思い込み
森喜朗氏がオリンピック組織委員会の会長職を辞任するようですね。
女性蔑視とされる発言ですけど、捉え方によっては「女性は積極的に発言するので会議が長くなる」とも取れます。
誰も発言しない重苦しい雰囲気の会議よりも、自由闊達な発言が飛び交う会議は明るく前向きな印象です。
そうした明るく前向きな雰囲気を女性理事が作っているのだとすれば、森喜朗氏の発言は女性蔑視ではなく、女性称揚と言えるでしょう。
話の印象は受ける側の心境によって変化します。
例えば重い荷物を持っている女性に「手伝いましょう」と声を掛けたとして、反応は千差万別です。
多くの女性は「助けてくれて、ありがとう」と感謝の気持ちを持つでしょう。
しかし真の男女平等を目指す方なら「女性だと侮って、女性蔑視だ」と思うでしょう。
要するに、森喜朗氏の発言を問題視している人々は内心で「女性は話が長い」=「無駄話ばかりで会議が空転している」という先入観を持った、男尊女卑の思想の持ち主です。
理事が男女平等で同格と考えていれば、どの理事も有意義な発言をしていると思うでしょう。
女性蔑視をしている人々のみが、森喜朗氏の発言を女性蔑視と思い込んでいるのです。
また「誰が言ったか」も関連しているでしょう。
「犬が大好きです」と欧米人や日本人が言うのと、犬を食べる民族が言うのでは意味が大きく異なります。
「綺麗なお嬢さんですね」と爽やかイケメンが言うのと、キモオタが言うのでは、偏見なく平等に扱えますか?
今回の異常な批判は、森喜朗氏を敵視しているマスコミが偏向や捏造で差別を煽動していると考えるのが私の視点です。
何しろ、マスコミには幾つもの捏造報道という前科が記載できないぐらいにありますので。




