赤い花弁
総武線の車窓から映るビルに反射した自分の顔を見つめていた。悠希が去って世界が赤くなった。
悠希は泣いていた。あの日、百日紅の花が何故赤く染まるのかを教えてくれた悠希は、蒸せ返るような日照を背に受けて花弁を1枚もいだ。フリルのような百日紅の花弁は指先で擦ると赤が滲み、悠希の親指の付け根に滴った。夏の花はみんなそうだと悠希は言った。私は夾竹桃が好きだった。赤ピンク色の花房がナイフのような葉をまといながら路肩から溢れ出て、自分の頭の重さで茎が折れる。己の欲望の際限の無さと、あの粉っぽいような、甘い香り。
炭酸水の入ったペットボトルを花瓶にして、夾竹桃を刺した。無数の気泡が音を立てて茎にまといついた。日々の生活の灰汁のようなものが、停滞と浮き沈みを繰り返して、最後にはすべて私の部屋に流れ着く気がした。それらを全て夾竹桃が吸い取ってくれると、私は本棚の上で傾いている赤い花弁を見つめた。炭酸を吸った夾竹桃は、雌しべまで赤くなる。
朝4時に目が覚め、微睡みの中で下着をまさぐる、反復された身体の記憶のみが私を動かす。4時半の始発に乗り、荒川を越えた辺りで、朝日が車内に射し込む。数人の乗客が、互いの肩を枕の替わりにして、横向きに倒れている。その真横の手すりにかけられたビニール傘は、それを意識した日からずっとそこにある。無駄なものの一切を排除しても、その過程で生じた残滓はいつまでも身体にこびりつく。私にとってそれは赤い色素をもつ花弁であり、また目の前のビニール傘でもあった。
向かい家のサルビアが粒々とした花を無数に咲かせた。淡い赤、悠希の好んだ花だった。悠希はこの花をチェリーセージだと言った。それは昨日から咲いていたかもしれないし、ずっと前から咲いていたかもしれなかった。私が先の事を考えないうちは、咲き続けているのだと思った。小さな花弁が二三ついた茎を指でもいだ。指の先で小さな赤がくるくると回った。サクランボに似た匂いが微かに漂った。
部屋に戻ると、ペットボトルに刺した夾竹桃が夕光に揺れていた。夕陽を受けて赤くなった夾竹桃のナイフのように鋭利な葉が、私の足元まで影を伸ばして、風に呼応した前後運動を繰り返していた。私はチェリーセージの茎を隣に刺した。チェリーセージの茎は、私が握っていた指の部分でかくんと折れ曲がった。