11 変異の怪物、そして足跡
「……もう、ばか」
アリアが傷ついた腕を直してくれる。
治癒術。都市にいたトップクラスのものと、質はそんなに違わない。
それぐらい、彼女の能力は高い。
僕は絶命した白いカマキリを見やる。
それは今、燃えていた。アリアに後処理として燃やしてもらったのだ。
思った以上に、強い敵だった。しかし、傷ついたの僕だけ。アリアはまったく危険な状態に陥っていない。百回やっても、同じ結果になるだろう。
僕に力があってよかった。おかげで、強い敵にもこの結果だ。
《敵が強かった? ほんとうに? そもそも君は破光を使う必要があったのか? 時間さえかければ、無傷で倒せただろうに》
……。
「エト、無茶は、しないでね」
いつもは元気な亜麻色の髪が、力なくうなだれている。
ここからは覗けない、彼女の表情。
見なくてもわかる。彼女は悲しんでいる。僕が痛い目をしたから、自分のことのように苦しんでいる。
《ほんとうにそれだけかな?》
僕の腕はめちゃくちゃに傷ついていた。コントロールできない力を振るった代償は、使用した器官の損傷だ。暴れ狂う力を引き出すことはできる。しかし、手綱が握れていなければ、こういうことになる。
こんな無茶ができたのはアリアのおかげだ。アリアがいなければ、実戦でこんな技は使えなかった。
『アリアがいたおかげで、僕はまだ生きてる』
《違うね。君があんな知能のない生命体に後れを取るわけがない。破光を使ったのはそこの彼女に被害がいくことを恐れ、早期決着を狙ったからだ。エト、君はひとりでいるべきだよ。足手まといがいては、邪魔になる》
『でもそれは僕の生き方じゃない』
《またおじいちゃんかい? いいか、エト。君には悪意や殺意といったものが足りない。君はせっかく僕と同じだけ強くなれるかもしれないぐらい才能があるのに、そのままでは腐ってしまう》
『力なら足りてる』
《そうかい。でも少なくとも、目の前の彼女は自分のせいで君が無理をしたと思っているようだけどね》
もったいない、と『彼』は言い、消えた。
僕は……僕は、ひとりぼっちでいたくない。
おじいちゃんが死んだとき、ひとりぼっちを選んだ時、それでいいと思っていた時。
本当は辛かった。誰かに助けてもらいたがっていた。
『彼』ほど、僕は強く在れない。それは、僕の生き方ではないのだ。
腕の治癒が完成する。
「ありがとう」と僕はお礼を言った。しかし、返事はない。
「アリア?」
『彼』の言った言葉。それが胸に引っかかる。
「ねえ、エト」
「なに?」
「もう無茶、しないでね」
「……うん」
「私はいやだよ。エトが辛い思いをするのも。危険な目にあうのも」
大丈夫だよ、と言ってやりたかった。
魔変異の災害。その時、先陣を切っていたことがある。
その時の危険に比べれば、こんなものは屁でもない。痛みだって大したことはない方だ。
だから、大丈夫なんだよ。
――涙の溜まった、驚くぐらい綺麗な瞳。
僕は、なにも言えなくなる。
胸が痛くなる。
アリアが僕のことを思ってくれること。それが、どんなにありがたいことなのかを、思い知らされる。
「アリア」
「……うん」
「アリア、僕は君が悲しんでいると、辛いよ」
「私も、エトが苦しんでいることが辛いよ」
「うん、だからもう、大丈夫だ。お互いが辛くなることなんてしない。無理なんて、しないから」
ねえ、と僕は言う。
「――心配してくれて、ありがとう」
それは、彼女に捧ぐ言葉。
たぶん、子供のころからずっと言いたかった言葉だった。
彼女のおかげで救われた。
そして今も、彼女は僕の心の助けになってくれている。
彼女の優しさが、僕の心にしみている。
ぽかん、とした表情の後、クスリと彼女は笑った。
「なんだか、子供の頃に戻ったみたい?」
「なにが?」
「エトって、『ありがとう』っていうとき、ほんとうにいい顔をするんだよ。そういうところ、嫌いじゃない」
照れくさそうに、彼女は言った。
思わず僕も照れくさくなってくる。
僕らは言葉で多くのことを言っていない。
だけど、この僕の感謝の心は、彼女に受け取ってもらえていると思った。
そして、彼女もまた、僕に感謝している。
僕らは、お互いがお互いに親愛の情を注いでいる。分かり合えている、そんな気がする。
「じゃあ、一緒に帰ろっか」と彼女が言う。
僕らは来た道を引き返し、歩いていく。
森の入り口まで来れば、すでに勇者一行が待っていた。
とれあえず、近くにあるデュースさんの家に入る。一般的な木造建築だ。けど、中には魔道具、地下室までも設立されていて、外から見ただけではわからない、魔術師の家。
ともかく、とても、疲れた。
家の中にあるソファーに気絶するかのように倒れる。アリアもくたびれたようで、椅子に寄りかかっていた。
だがとれあえず情報交換をしなければならない。お互いがどんな状況だったのか知ることは大切だ。
「エトさん、そんなに敵強かったんですか」
「うん」
勇者側も、赤い目をした魔獣と会ったらしい。魔法がやや効きづらい、そういう個体。
近くではイブノアとアリアが楽しそうに会話している。仲良くなった、とは聞いたがそれにしても楽しそうだ。イブノアはややおとなしそうな印象を受けるが、アリアがうまくリードしているのかもしれない。
僕は勇者と話を続ける。
「俺のところはたいして強くありませんでした。デュースさんとイブノアの魔法で足を奪って俺が頭を切り落とす。そりゃ普通の魔獣よりもは強かったんですけど、エトさんほどではなさそうです」
「じゃあ、変異の源は森にあるのかな」
「原初の森って呼ばれてるぐらいですしね。今まで普通の動物しか住んでなかったって話ですけど、実はある伝説の隠れ家だったのだ! っていう展開、あると思いません?」
「名前を付けたのは誰か知らないけど、こんな仰々しい名前がついてると、なにかあるかもって考えちゃうよね」
「なんか伝説があるかもって思うとわくわくして来ました」
「君も伝説みたいなものだけどね」
勇者はこれから原初の森を重点的に捜索することにするらしい。
他にも考察を話し、途中雑談にそれながらも、それなりに話はまとまった。
そうやって話がつき、そろそろお開きにしようとした時だ。
デュースさんが立ち上がる。
「これからしばらく、わしはこの家を閉じる。誰も中に入ってこないよう、村のみんなに伝えてもらえんか?」
「なにかあるんですか?」
「ちょっと実験を、の。誰にも邪魔されたくないんじゃ」
どうしたんだろう、と思う。
変異の前触れのようなものは、これから先も起こるかもしれない。そういうとき、デュースさんのような腕の立つものはできる限り動けたほうがいい。
――浴槽に浮かぶ腕のことを思い出す。
……なにか、デュースさんは変異について調べようとしているのかもしれない。彼は魔術師だ。変異のヒントのようなものを見つけてくれるかもしれない。
デュースさんは信用できる。ならばまあ、いいだろう。
僕と勇者、アリアとイブノアが外に出る。デュースさんに軽く「さよなら」と言って。
「お師匠様、たまに研究に打ち込みたくなる時があるらしくてこういうことがあるんだよね。エトは知らないと思うけど」
「……そうだったんだ」
「うん、そういう時、村人は、私も含めて誰も入っちゃいけないルールなんだー。まあ、自由にさせてあげよっか」
アリアは気楽なものだ。
まあ、いつものこと、というのならば、当たり前の反応なのかもしれないが。
僕らは各々の住処へ。
勇者は泊まっている宿。アリアは両親が待っている家。僕はおじいちゃんが住んでいた家。
《生命の変異は、祈りの種族の得意技だ》
《変異生物は君に反応した。それは、なぜ?》
《いったい君のなにに反応したんだろうね?》




