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冬の日常、夏の思い出

作者: Em-7

「寒い、寒い」


帰るなり、私はエアコンのリモコンに飛びついた。電源のあとにすかさず上ボタンを連打して、設定温度を25度まで引き上げる。


「そんなすぐにはあったかくならないでしょ」


バンザイする形で送風口に冷え切った指先を当てていると、後ろで彼女がぼそりと呟いた。


「知ってるけどさ。あったかくなる最初の兆しを感じたいんだ」


私は振り返りながら反論する。が、もう彼女はそこにはいなかった。さっさと部屋を素通りして、洗面所に行ってしまったのだ。仕方なく、私はそのままと姿勢で温かい風を待ってから、台所の蛇口で手を洗い、時間を見計らって電気ケトルをセットした。


ケトルからグツグツと音が聞こえてきて、ちょうど湯が沸き切るタイミングで化粧を落とした彼女が戻ってくる。


「コーヒー? 紅茶?」

「…今日は緑茶の気分かな」


彼女はすでに開けかけていたハロッズの缶を締め直した。


「オーケー。緑茶ね」


彼女がスプーンで急須に茶葉を入れてる間に、私は湯のみにお湯を注ぎ、もう一つの湯のみに移し替えた。器を温め、湯を適温まで冷ます作業。それを二回繰り返してから、彼女に渡す。

彼女は湯のみをゆっくり傾けて急須にお湯をそそいでいく。それを横目に、私は台拭きをすすいでテーブルを拭きにいった。


ざっと綺麗にしてから、私はテーブルの皿に置いた貰い物の茶菓子を物色する。よし、これにしようか、と決めた頃合いで、彼女がお盆にお茶を乗せてやってくる。


「あっ」

「うん?」

「それ、食べたかったやつ」


彼女が私が選んだ茶菓子を指差す。


「そっか。なら、どうぞ」

「いいの?」

「うん」


彼女にそれを回して、私は新しいのを皿から取った。そのまま、私達は互いに向かい合って座る。これといって話すこともないので、聞こえるのは菓子の包み紙がクシャクシャと鳴る音とお茶をすする音だけだ。


「ねぇ。あれ、開けてみない?」


ふとした拍子に彼女が言った。


「あれ?」

「ほら、昔、一緒に創ったじゃない……思い出箱」

「……ああ、あれか。いいんじゃない」


彼女は席を立つと、奥の部屋から埃のかぶった箱を持ってきた。それは二人の記憶を持ち寄って創り上げた箱。中には六年前に詰めた思い出が入っている。


「憶えてる? どんなものを入れたか」

「ううん、はっきりとは……」


彼女は耳を寄せて、箱を軽く振った。すると、かすかに蝉の音が漏れてきた。


「ああ、入れたね」

「入れた! 入れた! だってすっごくうるさかったもの」


彼女は菓子とお茶を端によけると、テーブルに箱を置き、封止めのテープをはがし始めた。古くなった糊がピッタリくっついているので難儀な作業だったが、二人でやるとすぐに終わった。


「さてさて」


彼女は掌をこすり合わせてから、箱の蓋を開けた。そして手を突っ込み、あの日の太陽をわし掴むと、クリスマスツリーの頂に星を乗せるみたいに、ひょいと空中に浮かべてみせた。

私も箱に手を入れると、角を揃えて畳んだ青空を取り出して、ブルーシートみたいにバサバサと広げてから天井にむかって放り投げる。


「雲は?」

「入ってない」

「へえ。じゃあ、こんなに晴れてたのね」


感心したように彼女が言う。私達はかわりばんこに箱から白樺の木を取り出すと、テーブルの上に次々と植えていった。立ち上がっていくのは8月下旬のハイキングコース、私達が初めて出会った瞬間だ。

舗装されていない獣道をプラレールみたいに繋いでいき、丸めた手で箱の底から水をすくっては、湖のくぼみへと流し入れ、茂みをあちこちに配しては、砂糖をふりかけるように白い花を散らしていく。


「こんな変な石なんてあったっけ?」

「そこ。その木の左」

「ああ、そっか。言われてみれば」

「倒木……苔があるから向きは分かるけど……」

「憶えてる! 貸して貸して」


そうして全てのピースを出し終えると、彼女は箱をひっくり返し、最後に残った蝉の音を辺り一面に撒いていった。

金色の日射と木立の静けさ、緑の空気と蝉の鳴き声。完成だ。私達はあの夏の中心に立っている。


「さあ、行きましょう」


どちらともなく手に手を取って、私達はかつて通った道筋を辿った。二時間以上の道程を、風の速度と写真の明度で。思い出の中ではその両方が許される。

そして心から堪能し終えると、私達はまた一つ一つの情景を分解し、箱の中へと大切に仕舞っていった。

全てを元に戻し終えてから、彼女は大きく息を吐いた。


「ただいまって感じね」


夏の名残か、エアコンのおかげか、部屋はすでにあたたまっている。


「あれはあれで素敵だけど……今はもうこの家の方が落ち着くな」


椅子の位置を直しながら、私は言う。


「お互い歳をとったわねぇ」


彼女は湯のみを口に運び、すこし首を傾けた。


「どうした?」私は訊ねる。「ぬるくなってる?」

「それもあるけど……」


彼女はとんとんとテーブルを指で叩いた。


「やっぱりさ、紅茶がよくない?」


私はなんだかおかしくなって、思わず笑い出してしまう。


「そうだね」


こたえて言うと、六年間食事を共にした伴侶からも微笑みが返ってきた。


「じゃあ、次はそうしましょう」と彼女は言った。


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