5 概念勇者
まず最初に、少年は僕の両手を掴むことによって速やかに封じてきた。
目にもとまらぬ早さ。
思わず気圧される。
彼の瞳にはずいぶんと塗り固められた熱量があった。
僕は、身動きが取れない。
「ずっと会いたかったです!」
「……へ?」
「ずっと、ずっーと憧れてました!」
……気圧される。その圧倒的な熱量に。
後ろで訝しむ気配がする。デュースさんとアリアが、なにが起こるんだろうかと待っている。
僕はこの状況をどう受け止めればいいのかわからない。
「えーと」
「剣閃エト様ですよね!」
その歓声にも似た、嬉しさがにじみ出る声を受けて、僕はゆっくりとうしろを振り返る。
デュースさんとアリアが目を輝かせていた。
捕食者の目だった。おまえの秘密を見せろ見せろと狙ってくる、猟犬のような。
……さすがは師と弟子、というべきなのかもしれない。
「そ、そうだけど……」
「う、お……やったあああああ!」
どうしよう。
「剣閃エト様、とれあえず握手してあげたら?」
「剣閃エト殿、とれあえずサインの準備をしたほうがいいのではないか?」
第三者視点の野次馬が後ろから好き勝手言ってくる。
ずいぶん気楽なものだ。
「えーと、君は?」
「はっ、申し遅れました。俺はパルティナで勇者と認定されたものです! よろしくお願いします」
……勇者?
それって、魔王を倒したりする、物語で出てくるアレのことだろうか?
よく英雄譚の題材に用いられる象徴だ。でも、現実にそんなものは存在するんだろうか?
「あ、これはその証明です。エトさんはパルティナの王と知合いですよね。彼の直筆の証明と……これです」
彼はペンダントのようなものを渡してきた。
いやな予感を感じながらそれを受け取る。
それをまじまじと見つめてみれば、描かれているのは時計の針が十二にそろっている彫刻。赤と黄色を基調とし、雷と炎が都市に降り注いでいる精巧な絵。
「……これってもしかしなくても物凄く価値があるものだよね」
使われている技術が最高峰のものだ。少なくとも、彼が大物であることは疑いようがない。
「勇者となるときにもらいました。とれあえずそのペンダントの価値が、権力を持っている証拠になるとか。あ、俺自身は平民の出ですよ。何の変哲もない、農民の息子をやってました」
書面を見たが確かに王の直筆だった。一応、王と僕は面識がある。この印鑑も偽造できるものではないし、彼が国に指名された勇者というのは本当のようだ。
とれあえず後ろの二人にこの少年が何者かを説明。
「へー、勇者なんておとぎ話の存在だと思ってた」「ほお……なかなかに興味深いのう」などといった反応が返ってくる。
「エトさん!」
その元気な声に少しびっくりする。
「俺と戦ってください! あなたの剣に憧れてたんです!」
後ろからは「やってあげなよー」とか「人気者はせがまれたら断れないという宿命を背負っているのじゃ……」とか、そういう野次が飛んできた。
……いつか仕返ししたい。
「……僕でよければ、いいよ」
「よっしゃあ!」
喜ぶ勇者。しかし、この勇者というもの呼び方としてどうなんだろうか。
「ねえ、君の名前は?」
「あ……あー、俺、名前ありません」
「……名前がない?」
「神に勇者として指定されたとき、名前を失うんです。勇者とは記号、そういうものだから。だから、民衆からは名前ではなく、『勇者』として呼んでもらうんです」
「……そういうものなのか。答えてくれてありがとう」
《勇者とは》
僕の中で声がする。
もう一人の僕とでもいえる存在。僕が知らないことを知っている、不思議な存在。
《神に認定された使いだ。人間を超えるために魔法がかけられる。そして、勇者の物語はたいていはハッピーエンドで終わる。表面だけが綺麗な、皮肉的な事実を隠しながら》
『……どういうこと?』
《神を信用してはならない。なにものでさえも、すべて、だ》
また、神の話。
今の唯一神は特に今の人類に害を与えていない。貢献も大したことはしていないが、災害を信託として予知し、未然に防ぐ手助けをしてくれたりする。
なぜ『彼』はこうも神について言及するのだろう?
『彼』はゆっくりと気配を消していった。
「……じゃあ、場所はあそこらへんでいいかな?」
僕はデュースさんの家から少し離れた平原を指す。
ここはちょうど村のみんなから離れている場所なので、いろいろとやりやすい。
「はい、お願いします!」
そうして僕は彼と戦うことになった。
「ちょっと待ったあ!」
元気な声。これはアリアのものだ。
「エトってそもそも何者なの? 都市で修行して立派な剣士になったのは聞いたんだけど、剣閃ってなあに?」
それに答えるのは胸をはった赤茶色の髪の少年だ。
「ふふん。剣閃様はだな! 間違いなく都市を壊滅させるだろうと言われた災厄、『魔変異の災厄』を防いだ英雄なのだよ!」
……こうもまっすぐな好意と尊敬を持って褒められると、恥ずかしくなる。
嬉しいんだけども、なんというか……ああ!
「単身にして敗北なし。魔法を使わず、剣にて魔獣を葬り去ることは魔術の才能無き者にとって希望。その剣の閃きは見えず、人に仇名すを切り裂く正義の剣!」
「……前に吟遊詩人が歌ってたやつだね」
「全部覚えましたから!」
どやあ、と誇らしげな顔。
……彼からは本当に、純粋な好意だけが伝わってくる。
さらに勇者は続ける。
「『魔変異の災厄』は国が情報を外に出してないんだけど、それはあまりにも冒険者が死にすぎたからなんだ! 国力の低下を他国に知られないようにってわけだ。エトさんは国の人々から称えられているわけじゃないけど、知ってる人は知ってる。つまりエトさんは影の英雄ってわけだ!」
……そろそろ胸が痛くなってきた。
誉め言葉を貰いすぎて貶されないとつり合いが取れない……いや、貶されたいわけではないが。
む、とした調子でアリアがこちらを見てくる。
そういう意味でも胸が痛い。
「えーなんで早く言ってくれなかったのー?」
「いや……聞かれたら答えるつもりだったんだけど、自分から言ったら自慢みたいになっちゃうかなって」
「意味わかんない!」
誠に面目ないことだ。
「次からちゃんと言ってね!」
「うん、そうします……」
こんなやりとりをしていると、勇者がほー、と呟いた。
「尻にひかれてますね、エトさん」
「いや、ちゃんと互角の状況だから。負けてないから」
「そこでなんで意地を張るんです?」
「男とは弱みを見せちゃいけない生き物なんだ」
「なるほど、深い……」
まずい、適当なことを言ったら普通に受け取られてしまった。
……今度から気を付けよう。