第8話 公爵令嬢は生還したい
「まあ……それでは進化をすれば私は強くなれるのですね?」
『その通り。ようやく話が前に進むな』
ずいぶん遠回りしてしまいややお疲れ気味のモフラだが、やっと本題に入れると満足げに頷く。
「ところでモフラ、進化ってなんですの?」
『……そこからか!? うーん、リリアにもわかるように簡単に説明すると、全ての生き物は元は同じ存在なんだ』
「同じ? 小魚さんと私もですか?」
『そうだ。生命とはすべての可能性を持って生まれ、その中から特定の特性を選ぶことで生き物として種が決まってくる。つまり、生物の外見は選択の結果に過ぎないということだ』
「よくわかりませんが、私もお魚になれる可能性があった……ということでしょうか?」
『あったというよりも、今でもあると言った方が正確だな。リリアの中には、あらゆる可能性が使われないまま眠っているんだ。そして私はその可能性を自在に操ることができる。眠っている可能性を覚醒させたり、逆に眠らせたり……な』
ようやく本題に入れたことで少し自慢げなモフラ。
「まあ……モフラにそんな力が!? でも……そんなことをしたら大変なことになるのでは?」
選択の結果が生物の形であるならば、それを変えてしまったら一体どうなってしまうのか?
いくら強くなったとしても、異形の化け物になってしまえば、イデアとは二度と会うことなど出来ない。
『ふふん、心配するな。もちろん適当にいじったら大変なことになるが、私を誰だと思っている? 身体を魔境に適応させつつ、じっくりと強化していけば、十年以内には脱出可能に……』
「駄目ですっ!! 十年なんて駄目です!! きっと私は死んだことになっているのですから、イデアさまは別の方と結婚されているでしょうし、それに帝国との戦争がどうなるかも心配です」
リリアは今年で16歳、十年後でも26歳ではあるが、情勢は待ってはくれないだろう。戻ったところでイデアや国そのものが無くなっている可能性だってある。情報が一切入ってこないこの魔境で、のんびりしている暇はないのだ。
今のリリアにとって、時間は何物にも代えがたいほど重要で優先すべきことなのである。
『……なるほどな、気持ちはわかるが、短期間での強化は身体にかかる負担も大きいぞ? それでもやるのか?』
「もちろんです。どのような苦痛にも耐えてみせます」
可能性があるのならば、決して逃げない。それがリリアの信条であり生き方だ。
『……わかった。まあ、リリアは樹液耐性を一晩で身に付けた変態だからな。何とかなるかもしれない』
さりげなく酷いことを言うモフラ。
「……樹液耐性? なんですか、それ?」
モフラは、変態は良いのか? と思いつつも言葉を続ける。
『本来ガイアの樹液は多くの生き物にとっては恵みであると同時に毒となる。甘い匂いにつられて口にすると……どうなるかは知っているだろう?』
全身が金に変わってゆく恐怖と激痛を思い出して震えるリリア。あんな辛い思いは二度としたくはない。
『魔境の生物の中には、長い年月をかけて樹液耐性を身に付けた種もいるんだが、リリアは無茶苦茶な方法で耐性を獲得してしまったんだよ。治癒魔法とやらの副産物だろうがな』
モフラの説明によると短時間に破壊と再生を繰り返したことで、リリアの中に眠る可能性が覚醒し、耐性を獲得したということらしい。
『ガイアの樹液には様々な効果がある。魔力とやらが上がっていることに気付いているか?』
「そう言えば……火魔法の威力がずいぶん強いなあとは思っていましたけれど……」
普段は種火程度だったはずの火魔法が、攻撃魔法としても通用しそうなほどの威力になっていたことを思い出す。
『それにな、リリアが食べた小魚や地底湖の水、あれだって猛毒なんだぞ? 樹液のおかげで耐性が出来ていたから良かったものの……』
どうやら思った以上に危ない状況だったらしい。他に選択肢が無かったとはいえ、樹液を飲むという判断をしたあの時の自分を褒めてあげたい。苦しんだ甲斐があったとリリアはどこか報われたような気持ちになる。
『ちなみに暗闇でも明るく見えているのも樹液の効果だからな?』
本来この地底湖周辺はぼんやりと一部が発光するだけで、こんなに明るくはないのだという。本当に樹液様様だとあらためてリリアは思う。
『つまりだ、リリアの治癒魔法を使って破壊と再生を高速で繰り返せば、短期間で強くなることも理論上は可能ということだ。まあ言うのは簡単だが、実際は耐えられるものでは……』
「やります!! 私は強くならなければならないんですよね? でしたらやります、耐えて耐えて強くなります!!」
理論上はそうかもしれないが、正直滅茶苦茶な方法だ。死んだ方がマシと後悔するかもしれない。モフラとしては気乗りしないのが本音ではある。
だが、リリアは一歩も引く気はないようだ。
彼女の本来の魅力は、大陸一ともてはやされた可憐な容姿ではない。内面から溢れ出る迸るように眩しい精神性こそが本質であり、イデアが惚れこんだのもまさしくそういう部分であったのだ。
『……そうか、あまり気はすすまないんだが』
モフラは宿主とすべて共有しているため、痛みや苦しみも感じることになる。それでも、同時にリリアの想いもわかってしまう以上、止めることも出来ない。
せめて、少しでも苦痛を減らしつつ、効率よくリリアを進化させる方法を考えなければ。モフラは知識と経験を総動員して考え始める。
◇◇◇
「ええ……骨まで食べるんですか?」
『その小魚の骨を食べれば、骨格の強化につながるんだ。残さず食え』
とにかくリリアの場合、土台となる身体が脆弱過ぎるので、ある程度環境に耐えられるくらいに強化してからでないと始まらない。
「……むう、香ばしくて意外に美味しいでふ……」
カリカリに焼き上げた小魚は、骨まで問題なく食べることが出来る。
リリアはリスのようにポリポリと小魚を丸ごと食べ続けるのであった。
『樹液も一日2リットル飲め』
樹液には様々な効果があるので、手っ取り早く強くなるにはうってつけ。
壁面に張り出したガイアの根を焼き切るとそこから樹液が染み出してくるが、コップや容器などはないので、昆虫になったかのようにむしゃぶりつくしかない。
令嬢にあるまじき行為で、模範的な淑女であるリリアにとっては精神的にも大変辛いものがあったが、それ以上に辛いのは、樹液の過剰摂取による副反応だ。
「あああああああ……」
たとえ耐性があったとしても、必要以上に摂取すれば劇薬となる。
激しい苦痛に耐えながら治癒魔法を使い続ける。少しでも回復のタイミングを誤れば、意識を失ってしまうこともあり、そのたびにモフラに叩き起こされる。
リリアでなければ間違いなく耐えられないであろう地獄のような苦しみ。
救いなのは、魔力と耐性が上がり続けている事、治癒魔法の練度が向上することによって苦しみが少しずつ緩和されていったことだろう。
生還に向けた試練はまだ始まったばかりだ。




