単に死ぬはずがない……)
そして今朝もきっと朝食を作るために、元気な姿を見せてくれるはずだ。
それまでにランニングを終えないと。
どこをどう走ろうかと、思案しながら階段を降りてゆく。
「あ、あれ……? 田端くん……!?」
その声を聞き、胸が一瞬で華やいだ。
視線を正面へ向けると、街灯に下にジャージ姿の橘さんがいたからだ。