リンちゃんの様子が、なんか変?
「それじゃあ二人とも、仲良くするんだぞ。――リンちゃん、留守中糸のことをよろしく頼む」
お父さんに頼まれ、リンちゃんがこくりと頷いた。
白い肌に映える、艶やかな黒いショートヘアがさらりと揺れる。
「糸ちゃん。口下手な子だけど、うちのリンちゃんのことをよろしくね」
リンちゃんそっくりの琴音さんへと、わたしも力強く頷いた。
玄関のドアを開けたお父さんと琴音さんは、浮かれた顔で一度振り返る。
つい昨日再婚したばかりのわたしのお父さんとリンちゃんのお母さんの琴音さんは、今日から新婚旅行に旅立つ。
旅立つ、なんて大袈裟な表現だけど、半年かけて世界一周してくるんだから、やっぱり旅立つと言うのがしっくりとくる。
「楽しんで来てね」
わたしは内心うきうきしながら手を振り、二人を見送った。
だって!だって今日からリンちゃんと二人暮らし!
玄関マットの上で隣に並び立つリンちゃんを見上げると、儚げな雰囲気をまといながら、去り行くお父さんたちを寂しげに見続けていた。
美人は何をしてても絵になるな〜と思いながら、わたしはうっとりとリンちゃんに見蕩れる。
だってリンちゃん、お世辞なしのとんでもない美人さん。
にきびなんて裸足で逃げ出していきそうなまっさらな肌に、ぱっちりとした瞳、鼻梁はすっと通っていて、かすかにため息をこぼす唇は薄い桜色。そして左目尻にある泣きぼくろが、なんとも色っぽい。
背はすらりと高くて、学年は一つ上だけど、十六歳になったばかりのわたしと同い年。なのにおしとやかで大人っぽい雰囲気が満ち溢れてる。
お父さんが再婚すると言って、おっとりとした美女の琴音さんと、この超絶美形のリンちゃんを紹介されたとき、わたしは柄にもなく緊張して真っ赤になった。
リンちゃんを見つめすぎて、正直な話、あの会食中の会話は全部聞き流してしまったほどだ。
なに食べたかも覚えていない。豪華なフレンチだったのに、ああ、なんてもったいないことをしたんだろう……。
「……糸ちゃん?」
わっ!リンちゃんから名前を呼ばれた!糸ちゃんだって!きゃは〜!
「な、何かな!リンちゃん!」
初めての二人きりに緊張してるのか、戸惑いぎみにこちらを見遣るリンちゃん。
わたしの浮かれまくった心の声が聞こえてなければいいけどと、待ち構えていると、リンちゃんがぽつりと呟いた。
「部屋に……」
部屋に、なんだろう?……部屋に戻ろうよって意味かな?
わたしが大きく頷くと、リンちゃんはほっとしたように息を吐いて、室内へと踵を返した。
わたしは金魚のフンのようにその後についていく。
できればこんな人目のない家の廊下じゃなくて、街中を歩きたい。
リンちゃんはわたしのお姉さんなんですよぉ!って、触れ回りたい。
勉強がんばってリンちゃんと同じ高校に受かったし、わたしの人生絶好調だ!
もう入学式が楽しみで仕方ない!
だけど飛び跳ねんばかりのわたしとは違い、リビングのソファに腰を下ろしたリンちゃんの背筋はぴんとしていて、少し固かった。
この家に来たばかりだし、もしかして居心地悪いのかな?まさか……わたしが鬱陶しい?
隣に座ろうとしたけど、離れた方がいいのかな?
様子見で少し離れた場所に座りかけると、リンちゃんに捨てられた仔犬みたいな目でじっと見つめられてしまった。
じゃあ近づいてもいいのかな?
ためしに隣に座ってみると、リンちゃんはふわりと微笑んだ。
どうしよう!悩殺される!わたしの心臓持ちません〜!
「……テレビ、観る?」
内心悶えているわたしに、小首を傾げて尋ねてきたリンちゃん。
気を遣ってくれたのかもしれない。
「あ、じゃあDVD観ない!?」
二人でも楽しめるように、ちゃんと準備をしておいたんだよね〜。
なんとしてでもリンちゃんと仲良くなるために、趣味嗜好はばっちりチェック済み!
リンちゃんはこう見えてホラーが好きなんですよ〜。
琴音さんにリサーチしておいた甲斐があった。
借りてきたDVDをさっそく再生すると、レンタルらしくホラー映画の宣伝が流れ、そこに至って、わたしは重大なミスに気がついた。
わたし、ホラーだめだった……。
なんてことだ。新作ホラー映画の宣伝の部分で、もう怖い。
いや、でも……。本編はこの映画じゃないから……。
「……本編まで、飛ばしてもいいかな?」
訊くとリンちゃんはこくりと頷いた。
ほっとしたけど、リンちゃんの目が画面に釘付けで、この映画に対する期待度が高いことをひしひしと感じた。
わたし、最後まで耐えられるかな……。
のっけからびくびくとしていると、リンのまっすぐな視線がこっちに向けられた。
「……糸ちゃん」
「な、何かな?」
「もしかして、怖いの苦手?」
「そ、そそんなことはないよ!」
部屋に戻っていいよ、とか言われたくなくて、わたしは必死にごまかした。
「怖かったら、その……、手でも握ってる?」
「えっ!?いいの……?」
「……いいよ」
リンちゃんに優しさに感動して癒された瞬間、テレビではおどろおどろしい場面へと切り替わった。
ただ薄暗い画面だけでもう怖いよぉ……。
リンちゃんの手を握ろうとしたけど、画面に白い影が過ったことに驚いて、とっさに腕へとしがみついてしまった。
リンちゃんはびっくりした顔をしてこちらを見下ろす。
このぐらいで怖がってって、呆れられたかも。
「……糸ちゃん、あの、もう少し……」
リンちゃんがなにかを言おうとしたときだ。画面に髪の長い白装束の幽霊的な女がっ――!
「ぎゃぁぁぁー!出たぁぁぁーー!」
わたしは無我夢中でリンちゃんの腰に抱きついた。すがれるものがなければ、確実に泣いてる。
リンちゃんも硬直してるから、きっと怖がってもいいシーンなんだ。
でも、なんでもっと、きゃっきゃっとはしゃげるレベルのホラー映画にしなかったんだろう!わたしのバカ!
「い、糸ちゃん!」
リンちゃんの声にかぶせて、画面からつんざくような悲鳴。ついに一人目の犠牲者が出た。
「ひぃ……!」
ゆ、幽霊がこっち見たよ!?しかも目が合った!?わたし、死ぬのっ!?
「糸っ……!」
「ぎょえぇぇぇぇ!!」
恐怖でリンちゃんを押し倒しぎみのわたしは絶叫しながら二時間、そのぜい肉とは無縁の腰にしがみつき、なんとか苦難を乗りきった。
リンちゃんがしきりにわたしの名前を呼んでいた気もするけど、あんまり覚えてない。
だけどリンちゃんの腰が、ちょっと……堅かったことだけは手の感触として残っている。
もしかして……わたしの腰まわりって、ぷにってしすぎ?
それともリンちゃんも怖くて、お腹に力が入ってたのかな?
ホラーに奪われた体力の回復のため、琴音さんが作っておいてくれた昼食のお弁当を食べていると、それまで疲れきった様子で沈黙を守っていたリンちゃんがおもむろに、真剣な面持ちで口を開いた。
「糸ちゃん。お願いだから、映画館でホラーだけは、絶対に観ないで」
「えっ」
「特に男とは」
なんで男の子?
「男の子と映画館なんて行かないよ?」
「……今はそうでも、その内誘われたりするようになるよ」
「あはは。ないよ〜」
リンちゃんがあまりにも変なことを言うから、つい笑ってしまった。
リンちゃんみたいな美人さんはしょっちゅうデートとかに行くかもしれないけど、わたしは女友達としか行ったことがない。
そもそも男の子と出かけたこととか、ほとんどないもん。
「男友達は?」
「いないよ?だって男の子って、意地悪でがさつで乱暴で、近寄りたくもないもん」
「……」
あれれ?リンちゃんが妙な顔で黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
「……ううん。好きな人とかは?」
これって、……恋ばな?なんか仲のいい姉妹みたい!
なのに、残念〜。わたしには語れる話が一つもないや。
「わたしは好きな人なんて……あ、そうだ。リンちゃんは?付き合ってる人とかいたりする?」
「いないけど……」
やった!しばらくはリンちゃんを独占できる!わぁーい!
「わたし、リンちゃんとだったら映画館でも遊園地でも、散歩でも行きたいな〜」
リンちゃんは目を丸くして、頬がうっすら赤くなったと思ったら、俯いてしまった。
きゃー可愛い!
よし、もう一押しだ!
「それでね、最終的にはリンちゃんと一緒にお風呂に入れるくらい仲良くなりたいな」
わたしがそう言って仲良し姉妹への夢を語ると同時に、リンちゃんは手にしようとしていたコップを掴み損ねて倒してしまった。
テーブルに緑色のお茶が、じわじわと広がっていく。
硬直しているリンちゃんの代わりに、素早くふきんで拭いたから、被害は拡大せずに一安心。
リンちゃんの方を見ると、どうしてか手のひらを額に当てていた。
頬はさっきよりも赤い気がする。
どうしたんだろう。リンちゃんシャイだから、一緒にお風呂が恥ずかしい、とか?それとも……まさか、熱?
「リンちゃん、頭痛いの?薬出す?」
「なんか……ううん。なんでもない」
本人がなんでもないと言うのだから、なんでもないんだろうけど……。
無理強いして嫌われたくなかったから、わたしはその話はなかったことにして、つけっぱなしだったテレビを眺めながら二人静かに食事を終えた。
これまでリンちゃんと二人きりになったことはなかった。
リンちゃんとの二人暮しは、いわゆる友達とのお泊り会的な気分だったんだけど……。
リンちゃんの様子が、なんか変?
友達ほど打ち解けていないから、ぎこちなくなるのかな?
今は目が合ってもすぐに逸らしてしまうし、最終的には出かけてしまった。
やっぱりお風呂のことが原因?突然できた義理の妹と一緒にお風呂なんて、気持ち悪かったのかもしれない。
どうしよう、きっと馴れ馴れしすぎたんだ……。
リンちゃんに嫌われたら……泣く。号泣する。
わたしがべっこりとへこんで反省していると、しばらくしてリンちゃんが帰ってきた。
「……リンちゃん、おかえり」
うん、とだけ曖昧に頷いたリンちゃん。
ただ買い物に行っていただけだったらしい。
わたしのことが嫌で出て行ったんじゃないとわかってほっとしていると、リンちゃんの持つ透明の袋に入った白い箱の側面に印されているロゴに、目が釘付けになった。
――ま、まさかっ!
反射的にソファから飛び上がったわたしに、リンちゃんがその神々しい袋を差し出してくる。
「正治さんが、糸ちゃんはプリンが好きだって言ってたから……その、買ってきた」
なんと!リンちゃんがわたしのために、プリンを!?
いつわたしのプリン好きを話したのか知らないけど、お父さんナイス!
「リンちゃーん!ありがとう!大好きっ!」
「あ、うん」
リンちゃんは頰を赤くして、目線を下げた。
照れてる。可愛いっ!
まだお互いに距離感を掴めなかっただけで、わたし、嫌われてなかったんだ。
わたしは我慢できずにそれを受け取り、いそいそと箱を空けると、種類の違うプリンが六個も詰まっていた。
宝石箱や〜!と、素で言ってしまうくらい、綺麗で輝いて見える。
まずは無難にプレーン?それとも今の気分に従ってストロベリー?大人ぶった抹茶も捨てがたい!だけどチョコも〜!
「……全部、食べる?」
「わたしが全部食べたらリンちゃんの分がなくなっちゃう!……ちょっとずつ、交換しよう?」
リンちゃんが買ってきたプリンだから、ちょっと気が引けて、おそるおそる下から見上げた。
するとリンちゃんがこくこく頷いてから、少し慌てた様子で、「手を洗ってくる」と言って洗面所へと駆けていった。
リンちゃんが来る前に、なにから食べようか選んでおこっと。
わたしは腕組みをして、プリンたちとにらめっこをした。
それぞれがわたしに食べてと囁き出す。
「…………よし」
初志貫徹だとプレーンのプリンを手にして、プラスチックのスプーンを取り出していたところにリンちゃんが戻ってきた。
「リンちゃんはなにがいい?」
リンちゃんは、なんでもいいとばかりに、一番近い隅にあったチョコプリンを選択する。
あぁ……チョコも美味しそう。
これはさっそく一口もわらねばっ!
その前にこっちからおすそわけしないとと、わたしは自分のプリンを一口すくって、リンちゃんの前に突き出した。
「リンちゃん、はい」
すぐに口を開けてくれると思ったのに、リンちゃんはスプーンの上でふるふると揺れるプリンと、わたしの顔を交互に見ている。
伝わってない?友達だとすぐに察してくれるんだけど、リンちゃんはあんまりこういうことしないのかな?
「あーん」
スプーンを口に近づけると、やっとわかってくれたのか、薄く唇が開かれた。
そして意を決したように、ぱくっと食べる。
「美味しい?」
すかさず訊くと、リンちゃんは目を逸らしぎみに小さく首を縦に振った。
「リンちゃんのも、一口だけちょうだい?」
あーん、と口を開けて待っていると、リンちゃんがチョコプリンをすくって入れてくれた。
ふわっとチョコの風味が広がり、濃厚な甘さとほろ苦さが絶妙に絡み合ってすごく美味しい。
わたしはチョコプリンを堪能してから、自分のプリンを頬張った。
これは甲乙つけ難い!どっちも美味しい〜!
リンちゃんとこの感動を分かち合おうと思ったけど、なぜかわたしをじっと見入っていて、自分の分にはまだ手をつけていなかった。
なんか、スプーンを凝視してる?
「どうかしたの?」
「……ううん。なんでもない」
リンちゃんはそう言って、ちまちまとチョコプリンを食べ始めた。
わたしは密かに手をつけていたストロベリー味を食べきると、あとは箱ごと冷蔵庫へとしまっておいた。
「春休みももう終わっちゃうね。学校、馴染めるかな……?」
「根拠はないんだけど、糸ちゃんならどこにいても大丈夫な気がする……」
リンちゃんはどこか遠い目をしている。
まずい!一人でも平気なんて思われてたら、一緒に登校してくれないかもしれない。
「リンちゃんは誰かと一緒に登校する約束とかしてる?」
「まだこっちに越してきたばかりだから、特には」
「じゃあさ!一緒に登校しよう?」
「いいよ。正直、電車は心配だったから」
ああ、そっか。ここからだと、乗り換えもあるもんね〜。
初めてなのはわたしだけじゃないんだった。
それにしても、電車通学か〜。
「痴漢とかいる?」
「いる。確実にいる。だから、気をつけてね」
真顔で言われたけど、リンちゃんが隣にいたらわたしは狙われないんじゃないのかな?
「大丈夫だよ〜」
「その油断が隙を生むんだから」
珍しくリンちゃんが引かない。
これまでに、よっぽどひどい目に遭ってきたんだね……。
美人さんだもんね。毎日痴漢との攻防だよね。
「その憐れむような目は一体……?」
「だってリンちゃん、痴漢に遭うでしょ?」
リンちゃんが驚愕したように目を見開いた。
なんで知ってるの!?みたいな顔だ。
そんな容姿してたらバレバレだよ?
よーし!リンちゃんを守って、株上げだ!
「任せてリンちゃん!わたしが痴漢を撃退するからね!」
「こら!危ないことはするな!」
胸をどーんと叩いていたわたしは、怒濤の勢いで叱られた。
なんかリンちゃん、……お父さんみたい。
実は口うるさいタイプだったり?
意外な発見に驚いていると、リンちゃんが謝ってきた。
「怒ってごめん。……怖かった?」
「怖くはないけど……。リンちゃんがそう言うなら、よけいなことはしない。……だけど一緒に登校してね?他人のふりとか、しないでね?」
「他人のふり?なんでそんなことを?」
「だって家族……というか、わたしのことを恥ずかしいと思うときがあると思うし」
当たり前だけどリンちゃんとはまったく似てない。
親の再婚で家族にはなったけど、友達とかにそのことを知られたくないかもしれないし……。
「いや、糸ちゃんみたいな妹ができて、嬉しいよ……?」
リンちゃんがフォローしてくれた!しかも恥じらいながらの上目遣い!
きゃー!悶え死にそう!
どさくさに紛れて抱きついちゃおうかな?
にじり寄ると、リンちゃんはじりじりと後ずさった。
やっぱりべたべたするのは嫌みたい。
嫌われたくないから渋々諦めると、あからさまに安堵されてしまった。
もっとフレンドリーな感じになれるといいのになぁ。
夜は一緒に寝てくれないかな?
寂しいふりして、部屋に突撃しようかな。
そんなことを考えていると、心なしか、リンちゃんがぶるりと震えた気がした。
夜は琴音さん特製のカレーをあたためて食べてから、交代でお風呂に入ることになった。……残念。
琴音さんが選んだおそろいのパジャマも、着てくれるかが心配〜。
先にお風呂に入ってきたわたしは、湯上がりでほっこりした気分のままリンちゃんを呼びにいく。
「リンちゃん。お風呂空いたよ〜」
「あ、うん」
テレビを眺め入っていたリンちゃんはなにげなくこちらを振り向き、目をぱちくりとさせた。
それから、かぁっと赤くなった顔を逸らす。
どうしたんだろう?パジャマ変?
「リンちゃん?」
「な、なんでもない」
リンちゃんは、そそくさとお風呂に行ってしまった。
わたしはタオルで髪を拭きながら後ろ姿を見送り、首を傾げた。
それからドライヤーで湿った髪をさくっと乾かし、ちらっとお風呂を窺う。リンちゃんが出てくる気配がないことをしっかりと確認してから、俊敏な動きで冷蔵庫からプリンを取り出した。
もう一個ぐらい、いいよね?……ね?
ストロベリー味だけを手にし、あとは冷蔵庫へと戻しておいた。
よし!リンちゃんにバレる前に食べちゃおう!
ソファへと移動してプリンに舌鼓を打ちながら、リンちゃんが観ていたドラマの続きを観る。
それはシェアハウスの一つ屋根の下で暮らすことになった男女の恋物語だった。
男の子と二人っきりかぁ〜。あはは、絶対にむり。
のんきにプリンなんて食べてられないよね〜。
笑いながらソファに寝そべっていると、ふわぁとあくびが出た。
どうやら睡魔がすぐそこまで迫っているらしい。
眠い……。
とりあえず歯だけ磨いて、ソファに逆戻りすると、ぱたりと目を閉じた。
「嘘だろ……」
浅い眠りに落ちているわたしの耳に、ふいに聞こえたその愕然とした声は、リンちゃんのに似ているけど、なんか男の人みたいだった。
確認しようにも、まぶたが開かない。
あ、身体が浮いた?
これは……階段?階段を上る夢?
近くで、「う、重っ……」という、うめき声がする。
重くないもんとばかりに唸りながら足をばたつかせると、誰かが、「勘弁してよ……」ともらした。
小さい頃、こんな風に眠ってしまったわたしを、お母さんが部屋まで運んでくれていたなぁ……。
「お、か……さん」
ちょっぴり悲しくなったわたしは、布団に下ろされたことでそれまであったぬくもりが消えていく気配に慌ててすがった。
布団をかけようとしていたその腕を掴んで、中へと引きずり込む。
「え」
案外たやすく捕獲した相手が逃げてしまわないように、無意識で羽交い締めにする。
「抱きつかないで、ちょ、ほんとっ、やめて……!」
「うぅーん……」
「うぅーん、じゃなくて!起きろ、糸ちゃん!――こら、糸!」
「うー……ん、……あれ?リンちゃん?」
わたしはうるさいなと思いながらも目を開けると、困り切った顔のリンちゃんが腕の中にいた。
あれれ?なんでリンちゃんがわたしのベッドに?
「違っ、違うからね!?運んで来ただけで、やましいことはなにもしてないから!」
リンちゃんは顔をほんのり赤くして否定する。
え、リンちゃんがここまで運んでくれたの?
絶対重かったはずだよ。明日筋肉痛かも。……ごめんね?
「じゃ、じゃあ、おやすみ……」
そろりと布団から出て行こうとするリンちゃんを、わたしがそうやすやす見逃すはずがない。寝ぼけたふりして抱きついた。
ぎょっとするリンちゃんは、わたしを引き剥がそうと手をのばしてくる。
背中に腕を回して思ったけど、リンちゃんって……。
「細いね……」
「!?」
リンちゃんがショックを受けた顔で絶句した。
細いって褒め言葉なのに。――あ。もしかして。
胸がないこと、気にしてたとか……?
「ご、ごめんね?まだこれからだし、牛乳飲んだり……ね?」
「……」
どうしよう……!すごいヘコんでる。
「大丈夫だよ!わたしはそんなリンちゃんも好きだよ!」
根拠のない主観のみのフォローをすると、リンちゃんは恨みがましげな眼差しでこちらを見た。
「……本当に?ただの慰めじゃなく?」
「慰めじゃなく」
「それは……態度で表すなら、どのくらい?」
「態度で?」
いまいち理解できずにいると、頰を手のひらで撫でられて、リンちゃんの顔が少しだけ寄せられた。
「たとえば、……キス、できる?」
――え?リ、リンちゃん……?
こんなこと言うなんて、やっぱりちょっと変わってる。
だけど……リンちゃんとキス!
こんなレアなチャンス、きっと二度とない!
それに外国なら家族でキスしてもおかしくないはず。
わたしはなんとなくの知識で、リンちゃんの唇へとちゅっと口づけた。
やわらかっ!リンちゃんの唇、プリンを超えた!
自分から言ったのに、リンちゃんは目を見張ったまま固まっていた。
まさか、冗談だった、とか?
それとももしかして、……初めてだったとか?
「ご、ごめんね?責任取るから!」
責任取ってこの秘密、墓場まで持って行くから!安心して!
「……うん。責任取って」
リンちゃんが純潔を奪われた乙女みたいなことを言う。可愛い〜。
「じゃあ、……おやすみ」
恥じらうリンちゃんが布団から出て行こうととしたから、行かせまいとジャージのポケットを掴んだ。
おそろいのパジャマじゃなくてショック。
このジャージ、破れればいいのに。
「おやすみ〜」
「……いや、離してくれないと、部屋に戻れないんだけど……」
必殺、狸寝入り!
「すぅ……」
「糸ちゃん!」
「すぅ、すぅ……」
何度も叫んでいたリンちゃんは、最後は諦めて枕に頭をつけた。
寝息が聞こえてきてから、わたしは心置きなく寝顔を堪能し、明日からもどうやって親睦を深めるか策を練りながら、眠りについたのだった……。
翌朝ぐったりしたリンちゃんと一緒に目覚めることになる。
そのときのわたしは、まだ、気づいていない。
リンちゃんの様子がなんか変だったことの、理由を――。
気づくのはもう少し先、リンちゃんの制服が、自分のと違うことを目にするときになりそうなんだけど……、それはまた別のお話――――。
お読みいただきありがとうございます!
ただただ固定観念に囚われて、リンちゃんが義理の姉だと疑わない女の子の話でした〜。
実際は義理の兄です。リンちゃん視点も投稿しますので、そちらも読んでいただけたらと思います。