第1話 公爵令嬢リリア
人族が住まう大陸中央部を中原と呼び、その西端に位置するプラトニア王国。
数年前、穏健な政策に反発した勢力により王が幽閉され誕生した隣国ゲルマニア共和国は、隣接する小国を併合しついには帝国を名乗るに至った。
次の標的がプラトニア王国であることはもはや確定的で、王宮では連日国の存亡を懸けた緊急の会議が行われていた。
「リリア、大事な話があるんだ」
幼馴染であり婚約者である公爵令嬢リリアを私室へ呼び出したのは、プラトニア王国第一王子イデア。
「……政略結婚でございますね?」
「……まいったな、リリアにはお見通しか」
王族特有のプラチナヘアを掻くイデア。
いまだ連戦の消耗が激しく、領土内の掌握はもちろん本国内すら万全とはいえない帝国。
この状態で、小国とはいえ強力な魔物が巣食う魔境に隣接し武勇に優れた王国と正面切って戦争を起こすほど帝国も馬鹿ではないだろうと、聡明なリリアは理解していた。
となれば、婚姻関係を結び時間を稼ごうとするのは十分予想が出来る。それは帝国だけでなく、プラトニア王国にもメリットがある話であり、現状ではベストの選択肢の一つであることは間違いない。
「イデアさま、私に遠慮など無用。どうぞ国のため、縁談を進めてくださいませ」
王族の血が色濃く流れる公爵家のリリアもまた、輝くようなプラチナヘアであり、その銀色の瞳は強い意志と決意をはっきりと宿している。
「リリア……それがどういう意味か、君ならわかっているだろう?」
リリアの美貌と高潔さは、大陸中に響き渡っている。
帝国の皇帝が皇太子の妃にと要求してきたのは、他でもないリリア。
王太子であるイデアの婚約者であると知りながらの要求は、決して対等ではないという帝国の意思を暗に感じさせるものであり、王国としては業腹であるものの、あくまでも内々の婚約者であり、正式発表の前であったため、国際儀礼に反した要求という訳でもなく、むしろ皇太子妃に迎えるという破格の好条件とも言えるもの。
長期的な帝国との関係を考えれば、断る理由もなく、むしろ断ることで、帝国のメンツを潰し逆鱗に触れ、開戦の口実とされる可能性すらある。
当人たちの感情はともかく、王国としては、断り難い縁談であるといえる。
「もちろんです。私一人が帝国に嫁ぐことで、愛するこの国、そして……何よりイデアさまを守ることになるのですから」
リリアは聡明ゆえに自分の立場を十二分に理解している。決して後ろ向きではなく、強制された訳でもなく、冷静に熟慮を重ねて出した結論だ。
「……嫌だ」
「イデアさま?」
「嫌だと言ったんだ。君は誰にも渡さない。プロポーズした時にそう誓ったはずだ」
「し、しかし、それでは戦争に……」
戦争となれば多くの国民が戦火に巻き込まれることになる。私情を優先することなど高潔な彼女にとっては耐えられないこと。
「君は自分が犠牲になれば丸く収まると思っているようだが、帝国を甘く見過ぎではないか? 併合された国々の情報を集めているが、信用の欠片も無い連中だ。単なる時間稼ぎ以上の意味は無いし、君が泣こうが叫ぼうが、帝国は躊躇なく我が王国を滅ぼすだろう」
正論だ。リリア自身もそのことがわからないわけではない。
だが、自分が頑張って寵愛を受けることが出来れば、可能性は残る。決して中途半端な覚悟で捨て鉢になったわけではない。
「……そんな顔をするな、リリア。君にはいつも微笑んでいて欲しい。私にとっての女神なんだよ。大丈夫、私の強さは君も良く知っているだろう?」
「存じ上げておりますが、多勢に無勢。いつまでも持ちこたえられるとは思えません」
プラトニア王国が長きにわたり独立国としてこの地を治めてこれたのは、王族に受け継がれる人間離れした身体能力と屈強な国民の存在だ。
一説には、魔境で採れた食物を食し続けたことが原因ではないかともいわれているが、本当のところはわかっていない。ただ、魔境と接している辺境伯領が強人を多く輩出しているのは紛れもない事実ではある。
イデア王子はいずれ歴代最強になるのではないかと噂されるほどの剛の者ではあるが、決して不死身ではないのだ。
ましてやプラトニア王国の戦いでは、王族が真っ先に先陣をきって戦うスタイル。そこを狙われたら……リリアにとっては想像もしたくないほど心配なのだ。
「大丈夫だ、私もリリアを残して死ぬ気など無い。実はね、すでに北方のロキ公国と同盟の手はずはついているんだ。そして現在、東の神聖セラン教国とも交渉中で、返事を待っている段階でね。上手くいけば、三国で一気に帝国を叩く。仮に上手くいかなくても、十分牽制にはなるだろう」
リリアは内心驚きを隠せなかった。
イデア王子はあまり勉強が得意ではなかったはず。ずっとリリアが家庭教師的な立場であったのに。
「リリア……わかるぞ、イデアのくせにとか思っているんだろ?」
イデアが恨めしそうにジト目でリリアをにらむ。
「い、いいえ、そこまでは」
「ふーん、少しは思っていたんだ? 心外だな。これでも死ぬ気で勉強したんだ。君にプロポーズをしようと決めた日からずっと」
リリアは知らないことだが、イデアは大陸中の名のある学者や専門家を招聘して、本気で国の将来を見据えて行動していたのだ。すべては愛するリリアを守るために。
「ロキとセランには学院時代の友人がいるからね。持つべきものは情報と人脈だ」
中原の南端に位置する自由貿易都市には、大陸最大の学院があり、百年前の大戦の反省から、各国の王族は自由貿易都市の学院に留学することが慣例になっている。
そのことが中原の連帯感を強め、少なからぬ恋愛結婚などを通じて広がった縁戚関係が平和な時代に貢献していたのは間違いない。
帝国が誕生するまでは。
中原各国が危機感を共有し始めている今、たしかに同盟が成立する可能性は高い。隣国が落とされれば、次は我が身なのは明白なのだから。
「……申し訳ございません。イデアさまのお覚悟がそこまでだとは……」
自らの不明を恥じ、謝罪するリリア。
「リリアが謝ることなんて何もない。本当は戦争なんて無い方が良いに決まっているのだから。私も悩んだんだよ。私情で戦争を選び、民を巻き込むような人間に国を治める資格などないからね。私は……いつだって、君の前で恥ずかしくない人間でありたいんだ」
イデアがリリアを抱きよせる。
「イデアさま……」
リリアの頬を涙が伝う。その温かさに頑なだった心が解れてゆく。