橘さんからのご褒美
「こんなところにどうして? お昼は?」
「……私もここでお昼に……い、一緒はだ、だめ、ですか……?」
「いいや、全然。一緒に食べよう」
「うんっ!」
正直、今のタイミングで橘さんが来てくれたのはありがたかった。
異世界でのここでの出来事を思い出し、鬱屈していた気持ちが、彼女の明るい声によって払拭されたからだった。
(これからはなるべく異世界生活のことは思い出さないようにしよう……)
そう誓いを立てて、俺と橘さんはベンチへ座る。
そして弁当箱の蓋を開いた。
真っ先に目に止まったには、綺麗な焼き目のついた、黄金の卵焼きである。
「いただきます」
まずは弁当へ拝礼をする。
そして今日の自信作という卵を焼きをいざ実食。
柔らかな歯ごたえに、ふんわり香るごま油の香りが食欲がそそられる。
味わいも、甘くはなく、お出汁の味わいが白飯によく合った。
「ど、どう……!?」
「これは……良い!。甘くなく、ご飯のおかずにぴったりだ!」
「良かった、です! これうちの味! お父さん、甘い卵焼きが苦手で……」
「実は俺もたまたま、甘い卵焼きが苦手だ」
「たまたま……ふふ……またそれ、ですか?」
こうしてケラケラと笑う橘さんは本当に可愛いと改めて思ったのだった。
そしてこの笑顔が常に側にあれば、異世界の嫌な記憶など、あっという間に消し去れると思えて仕方がなかった。
やがて弁当の消化が目前に迫った頃のこと。
橘さんはガサゴソと保冷バックを探り出す。
「どっちが、良い、ですか……?」
橘さんが取り出してきたのは、いずれもカットフルーツの入ったゼリーとヨーグルトだった。
「買ったのか?」
「さっき、購買で。ささやかだけど、田端くんの当選お祝いにと……!」
「それは橘さんもでは?」
「だから自分の分も買い、ました! でも田端くんから選んで!」
ならば俺はヨーグルト一択だった。
食糧事情が悪かった異世界では、味が非常に悪いゼリー状の栄養補給食品を嫌というほど食べさせられていたからだ。
久々に口にできた乳製品は、心の底からうまいと感じた。
やはりこんなものまでロクに手に入らなかった、あの異世界はとんでもないところだった。
そんなことを考えつつ、ヨーグルトに舌鼓を打っていた時のこと、
「……」
何故か橘さんがじぃっとこちらのことを見ていた。
「どうかしたか?」
「ひぅっ!? な、なんでもない、ですっ……!」
どうも釈然としない言い草であった。
「それ、美味しい、ですか?」
「美味い」
「ふ、ふーん……そう……」
なんとなく、今の物欲しそうな橘さんの視線に既視感を覚える。
(ああ、そうだ……この視線は欲しがっている時のめぐの視線そのものだ……で、気づかず全部食べてしまうと、ヘソを曲げるといった子供っぽいところがある。だったら……)
俺はスプーンでヨーグルトをすくった。
「ほら」
「ん!?」
スプーンですくったヨーグルトを差し出すと、橘さんは素っ頓狂な声をあげて、頬を真っ赤に染める。
今更、何を恥ずかしがっているのだろうか……?
むしろ臍を曲げられる方が、困るし、多少自分の取り分が減ったところで問題はないのだが……
「えっと……いただきます……」
橘さんはスプーンをパクりと咥えるのだった。
最初こそ、何を今更こんなことでリアクションを……と思っていたが、やがて、自分が橘さんに対して相当まずいことをしでかしたと気がつく。
(そうだ……今目の前にいるは仲良くなったばかりの橘さんで、めぐじゃないじゃないか!)
同じ顔、同じ声、同じ性格ではあるのだが、過ごした時間や関係性はめぐと橘さんとでは雲泥の差があるのは明白である。
「田端くんって、すごくこういうことに慣れてる気が、しますっ……」
「あ、いや、そういうわけでは……」
「なんで?」
「ええっと……」
まさか馬鹿正直に、君にそっくりな人とはこういうことを度々していて、うっかりその時の癖が出てしまったなどと言えるはずもない。
そうして俺が言い淀んでいると、橘さんはおもむろに自分のゼリーをスプーンですくい、
「んっ!」
「あ、いや、自分で掬うので……」
と、橘さんのゼリーへ自分のスプーンを伸ばすも、サッと遠ざけられてしまった。
「んんっ!」
もはやこれ以上問答を繰り返しても、無駄らしい。
俺は耳に熱を感じつつ、橘さんが突きつけているゼリーを食べるのだった。
「ど、どう、ですか?」
「美味しかった……」
「そ、そう! なら良かった……」
と、一巡終えて、お互いに俯いてしまう。
「ところで」
「んー?」
「なんで今回は委員長に立候補したんだ?」
正直、今でも橘さんのようなおとなしい人は委員長には向いていないと思う節がある。
「田端くんを見習おうと思って……」
「俺?」
橘さんはコクリと頷き、真剣な眼差しを向けてくる。
「私も、田端くんみたいに、しっかりした人に変わりたいと思い、ました……だから行動をと……!」
異世界のめぐも、少し引っ込み思案な自分を変えたいと努力していたことを思い出す。
この子のも、この子なりに、自分と向き合っているのだ。
「それに……副委員長が、田端くんだから、安心……」
いろいろな意味で俺は橘さんの側にいられる権利を獲得した。
なら彼女の力になりたいと、俺は切に思っている。
⚫︎⚫︎⚫︎
(今日は橘さん、部活の日か。今夜は久々に1人で、ということだな)
音楽室からわずかに響くチェロの音色へ耳を傾けつつ、俺は1人で帰宅することにした。
(少し、街を回ってみよう。何気に戻ってから、今日まで1人でいる方が少なかったからな)




