承認欲求という名の毒
創作するときは複数の人が出てきて、大体いつも喧嘩している。
「この文章はへたくそだ」
「この文章は素晴らしい」
正直、うんざりする。
書きあがったら書きあがったで
「めんどくさい、さっさと公開しよう」
「人様の目に触れるものだから、しっかり推敲しようよ」
と喧嘩をはじめる。
でも、めんどくさい方も気にはしていて
投稿した後もちょくちょく自分の文を眺めては
「ここ、変だな」とか
「ここ、微妙」とか
ぶつぶつ言ってこっそり直し始める。
なら最初から見直せばいいのに。ともう一人が辟易する。
「頑張って書いたのだから見てほしいな」
と言っていた一人が
「なんでみんな見てくれないのかな」
と騒ぎ始めたらすこし危険だ。
何のために文を書いているのか?
見てほしいのはなぜ?
ほめられたいから?
認められたいから?
そう思い始めたら、筆をおいて少し離れたほうがいい。
その思いは肥大し、毒となり、全身を蝕む。
なぜ、こんなに頑張った自分をほめてくれないのか?
なぜ、こんなに頑張った自分を認めてくれないのか?
──なぜ、みんな自分を無視するのか?
毒が全身に回ると、気付かなくなるのだろう。
自分を殺し、否定していたことを。
欲しいのは単なる賞賛。自己否定した自分への肯定。
そんな自分を賞賛する人物は薬ではなく、麻薬なのだと。
甘美な麻薬は、さらに全身を蝕み、新たな麻薬を欲するのだ。
そして、麻薬におぼれた人間の末路は──
多かれ少なかれ、誰にも承認欲求はあると思います。
私自身も承認欲求はあります。
でも、それがあまりにも大きくなりすぎたらヤバいです。
折り合いつけて書いているつもりではあったのですが、結構ダダ漏れているみたいなので、戒めのために書きました。
読みやすい文を心がけるというのは、正直言って、読んでほしい心の現れです。
でもそれはすべてではありません。単に読みにくい文が嫌いなだけです(笑)
あと、最後はぶった切りました。読み手が考えたほうがいいと思ったので。
こういうのは私は嫌いではないのですが、読者を選ぶと思ってます。
それはそうと、これを詩といっていいのか、そっちのほうが悩みますね……
エッセイと詩と、ジャンルは結構悩みました。