1 なによりも大切な……
しばらく毎日更新します
火葬所で僕は今、大好きだった人が煙になっていくのを見ている。
村人たちは同情の籠った目で、僕を遠回しに眺めていた。「かわいそう、まだ小さい子供なのに」「親族がいないらしいのだけど、どうやって暮らしていくんだろう」「孫を置いて、あのひとも死んでも死にきれなかったに違いない」そんな、囁きが聞こえる。
ザーザーと雨が降り出す。葬式場である教会にいくつもの雨音が跳ねうった。どんよりと空が曇っている。
葬式が終わったということで、村の人々は各々の家路につき始めた。馬車がなんども通って歩きやすくなった道を、大勢の人々が踏みしめている。人が流れていく光景。
――僕は。
水たまりに小さな自分の姿が映っているのが見えた。灰色の髪、灰色の眼。涙なのか雨なのかわからない水滴を顔に浴び、光のない表情。
――僕は。
どうしようもなくなって、僕は教会の裏へ回った。ここには誰もいない。誰も僕のことを気にしない。ここなら、泣いてもいい。
でも、決して涙をこぼすことはなかった。なぜなら、おじいちゃんが何度も僕に言い聞かせてくれた言葉があったから。
『誘惑に負けないようにしなさい。
強きをくじき、弱きを助けるようにしなさい。
自分を誇れる大人になりなさい』
きっと、親という存在がいたなら、この言葉は子供にいうありきたりな言葉なのだろう。しかし、三つの束ねられた言葉は僕の胸に強く響いた。まるで言葉が力を持つかのように。
『強い人間でありなさい。
諦めない人間でありなさい。
立派な人間になりなさい』
遺言なんかじゃない。けれど、それはおじいちゃんが僕に望んでいた理想の姿だ。
強い人間はきっと、涙を流さない。そして孤独でも平気だ。
大切な人が死んでも、うじうじしたりなんかしない。むしろそれをバネに、自分を鍛えることだろう。
決して涙を流すなんてことは許されなかった。僕は立派で、強い人間にならなければならなかった。
このひとりぼっちの世界でも、生きていけるような人間でいなければ、ならなかった。それが目指すべき姿だった。
でも今、僕はとても苦しんでいる。かけがえのない人を失って、もう頼れる人なんていなくて。
それでも自分の弱さを認めてはならない。
涙を流してはならなかった。
孤独は平気だと嘯かねばならなかった。
ここで膝を抱えてじっとしていては、ならなかった。
自己矛盾の対立が、僕をいっそう苦しめる。僕はきっと、弱かった。泣いてはいないけど泣き出しそうで、周りに誰もいてくれないのが寂しいと思っていて。
強く目を閉じれば、こちらを見つめ返す存在がある。
それは、僕だ。灰色の髪、灰色の眼。しかし、そいつは孤高でありながら陰湿な雰囲気を纏っていて……おそらく、僕よりも強い人間だった。
これが、自分の理想の姿なのだろうか?
もう一人の僕が口を動かしている。呪文のような早口。音はなにも聞こえない。恐ろしくなって僕はそいつから目をそらす――。
僕らの血族は、どこかしらが特殊な一族らしかった。優秀な能力を持ち、多才。その代わりに三人に一人は狂死して死に至る。呪われた神秘を身に窶す特殊な一族。
僕はその中でもほとんどの力を受け継げなかった出来損ないのはずだった。魔法は使えず、体は虚弱。眼、髪の色素が薄く、一族最後の末裔なのに遺伝に失敗した出来損ない。
でも、狂気のような部分は、不幸にも引き継いでいるようだった。どこか恐ろしい気を纏ったもうひとりの僕が、精神世界からこちらをじっと眺めていた。責め立てられているような眼差しが、ひどく僕を苦しめた。
もう、限界だった。
大好きだった人が死んでしまった。もうこの世に楽しいことなんてない。生きていたって仕方がない。おじいちゃんは代替不可能なかけがえのない存在。今後僕は、同じような幸福を受け取ることはできないに違いない。仮にできたとして、それはおじいちゃんの代わりが世の中に存在しているようで、許容できない。
八方塞がり。終わった人生。終わるべき人生。
僕はおじいちゃんの言いつけを守れない。とても、弱いから。
僕はもう幸せにはなれない。おじいちゃんの代わりなんて、欲しくないから。
「ねえ君、だいじょうぶ?」
どれぐらい考え込んでいたのだろうか。
僕の目の前に、亜麻色の髪をした少女が立っていた。外見は七歳ぐらいで、僕とそう変わらない。
普段は元気に跳ねているであろうその髪は、雨に濡れて萎れていた。だがにこっと笑えば、本来の持ち味であろう底なしの明るさが垣間見えた。
僕はその少女を見つめる。僕を元気づけようと明るい笑顔を向けるこの少女のことを――ひどく、恨めしく思った。きっとこの子は、僕にないものを持っているのだろうと思ったから。
「ほっておいて」
きっとこの子は大切な人が死んだ経験なんて、持っていなかった。無邪気に笑っていることに喜びを見出す子だった。死んでしまった人の言葉を気にして、泣くことも笑うこともできない僕とは、大違いだった。
「君、エトっていうんでしょ?」
どこで聞いてきたのか、彼女は僕の名を口にした。
「一緒に遊ぼうよ! エト!」
元気に言ってくる彼女の言葉は恨めしくもあり――たぶん、嬉しかった。
優しさが伝わってきて、それでこんなことを言ってくれているのが、よく伝わってきたから。
でもこの感情は、ごめんなのだ。僕は楽になってはならない。おじいちゃんが死んだのに、嬉しいなんていう感情を抱いてしまうのが嫌だ。新しい思い出なんて、欲しくない。
「ごめん、そういう気分じゃないんだ」
尖った声音でそういうと、彼女は困ったような顔をして、僕の隣に座った。
そこから会話はなかった。雨音だけが途切れずに続いていて、なにも起こりはしなかった。
やがて壁にもたれかかって座る彼女が、寝息を立て始める。
なにをしに来たんだか、と思う。
僕は一人でいたかった。こんな女の子をおいて、どこかにいこうと、そう思った。
けれど、彼女の方を見てみれば、彼女は小さく震えていた。雨の日は寒い。僕は特殊な一族だから、気温に関して不自由をすることはないけれど、彼女は普通の人間で、寒さを感じる一般人。
なのにわざわざ僕の隣に座って、震えながら眠りこけている。
――僕は。
おかしな女の子だった。ほとんど関りのなかった暗い雰囲気の男の子に、わざわざ話しかけてくれて、拒絶されたらただ隣に座ってじっとして。
ただ隣にいることが、彼女なりの優しさなのだと僕は気づいていた。
……でも、それがなんだっていうんだ?。
関係、ないのだ。おじいちゃんが死んでしまったのだから、僕はひとりでいなくてはならなくて、誰かの優しさを嬉しいと思ってはならない。
――でもどうして、こんなに胸が痛くて、なのに胸が温かいんだろう?
今、僕は十七と言う年齢になった。そんな大人ともいえる年齢になってから振り返ってみれば、七歳の僕はとても子供で、自分勝手な理論で自らを苦しめていたのだなあ、と思う。まさに、考えなしの子供だった。
今はいろいろと余裕があって、それでこんな自己分析ができるから、こんな感想を抱ける。今は余裕のない、ひとりぼっちの子供なんかじゃない。
続きなのだけど、あれから僕は彼女が目覚めるまでずっと隣にいた。目覚めた彼女は僕の耳に息を吹きかけ、僕が変な声をだすといたずらっぽく笑った。それからたぶん、僕は正しい子供のように、なにかしら仕返しをした。そこからやけに、楽しい思い出が続いている。
――きっと、と思う。
こうやって彼女が僕を救ってくれたから、僕は変われた。
陰湿で孤独な強者でなく、人と触れ合うことを喜び、笑っていられる時間が好きな人間になった。
こうやって第二の優しさを知ったのが。
こうやって彼女が僕に手を差し伸べてくれたのが。
きっと、これが、僕の原点。