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筋肉は、友達は裏切らない

八月二八日。オフィス内で、この日は特集ページの手直しを行っていた。チェックシートを使いながらミスしていないか確認する。その最中に事件が起きた。広報部に山澤部長が訪れたのだ。ああ、何だろう。今月でクビなのに、一体、他に何の件があるというのだ。

「北島君はいるか?」

 巽さん? まさかの一言に、私は思わず作業の手を止めた。山澤部長を見遣ると、巽さんが「はい」と答えて、彼の元に近づいていく。何だ? 東京行きの件か? そう考えていると。

「山本、お前も来い」

 唐突に私まで呼ばれた。おいおい、一体何が? 混乱を極めたまま、山澤部長の元まで駆け寄り、別室で話があると言われる。凄く嫌な予感がした。これから波乱が巻き起こるような……。

 山澤部長の後に続く。この沈黙が怖くなって、巽さんの横顔を窺う。凛々しい顔つきで彼女は歩く。

これは憶測だけれど、山澤部長と、私のことで言い争ったのかも。ただ、それなら別室まで行く事態にまで至るのだろうか。何度も彼とは話し合っていると巽さんから聞いていたし。となると、私のことだけでないのかもしれない。そう色々、推測していると、会議室の前で部長は立ち止まった。

またここか。中に父親と役員のオッサンどもがいると思うと、憂鬱になる。部長が扉を開けると、先に失礼しますと入室した。後に続いて私も巽さんも中に入る。

前回と同じ位置で社長や役員達が座っていた。手前の左端の席に鈴木部長がいる。この前と同じ席に座り、社長と対面した。私の左右に山澤部長と巽さんが着席する。張りつめた空気が心臓を締め付けた。ああ、嵐の前触れだ。

社長は眉一つ動かさず、真顔を貫いている。目を逸らすと、山澤部長が口を開いた。

「社長、それでは、恐れ入りますが、本題をお聞かせ頂きたいのですが……」

 えっ、山澤部長も知らされていない? じゃあ、何で私達は呼ばれたの? 今起きている現状に狼狽えていると、社長が腕を組み直して語り始める。

「実は、佳奈のクビのことで。結論から言うと、今回のミスで解雇という話を取り消そうと、私のほうで決めました」

「お父さん、本当に!」

 まさかの発言に、つい社長ということを忘れてしまった。直ぐに山澤部長から失礼だぞと叱責され、慌てて口を手で押さえる。山澤部長も驚いた様子で、待ってくださいと話し始めた。

「社長。それは一体、どういうことでしょうか? 前回の会議で山本君はクビと言う話で落ち着いたではありませんか?」

 部長の額から汗が噴き出ている。これだけ慌てふためく部長を見るのは初めてだ。どういうことと思いながら巽さんや、鈴木部長を見遣ると、勝ち誇ったような顔をしている。理解不能なまま父親に視線を向き直す。部長の質問に社長は返答した。

「それは私の台詞でもあります。山澤部長。あなたは佳奈の仕事ぶりを正しく教えてくれなかったみたいですね。鈴木部長からあなたに報告した通りの内容ではなく、いかにも佳奈が仕事のできないミスの続いている状態だとあなたから聞かされていました。が、鈴木部長から直接話を伺うと、全然、あなたから聞いた報告とまるで違うんですね。これはどういうことでしょう?」

 山澤部長、そういうことだったのか。大体、話が見えてきた。広報部に異動してから、企画セールで売り上げを出してきた成果を、正しく彼は社長に伝えてくれなかったんだ。山澤部長のところで、改悪した情報が回っていた。なんて奴なんだ。問われた部長は焦りを隠し切れないみたい。目が泳いでいる。

「何かの手違いだと思います。恐らく人事部の頃にいたミスがそのまま広報部でのミスという内容で伝達したのだと……」

「それは嘘です!」

 鈴木部長が勢いよく席を立ち、反論した。

「山澤部長。あなたは社長から彼女をクビにするようにと聞かされていたと言っていましたが、それも嘘ですよね。最初から、あなたは彼女に退職してほしかったのでは?」

「鈴木部長、言っている意味が分かりません」

 二人は屹立して、いがみ合う。ヤバい展開だ。

「そんなことをして私にメリットがあるとは思えませんが?」

「メリットは彼女自身にあるのではない。私自身にあるのでは? 私の評価を下げること。それが狙いですよね。たくさん、私に嫌がらせもしてきましたよね。挨拶を無視したり、わざとすれ違うことを避けたり。それをし始めた時期が、山本君が広報部に異動してからなんですよ。それは山本君が広報部で成績を上げて、あなた自身は彼女を育てられなかった。その逆恨みからでは?」

「馬鹿馬鹿しい」

凄く怒っているらしく、額に青筋が疎らに浮かんでいた。

「鈴木部長、いい加減にしてもらいたい。社長や役員の皆さんの前だぞ。身を慎みたまえ!」

 怒号を上げる山澤部長に、鈴木部長は微動だにしない。割り込むように社長が手を上げる。

「山澤部長、ちょっとお聞きしたい。私はあなたに、佳奈をクビにしてほしいとは言っていないのだが」

「社長。これは鈴木部長の戯言です。私は彼女にイジメじみたこともしておりませんし、そんなことを言った記憶はございません。一体、何を考えているのやら……」

嘘だ。確かに私も聞いた。社長がクビにするように言っていたって。この男、どこまで嘘をついているんだ。

「認めないんですね。山澤部長」

「当たり前だ。言っていないのだからな」

「これでも、お認めにならないのですね」

そう言って、鈴木部長は胸元に挿していたボールペンを取り出した。まさか、それって。そう思うと、ボールペンから山澤部長の肉声が流れた。

『私が彼女をかばったところで、辞職の流れを変えることはできない。もともと社長から、彼女を辞めさせる心積もりを聞かされていた。だから、山本がクビになるのが早いか遅いかという、それだけの話だったんだ』

その場の空気が凍り付く。役員達はざわめき始め、山澤部長は鈴木部長から顔を背ける。

「まだありますよ」

 さらに隠し撮りしていたらしい音声が流れた。

『山澤部長、どうして無視するんですか。私、何かしましたか?』

 雑音に混ざって問いかける鈴木部長の声。その次に。

『うるせえ』

 確かに山澤部長の声だ。

『山本君のことですか? 彼女が広報部に異動して、業績を上げるようになったから私を恨んでいるんですか?』

『……ちっ、泥棒ネコが』

喧噪と共に二人の靴音が轟く。それで音声は途絶えた。何度も社長は頷く。

「どうやら、鈴木部長の言い分が本当らしいですね」

「社長、違います。これは捏造です。きっと私の声に似た社員を捕まえて吹き込んだんです。私を陥れるための」

「山澤部長。あなたには失望しました。創業以来の仲だったのに、まさかこんな形で裏切られるとは……。残念です」

 再び役員達が騒ぎ出す。その最中、社長は話を続けた。

「それとですね。そちらにいらっしゃる北島君から、実は直談判がありまして」

 なんだって! 巽さん、いつの間に社長に?

「彼女、何度も佳奈を辞めさせないでほしいとお願いしてきて。話を聞くと、どうも山澤部長から聞いていた話とだいぶ違うぞと。鈴木部長から聞いた内容と同じですし、いよいよ怪しくなってきた。それで、今回、あなたや鈴木部長達を呼んだんですね。山澤部長、全て納得のできる理由で話してくれますよね?」

社長の言葉に山澤部長は口を閉ざした。どうやら、何も言い返すことができないようだ。頭を抱えて、部長は椅子に座る。大きく溜息を吐いて、項垂れる。その様子を見て頷いた社長が口を開く。

「まあ、山澤部長の処分は、こちらで決めますので。今回、真実が炙り出されたことにホッとしています。佳奈が仕事をこなしていることも事実だと分かりましたし、山澤部長の悪態も知れました。北島君、鈴木部長、今回はありがとうございました」

わざわざ社長は立ち上がり、頭を下げる。そして。

「どうか、これからも娘をよろしくお願いします」

 つい感極まって立ち上がる。

「社長、ありがとうございます!」

 父親に、嬉しさから頭を下げるのは初めてだった。社長は佳奈と名前を呼んで。

「成長したな。嬉しいよ。これからも会社の為に、ぜひ頑張ってほしい。よろしく頼む」

 私にも父が頭を下げる姿に、胸が熱くなる。良かった。私はクビにならずに済む。それどころか、何となく父との蟠りも、解消できそうな気がした。

 会議室を退室して、私達は広報部に戻る。その間、鈴木部長や巽さんから、やったねと声をかけてもらえた。肩に手を回してきた巽さんの手を掴んで、学生のように笑う。仲間がいる幸せを噛みしめる。やっぱり私は、この人達が好きだ。この人達の為に仕事を頑張りたい。心から、そう思った。


 仕事終わりの予鈴が鳴る。今日は花金だし、早く帰ろう。仕事の進捗も悪くないので、定時で帰宅することにした。パソコンを切電すると、巽さんが近づいてくる。

「山ちゃん、今日は定時? だったらさ、一緒に飲みに行かない? 会社継続の祝いを兼ねてさ」

 彼女から誘われたのは初めてだったので、ぜひ行きたいと即答した。巽さんは、にひひと笑って、それじゃあ行こうと腕を引っ張る。ああ、幸せだ。胸の中に温かい感情が広がる。

 場所は恒例の居酒屋「バルクアップ」だった。これで行くのは三度目かな。すっかり常連になってしまった。

 店員さんに案内された個室に入り、襖を閉める。二人っきりで食事をしたことはあるけれど、何だか雰囲気が違う。多分、友達という認識でなく、好きな人と二人きりという考えのせいだろうけど。変に緊張しちゃうな。

「山ちゃん、なに飲む? ウーロン茶でいい?」

 減量しているので、もちろんだった。それでお願いと頼むと、巽さんは注文ボタンを押す。直ぐに店員さんがオーダーの為に来る。ウーロン茶二杯と、脂身の少ない焼き鳥の盛り合わせを巽さんは頼んだ。店員さんが襖を閉めてから、今日のことで改めてお礼を伝える。

「いいって。それより、山ちゃんがクビにならなくて良かった。本当に」

「いや。本当に巽さんや鈴木部長のおかげさまだよ。私の知らないところで、お父さんに頭を下げていたことが、嬉しくて。本当にありがとう」

「大事な部下の為ですから。って、何だかそんなに言われると、照れちゃうよ。当たり前のことだから」

 話している最中に、襖が開いてウーロン茶が運ばれた。グラスを手にして、彼女と乾杯する。岡田先輩と飲んだ時よりも、格別に美味しかった。そういえば、今、彼はどうしているんだろう。まあ、どうでもいいか。

 それから焼き鳥も運ばれてきて、二人で味わう。恐らく、巽さんと食事するのも、これが最後かも。月末の三十一日には、東京へ発つのだろうから。

 筋トレやフィジーク、ベスボ大会のことで話していると巽さんが、そろそろ帰ろうと言う。正直、まだ帰りたくないと思っていると。

「山ちゃん。この後、用事ある?」

「いや、全く」

「よかった。それならさ。うちに来ない? 自重トレの合トレもしてみたいと思って」

 そういえば、彼女の家に入ったことはなかった。せっかくの誘いだし、行ってみたいと思って、行くと伝える。ただ、巽さん食後に動けるというのは凄いな。誤って食べた物を出さないようにしないと。

 会計は、また巽さんが出した。今日は祝いだと言われ、支払う機会を失ってしまう。申し訳ない気持ちのまま、ひとまず駐車場まで向かい、自車に乗る。

 巽さんのアパートに向かう為、国道を走った。時刻は夜の一〇時を過ぎていて、道も空いている。あっという間に巽さんのアパートに到着した。

 地下駐車場に進入し、彼女の部屋番の記載された駐車スペースに停車する。いつもゴールデンジムで使うバッグを背負って、巽さんの後に続いた。

 駐車場内にある階段を上り、二回に到着する。そこから外に繋がる通路を歩く。ここから見える外の景色は真っ暗で、殆ど闇に包まれている。ただ、私の住んでいるアパートと決定的に違うのは、道も壁も綺麗だ。ちゃんと清掃されていて、蜘蛛の巣や虫の死骸も落ちていない。すごく清潔な感じがした。凄いな。同じアパートなのに、清掃が徹底されているだけで高級感を覚える。

奥の部屋である二〇九号室に立つ。ここが巽さんの部屋か。施錠されたドアを開くと、柑橘系の香りがした。巽さんが先に部屋に入って、灯りを点ける。

「山ちゃん、どうぞ」

「おっ、お邪魔します」

 廊下はワックスがされていた。私の家とは大違いで、片付けもされていて整然とされている。奥の部屋に入ると、広さは私の部屋と同じくらいで六畳ほどの大きさだった。ピンク色のカーペットが敷かれていて、小さい白い机が置かれている。机上には何も置かれていない状態で、彼女の几帳面な性格が垣間見えた。

 机の前に置かれたクッションに座るように言われて、お言葉に甘える。部屋の中を見回していると、巽さんはクローゼットを開いた。中からダンベルやゴムキューブを取り出し、床に並べる。

「さてさて。それじゃあ、合トレいきますか?」

「うん、そうだね」

 私が立ち上がると、巽さんは事務服のスカートを脱いだ。いつもピンクのスパッツを下に履いているので、それが出てくると思っていたのだが。

「あっ、やだ」

 出てきたのは水色と白の縞パンだった。目を逸らすべきなのか? いや同性だから、逸らさなくてもいいのか。分からなくて、私の方が狼狽してしまった。巽さんは爆笑してから。

「そうだった。ジムに行かないから今日はいいやって履いてなかったんだった。馬鹿だね、あたし。あはは」

 つい苦笑いしていると、巽さんの太ももに目がいく。網パンの直ぐ近くの箇所が、アトピーなのか、酷くかぶれていた。あんまり、こういうのは見ない方がいい。そう思って、直ぐに目を逸らしたのだが。

「あちゃー、見られちまったか」

 巽さんからアトピーのことを口にした。

「たっ、巽さん。大丈夫ですよ。誰でも色々ありますから」

 慌ててフォローしようと言葉にするが、自分でも意味不明な事を口走ってしまう。それを聞いた巽さんは、再び笑い始めた。

「いや、色々あるって、なにがよ。あはは。まあ、山ちゃんとの仲だからさ。話そうと思うけど。これ、中学の頃から治らないんだ」

「となると、陸上時代の頃から?」

 問いかけると巽さんは、うんと頷いて、その場で座り込んだ。太もものアトピーを見つめながら話をしてくれた。

「実はさ。陸上種目のスコアが伸びなかったって話したじゃない。その理由はね。あたしの実力が伸びなかったんじゃなくて、実力を出せなかったんだ。陸上ってさ。足を露出して走る競技でしょう。入部した時は、こんなアトピーなんてなかったんだ。でも、コーチのイジメや結果を出せなかったプレッシャーからか、ある日、突然肌が荒れ始めた。それがどんどん、酷くなった。皆、走っている姿を見るでしょう。それで、アトピーを沢山の人に見られていると意識したら辛くなってさ。でね。一度コーチに丈の長いスパッツはありませんかと尋ねたけれど、わざとなんだろうな。お前ひとりだけ違うものは履かせられない。どうでもいいから走れって怒られてさ。それからスコアが伸びなくなって、コーチにも圧力をかけれられて、どん底にいた。そんな時に、彼女に会ったんだ」

 そうだったのか。巽さんは、そのアトピーに悩んでいた。辛くて、どうにもならない時に恩人と出会ったのか。

 そう考えた時だった。頭の中で、ずっと見てきていた夢の内容がフラッシュバックする。

 黄昏に染まる最中、県立体育館の前で話し合う私と少女。目の前の少女は巽さんの恩人で、私の恩人でもある。その時の服装は、彼女は半袖半ズボンで、私は半袖長ズボンだった。いや、おかしい。私は長ズボンを履く必要性なんてないのだ。そんな肌寒い時期でもないのに。現に私はズボンだけ長いのを履いていた。まさか、まさか今まで私が見ていた夢の中の私は、私ではなかったのでは。そうだ。私じゃない。長いズボンを履く必要性があるのは、巽さんだけ。アトピーを隠す為に。じゃあ、巽さんのいう恩人の正体って……。

「山ちゃん、どうしたの?」

 頭を抱えて、過去の記憶を必死に掘り起こす。もっと、もっと昔のアルバムのページを遡る。巽さんは前に言っていた。恩人は私みたいなおかっぱではなく、眼鏡もかけていないクールな女性だったと。そして、巽さんに愛していると言っていた。

「巽さん、前に話していた恩人の話だけど」

「うん?」

「その人のことを、巽さんは何て呼んでいたか覚えてる?」

 問いかけると、彼女は「うーん」と唸ってから、自信なさげに答える。

「うろ覚えだけど、確かサキちゃんだったような。女の子らしい名前だったと思うけれど」

 サキちゃん? その瞬間に、頭の中でガラスの割れる音が轟いた。今の今まで、私は当たり前に感じすぎていて、大事なことを見落としていたのだ。そうだ。私はいつから山本になったのだろう。それは中学二年の時だ。母が蒸発した時のこと。ただし、蒸発する前の私の名前は山本じゃない。――山崎だ。

「巽さん、私と巽さんは、もっと前から会っていたんだ」

「どういうこと?」

「その巽さんの言っていた恩人は、私だったんだよ」

 うそー! と絶叫した後に「めっちゃ運命じゃん!」と目を輝かせていた。その後、私の肩を両手で掴みながら「どうして、どうして」と理由を何度も尋ねる。落ち着いて、と彼女の顔を両手で押さえながら、今まで話せなかった夢の少女のことを伝えた。それと、旧姓が山崎であることも。

お互いに県立体育館の石段という場所の共通点や、夕暮れという点も同じ。なによりも。

「そのサキちゃんというのは、恐らくだけどね。当時の巽さんは私の苗字を聞いて『山崎だからサキちゃんね』と言ったんだと思う。それから記憶が薄れて、下の名前の咲ちゃんと勘違いしたんだと」

「確かにサキって名前は、苗字より下の名前をイメージするよね」

 うんうん、と巽さんは、あぐらを組んだまま頷く。すごく楽しんでいる様子で、顔もニコニコしていた。

「それと、さっき話した通り、夢の中では私は長ズボンを履いていると思っていた。でも、それも本当は巽さんの視点であって、私が気になっていた少女というのも、実は私自身だった。白いベールで顔が分からなかったり、声も快活な感じだったり、漠然としたイメージの理由は、自分自身だったから。他人なら顔や容姿から記憶に定着するけれど、自分の顔なんてしょうちゅう見るわけじゃないし、声も意識して自分の声なんて聞かないし。だから、自分自身だって、ずっと気付けなかった」

「自分自身を傍から見るなんて、普通できないもんね」

「まして、夢の中で視点が入れ替わっているなんて思いもしないから。まあ、夢だからこそ成りえる現象だよね」

 感嘆から深い溜息を吐く。自分と巽さんが、ずっと前から知り合いで、しかも私は彼女を励ましていた恩人だったとはね。

「でも、山ちゃんさ。自分がさ。あたしに愛してあげるって言っていたことも覚えていなかったの?」

 そこは自分でも謎に思っていた。そこで、巽さんに私なりの考えられる可能性を話す。

「痛いところを突かれたな。実は、中学二年の時っていうのは、かなりメンタルがキツイ時だった。恐らく巽さんと出会ったのは、私が前に話した竹迫君に告白される前だと思う。けれど、もともと彼に告白される前から、私は両親の離婚によって心に深い傷を負っていた。

 それで、本来の明るい性格が内向きになって、容姿も整えなくなってしまった。眼鏡をかけ始めたのも、そこからだと思う。そうした最悪なタイミングで、竹迫君に目を付けられ、騙されて精神疾患になった。私は今まで、精神疾患になる前から陰キャだと思い込んでいた。でも実際は、彼に告白される前は、明るい性格だったんだと。いや、違う。今の、この性格が、もともとの性格だったんだ。私は自分で負の殻を作り、そこに縮まって身を守っていたんだ。

そうして、殻を作ったまま入社して木澤先生のところでお世話になった時期から、私は暗い性格になったと思い込んでいた。ところが、実際は違った。本当は、トラウマになる前の記憶を覆い隠していたんだと。両親の離婚も辛かったはずなのに、竹迫君に裏切られたことが、人生最大の苦しみだった。だから、それだけは忘れられなくて夢にまで出てきたんだと思う。やっぱり、暗いことばかり考えていれば、明るいことは考えなくなる。その結果が、巽さんとの出会いの記憶を――欠落させてしまったのだと。そう私は思う」

最後まで聞き終えた巽さんは、腕を組んで考える素振りを見せる。

「ふーん。じゃあ、あたしが山ちゃんは陰キャじゃないって前に言っていたのは、やっぱり間違ってなかったんだね。本質をあたしは最初から見抜いていたってことか。山ちゃんに自分から話しかけたのも、恩人と重なって見えたのも、やっぱり面影があったからなのかな? 潜在意識が働いたってやつ? ともあれ、あたし見る目あるなー。うへへ」

 そう言って軽く笑う。その表情につられて、私も微笑んだ。しかし、こんなことってあるんだな。もしかして、私が今まで歩いてきた暗黒の軌跡は、彼女と出会う奇跡の準備だったのかもしれない。

 こうして、今まで気にしていた少女の正体を突き止められたが、新たな問題が生じる。巽さんが恋していた人が、結果的に私であるということだ。その事にお互い気付いているからか、段々と口数が少なくなってくる。うん、変に意識しているぞ。どうしたものか。私から勇気を出して言うべきか?

「あのさ、山ちゃん」

「うん?」

「ええっと、前に言っていた、そのっ、恩人に恋していますよって話なんだけどさ。あれは、憧れっていうか、あんまり気にしないで。ほら、山ちゃんだって分かったから、すごく安心したというか」

 ああ、無理している。きっと同性だって理由で気を遣っているんだろう。言わないと、私から。

 そう思うと、身体が直ぐに動いた。彼女の名前を呼びながら強く抱きしめる。すると、素っ頓狂な声で山ちゃんと呼んでくれた。

「ちゃんと言うよ。私は、巽さんのことが好きだ。好き。もし、巽さんと出会っていなければ、一緒に筋トレをしていなかったら、こうして真実を知ることもできなかった。私は暗いままで、会社を辞めていたかもしれない。だから、巽さんには心から感謝している」

「あーっ、本当に恥ずかしい奴だ! 山ちゃん、あたしもう恥ずかしすぎて死にそう。でも、あたしも言うよ! 山ちゃんが大好き。そして、あの時、あたしを救ってくれて、ありがとう。本当に、ありがとう!」

 私は今、心から幸せを感じている。巽さんの胸の高鳴りや熱い体温が直接、伝わってきた。ああ、これが愛か。私の求めていたものだ。

ずっと暗い人生だったのに、誰からも必要とされていなかったのに、愛してくれる人が見つかった。この幸せを手放したくない。これから巽さんと一緒に生きていきたい、けれど、そうだ。巽さんは、東京に……。でも、いいんだ。巽さんの愛は本物なんだから。今は、今だけは、この愛を感じていたい。


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