7 闇纏い暗きを放つ
勇者が呆然と立ち尽くしている。
神剣アドニスが、地に落ちていた。
「……参った」
しまった、やり過ぎたか。
勇者は強かった。僕が心の底から喜ぶぐらいに。
だから徹底的に剣を分析し、完封してしまった。
勇者から見れば手も足も出ずにやられた、という感じだろう。
一切の技が通用せず、切り札さえも簡単に切って落とされた。
「勇者、君は――」
「だあああああああ!」
いきなり大声をあげられてびっくりする。
彼はがしっ、と僕の両肩を掴んだ。
「まだまだ修行不足すぎた! どうやったらそんなに強くなれるんですか! 教えてください! 教えてください師匠おぉおぉぉ!」
……勝手に師匠認定されている。
いや、しかしほっとした。
どうやら彼は意思が折れているわけではないらしい。むしろ、自分の力が足りなかった、と彼は言い、もっと強くなろうとしている。
これだけの強さだ、都市でも最強に近い座にいたはずなのに、こうして前向きなのは、いや、こうして前向きな彼だからこそ、ここまで強くなれたのだろう。
そんな状況を見て、遠くでアリアとデュースさんが会話している。
「ねえねえお師匠様。今何が起こってるの?」
「あれは俗にいう仲良しイベントじゃな。二人の仲が深まるんじゃ」
「もともと十分仲が良さそうに見えるけど」
「いや、それは勇者がエトに対して一方的な好意を抱いていた感じじゃろ? 一方通行はラブではない」
「なるほど、これでエトも勇者のことを好きになれたと。男の子特有の戦ったあとは仲間だ! みたいな感じで」
「そんな感じじゃ。ようするにラブなんじゃ」
「ほほう、深い」
……あの二人はいつもこんな適当な会話をしているんだろうか?
だがまあ、あながち間違っていないのは悔しいところだ。
勇者がどさり、とその場で仰向けになる。
僕も彼の隣に仰向けになってみたる
「ねえ、エトさん」
「なに?」
「なんか空、青いですね」
「どうしたの急に」
「いや、なんかこういうこというと無邪気な少年時代に戻れた気がしません? 青春っていうんですけど」
「なるほど、そうだな……空気が澄みわたってるね」
「だめですよエトさん。それはあまりにも華やか過ぎて暑苦しさが足りない」
「……青春って難しいんだね」
起き上がって勇者に手を貸す。
それを見て、勇者は小さく笑った。
僕もつられて、ほんの少し笑った。
起き上がった瞬間、びくっと勇者がなにかにつられるかのように右を見た。
遠くに……女の子らしき影がある。
「勇者、なにかに反応したみたいな動きをしたけど、どうやって気づいたの?」
「ああ、なんか勇者の能力の一つなんですけど、超感覚って言って自分に意識が来るとなんとなくわかるんですよ、それで」
「なるほど、ところであの子は?」
「たぶん、俺の知り合いです。連れてきますねー」
勇者が走っていく。
そして女の子を背負って連れてきた。
はなせー! という声が聞こえるし、ぼかぼかと背中を叩かれているが、たいして勇者は気にしていなさそうだ。
近づいてみてみると、女の子はわりと勇者と歳は違わなそうな容姿をしていた。
聞いてみると一歳年下。勇者が十五だから、十四歳か。
「ユーシャはいつも私を子ども扱いする」
ご立腹な様子で現れた少女はイブノアと名乗った。
魔法使いとして役割を持っているらしい。
「ユーシャ、そもそもここに来た目的を忘れてない?」
「エトさんに会いに来た」
「そうじゃなくて、都市から任されてきたことのほう。パパに言われたほうよ」
「……なんだっけ」
はあ、とイブノアは深々とため息をついた。「やっぱり私がいないとユーシャはだめだ」と言いながら、一枚の羊皮紙を広げ、渡した。
「ユーシャは変異を確かめに来たんでしょ。神託によれば、魔王に匹敵する災害を。変異の本拠地として一番怪しいのはこの村じゃない? 早く捜索しないと」
「ああ、そうだった。……なんだかこの村ってのどかだし、大丈夫に見えるけどなあ」
「神様が言ったんだから間違いはないでしょ」
「そうなのかな。まあ、調べるか」
そういえば、とユーシャが僕の方を振り返る。
「エトさん、この村の人たちで、変な魔法、使うひといません? そういうひとがいたら、そのひとがもしかすると危ないかもしれなくて……」
「あー、勇者はたぶん見たんだね、その変な魔法を使う人たち。変異っていうのがいつから起きてるかわからないけど、ここで生まれる人たちは、もとから変わった魔法を使う人が多いんだ」
「へ? そうなんですか?」
「うん。僕の魔法の無効化も、この村出身だからだし」
「じゃあ、アリアさんは?」
「わたし? わたしは治癒術と魔法が使えるっていうのが特殊かな。っといっても、村の人たちみんなが特殊な魔法を使えるわけじゃないよ?」
特殊な魔法。この里にはそういった人たちがぽちぽちと存在している。
具体的にいえばそれはパン屋のおじさんだったり、ヴァルフレアについて報告しにきた婦人がそれに当たる。
デュースさんはこの村出身ではないので、魔法自体は一般のものだ。
「なるほど」とユーシャは言う。
「たぶん、変異は人間が起こしてるわけじゃないと思うんですが、怪しいひとがいたら報告してください。……たぶん、エトさんはわかってると思いますけど」
ずいっと一歩、勇者がこちらに近づく。そして耳元で囁いた。
「――見つけたら、容赦はしないでください。エトさんが体験した『魔変異の災厄』が、再び発生する可能性があります。規模によっては、国が滅びかねない」
魔変異の災害がたんなる実験にすぎないとしたら?
これから起こる本物の災厄の、前準備でしかないとしたら?
神は言っていたんです。魔変異の災厄は、意図的に引き起こされたものだと。
そんなことを、勇者は僕の耳元で囁いた。僕らにしか、聞こえないように。
ゆっくりと勇者が遠ざかる。
「ねえ、なに話してたの?」とアリアが聞いてくる。
「僕にしかわからないことだよ」と返す。
あまり、言いふらしていいことではないだろう。全部終わったら彼女には話そうと思う。
『彼』の気配。
ケタケタと、笑っている。
《君はもう戦う気はないといった。でも、逃れられない。言った通りじゃないか? 君には力がある。この世界で最も強い力が。運命なんだよ。君はまた、渦の中心にいく》
確信しているような言い方。
僕は、もう役目を果たした人間として、戦いから離れるつもりだった。
勇者のいう通り、魔変異の災厄は、僕がいなければ、間違いなく都市を滅ぼしていただろう。
――立派な人になりなさい。
かつておじいちゃんが残した言葉。
砂糖菓子をよくくれる優しいおじいちゃんは、僕が立派になることを望んだ。
僕は、影の英雄になった。たいして周りにはもてはやされない。しかし、れっきとして多くの人間を助けたのは事実。なら、もう重荷を下ろしてもいいと思った。
《力のある人間が戦わないなんて、許されると思っているのかい?》
引退して村に戻ることを決意した時、『彼』はこう言った。
その言葉が今一度降りかかっている。
あの頃はもう戦う対象がないと笑い飛ばした――でも、今は?
《逃げたいのかい?》
『まさか、役目は果たすよ』
《だろうね。君は困っているひとを見捨てられない人間だ。じゃあ、なんで魔変異の災厄が終わった後、より大きな悪を倒しに行こうと僕が言ったとき、従わなかったんだ?》
『探す必要なんてない。僕は周りのものを守れれば十分だ。世の中を救って回るなんて身の丈に合わない』
《嘘だね。君は少し、勇者が羨ましいと思ったはずだ。君の本質は英雄。影なんかじゃない》
彼の気配が引いていく。胸に突き刺さるような言葉を残しながら。
英雄願望。そういったものがないわけじゃない。
でも、僕はこの村が好きだ。戦いなんてまっぴらだ。
血は流れるし、痛いのは嫌いだ。
そしてなにより、僕が戦っているとき、その周囲で聞こえる、苦痛、悲鳴、歓喜、雄たけび、死んでいく命が――とても苦手だ。
「そろそろわしらは戻るとするかのう」
デュースさんがそう言った。
アリアが僕に言う。
「なんだかぼーとしてたみたいだけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」
アリアの一言から、優しさを感じた。
そういうものが、今はなんだか身にしみる。
僕はやはり、この村が好きだ。今の位置が好きだ。
だから、守らなくては、と思う。
アリアとデュースさんが去っていく。
彼らの家へと。
僕も戻ろうとする、が勇者に腕を掴まれた。
「エトさん、デュースさんって何者ですか?」
「デュースさんは七年前に村に移ってきたひとだね。なんでも元凄腕の魔術師だとか。どうかしたの?」
「いや、なんだか違和感が強くて……彼、ほんとに人間ですか? 魔力が尋常じゃない」
「まあ、自称世界一を名乗るぐらいだし、そのぐらいあってもおかしくない」
「――変なところは、ありませんでしたか?」
変なところ。
地下室、神についての書物、浴槽に浮かぶ腕。
錬金術によって作られた義手。
「勇者の超感覚に、なんか反応するんですよね。まあ、たしかに人間で間違いないのはわかるので、念のため、です」
たぶん、彼は本心からそう言っているのだろう。
彼は若い。世間に摩耗していない。だからデュースさんの人柄を見て、ただのいい人だと思ったはずだ。
念のため、という勇者の言葉に含みはなく、意味はそのままのものとして機能する。
じゃあ、僕はどうだろう?
デュースさんはなぜ、腕にあんなにも魔力を貯めこんでいるのだろう?
いったい、なにに備えている?