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面倒臭 ~メンドウシュウ~

作者: 等々力 白米(とどろき しらべい)

 麗らかな梅雨の午後、緑が天露に濡れていた。

 朝の通り雨の後を、昼間の太陽が照らしている。

 窓から射すまどろみを、潤は机につっぷしたまま感じていた。

「平野、布袋、次理科室移動だよ。」

 如何にも責任感がありそうな学級委員長の黒髪短髪の少女が,潤とその隣で同じようにつっぷしてる成美に声をかけた。

「めんどくせぇ~、あ~めんどくせぇ~」

「はぁ~あ」

「あ~、めんどくせぇ~」

「何デュエットしてんのよ。」

 自分の席から移動するのも面倒臭いのか、やる気なさげに潤は文句を言いながらふらふら立ち上がった。

 意図せず、潤の面倒臭いの口癖に、成美のあくびが合いの手になる。

 学級委員長は二人の様子に半眼で呆れていた。

「面倒くさいって言えばさ」

 成美が移動するべく立ち上がりうる。

「ああ」

 潤は、特に考えず相槌を打った。

「最近潤、臭うよね。」

 潤は固まった。

 成美は率直な意見しか言えない人間だ。成美がそういうのなら、そうなのだろう。

 しかし、突然言われた事に潤が目を見開いて驚いてしまうのは不可抗力だ。

 目の前の学級委員長を一瞥すると、成美の言葉に賛同するような、微妙な表情を

していた。その後ろの女子達も微妙な苦笑いを浮かべている。

 最近クラスメイトが何となく自分を遠巻きに見ている気がしたが、そのせいだったのか。

  どうやら、モテ期だったわけでは無いと潤はがっかりする。

 成美にお礼を言いたいところがだったが、バツが悪く、不貞腐れた顔をするしか出来なかった。

「面倒臭い」

 それが、高校二年生になった布袋 潤の口癖。

 名前は『潤』なのに、普段その瞳はからっからに乾いている。

 朝起きるのが面倒くさければ、母親の小言を聞くのも面倒臭い。

 虚ろな目で世の中と携帯画面を捉える。

「取り合えず、教室移動しなきゃ。」

 学級委員長の後ろの女子がその場を促した。

 潤はかったるそうにみんなに続いて教室を出た。

  窓の外、雨に濡れた後の木々が日に照らされているのを目に留め、携帯カメラを構える。

 潤の瞳が瑞々しく見開き、その一瞬だけ若者らしい生気を帯びる。

 撮った画像を確認していると、横から成美が覗き込んできた。

「良い絵だね。」

 成美が抑揚のない調子で言う分、潤にはお世辞で無い事が感じ取れた。

「それはどうも」

 お年頃のせいか、心が乾いているせいか、本心で褒められているとしても、潤はそっけない態度をとってしまう。褒められて大喜びするのも、気恥ずかしいのかも知れない。

 潤は地味な顔のわりに、目だけはくっきり大きく釣り目なので、そういった動作が人より冷たく見える。

 成美は気に留める素振りも無いが、他の人だと、低い声のトーンで、『怒っている』と思うかも知れない。

 潤も同じ中学で慣れ親しんでいる成美や、責任感の強い学級委員長以外の人間が、自分話しかけにくそうにしてるのは分かっていはいた。が、何かを行動で変えようとするのは面倒臭かった。

「写真同好会に入れば良いのに。」

「そういうの、面倒臭いから。」

 成美のぼやきに、潤は感情なく答えた。

「何で面倒臭いんだよ?」

 歩きながら、畳みかけて成美が聞いてきた。今日は良く喋るなと思いながら潤は答えていく。

「会費とかで金がかかるし、人と比べられるだろ?先輩後輩とかいうのも面倒臭い。」

「そんな悪いもんじゃ無いかもよ?」

 成美はマイペースでのんびり屋で、可愛がられるタイプの人間だ。

 放課後、疲れて教室で寝ていると、部活の先輩がお迎えに来るくらいに。

 そんな奴に言われても、『俺とお前は違う』としか、潤は思えなかった。

 同好会に入ればそれなりに部費はかかるものの、その分それなりに良い情報が得られるだろう。だけど、何かを始めるより先に、あれこれ想像して、動く前に面倒臭がってしまうのが、潤の習慣になっていた。

  



  その日は早めに帰って、直ぐに風呂に入った。

 携帯を濡らさない様にチャック付きビニールに入れ、戸棚にあったヨモギの入浴剤を入れた。

 普段十分くらいしか浸からない湯船に2時間近く居座った。

 お陰で母親に水道代の無駄だと小言を言われたが構っていられない。

 こちらは思春期のガラスのプライドがかかっているのだ。

 次の日、度々自分の臭いを嗅ぎながら、潤は立ち止まり、立ち止まり登校した。

 今の自分は柚子の香しかししないと信じたいが、自分では自分の体臭は分かりにくい。

 期待と不安を胸に教室に入った。クラスメイト達の反応を見ると、自分を遠巻きに訝しんだ表情は昨日と変わりがなかった。

 席に付いて、潤は恐る恐る隣の成美に尋ねた。

 「なぁ、昨日大分長めに風呂入って来たんだけど、まだ臭うかな。」

 「う~ん。」

 普段率直に答える成美が言葉を詰まらせていた。

 表情は変化が乏しいが、本人なりに悩んでいるのが分かる。

 潤は悟ると、ごつんと音を立てて机に顔を伏せた。

 一体何が悪いんだろう。

 その日潤は鐘の音と同時に教室から走り出て、近くのスーパーで一個五百円する入浴剤を買った。

 しかし、その次の日もクラスメイトの反応は同じものだった。

「ああ、面倒臭い一体何がいけないんだ。」

 潤は帰宅後自分の部屋の布団でへたれ込んだ。

 仕方なく、潤は昔度々お世話になった病院に行った。

 小さい時、水ぼうそうやおたふくにかかった際にお世話になった内科兼小児科だ。

「ああ、それは『面倒臭』だね。」

 こともなげに先生はそういった。

 ふさふさの白髪交じりの眉をかきながら、潤の顔を正面から見ている。

「何ですかそれは。」あほらしいと言いたげに潤が聞いた。

「ストレスによるホルモンバランスの低下から来る体臭でね。「面倒臭い」と言い続ける事で、言語脳が脳幹に本当にストレスを認知させてしまうんだ。やる気が消失されることで、体内の細胞がエネルギーとして消費される前に、血管内でストレス物質になる。それが活性化酸素を含んで、毛穴や肺から排出される。

「ちょっと専門的過ぎて、俺にはちんぷんかんぷんです。」

「まぁ、ため息の多い人や「面倒臭い」が口癖の人間によく見られる症状なんだよ。自覚症状があるだけ、君はラッキーさ。」

「はぁ…。」

潤は説明を聞いて思わず深いため息をついた。嫌なくらいはっきりと自覚症状があったからだ。

 どれだけ普段自分は「面倒臭い」と口にしているだろうか。

 数えてはいないが確かに普段から気が付いたら言っている。まるで呼吸するように。

 「「面倒臭い」っていう程に体臭が「面倒臭」になるんだ。特に面倒臭いと言葉を発している口の口臭は酷いもんだ。」

  思わず自分の口を手で押さえる潤。

  最近何を食べても味気なく感じていたが、口臭のせいだったのかも知れない。

「あとねぇ、行動しない事もストレスになるんだよ。」

先生の言葉に顔を上げる。小さい時から何度かしか 来ていないハズなのに、まるで俺と言う人間をよく知っている様な言い方をする。それが腹立たしくて、でも少し嬉しかった。

「どうすれば治りますか?」 両手を膝に乗せまだ俯き加減の俺に、間々あって先生は一個一個落とし込むように重みのある声で語った。

「「面倒臭い」って思う事を面倒臭いと感じなくなるまでやることかな。後本当はやりたかったのに面倒臭がってやらなかったことに手を付けるのも良いよ。」

 先生はただのおっさんなのに、白衣姿でウィンクするお茶目さは潤から見てもチャーミングだった。

 潤は次の日から、祖父の朝のごみ拾いを手伝う事にした。

 潤の祖父は早朝五時に起き、五時半に家を出て、近所の公園や駅や駐輪場や坂道の周りを掃除する。

 「じいちゃん、ちゃんと町内会美化委員の腕章付けてね。また補導されたら面倒臭い、、、」

 口癖とは本に恐ろしい。

 駄目だと分ってる筈なのにまた面倒臭いと言ってしまった。と思いながら、潤は祖父に続いて玄関で靴を履き、肩を落としながら家を出た。

 潤の祖父は最近警察に補導された事があった。

 清掃の際使い古しの小汚い服装でいるのと、もともとの赤ら顔が原因だ。

 草むらにはまったゴミを漁っていたところを、酔っぱらいのホームレスが土を荒らしていると勘違いされたのだ。

 失礼な事この上ないが、何時も小汚い格好でうろうろしているじいちゃんもじいちゃんだと潤は思う。

  今日日、日本オリンピック開発により都内から追い出されたホームレスが都下であるこの地域に増えていた。住宅の周りにはベットタウン開発を逃れた森林が多く残されている。隠れるところには不自由しないだろう。

 オリンピックが見送られてから、都下に流れてくる浮浪者は年々増えている。

 そうなると、子どもの遊び場になるハズの公園は浮浪者の住処になり、とても気持ち良くは近づけない。

 呼応するように、道端の不法統治も増えていった。

 潤のじいちゃんは気にしていないんだか、気にならないんだか、ホームレスが段ボールにくるまってる横をゴミ袋片手に掃除している。

 だからホームレスに間違われるのだと潤は言いたいが、言っても聞く人じゃないので、じいちゃんの背中に続いて清掃をした。

 じいちゃんがまた補導される方が、よっぽど面倒だと自分を納得させて。

 潤は少しでも作業が面倒臭く無くなる様に、楽しく作業することにした。

 清掃の合間を見ては写真を撮って自分の趣味を楽しんだ。

 携帯スマホを持ち歩き、好んだ景色を撮影した。

 朝の緑をカメラのビビット機能で撮るのが面白かった。

 ビビットの他に色鉛筆何かもある。これは撮影する際程よく人物をぼかしてくれる。

 自然と人の被写体は祖父が多くなった。

 祖父は賃金も支払われず仕事していると言うのに、生き生きとしていた。潤はそんな祖父を珍妙で面白い存在だと感じた。

 例えば祖父は補導されたのをきっかけに交番で茶を一杯貰うようになっていた。

 潤が祖父のお伴を始めて三日目に知った事だ。

 清掃中よく落とし物を拾うので、ちょくちょく顔を出しては、茶を出され、落とし物届を書きながら世間話をするのだ。

 潤は慈善活動していたのに補導され、ホームレスと同じ扱いを度々受けた祖父を、世の中の負債を背負っているように思っていた。が、実際祖父の日々は充実してるのかも知れないと、朝一緒に行動するようになり思い直していた。

 祖父に感染するように潤の朝も充実していった。

 ある良く晴れた日、毎朝公園にいるおばさんに声をかけ、猫の写真を撮らせてもらった。

 祖父が町を清掃することで、おばさんと知り合いになっていなかったら潤は声もかけられなかっただろう。祖父の人柄のお陰で出来た事だ。

 普段餌付けをしているおばさんが協力してくれたので、良いアングルで猫たちが撮れた。

 話を聞くと、おばさんはただ餌をあげてるだけでなく、野良猫の去勢手術も積極的に行ってるらしい。

 同じオスとしては同情するが、見返り無く慈善活動をする人に地味に驚いた。

  



「体臭大分マシになったんじゃない。」

じいちゃんの朝の清掃を手伝い始めた一週間過ぎ当たり成美が言った。

 「マジか。」それでもマシになった程度かと潤は少しがっかりしたが、少しでも希望が見えた事に自分を心の中で誉める事にした。

 そんな話を成美としながら、校舎裏のベンチで潤は携帯をかざし、撮った写真を整理していた。

 潤が壁にもたれかかりながら作業に没頭していた時、壁側の窓から人が乗り出して来て潤の携帯を覗き込んだ。

「何だ!良い写真撮るな!」

 集中していた潤は突然現れた人物に驚き思わず飛び上がった。

「なぁ、写真同好会入んないか?」

「そういうの面倒臭いから。あ、」

 思わず、成美と、突然現れた少年が鼻を同時に摘まんだ。

 (また、ちょっと臭っている。)

 潤は自分でも気が付いて、壁に手を付いて落ち込んだ。

 焦りと後悔と、梅雨のムシムシ加減でじんわり汗も出てきていた。

 (最近折角大分マシになって来ていたのに。)

潤は顔を青くし、罪の無い目の前の人物を怨んだ。

「まぁ、そう言わずさ、気が向いたら遊びに来いよ。俺一年の瀬戸内 直太。確か隣のクラスだよな?この先の物置みたいな部屋が同好会が使ってる部屋だからさ。」

「お前、気になんないのかよ?」

「まぁ、俺んち男三兄弟だし、多少平気。」

 何がとは言わないが、屈託なく返事をする直太は平然と笑って見せた。

 俯き加減でその顔を見上げた潤には、その明るさが恨めしく思われる。

 きっとこいつは末っ子に違いないと心の中で思った。


 その日の放課後、潤はトイレで体を濡らしたタオルで、まんべんなくよく拭いてから、写真同好会に向かった。

「何だ、やっぱ興味あったんじゃん。」

「いや、折角誘われたのにここでまた面倒臭がると、ましになった体臭がまた酷くなりそうだから。」

 成美にそう言いつつも、潤は何処か嬉しそうだった。

 同好会の部屋は、使わなくなった物置に気持ち程度机が置かれているだけで、狭く空調も無かった。横幅が狭く、奥まっている。

 壁に飾られた写真や、本棚に置かれた写真集や雑誌が、小規模ながらしっかり活動をしている様子を見せていた。

 「今日は先輩たち授業の関係で来ないからさ、じっくり見てってよ。これとか良いよ。」

直太が本棚から取ったのは、大手カメラ製造メーカー『エニー』の一般人公募展示会作品集だった。去年の展示会のモノなので、まだ新品同然だ。

二人は並んでそれを見開いた。

全て風景写真で、人気の名所は幾つも写真がある。

その中でも、やはり一番多いのは富士山だった。

同じ富士の写真でも、人によって映し出される色合いが異なっているのが面白い。

晴れた日のただただ静かな富士。雲の傘をかぶったお茶目な富士。赤く黄昏る雄大な富士。同じ富士でも撮影者の人柄を反映するように、がらりと景色が変わる。

どの写真にも、撮影者の執念がある様に潤には感じられた。そして良い写真程、執念に反するように爽やかな空気感がある。写真越しにその風景の空気に触れている様な錯覚を起こさせる。

潤は自分もこんな写真が撮りたいと心から思った。

「凄いな。」

 潤の世辞も計算も無い、素直な評価に直太は満足そうに微笑んだ。

 気が付いたら陽が沈むまで直太と写真の話をして過ごしていた。

 「なぁ、やっぱお前入れよ。お前が入れば同好会から部に昇格出来るしな。」

  潤は肩を落とした。

「いや、やっぱ面倒臭いから他当たって」

 言ってから、また更に肩を落とす。体臭が籠った部屋に立ち込めるのが分かった。

「まぁ、そろそろ帰ろうか。」直太は微妙な顔で笑って外へ促した。


 直太と別れた後も、潤の頭の中は写真の事でいっぱいだった。

 空を見上げたまま、呆けた顔で帰り路をぶらりぶらりと歩く。

 帰宅が更に遅くなってしまった。

「ただいま。」

「あんた、珍しく遅いじゃない。」 潤の母が疲れた声で振り向いた。

「父さんは?」潤は何気なく聞いた。

「パチンコよ。」潤の問いに母は苛立たし気に答えた。

「全く、妊娠しなかったらあんな人と結婚しなかったのに。」

 潤は聞きなれた母の愚痴を聞き流し、自分の部屋に向かった。

「ちょっと!ご飯どうすんのよ!」母が潤の背中に向かって叫んだ。

「風呂入ってから食べる。」

「外食してきたんじゃないの?無駄遣いしないでよね。お母さん、お父さんが毎日パチンコ行くせいで、やりくり大変なんだから!」

 さっきまで直太と話していて、浮足立った気持ちでいたのに、家に帰れば潤に突き付けられるのは不自由さだ。

「わかった。」

 何か言い返したところで、母の怒りは増すばかりだ。

「全く、お父さんに似て何考えてるか分からなくて、やりづらいわね。」

 直太は自分の部屋に入って気配を消す様に小さく息を吐いた。


 次の日も直太は昼休み潤の教室に来た。

「なぁなぁ、昨日さ「面倒臭い」って言っていたけど、何がそんなに面倒臭いんだよ。」

 潤にすねた顔で直太は言った。

「何かさ、写真何て携帯でタダで撮れるのに、写真部にはいったら部費とかがかかるじゃねぇか。しかも、部内の人間関係とかめんど…。大変そうだし。」

「あれ?お前の弟私立中学に入るんだろ?何で同好会くらい出来無いんだよ。」

 潤は絶句した。隣の席の成美が何故か自分の家庭の事情を知っていたのに驚いた事もあるが、自分でも気が付かない様にしていた事に、土足で入ってこられた感覚があった。

『自分の出来が悪いから、金なんて親に出させられない。』

 潤はそう説明しようとも思ったが、喉が詰まって伝えられなかった。

 『俺と違って出来の良い弟は私立に行く予定だ。俺に余計な金がかかっては親の負担が増えてしまう。』

 その事を平然と、何食わぬ顔で言えたら良いのにと思いながら言葉が出なかった。

 「何だそう言う事か。」珍しく目が冴えた顔で成美が声を上げた。

 「本当に面倒臭い女だよなお前の母ちゃん。」

 潤は立ち上がって成美の胸倉を掴んだ。

 教室の女子の一組が、一瞬甲高い声で叫んだが、潤には目の前のヤツの顔しか見えない。

 ワイシャツを引っ張られた成美は余裕そうに意地の悪い笑みを口元に讃え、潤を見返している。

「お前の母さんは旦那はパチンコ漬けで、息子も大して出来が良くないけど、弟だけは私がしっかり私立まで通わせて、エリートにしましたって世間様に言いたいんだろう?」

「成美!」

 更に挑発してくる成美に潤は怒鳴った。でも、ワイシャツを掴んだ腕は震えるだけでそれ以上の事は出来なかった。

 クラスの隅で、やめなよやめなよと、か細い声が弱弱しく響く。

 確かに潤の母親は面倒臭い女だと潤も思う。

 だけどそれは父親のせいなんだ。と、潤は自分の頭にそう解釈しろと言い聞かせていた。

 潤の母は小柄のぽっちゃり体系でいかにも愛嬌のある女だ。家の外では愛想よく過ごしている。 父親が毎月7万近くパチンコですって来るので辟易としているが、根は気の良い人なのだ。少なくとも潤はそう思うように努めている。

 潤がどんなに我慢したところで、きっと十年後も二十年後も母のぼやくの内容は変わらないのに。

 面倒臭くてずるい女だ。本当は結婚してさっさと会社を辞めたがっていた癖に。

 都合の良い様に事実を解釈して、自分を常に正当化し、周りを批判している。

 だけど人なんてそんなもんだと潤は思う。

 だから他人にとやかく言われる筋合いはない。

 だけど成美が自分の為にわざと意地悪く言ったのも潤には分かっていた。。

 だからとやかく言われても手を上げたりなんか出来ない。

『だけど、だから、だけど、だから』潤の脳内ではとめどなく思考が繰り返されていた。

 結局手が痺れてきて、掴んだ胸倉を丁寧に放して潤は何もしなかった。

 周りからほっとした声が聞こえる。

 成美は潤が自分に絶対手を上げない事がわかっていたみたいに、ただ何時もの様に感情の凹凸が感じられない無表情を浮かべ、潤を見据えていた。

 クラスメイト達は、何事も無かった様に振舞い、各々の会話や作業に戻った。  

「なぁなぁ入ってくれよ。お前を入れて5人になったら部に昇格出来るんだ!」

 気が良いのか、懲りない奴なのか、さっきまでの空気お構いなく、直太は再度潤を勧誘し始めた。

 その顔を潤は片目で盗み見た。

 直太の眉のよせ具合に何となく哀愁が出ている。その姿は無駄に人懐っこい小型犬の様だ。

 鈍感なのか世話焼きなのか、測り兼ねる直太のしつこさを、いつの間にか潤は居心地よく感じていた。

  あまり直太を面倒臭がってもまた面倒臭が出てしまうと、付き合いという名目で、潤は放課後再び写真同好会に再び音連れた。

 

 風通しの悪い同好会の部屋は、慰め程度に扇風機が一台隅に置かれているものの、蒸し暑い空気が立ち込めている。

 直太がドアを開けた瞬間、籠っていた熱気が外に漏れた。

 「こんにちは」

 暑さに気だるげな面持ちで入っていった二人に、鈴の音の様な涼し気な声が響いた。それだけで、むんと暑く蒸した空気が鎮まる。

「俺、入部します。」

「なんでやねん!」

 潤の決意に思わず直太はその肩をはたいた。

「本当?嬉しい!」

 多分先輩であろう女子生徒は手を合わせて嬉々として立ち上がった。

「私二年の高野 破那よろしくね!」

『高値の花先輩』潤は心の中で呟いた。

 名は体を表すとはこの事かと、釈然としない面持ちの直太をそっちのけで潤は悦にはまった。

「相撲取りみたいだろ?」

 潤と直太の後ろに黒ぶち眼鏡の先輩がいた。口の端から紙パックのストローを咥えている。二人が振り返ると渋い声で「よう。」と片腕を上げた。

 高野が「何よ!阿倍野。」と怒ってもシレっとしていた。

 阿倍野と呼ばれた先輩は高校生にしては大人びて、渋い声だった。

 阿倍野は何食わぬ顔で部屋に入ると、リュックからパソコンを取り出し、電源を入れ、徐に作業を始めた。

「阿倍野先輩、また新しい写真ですか?」

「うん、今加工するとこ。」

 直太が先輩のパソコンを遠慮なく横から見るので、つられて潤も隙間から覗き見た。

 その美しい風景画の様な写真を見て、潤は思わず尋ねた。

「何だか、インスタグラマーのAOさんの写真に似ていますね。」

「本人だよ。」

 直太が潤の言葉に何食わぬ顔で答えた。

 潤は声を上げて驚き、高野が笑った。

「だってエニーの写真展で、学生枠じゃなくて、一般で賞取ってましたよね。」

 確かインスタグラムのプロフィールにはそう書いてあったと潤は記憶している。

「一般の方が賞金が高かったからね。」

「こいつ、こういう奴なのよ。」

 しれっと言いのけた阿倍野に高野は苦笑いした。

「阿倍野 長武の頭文字を取ってAO何だよ。」直太が人懐っこい笑顔で説明した。

 みんなが部屋で談話してる中でも阿倍野は淡々黙々と作業をしていた。無料画像サイトに写真を投稿する為に加工と最終チェックをしているらしい。

 無料画像サイトでも広告費でいくらかお小遣い程度のお金が入るのだろう。

「俺も自分で稼げるようになりたいな、」潤はつい思いをこぼした。

 それまで潤に背を向けていた阿倍野は振り返って、潤に向き直った。

「出来るよ。面倒臭くなければね。人より面倒臭がらず出来る事、それが才能なんだ。」

 潤はその日無事に写真同好会に入り、翌日写真同好会は写真部になった。


 「どう?面倒臭い?」

「いや、楽しいです。」

 以前より広くなった写真部の一室で、阿倍野は潤に自分のパソコンで写真の加工技術を教えていた。

「君の写真良いよね。何か人間臭くて。」

 パソコンの画面上、潤が撮った写真で、特にお気に入りのモノを阿倍野は指さした。

 それは町を清掃する祖父の足で、茂る緑と雀が三匹一緒に写っている。

 緑の原っぱを清掃する祖父を、見上げるような雀の視線。緑が綺麗になった事を喜ぶ様に舞う。

 「何か清掃活動以外にも、エコな感じで色んな広告に使えそうだよネ。自然を写してるだけじゃなくて、人間臭い感じが凄く良いと思うよ。」

「全く、この守銭奴は。」相変わらずな阿倍野の言動に高野は呆れていた。

 潤は『臭い』という言葉に微妙な気持ちになりながらも、阿倍野の言葉は純粋に嬉しかった。

 潤が写真部員になって一週間。もうすぐ夏休みなので、部の皆で、日本の名所を回ろうかと話し合っている。みんな見たいところが違うので、なかなか意見がまとまらないが、どの手段で、より低コストで多く回るかと、地図を広げて話し合うだけで、毎日何かを達成した気になれた。何時も気が付けば夕方になっていたが、楽しくて決して面倒臭いとは感じなかった。


 そうしてるうちに一学期最終日が来た。

「そう言えば、俺から面倒臭が出た時も、お前はずっと側にいてくれたな。」

 放課後、潤は何気なく隣の席の成美に言ってみた。

「俺は潤の臭い好きだよ。」

「え?」

「変な意味じゃないから。…俺、夏休みは部活一色で会えないと思うけど。」

 思うけど何なんだよ。と思いながら、聞かなくても潤は何となくわかっている気がした。 

「ありがとう」

 その後、二人はそれぞれの部活に向かった。

 

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