第10話 公爵令嬢は眠りたい
『おいおい……本当に完食しやがったのか……』
鬼気迫る捨て身のダンスの甲斐もあって、なんとその日のうちに岩ゴケ5キロを平らげることに成功したリリアにモフラは驚きを隠せない。
目標に向かって全身全霊で取り組むその姿は、ある意味美しくもあるが、モフラは同時に危うさも感じていた。
「……死ぬかと思いました」
『だろうな。提案した私がいうのもなんだが、ドン引きだよ』
モフラの見立てでは、早くても三日から一週間はかかるだろうとふんでいたのだ。無茶をするにも限度がある。
「……モフラ、そういう言葉づかいはあまり美しくありませんよ?」
『そうなのか? 使い勝手は良いと思うのだが……』
モフラは、リリアの使う言葉だけではなく、彼女がこれまで見聞きした記憶の全てを取り入れて使いこなし始めている。リリア本人すら忘れているようなことも含めて。
その学習スピードは半端ではなく、最初の頃のぎこちなさはまったく無い。
ところで、一日で完食したということは、当然早く食べ終わるために全身の筋肉増強を連発したということ。
リリアの極限まで酷使された肉体は、先ほどまでとは比べ物にならないほどの激痛に苦しめられることになったのは言うまでもない。
だが、酷使すればするほどリリアの中に眠る力の可能性が覚醒することになるし、モフラとしても、宿主であるリリアが強くなるのは歓迎すべき展開である。
それでも色々言うのは、モフラなりにリリアのことを心配しているからにすぎない。
『これでいきなり襲われても生き残れる確率が上がるだろう。良かったな』
「もう強くなったのでしょうか? 実感はまったくないのですが……」
苦労して食べきったのに、変化を感じられず不安そうなリリア。
『そんなすぐには変わらない。一晩眠れば実感できるぞ。新しい特質の定着には十分な睡眠が必要なんだ』
「そうなのですね!! でしたらそろそろお休みをいただこうかしら」
リリアはすでに肉体的にも精神的にも限界を迎えている。口調はしっかりしているものの、疲れは隠せない。
当初は地底湖まで戻る予定だったが、初日で5キロチャレンジをクリアしてしまったので、リリアの疲労も考慮して今夜は戻らずにここで眠ることにしようとモフラは提案する。
「ねえモフラ、この岩ゴケずっともふもふにしておくことは出来ないのかしら?」
岩ゴケを敷き詰めてベッドに出来ないかとリリアは考えていたのだ。なにせここ1週間以上、ずっと固い岩の上で寝起きしていたのだからそう考えたくなるのも無理はない。
『出来るぞ。その代わり喰っても耐久性は上がらなくなるが、もうリリアには必要ないしな』
その答えに歓喜したリリアは、疲れも忘れてせっせと大量の岩ゴケを集めてくる。
「……よし、こんなところかしら?」
何重にも積み重ねられた岩ゴケはたちまちふわふわの天然ベッドに早変わり。
「きゃっふう~!! もふもふ、もっふもふ~!!」
ベッドに飛び込み転がるリリア。もうあのヒンヤリとしたゴツゴツに悩まされずに済むと思うと嬉しくてしようがない。
「あ……モフラ、この辺に水場はないのかしら?」
採集と運動で汗を沢山かいたことを思い出したリリア。出来れば汗を流したい。せっかくのベッドをより堪能するためにも。
『あそこに生えている草、露草っていうんだが、強く握ると水があふれ出してくるぞ』
壁面から垂れさがるように生えている厚ぼったい葉の植物。水が出てくるなんてにわかには信じがたいが、モフラが言うならそうなのだろう。
「危険は……無いのよね?」
イケイケまっしぐらなリリアも、さすがに学習している。せっかくのお休みタイムの前に痛い思いなどしたくはない。
『大丈夫、握るだけならな。水も飲めるぞ』
……ちょっと待て、なんだその意味深な言い方は。
すご-く気にはなるが、丁度喉も乾いていたし、今更下層まで降りて水浴びするのも億劫だ。リリアは露草を使ってみることにした。
「うううう……駄目みたいです」
力いっぱい握ってみたが、固いスポンジみたいな葉からは数滴の水しか垂れてこない。
『ふむ、やはり力が圧倒的に足りないか……』
「冷静に分析してないで、何とかしてくださいモフラ」
困った時のモフラ頼み。だが、それは相応の代償を必要とする悪魔の取引でもある。
「ふわああ……気持ちいいです~」
握力を強化したことによって、潤沢な水量が露草から供給される。もはやシャワー状態。
「なんだかこの水、甘いです」
露草の汁を口に含んだリリアが驚きの声を上げる。そう、露草の水は甘いのだ。まさに甘露。
予期せぬスイートな喜びに浸っていられたのも束の間、
「痛だあああああああ……!?」
油断をしていると副作用の激痛が襲ってきて、リリアはそのたびに悲鳴を上げる羽目になる。
「……今度こそ眠るのです」
汗を流しさっぱりすると急激に眠気が襲ってくる。リリアは作ったばかりの岩ゴケ製ベッドにぼすんと体を投げ出す。
『寝ている間は見張っていてやるから、ゆっくりと休め』
モフラには肉体がないので睡眠は必要ないのだ。だからリリアは安心して眠ることが出来ている。
「ありがとう……おやすみ……なさい……」
久し振りのベッド、あっという間に眠りに落ちるリリア。
地上から差し込む光も今は消え、きっと外は夜。
『おやすみ、リリア』
今日一日頑張った彼女をモフラは優しく見守る。
『明日からはもっと大変だからな、今だけはゆっくり休むといい』
無理をするなといっても聞かないのがわかっているからせめて良い夢を。モフラはそう願うのであった。
◇◇◇
「ふわあ……よく眠れたのです」
翌朝、リリアの肌艶はとても良い。朝まで痛みで目を覚ますことなくゆっくり睡眠をとれたおかげだろう。
リリアはベッドを抜け出すと露草のシャワーで顔を洗う。
「痛だあああああああ……あ、あら!? 思ったより痛くないです?」
続けて襲ってきた副作用の激痛で完全に目が覚めるが、いつもより痛みが弱いように感じる。昨日食べた岩ゴケのおかげだろうかと、嬉しくなるリリア。
『ふふん、調子は良さそうだな。良い感じで耐久力も上がっているし、今日はその絶望的に貧弱な力を強化しに行くぞ』
「ふあい……」
今のリリアの力では、モフラの力を借りなければ採集一つ出来ない。力の強化は必須かつ優先的な課題であるのだ。
リリアとしても、毎回副作用で苦しむのはいい加減うんざりしているので、願ってもない話ではある。
『いいか、残念ながら今回は戦闘は避けられない。最初から全力強化することになるから覚悟しておけ』
出発前、モフラは言い聞かせるように話を切り出す。
「ええ……また副作用ですか~……」
げっそりするリリアだが、目的のためには乗り越えなくてはならない試練。やりたくなくてもやるしかない。
「よし、覚悟完了です」
ぱんぱんと自ら頬を叩き、リリアは気持ちを切り替えて気合を入れ直すのであった。