終結
人とはなにか?
自分とはなにか?
生きる意味とは? どうして我々は存在するのだ?
例えばの話。
目を閉じれば何も見えない。耳をふさげば何も聞こえない。死んでしまえば、なにも感じない。
死ねばすべてが無に帰す。
ならば、強いて言うなら自分自身とは自分の世界をつくる存在だと定義できないだろうか? 自分自身が世界を作る神だと言えないだろうか?
自分の五感が、世界を作り、認識させる。
我々は自分によってのみ、自分の存在を認識できる。
他人が見ている顔も、他人が見ている、という事実を、自分が認識しているから構築されるのだ。
人とは、何者だ?
いったい、何の意味がある?
どうでもいいことだ。
我々は自分にとって神だ。
自分の世界を構築するのは自分自身にほかならないのだから。
なら、意味とは、神である自分が定めるしかない。
定められない場合、我々は彷徨って生きるしかない。
◇
赤い髪の男が語ったのは、ある書物の引用だった。
それは慰めなのか、なんなんのか。
「……あまり気にすることはない。自分が人間だと信じるなら、君たちはたしかに人間だ。誰にも調べられないんだからな。証明するものだってはっきりあるわけじゃない。数あるオカルト話、それぐらいに受け止めればいいさ」
それは確かにその通りだった。僕らの生きてきた軌跡に、なにも嘘があったわけじゃない。
しかし、それは僕に『真の名』があるから、だから僕は、こうも楽観的に考えられるのかもしれない。
おそるおそる振り返る。
――アリアは、きょとん、とした顔をしていた。
「アリア、大丈夫?」
「ん? いや、難しい話はわかんないし、私は私だし別にいいかなーって」
なんだか。
……なんだか、心配損だったようだ。嘘を言っているようにも見えない。
「じゃあエトは、私たちがおんなじ人間じゃないからって差別とかするの?」
「いやいや、いまさらそんなことをするわけない」
「そういういことだよ。今までとなにも変わらない。むしろ、エトだけが違うっていうから、私がエトを心配してたのに。なんか心配して損したなー!」
「……こっちのセリフだよ、ばか」
彼女はにやりと笑った。
つられて僕も笑ってしまう。こんなやりとりも、今までとなにも変わらない。
僕は勇者の方に視線を向ける。
こちらも思い悩んだ顔をしていない。
「いやはや、なんか、やられたって感じです」
勇者は半笑いでそう言った。
「俺、さっきまで自分が何者なのかってことで一生懸命考えてたんです。勇者とは記号。俺は存在していない。でも結局、三百年後には誰も俺のことを覚えていないわけでしょう? なら俺は、今の自分をエトさんに覚えてもらえればいい。そうなると、俺が人間でも、人間とよく似た何かでも一緒かなあって。というか、俺はもっといやな問題を考えてたんです。勇者である俺は、自分の意味を剥奪されたのかもしれないって。……でも、なんというか、人間かどうかっていう問題が、かえって俺に『今いるひとたちに認めてくれればいい』って結論を出してくれたおかげで、楽になりました」
というかですね、と勇者は言う。
「俺がこんなややっこしいことを考えるのが間違ってるんですよ! 俺は剣を振り回して、人間を助けるかっこいい勇者! 人々の憧れ! すごい! 俺っていう存在は、生まれてきてよかった存在なんです。そうでしょう?」
確かに、と僕は笑った。
「勇者であることを鼻にかけず、ひとのためにあり続けられるのなら、君は生まれてきてよかった存在だよ」
「お、ようやく初めての叱咤ですね師匠」
「……そういえば僕は君の師だったね」
「そうですそうです。まったく、一瞬で忘れちゃダメじゃないですか!」
なんだかなあ、と思う。
赤い髪の男が笑っている。
「こんなもの、正直考え方次第でどうにかなる問題なんだ。まあ、エトくん。君や私はそれに悪影響を受けるタイプなんだろが……運よく、どうともならなかったらしい」
「そうみたいです」
しかし、と彼はうずくまっているクシャナを見る。
「彼女は私やエトさ同じタイプに見える。くれぐれも伝えないように」
「……わかりました、ありがとうございます」
クシャナにもう大丈夫だと伝えに行く。
肩を叩いて、もう大丈夫だと伝えた。
「ふう、終わったか。長かったな」と軽くクシャナは言った。
僕らはまた赤い髪の男の元へ。
彼はほほえましげに笑った。なんだか、険が取れたみたいに。
「む……?」
そんな時に、赤い髪の男はなにかに気付いたような表情をした。
「どうしました?」
「いや、そろそろお別れのようだ。敵が来ている」
「……一緒に、来ませんか?」
「いや、いい。私にもやるべきことがあるのでね」
やるべきこと? 勇者としての力が残っていないのに、なにをするというのだろう?
……まあ、本人のいうことだ。放っておいた方がいいのかもしれない。
「はやくいこう!」とクシャナ。
敵が来るのが嫌で、早く離れたいようだ。
自分でいうのもあれだが、ナイトナイツをあれだけ見事に倒したのだから、もっと安心してくれてもいいだろうに。
「じゃあ、行きます」
「うむ。少年よ、その追憶の魔球が目的のひとつを確実に達成してくれるはずだ。これから行く道に、幸運が訪れることを祈るよ」
そうして、僕らは去っていく。
アリアの光の玉が頭上に輝き続けている。
しかし、赤い髪の男から遠ざかるにつれて、僕らがいたところには霧が立ち込め、見えなくなっていった。
「アリア、まだ大丈夫?」
「うん。大丈夫なんだけど、さすがにちょっと疲れたかな。今、他の魔法を使うとミスって暴発しちゃうかも。戦いには期待しないでね」
「了解」
とれあえず、ここにはあまり長居をしないほうがいいだろう。ひとまず僕らは地上にでる必要がある。赤い髪の男からもらった『追憶の魔球』。おそらく、これを使ってデュースさんを追いかけることになるだろうが……いったん休むべきだろう。
ふと、赤い髪の男のことが頭によぎる。
名前を失った勇者。力のない抜け殻の存在。長年正気を失うことを許されずに、永獄の中で生き続けた。
僕は、と思う。
あの人に、なにか残せたのだろうか? たしかに彼を救い出すことができた。しかし、このあとどうやって彼は生きていくんだろう。
――彼は。
「アリア」
「なあに?」
「……ちょっと忘れ物した。ここで待っててくれる?」
「うん、いいよ。私たち、ここで待ってるね」
アリアがにっこり笑った。
勇者が僕についてこようとする素振りを見せたが、アリアが「私たち」といったからか、首を振ってやめた。
「霧があるけど、大丈夫?」
「大丈夫。距離もそこまで遠くないし、行って帰ってくるだけだから」
「わかった。いってらっしゃい」
アリアは、僕のことがよくわかっている。
僕は赤い髪の男のところへ。
忘れ物はしていない。しかし、どうしてもあの虚ろな瞳の男のことが、気がかりだった。
そして、たどり着く。
黒い十字架と、そこで座っている赤い髪の男。
「敵が来るって言ってましたけど、逃げないんですか?」
「逃げないよ。ここに敵はこないから」
彼の身体からほのかな光の破片が飛んでいる。体が、薄くなっていく。
「少しの間、ここにいていいですか?」
「……ああ、いいよ。酔狂なことだ。こんな抜け殻の傍にいようと、なにも楽しくないだろうに」
そう言って薄く笑う。なにもかも諦めているように。
――きっと、彼は消える。
もう、抜け殻だから。力が残っていないから。
限界をもともと超えていたのだ。ただ、ここに囚われていたから無理やり存在できただけで。
「思うんですけど、僕は老人を敬うべきだと思うんです」
「どうして?」
「その人が過去やってきたことは、現在に繋がっているから。あなただって、勇者として、誰かを救ったこと、あるんでしょう?」
「……ああ、たくさん、たくさん救ってきた。感謝されたな。私は……」
勇者は、過去やってきたことを否定しようとはしなかった。それで、思い出すかのように、言葉を噛みしめている。
きっと、この人は過去に、たしかに英雄だったのだ。
「あなたがいたことに、意味はあったんだと思います」
「そうかも、な」
「僕は、誰かが幸せそうに笑うことが好きです。あなたはたぶん、そういうことをする助けになった」
「……」
「僕は、あなたのことを覚えていようかと思います。それを、伝えたかったんです」
私をか? と勇者が苦笑する。
「君はお人よしだな」
「……そうですか?」
「ああ、私の勘が言っている」
「超感覚ですかね?」
「いいや、人間としての勘だ」
はあ、と勇者がため息をつく。光の破片が空気にとけて、消えていく――。
「ありがと、な」
「いえいえ。僕はここにいるだけです」
「そうだな。ここにいてくれる」
勇者がゆっくり目を閉じる。
「私は、救われた、気がするよ」
そう言って、体の力を抜いた。一気に彼の身体が分解され、光の破片になる。破片が宙へと消えていく。
それを見て、僕は立ち上がった。
寄り道は、終わりだ。
再びアリアたちのもとへ。
戻ればみんなが待っていた。
「エト、忘れ物、とってこれた?」
「うん。たぶん、大丈夫」
「なら、よかったね」
アリアが柔らかく微笑む。
僕は、誰にも知られていない彼のことを、いつまでも覚えていようと思う。
誰も覚えていないだろうけど、彼は過去にひとを救った英雄なのだ。
◇
僕らは最初にいた裏路地にまで戻り、休憩を取った。
そして、『追憶の魔球』を使うことを決意する。
デュースさんを追うための適任は、アリアだろう。追憶の魔球は、持ち主がワープしたいとき、その人物のことを想っていなければならない。
僕にも言えることだが、デュースさんへの思いはまだ抜けきっていない。まして、その弟子であったアリアなら尚更だ。
「じゃあ、私が使うね」
みんなで玉に手を伸ばす。
もう、クシャナもなにかをいうこともなかった。
勇者は、決意を固めている。
アリアがゆっくり目を閉じる。
「お師匠様のところへ」
◇
移動は一瞬で行われた。
ひやりとする浮遊感。そんなものを感じたと思ったら、もうここはあの裏路地ではない。
つまり、デュースさんがここに、いるはず。
そう思って周りを見渡してみたが、ここにいるのはアリア、勇者、クシャナだけだ。
……そもそも、ここはいったいどこなんだ?
ここは建物の中のようだった。
大きい白い部屋に、僕らはいる。周囲には甲冑やタペストリーが飾られており、豪華な雰囲気。
広さは赤い髪の男と出会った場所ほどではないが、かなりのものだ。見るに、ここは建物の中だが、これほどの場所をとる建物とはどこだろう?
「ここは」とクシャナが言う。
彼女の表情が青ざめていく。
「シャドウドグマの巣窟……本拠地。都市の中心にあった塔……だ」
クシャナは周囲を見渡し、警戒していた。
シャドウドグマの本拠地。
デュースさんは、こんなところに単身で踏み込んだというのだろうか?
「エトさん」と勇者がかけてくる。
「超感覚が告げています。デュースさんはここにいる。ただ、昨日行った場所を考えるに、座標は、あっていても、高さが違うんじゃないかと。たぶん、感覚的には、上の方にいます」
「……なるほど、僕らはこの塔を登っていかないといけないわけか」
ここは、この世界で、おそらくもっとも戦力が集中している場所。
デュースさんのことも心配だが、僕ら自身のことだって安全というわけではない。
クシャナがじっと立ち尽くしている。呆然と、どこか遠いところを見ている。
「クシャナ」と僕は声をかけようとする。
しかし、こちらがなにか言う直前、クシャナが「いこう!」と言った。
少し驚く。
「ん?」とこちらを見上げてくるクシャナ。
なんでもない、と僕は笑った。
「いこうか」
僕の言葉に、みんなが頷く。
ここが生きて帰るのが最も難しいエリアなら、こちらは世界最強の剣士に勇者、大魔術師の弟子に百年の年月を重ねた魔女だ。
勝算は十分。僕らはデュースさんを連れて帰る。それに、勇者の超感覚で奇襲を受けることはない。もし遭遇してしまったとしても、僕ならトドメを刺せる。
幸い、この部屋には敵の気配はないし、それはとなりの部屋も同じことだった。というより、勇者によれば、ここには敵の気配がまったくないらしい。上も下も、右も左も、どこにも。
シャドウドグマたちはどこかに出払っているのだろうか? なんにせよ、好都合だ。今のうちになんとかデュースさんを見つけ出したい。
ぼう、と『彼』が僕の前には姿を現す。僕だけに見える思念体。
今まで、『彼』の姿はどこかぼやけたままだった。まるで、幽霊みたいに。しかし、今は実体かと思うほどに体の輪郭がはっきりしている。
見れば見るほど、僕と『彼』はよく似ていた。
灰色の瞳。灰色の髪。身長も、体つきも、顔のパーツの隅々までよく似ている。生き別れの双子だと言われても、信じれるぐらいに。
だが、その重く、陰湿な雰囲気だけは絶対的に僕にはないものだった。『彼』の周りの空気は澱んでいて、しかし、『彼』が絶対的な強者なのだということを、示していた。
《気を付けて、進むといい》
先にいく道を見つけたのは勇者だった。
念入りにある周囲を歩き回り、なにをしているのかと思ってみれば、勇者の足が沈む。
「あった」と嬉しげに彼は言い、螺旋階段が天井から現れたのであった。
「上、いけますね」
「……おしゃれなギミックがあるもんだね」
「都市の中心の高い塔。なんか、物凄いラストダンジョンっぽさがありますよね。なんか冒険みたいで楽しい」
「まあ、みたいというか、わりと僕らは大冒険の真っ最中な気がするけどね」
螺旋階段を上った先は鏡の世界だった。
水晶やらなんやらで、僕らの姿を映し出している。大迷宮めいた、目が回りそうな視界。
「ねえねえエト」
「なに?」
「なんかここ、お師匠様の地下室であった、あのおもちゃに似てない?」
「万華鏡のこと?」
「あ、あれ万華鏡っていうんだ。そうそうそれのこと」
たしかに、似ていると言えば似ている。
僕らが少しでもここから動けば、僕らの姿の反射が変わり、風景は劇的に形を変える。鏡の反射がうまく万華鏡状に機能していない場所もいくらかあるが、似たような場所はいくつも散見できる。でも、おかげで敵が襲ってきたときもすぐに気づけそうだ。
僕らは進んでいく。
だんだん口数が少なくなってくる。たまに起こる会話は、周りに反響してどこから聞こえてくるのかわからない。空間自体は広いから、そこまで反響はしないはずなんだけど……。
黙々と進むうちに、ある異変に気付いた。最初は錯覚だと思った、しかし。
僕は隣の勇者に触れようとする。
――触れなかった。
ぞくり、と背筋が凍る。
アリアに触れようとする、クシャナに触れようとする。
しかし、同じことだった。僕は誰にも触れられない。
激しく動機がする。
大声をあげても誰もなんの反応も示さない。虚しく僕の声が響いている。
《落ち着いて》
そんな僕を止めてくれたのは『彼』だった。思念体だからか、周囲の鑑には反射しない。そんな確かな存在が、僕のいったん落ち着かせた。
「……どうなってるんだ」
《鏡は見せかけだ。ここは幻術空間。今君が見ているのは、幻》
「……そんな馬鹿な。魔法は僕に効かないはず。いったいいつそんなものをかけられんだ?」
《ここは祈りの種族が収める世界。君の能力も、無効化されてもおかしくない。どうやら、この部屋限定で、あらゆる能力が発動できなくなっているらしい》
僕は来た道を戻る。
仲間を探すために。
しかし、見つからない。鏡の世界が僕だけを映している。確かに、アリアたちの姿は幻影だった。『彼』の助言と同時に、映っているのは僕だけになった。
どうすればいい、どうすればいい。
まともな案は存在しない。解決策は、なにもない。
《……ここに来てから、ずっと疑問に思っていた》
ぽつり、と『彼』が呟く。
《ここは創られたひとつの世界。しかし、破滅のエトワール不在の今、ここは自然と崩れなければおかしいんだ。思うに、どこかに依り代がある》
「それが、なんだっていうの?」
《たぶん、依り代は破滅のエトワールの秘宝、破滅剣アブソリュートだ。薄いけど、気配を感じる。それを手に入れれば、君はこの世界から脱出できるかもしれない》
「でも、みんなが」
《脱出の方法はこの世界の維持を止めることだ。それでこの世界が崩壊すれば、別世界のものは自然と元あった場所に戻る。変異はこの世界が担っているはずだから、それも止まる》
それは、すべての問題の解決。
デュースさんも僕らも、元の世界に戻り、変異は止まる。
思えば、すべてはこの世界が起こしていることだ。たったひとつのことですべてが解決しても、おかしくはない。
……そう思っても、いいんだろうか?
「……信じて、いいの?」
《――僕を信用してくれ》
その言葉で、僕は腹を決めた。
……仲間を見つけることはできない。
なら、別の手段を見つけるしかない。
《そこを曲がれ。右だ。あとはずっとまっすぐ。それでひとまず、ここは脱出できる》
まるで『彼』はここをよく知っているかのように言った。
僕は『彼』を信じ、言うとおりにする。
「ねえ、破滅のエトワールって、君より強かったらしいけど、どんなひとだったの?」
《……彼はとてつもない能力を持っていたんだ。剣が通じないぐらいの。彼は剣も強かったが、剣を交わすには能力がある程度拮抗していないと、剣の間合いに入れない。それができるのは勇者と魔王ぐらいだった》
「勇者と魔王って、本当にいた存在なの?」
《ああ、いた。三百年以上昔には、ちらほらと。それに、物語の勇者魔王物語のほとんどは、ちゃんとモデルがいる》
「……けっこうな数があったと思うんだけど、あれ全部にモデルがいるの?」
《ああ。祈りの種族とは、物語を紡ぐもの。そして、神の製作者。彼らは神になることによって自分の世界を作った。そこでは人間がいて、魔族がいて、勇者と魔王がいた。プログラミングされた存在だから魂はないけれど、神の創造した疑似世界で、すべて起きたことなんだ》
驚愕の事実を聞かされる。勇者と魔王の物語。それは実際に起こっていた。現実で、といってもいいのかわからないが、神が世界を作ってそういう物語を起こさせた。だから、祈りの種族は物語を紡ぐ者なのだ。
「でも、そんなこと話していいの? なんだか、あまり話せない状況に、君は置かれているのかと思ってたんだけど」
《……ああ、それはもう、いいんだ》
その返事になんとなく引っ掛かりを覚えながらも、僕は進んでいった。
突然視界が開ける。背後には迷宮のような鏡の世界。自分の能力が元に戻るのを、感じた。
ここは最初に来たような、豪華で広い、部屋だった。普通の、部屋。
ふう、とため息を吐く。だが、まだまだこれからだ。
「エト!」
突然のことに振り返る。
クシャナが僕に向かって走ってきて、抱き着いてきた。いきなりの不意打ちに、僕は倒れてしまう。
「よかった……よかった……。みんな突然いなくなって、死んでしまったのかと思ったんだ……。また、ひとりぼっちだって。でも、エトがいてよかった、ほんとに、よかった……」
声を押し殺しながら泣く、クシャナ。
僕はなんといっていいかわからない。
聞けば、アリアとも勇者とも、はぐれてしまったようだ。どうにか合流したいが、やはり僕は『彼』のいう『破滅剣アブソリュート』を探し出したほうがよさそうだ。
まだ、僕は倒れていて、クシャナは僕の上で泣いている。僕のおなかのあたりに顔を埋めている。
身動きがとれない。だが、突き放すこともできない。
どうしたものか、とこわごわと頭を撫でてみる。びくっとクシャナが反応する。
「大丈夫。僕はここにいるから」
「エト……」
「大丈夫、君は安心していいんだ」
クシャナがゆっくりと目を閉じる。僕はできるかぎり優しく彼女の頭を撫でた。
百年の歳月を生きた彼女。でも、見た目である十四という精神年齢からは、あまり変わっていないように見える。だからか、守ってやりたい、なんてことを思ってしまう。
……僕なんかがこんなことを思うのは、傲慢だろうか?
涙に目を濡らしながら、「ふふ」とクシャナが笑う。
「私よりも年下の癖に、ずいぶんと男前の慰め方をするんだな」
「見た目なら僕の方が年上だ」
「む? なんだと? 今まであまり気にならなかったが、そういわれると気になってくるな」
彼女はおかしそうに目元を拭い、僕の元から離れていく。
若干の名残惜しさ。
「もう、大丈夫。ありがとな」
「ほんとに?」
「や、あんまり大丈夫じゃないかも。……なんて言ってくれたら、お前は抱きしめてくれるのか?」
「僕でよければ」
「いや、やめておこう。体だけではなく、精神まで幼いと言われるのは嫌だからな。むしろもっと私を頼れ、若者よ」
「うーん」
「……いつか実力で知らしめる必要があるらしいな」
そんな言葉に、思わず笑ってしまう。アリアと勇者がまだいない。でも、少なくとも一人じゃない。
クシャナにこれからやろうとしていることを話す。ここには世界を支えているものがあるはずで、それを回収すればみんな元の世界に変えれるはずだ。そうすればなにもかも、ハッピーエンド。
「そうだな。地上に戻ったら、入ってきた場所から戻るのかな?」
「うーん、そこまではよくわからない。でもたぶん、そうなると思う」
「じゃあ、集合場所を決めておこう。また会えるように」
「うん、そうしよう」
再会の約束。
僕らは元の世界に帰るために前進する。そして、また四人揃って会うのだ。もしかしたら、その中にはイブノアがいたり、デュースさんがいるかもしれない。
なんにせよ、楽しみだ。なにもかもが解決した世界で、みんなと過ごすのは、きっと楽しい。
僕らは一層の決心を固める。
《そこに隠しスイッチがある。押して》
『彼』の指示に従いながら探索は順調。シャドウドグマにも遭遇しない。
僕が前、後ろにクシャナという配置で進んでいく。
そしてついに、目的の位置に到着する。
《ここだよ。ここに剣がある》
――扉の前。
それはいかにもという感じに豪華な装飾がついていた。
最終目的地に相応しい、そんな扉。
僕はドアノブに手をかける。
そして開いた。
警戒しながら、中へ。
この部屋も、とても広かった。
天井は十メートルはあるし、横は百メートルぐらいだろうか? 壁には壁画。怪しげな水晶玉。そんな感じに、貴重そうな宝物がいくつかある。
最奥には玉座がある。そこに至るまでの豪奢な赤い道が敷かれている。
そして、部屋の中央には剣が刺さっていた。
まるで、伝説の剣みたいに、床に刺さっていた。
《抜くんだ。他ならぬ、君が。そしてそれを玉座の前で刺せ。そうすればすべて終わる》
『わかった』
なぜ剣を玉座の前に刺せば終わるのかは、わからない。けどたぶん、そうすることによってこの世界は終わるのだ。僕らは、元の世界に戻れる。
破滅剣アブソリュート。
破滅のエトワールが力を込めた依り代。
近づくだけでもその圧倒的な気にたじろぐ。
いったいどれだけのエネルギーが秘められているのか、見当もつかない。たったひとつの物質にこれだけのエネルギーを込めるのは、神業と言ってもいいのかもしれない。いうなれば、これひとつで国が滅ぼせると言われても、信じてしまいそうなほどの、圧迫されたエネルギーの塊が、この剣の正体だった。
触れるだけでも覚悟を必要とした。
意を決めて、その剣を掴んだ。
引き抜こうとする。
――後ろから、強大な気配。
ローブを来た魔術師風の存在。爛々と光る眼だけが、こちらから見えた。
そいつはばかでかい魔力を持っていた。
いままで気づかなかったのは、そいつが魔力を隠していたから。そして、今魔力が膨れ上がっているのは、大魔法を放とうとしているから。
「クシャナ! 下がれ!」
僕はクシャナの前に躍り出る。
突如迫る、風刃の嵐。
あの白いカマキリを思わせるような攻撃。しかし問題なのは、それよりもはるかに一撃が重いということだ。
――しかし、僕には魔法は通用しない。
ローブの男の右腕が光り輝く。
ひとつの結晶にルーンが集中し、血管が浮き出る。
「エトを殺させやしない!」
クシャナが魔法を放つ。
目にもとまらぬ速さで魔法を編み、放った。
その魔法は、おそらく対魔術師に適した魔法だ。
最速の光の矢。
目で追えないほどに、ただただ速い。
たぶん、アリアではこんなものは放てない。そういう一撃だった。
――魔術師の右腕が光り輝く。
薄い半透明の膜が生成され、光の矢は逸れていく。
おそらく、反射的な反応ではなく、自動的な機能。並外れた魔力だけでなく特殊な技術までも持っている様子。
それならば、僕がやるしかない。
そう思って剣を鞘から半身だけだす。
四つ目の破光を放つ体勢へ。
しかし、向こう側の様子がおかしかった。
右腕の輝きは収まり、膨大な魔力を感じない。
なにごとだ? と思い、様子をうかがう。
「……エトじゃと?」
聞き覚えのある声。
その人物がロープのフードをどかした。
見えるのは、いかにも魔術師然とした白く、長いひげ。優しげな瞳。
探していたうちのひとり、デュースさんだった。
◇
「……すまんかった。まさかここに外の世界の人間がいようとは」
深々と頭を下げるデュースさん。
それで少し、安心する。
僕は、デュースさんについて嫌な想像ばかりをしてしまっていた。彼は神聖国ユクシッドに追われる禁忌の魔術師。そして錬金術師。数々の集落を滅ぼした、大罪人。
でも、今のデュースさんを見ると、そうは思えない。
優しげな目、穏やかな雰囲気。少なくとも、僕を殺そうという意思は微塵も感じられない。一緒に過ごした時間が、嘘だったわけじゃない。
しかし、だからといってなにがあったか聞かないわけにはいかない。もしかしたら、これを言ってしまったら、変貌してしまうかも。
……それでも、問題を先延ばしにするわけにはいかない。
近づいてくるデュースさんを手で制す。
「待ってください。デュースさん。あなたを追手が神聖国ユクシッドから来たんです」
「……なんじゃと? 誰かけがはしなかったか? 誰も死んでおらぬか?」
まず、そんな心配をするデュースさんにほっとする。
ああ、やっぱりこの人は優しいひとなんだと、そう思って。
気が抜ける。「ケガをしたひとはいますけど、ちゃんと治りましたし、大丈夫ですよ」と答える。デュースさんが安堵のため息を吐く。
アリアと勇者がここに来ていることも話した。デュースさんは特に弟子について心配していた。だが見つける方法があるというと、落ち着いた。
僕は、帰る手段があることをいわなかった。念の、ために。
こんな様子を見て、僕はデュースさんを信じた。次の質問を気軽にしてもいいか、そう思って。
「神聖国ユクシッドからいろいろ聞いたんですけど……なんで数々の集落を滅ぼしたことになってるんです?」
……それは、失言だった。
ギラリ、と魔術師の目が輝く。雰囲気は一変。ただ強く、残忍なまでの鋭い気。
穏やかなひとが一変したとき、その圧力ははかりしれない。
「わしが、滅ぼしたじゃと?」
魔術師は僕の言葉を繰り返す。
重く、のしかかるような圧迫感。今たしかに、デュースさんは最強の魔術師と言ってもいいほどのオーラを放っていた。
「……はい」
僕は唾を飲み込んで答える。
なぜ、こうも一変してしまったのだろうか? 知られてはならないことを、知られてしまったからだろうか?
「わしが、滅ぼしたじゃと? このわしが、故郷を滅ぼしたと、本気で言っておるのか? エト?」
――故郷。
並々ならぬ怒りを感じる。そして、長年を煮込んできた執念めいた、そういうものも。
故郷。集落のひとつに、デュースさんの故郷があったのだろう。それをデュースさんが滅ぼしたことになっている。
しかし、この反応を見るに――。
「あの、すみません。デュースさんは、無実なんですよね? 全部やつらのたわごとだって、僕は思ってるんです」
「ん――? ああ、なんじゃ。エトはわしを殺人鬼呼ばわりしたわけじゃないのか。……すまん、疲れて気が立っておってな。わしは無実……無実のはずじゃ」
デュースさんの容貌を見る。よく見れば、ロープは擦り切れ、顔にも切り傷がある。裾が焦げていて、目立ってはいないけど、わりとボロボロだ。おそらく、今までなんどもなんども、戦ってきたのだろう。
この塔にはシャドウドグマが、まったくと言っていいほどいなかった。
……もしかしたら、そういうことなのかもしれない。
……しかし、それにしても『無実なはず』という言い方に引っ掛かりを覚える。まるで確信がないみたいな言い方。
いったい、なにがあったんだろう。
「デュースさん、話してみてくれませんか? いったい、なにがあったのか」
「……そうじゃな。話さんと信用できんだろう。今、話しておこうとするかの」
自嘲気味にデュースさんが笑う。
たぶん、相当に彼は消耗している。精神的に、追い詰められている。それで『信用できんだろう』という言葉を聞くにに、彼は僕に疑われたのが堪えたのだ。僕のことを信じていたのに、なのに信用されていなかった、裏切られた、そんな衝撃を受けたのだ。
背後には『破滅剣アブソリュート』とクシャナ。
彼女はなにも口出ししてこない。剣はただ、そこに刺さっているだけ。
デュースさんが話し始める。
「エトや、おまえはわしのことをどんな人物だと思っておった?」
「……優しい、穏やかな人物だと」
「そうじゃな。そういう一面も否定せん。たしかにアレは、わしじゃった」
デュースさんが拳を握りしめる。そこに籠っているのは、怒りだ。
「話を戻そうか。わしが集落を滅ぼした。それはわしが原因であり、わしを狙ったからこそ、そういう事件が起きたのだと言える。だからわしが悪い、と言われても仕方がない。しかしわかってくれ。わしの存在が周囲に害をまき散らしたのだとしても、わしはその者たちを愛しておったし――仇を取らねばならぬ」
デュースという人物はたしかに穏やかで、無害だった。
しかし、デュークレイトスは違う。
「――わしの本質は復讐者じゃ。わしの故郷を滅ぼした破滅のエトワール。そいつを必ず殺して見せる。それだけが、老いた身を生きながらえてきた悲願」
それが、デュースさんの目的で、そして……たぶん、そのためにいままで彼は生きてきた。何年も、歳月をかけて。
「デュースさん。破滅のエトワールは死にました。もう、僕らと一緒に帰りましょう」
「それは、いつ? 神聖断絶の時代にか? はたまた、おぬしが殺したのか?」
「……神聖断絶の時代に、です」
「やはりな。それならば『違う』と言っておこう。わしの故郷は滅びた。やつの手によって。『おまえがこの世で最も優秀な魔術師だからだ』と言ってきおった。わかるか? およそ四十年前、やつはわしの前に現れたのだ」
……いったいどういうことだろう。
『彼』が言うには、破滅のエトワールは消えた。それは神聖断絶の時代に、という情報だ。デュースさんのものと食い違う。
赤い髪の男も、『彼』と同じようなことを言っていた。となると、破滅のエトワールはもういない、というほうが信憑性が高いことになる。
しかし、デュースさんが生き証人として『破滅のエトワールは存在している』と言っている以上、それを無視するのも難しい。
そこでひとつ、推測が浮かんでくる。
破滅のエトワールは消えかけた。しかし、ひっそりとまだどこかで存在しているのではないか? ほかの神や勇者たちの目を欺いて。
『彼』に語り掛ける。もしかしたらこういうことなのではないか、と。
《それはありうる話だ。神の元に辿り着けなくても、観測事態は簡単だから絶対に滅びたと思っていたんだが、破滅のエトワールならば可能かもしれない。……それでも、ありえないと思うんだけど》
『どうして?』
《今いる唯一神。そいつは神の世界に侵入、観測するプロなんだ。そいつが神々をすべて死に追いやった。そいつが君臨している以上、逃げ回れるとは思えない。いや、まて》
『……?』
《僕から見て、唯一神はいいやつではない。しかし、この世になんら危害を与えていないということは、この世に興味がまったくないということだ。ならば、破滅のエトワールがこの世に潜伏したのなら、生きている可能性はある》
『じゃあ……』
《きっとこの魔術師の言葉は正しい。そして君の思った通り、弱体化して生きながらえている可能性が高い》
ならば、デュースさんの願いはいまだ成就可能で、復讐を諦めることはないと言える。
でも、僕はもう帰りたかった。みんなと一緒に、あたたかな日常に。
「……デュースさん、僕はあなたと、帰りたいです」
デュースさんを止める術は見つからなかった。ただ、感情に訴えかけるぐらいしか。
冷たい視線が僕に注がれる。
「無理じゃ。エト、おぬしは痛みを知らないから、わしの考えは理解できん」
「今ある幸せじゃ、だめですか?」
白々しい言葉。
わかっている。『痛みを知らない』その意味を痛いほど僕はわかっている。殺意や執念、殺してやりたいという領域に、真の意味で踏み込んだことがない。だから、デュースさんの気持ちは想像できても、白々しいのだ。
長年蓄積してきた恨み、使命感。復讐するということ。
僕なんかがなにを言っても、デュースさんには届かない。
「妹の話はしたな?」
「……はい」
「死ぬときもわしを心配していた。わしはその原因を作った破滅のエトワールを許さぬ。妹がどれだけわしのことを愛してくれたのか、よーくわかった瞬間じゃった。しかし、そんな瞬間、いらなかった」
吐き捨てるようにデュースさんが言う。
その動作で首にぶら下がったペンダントが揺れる。
それはきっと、デュースさんの家で見た、妹とデュースさんが写っているペンダント。それをもって、デュースさんは来た。こんな閉ざされた世界にまで。魔術師としての生涯を消費して、長年かけてここにたどり着いた。
想像が止まらない。デュースさんがどれだけの年月をかけて、どれだけの思いでここに来たのか。
四十年前、デュースさんは破滅のエトワールに出会ったと言った。それからずっと、再会の手段を探求し続けたはずだ。相手は消えたはずの神。一筋縄ではいかない。
きっと僕らの村に住み着いたのも、僕らの土地に昔、祈りの種族がいたのが、わかっていたからだ。きっとこの近くに手掛かりがあると信じ、わざわざ村に来た。
そういった長年の憎悪と執念が、いまこの世界に到達しているという結果を生んでいる。
妹の写ったペンダントをもって、狂いそうなぐらいの願いを持ちながら、彼はここにたどり着いたのだ。
無理だと思った。僕には、デュースさんを止められない。
今まで考えたのは想像だ。でも、中らずとも遠からぬところに、デュースさんはいるはずだ。
僕にはデュースさんを止める資格がない。
でも、僕にも譲れないことはある。
アリアと勇者、そしてクシャナ。大切な仲間を元の世界に帰さなくてはならない。
デュースさんの復讐の邪魔になるとしても、この世界を終わらせなくてはならない。
「わかりました」と僕は言う。
デュースさんはただ頷いた。
僕は背後の破滅剣アブソリュートに向き直る。
万色にして無色。虹色に似た破滅色が漂っている。
僕はそれを引き抜いた。予想していた抵抗はなかった。何の抵抗も感じないぐらい、簡単に抜けた。まるで、剣が僕を選んだかのように。
「それはなんじゃ?」と目ざとくデュースさんが聞いてくる。
「剣です」と短く答えた。
プレッシャーが横から迫る。仕方ない。ただの剣ではないことは、どちらにせよばれることだ。
「よこせ」
まるで、デュースさんのものではない声音でそう言った。
まだ、僕とデュースさんとは距離がある。それをじりじりと、詰めてくる。
《走れ! 玉座の前に刺せ! それで全部終わる!》
突然、『彼』の声が脳に響き渡る。
僕ははじかれたようにそちら走る。まだ目標まで、五十メートル。でもこんな距離、一瞬だ。
『彼』の声が響くと同時、デュースさんもびくり、と反応した。
「まさか貴様」
深淵から上ってくるかのような怒気。
「エト、貴様、わしをだましたな!」
デュースさんが魔法を放とうとしてくるのを背後で感じる。
そこにクシャナが立ち塞がった。
「させない!」
「……この!」
クシャナが殺されてしまうんじゃないかと肝が冷える。
振り返ると、デュースさんがクシャナを吹き飛ばしていた。殺してはいない
本当は、殺したほうが早かったはずだ。しかし、彼は結局、非情な魔術師デュークレイトスではない。彼はデュースだということだ。
無関係なひとを殺せる人物ではない。それは甘さだ。それに漬け込む形になったのは、申し訳ないと思う。
デュースさんが魔法を使ってくる。
床が凍る。剣を振るって氷を引きはがす。
一度の剣閃が、前方にある氷すべてを破壊した。
《いまだ! やれ!》
二度目の魔法が背中に降り注ぐのを感じたが、僕には魔法は通用しない。
消えていく魔力の残滓を感じながら、僕は王座の前に立つ。
そして、剣を深々と地に刺した――。
――破滅剣アブソリュートが光り輝く。
力が暴走しているかのように、気をまき散らす。
吹き荒れる力の波動が、周囲のものを破壊し、蹴散らす。
思わず僕は何歩か下がった。
万色の色づく力の波動が、目の前で荒れ狂っている。
それを場違いにも、美しいと思ってしまった。
デュースさんが呆然と立ち尽くしている。恐怖でいっぱいの目を、カッと見開く。
「ばかな……」
やがて力の暴走は収束していった。ここから世界は終わるのだろうか、と僕は目の前の剣を見ている。
破滅剣アブソリュートが解け始めた。その物質が粒子となり、その場に漂う。
その粒子が不可思議な動きをする。
――ひとの形へと。
手、足、順番にその体が生成されていく。
ゆったりとた動きで粒子がまとまっていく。もう、破滅剣アブソリュートはここには存在しない。
そいつに色がついていった。
人間の色。
そいつは灰色の髪を持っていて、身長は僕と同じだった。
灰色の瞳をしていて、顔の特徴がよく似ていた。
しかし――圧倒的なまでの陰湿なオーラが、僕とはよく似た別人だということを、よく示していた。
信じられなかった。幻覚かと思った。それは、見慣れた容貌。
『彼』いや、彼が手を高々と上げる。その手には剣が握られている。
彼が僕を見る。目が、あった。
「ご苦労様」と彼は呟いた。
震える声で、僕は言う。
「だまして、たのか?」
「そうだ」
「悪かったとは、思わないのか?」
「多少は」
「じゃあ、なんで?」
「言わなくてもわかるはずだ」
そこからの流れは、儀式的で、まるで、決められた呪文のようだった。
彼が、歌うように始める。
「わかっているはずだ。僕のことを」
「君は僕の、大切なひとだった」
「そうかもしれない。でも僕は何者だ?」
「……そうか」
「そう、僕こそが」
「……君こそが」
「――破滅のエトワール」
高々と掲げた剣にエネルギーが注がれる。
神秘的な気を纏って、彼は僕の目の前に立ち塞がる。




