3 培養液に浮かぶ魔術師の腕
「はいコーヒー」
アリアが机の上に三つコップを置いてくれる。僕とデュースさんと、彼女自身の分だ。
「それで、アリアはいつから弟子になったんですか?」
と話の続きを促す。今、アリアについて聞いている最中だ。
「ふーむ、おぬしが都市に武者修行しにいったのが十の頃だったかの? その一年後ぐらいにわしが村に住み着いて、そのまた一年後に弟子になったかのう? たしか十二の頃だったはずじゃ」
「なるほど」
「アリアはいつか冒険をしてみたかったらしいからのう。エトも腕が立つようだし、いっしょに付き添ってやってくれんか?」
「ん、お師匠様が珍しくお師匠様っぽいこといってる」
「意外性はわしの魅力の一つだと考えておるよ」
そんな申し出を受けて、彼女のほうを見る。
どうする? と瞳で訴えかけると、彼女はこくこくと頷いた。
願ってもない話らしい。
「僕は大丈夫ですよ」
「……やった」
小さく彼女がガッツポーズ。
僕も小さく笑った。
一人旅は寂しいし、ひとりで彼女を行かせるのは心配でもある。もうここで一生過ごし、骨を埋めるつもりだったが、こういうのも悪くないかもしれない。
「わしのおかげじゃな」とデュースさんがどや顔。
「これもきっとわしの人望がなせる――」
「はいはい、おじいちゃんさっきも同じこといったでしょ」
「言ってないんじゃが?」
確かに言っていない。
――と、その時、どんどん、と扉が叩かれた。
「来客のようじゃ」とデュースさん。
家主であるデュースさんが立ち上がり、その扉を開いた。そこにはひとりの女性が立っていた。どこにでもいそうな婦人。
「デュースさんデュースさん!」
「どうした、なにかあったのか」
「どうしたもこうもないですよ! ついに咲いたんです! ヴァルフレアの花が!」
「……なんじゃと?」
ヴァルフレアは伝説の薬草と呼ばれるものだ。未だに人為的に育成することには成功しておらず、森の奥の秘境でもごくたまにしか見つけられないため、たいへん貴重なものだったりする。おまけに大変美しい。
「まったく、それでわしに直接みにいけと?」
「そうです! ぜひいらしてください!」
しょうがないのう、とデュースさんは嬉しげに言った。
「わざわざ呼ばれるなんて人気者ですね」と僕はデュースさんに言っておく。
「そうじゃのう。人気者じゃからな」
「羨ましいです」
「まったく、けしからんことじゃよ。こんな老体に鞭打って、わざわざ外に出向かねばならんとはのう」
深々とした白いひげを撫でる。そんなことを言っているデュースのさんの口は、白いひげの上からでもわかるほど、口角が上がっていた。
「ヴァルフレアがわしを呼んでいる……。エト、アリア。わしはこのご婦人についていく。留守は頼むぞ!」
喜色満面といった様子で、家の近くにつないであった馬にのる。こうしてまだまだ馬にのるのが平気なあたり、老体がどうだのとよくいっているがかなりアクティブなおじいちゃんだ。
「ゆくぞ!」
「ええ!」
そう言ってご婦人とともに駆けていった。
ついでにご婦人は肉体がやけに疲れにくいという特殊な体質を持っている。趣味は走ることだ。馬と並んで一緒に疾走するご婦人の姿は、かなりシュールに見えるだろう。
「……お師匠様行っちゃったね」
「うん、行っちゃった」
優雅にコーヒーをアリアが啜る。
「お師匠様の家で二人っきり……お師匠様がいない」
「う、うん」
「ついにこの時が来てしまった……」
「……来てしまったね?」
「家探しの時が!」
「そうだよ! う、うん?」
なにが起こるかと思ったがなにも起こらなかった。
いや、起こってはいるのだが。
「お師匠様って、あんまり私に魔術道具を見せてくれなかったんだよねー」
「それなのにそんなことしていいの?」
「もちろん! だから楽しいんじゃん!」
「……」
「うそうそ冗談。この前ちらっと見せてくれたやつが気になってて、それを見てみたいの」
「まあ……それぐらいならいい……のか?」
「じっくり鑑賞するだけだしへーきへーき」
そういう彼女についていくと、ひとつ隣の部屋の棚をどけ、その下にある隠し扉っぽいものを開けた。常習犯の手口だ。
「ポーミラル」
彼女があかりの呪文を唱える。先は暗い通路。僕は魔法が使えないので非常に助かる。
「……あれ、つかない」
「あ、ごめんごめん。ちょっとまって」
「……?」
「もう大丈夫だよ」
「ポーミラル」
ぼわあ、と彼女の手のひらに青白いあかりの玉が浮かぶ。
「あ、ついた。エト、私になんかした?」
「してないしてない」
「ならいいけど」
そういって二人で暗い通路に降りる。鉄コンクリートで固めてあるその通路にはいくつもの部屋があった。むしろ家そのものよりも規模は広いぐらいだ。どうやって作ったんだろう。
彼女はまっすぐ目的地へと向かい、扉の前に。僕がちゃんとついてきているか確認するかのように後ろを振り返る。そしてぷぷっと笑った。
「エトの顔、青白くてお化けみたい」
「君も妖怪みたいだよ」
扉を開ける。中にはずらりと本棚があった。机と椅子が少し並んだ、都市の図書館を小規模にしたような風景。ほこりがすごいだろうなと思ったが、そんなこともない。しょっちゅう手入れされているようだ。
たたっ、と彼女が一目散にかけていく。そして目当てのものを見つけたようで、机の上にあった筒のようなものを手に取って、目を当てていた。
「なにそれ?」
「これ? よくわかんないけど、覗くとキラキラしてて、ずっと見てても飽きないんだよねー。おまけにこれを回すとキラキラの反射が変わって楽しいの!」
よくわからないが、都市にありそうなおもちゃだ。なにか特異な魔法がかけられていて、ランダムに光のパターンを演出しているのかもしれない。
『違うよ』と声。これは内から聞こえるものだ。
最初、『彼』は僕のもう一つの人格なのかと思っていた。しかし、それは本当にはじめのみ。意志ある存在だと気づくのに、そう時間はかからなかった。『彼』は僕と同じ灰色の髪を持ち、同じ色の瞳を持ち、しかし、その圧倒的なまでの存在感と、重くのし掛かるような陰湿さが、僕とは違う人物だということを強く感じさせた。
そして、決定的に思考が違っていた。
子供の頃、おじいちゃんが亡くなったころにその存在を知覚し、鍛え上げてもらった。それが僕と彼との関係だ。
《あれは万華鏡と呼ばれるものだ。発想と技術の産物で、魔法とは違う》
『そうなの?』
《僕のいたところではそう呼ばれていた》
この会話は僕の心の中で行われているので彼女には聞こえていない。もしこの会話が『彼』からの一方通行で、僕は現実で言葉をしゃべらなければならなかったら、ひとりごとを喋っている変人だの、気が狂っただのと周りに言われそうだ。
楽しむアリアを横目に、こちらも周囲をうかがってみる。
ずらりと並ぶ本。
なかには魔術に関することや、ヴァルフレアなどが載っている世界の珍しい薬草、他にもオカルト的な本までおかれていた。ジャンルによって分けられており、家主の几帳面さがよくわかる。そういったものを手に取り、読んでいると、途中で『彼』が強く反応した。
なにごとだ? と思って聞いてみるも、反応はない。今僕が開いているのは、神、に関する本だ。本当はそこまで興味がなかったのだが、『彼』の反応が気になってその本を読んでみる。
――神は、僕らの世界では人間に力を分け与える上位者として存在している。
信じる神によって人々は特殊な奇跡を授かり、また、傷を癒した。しかし、ある日突然、力を分け与えてくれる神の存在が消滅してしまった。三百年前のことだ。突然断ち切られてしまった繋がりを修復すべく、何人もの聖職者が接触を試みたが叶わなかった。治安は荒れに荒れ、人は神に見放されたと、神聖断絶の時代が始まった。
それを収めたのはその時代で最も高名とされる聖職者『フューティス』だ。彼は神のいない時代において、唯一、人を癒せる者だった。しかし、なぜ彼だけがそんなことができたのだろう?
「私は生まれてこの方、神を信じたことがない」とフューティスは言った。
加えて、「私が信じるのは自分のみ。自らを信じ、ひとを救うことが善い行いだと、自らの神聖を引き出して、私は人を治癒しているのだ」と発表した。
――人が、神を超える時代。
自らの善性を信じ、人を癒す。
そうして人は神に頼らずとも、再び安定した世の中を取り戻した。まあ、神がいた時代よりもは、性能が劣るようではあるが……。
そのようなことが書かれていた。
《神は》と『彼』が言う。
《なにものも、神、となるものを、信じてはならない》
『どうして?』
今現在、神とされる存在はひとつだけだ。神聖断絶の時代が過ぎてから、発見された神。その神は人間に力を与えていない。ただ存在するだけで、たまに大きな災害があるときに信託を与える。その程度のことだけをする。
《神を名乗るもの、すべてを信用してはならない》
『すべてっていうけど、今はひとりしか神はいないじゃないか』
《すべて、だ。僕は君に忠告をする。これ以上はなにも言わないし、なにも答えない》
スーっと『彼』の気配が遠ざかる。彼が適当な知識を気ままに与えてくれるのはいつものことだ。ちょうど、その時僕が開いているページを見てみる。
――『破滅のエトワール』と書いてある項目だった。
別名、破滅神エトワール。消滅と悪逆の神であり、神のなかでももっとも大きな力を持つ。
《やめろ》
強い警告の口調。びくりとして本を落とす。本は、閉じられる。
《神について調べるな。危険だ》
『それってどういう――』
「ちょっ、エト! エト!」
アリアの声。なんだなんだ、と思って振り返ると、彼女は緑色の容器を指さしていた。
その中には人間の、腕。培養液の中にルーンが刻み込まれた腕が、その紋章が、光っている。
「……アリア」
どうしてこんなものがあるんだろう。ここはデュースさんの家。ならばなにかの目的で作られた、そういうものなんだろうか?その腕から並々ならぬ力の波動を感じる。今までで経験した中でも一、二を争うかもしれない。
僕はかつて、数々の異形と戦ったことがあった。グールや幽鬼、人に化けるスライム、龍の帝。人類を滅ぼしかねない化け物と向き合ったことがある。……そして目の前にある腕からは、そういった人類を滅ぼしかねない化け物と同格の力を漂わせていた。異常な力だった。まともな人間が持つべきではない類の、そういう力。
頑張って書きます。応援してくれると作者のとくこうが二段階あがります(たぶん)