第4話 イデアの後悔 ランスの慟哭
少し時間は遡る。
リリアが王都を出発した翌日、
イデアの下にランスが姿を現した。
「殿下、このたびは大切な任務にも関わらず体調を崩してしまい申し訳ございませんでした。どのような罰も覚悟しております」
リリアの護衛というものがどれほど重要なものかランスは十二分に理解している。自分を信じて任せてくれた主の信頼を裏切ってしまったこと。十分に気を使っていたつもりではあったが、体調管理に言い訳はできない。出来て当たり前の世界なのだから。
さぞや怒り失望しているだろうと覚悟していたが、イデアの反応は予想を裏切るものであった。
「……ちょっと待て、なぜお前がここにいる? 体調を崩した? そんな報告は聞いていないぞ」
「……なんですって!?」
その言葉にランスの顔色が蒼白になる。
たしかに言われてみれば、回復を待って数日日程をずらしても問題なかったはず。
嫌な予感がする。
「ランス、頼んだぞ、何としてもリリアを守ってくれ」
「はっ、身命にかけて!!」
時間が惜しいため詳しい調査はこれからだが、内部に間者がいた可能性が高い。
少なくとも、いくら急とはいえ、経験も浅く実力もランスに遠く及ばないゾルグが隊長に選ばれているのは不自然だ。
最悪の可能性が捨てきれない以上、イデアの判断は早かった。
ランスは最低限の手勢を連れて王宮を飛び出す。
「頼む……何事もなければそれでいい……どうかご無事で」
祈るような気持ちでランスは馬を飛ばす。
途中の街で馬を乗り換え、仮眠は馬車でとりながら夜を徹して追走する。
幸い途中の街で事件や騒動の話を聞くことはなかったが、リリアの無事な姿を見るまでは欠片も気を緩めることなど出来ない。
「ランスさま、どうやらリリアさまは無事辺境伯領へ向かった模様です」
辺境伯領境の街で情報収集してきた部下の報告を受ける。
どうやら追いついたようだ、ランスは一瞬緩みそうになる気を再び引き締める。
何かあるとすれば辺境伯領へ入ってから。そう考えていたからだ。
「すぐ出発するぞ!!」
あと少し、ランスは矢のように馬を飛ばす。少しでも一秒でも早く。
「むっ……!? あれは……辺境伯軍?」
街道を進み辺境伯領へ入ったところで、ランスたち一行は辺境伯軍と出会う。
「近衛騎士団ランスだ。リリア殿下はご無事か?」
「はっ、我らリリアさまを出迎えるために派遣されておりますが、未だ到着されておりませぬ」
「む? 間違いなくリリアさまは先行しているはずだが……」
その時、上空に赤い煙が広がる。
「あれは……!? 近衛騎士団の緊急を知らせる魔道具!! リリアさまだ、間違いない。諸君らも至急峠へ向かってくれ、行くぞ!!」
ランスの顔色が変わる。やはり……悪い予感が的中してしまった。
「安全策をとって峠越えをしたのかもしれませぬ、我らも参ります」
辺境伯軍を伴ってランスは峠道へと方向転換する。
なぜあえて峠道を選んだのか? 不自然というほどではないが、こういう状況だと嫌な予感がしてならない。
「ランスさま!! 戦闘を確認!!」
峠道が一番険しさを増してくるあたりで、金属音が聞こえてくる。
「総員抜刀!! 賊軍を蹴散らせ!!」
ランスは王国一と名高い猛将、病み上がりで体調は万全ではなく疲労も蓄積しているが、今の彼はまさに闘神のごとし。立ちはだかる敵兵はなすすべもなく斬り伏せられる。
「貴様が敵将だな?」
あっという間に勝敗は決した。
「……戦神ランスか……降参だ降参、任務を失敗した以上、どうせ国に帰っても殺されるだけだからな」
武器を捨て、両手を上げて地べたに座り込む敵将。
「よし、洗いざらい話して協力するなら悪いようにはしない。捕えろ」
「……どうだかな、どの道俺の運命は終わったようなもんだ」
「……どういう意味だ?」
「さあね……ただあのお嬢さん、噂に違わぬ……いやそれ以上だったよ」
どこか気の抜けたような諦めにも似た表情を浮かべたまま敵将が連行されてゆく。
「ゾルグ、無事か? 被害は?」
座り込んだまま動こうとしないゾルグに駆け寄り状況の確認をするランス。
見たところ騎士団と馬車には損傷もなく、どうやら間に合ったようだと内心ほっとしていた。
「……ランスさま……騎士団の死者は……ございません。リリアさまがいなければ全滅していたところでしたが」
「……どういう意味だ? リリアさまはご無事なんだろうな? かすり傷一つでもあったら殿下から大目玉を食らうぞ」
魂が抜けたように覇気がないゾルグの様子に若干いらだちを覚えるランス。
「……リリアさまは……お亡くなりになられました」
絞り出すように、最後は消え入るように、ゾルグが告げる。
「…………ゾルグ……貴様……今……何と……言った?」
「……リリアさまは……帝国に利用されないため、全滅寸前の我らを救うため……自ら崖から身を投げられました……申し訳……ございません」
ゾルグは何とか言い終えると子どものように泣き崩れる。
「ふ、ふざけるなゾルグううう、貴様らは何だ? 騎士だろうが!! 一体何をしていた? 何のために……そ、捜索は? まだ確認したわけではないのだろう? もしかしたらまだ……どこだ、どこからリリアさまは……」
リリアが飛び降りた場所でランスはただ呆然と立ち尽くしていた。
どんなに低く見積もっても5百メートル以上の高さはある。
しかも崖下に広がるのは魔境と呼ばれる不可侵領域のジャングル。
屈強な辺境伯軍ですら、魔境の辺縁部が精一杯。それほど危険で恐ろしい場所が魔境である。
万が一、奇跡が起こって落下で助かったとしても、生き残れる可能性など……仮にランスであったとしてもゼロに等しいだろう。
「リリアさまは……ここから飛び降りられたのか……」
鋼のような精神を持つランスでさえ思わず怯んでしまうほどだ。
どれほどの恐怖と悔しさだっただろうか。
仕組まれたとはいえ、全ての責任は自分にある。それは間違いが無い。
『ランス、いつも守ってくれてありがとう』
「……リリアさま」
どんな些細なことにもリリアはいつも真っ直ぐにランスに感謝の言葉をかけていた。
まだ幼かった頃からリリアを妹のように可愛がっていたランスは、ようやく幸せになれると心から主であるイデアとの婚約を誰よりも喜んでいたのだ。
「なぜだ……なぜ私は……間に合わなかった」
ランスは人目もはばからずに泣いた。吠えるように強く激しく……。
あと数分早ければリリアは死なずに済んだかもしれない。夜を徹して走ることは出来なかったのか? それが無理であることはわかってはいても、後悔することはやめられない。
口からは血が流れ、掌からも流血するほど拳を握りしめる。
このままリリアの後を追いたくなる気持ちをぐっと抑え込む。
それは、国のために最大限出来ることを考えて死んでいったリリアにたいする最大の侮辱だ。
まだ出来ることがある。やらねばならないことがある。
主にこのことを知らせなければならない。
どんなに辛い役目だとしても、それは私が直接報告する義務がある。
そして……帝国は必ずこの手で滅ぼす。
たとえ悪魔に魂を売ったとしても……。




